CLOUD 9

連載第55回: Mother’s Little Helper(3)

アバター画像杜 昌彦, 2025年10月29日
Fediverse Reactions

主演映画第二作の撮影もこの頃にはじまった表紙にきみを抱きしめる腕八本と刷られた脚本がMはお気に召さぬご様子だったR発案による仮題から着想したと思しきカルト教団の設定がヒンドゥーの神々に失礼だというのだあんた孫悟空マジックモンキーなんだから神猿ハヌマーンの仲間には敬意を払わなきゃだめだなんて意味不明な説教までされた一九九四年だったか里帰り公演の打ち上げで明け方に流れ着いた店で踊り疲れた若者たちがぼんやり眺める吹き替え再放送を見て初めてあいつが僕をあのやんちゃな暴れん坊に重ねていたことを知った)。 ドキュメンタリー風だった前作とはうって変わりマルクス兄弟風〇〇七とでもいった風の海や雪山で遊びたいという僕らのわがままとバハマでの税金対策を兼ねた、 『西遊記モンキー!も顔負けの荒唐無稽な筋立てだったビリー・ワイルダーの無駄のない喜劇を好むMにしてみれば冗長すぎおまけにあいつの大嫌いな軍服や戦車まで出てくる海が赤くなる場面はアニメーションを合成するんだろまさか染料を垂れ流したりなんかしないよな日本じゃそういうのが社会問題になってるぞ……などと心配され山火事やら洪水やらの気候変動をいまだ知らずジェット機で仲間と世界を飛びまわっていた僕は気の小さい奴だなぁと大笑いした七月末の蒸し暑い夜王族を招いた試写会でMは案の定Gのスタントには手に汗握ったし何よりRが最高だきみが本を読む冒頭の場面も好きだよでも……なんていいつつ渋い顔をし雪山の場面なんかイッてる隠せないになっちゃってるけどいいのかいと苦言を呈したこの撮影でPはスキーの腕前をみんなから褒められたあいつはなんでもそつなくこなす僕はその少し前にGMと互いの連れ合い同伴で練習したけれどさして上達せずGMに至ってはくじいた足をしばらく引きずるはめになった
 Gが撮影所で小道具のシタールを興味津々で手にしたのは二ヶ月後さらにその数日後には決まったばかりの題名を盛り込んだ主題曲を急遽でっち上げたその制作中ずっとMは何かいいたげで僕が歌唱を吹き込んだ九テイク目ではついに体を前後に揺らしはじめた僕はまた難癖をつけられるのかと身構えたところが一二テイク目でGが下降するリフを重ねてお助け!が完成するとあいつは満面に笑みを湛え骨が折れそうなほどの勢いで僕の背中を叩いてきたよぉ作家ついにやったな! その喜びようにGとRは戸惑いキーウェストのモーテルでひと足先に僕の弱い内面を知ったPはニヤニヤした戦場では自分を勇敢だと思い込んでる奴から先に死んでった本当の勇敢さってのは弱みを認めることだ……とMが前にいったのを僕は思い出したその会話を交わしたときPは確かいなかったはずだけれど妙に察しのいいあいつはMのいわんとすることに内心で同意したのだ身内でもっとも辛口の批評家ふたりに肯定されると急に悪くない気がしてきたそれどころか代表作とすら称すべき傑作に思えたから妙なものだ
 Pが広島長崎やビキニ環礁の話をMに聞かされて物理学者やら哲学者やらと議論するようになったのもその頃であいつが核兵器反対の声明を発表した四月僕ら夫婦はGとお茶の間アイドルとともにベイズウォーターの売れっ子歯医者宅に夕食に招かれたいまじゃ考えられないことだけど僕らが子どもの頃の歯科医はいかなる薬も合法で手に入れられる立場にいて上流階級の気どった富豪どもは決まってそいつらの世話になっていたきっと戦争で余った薬が市場に出まわってたんだろうMやマルEの大好きな古い探偵小説にはその手の小悪党がよく出てくる美大の同級生やハンブルクの便所小屋の競演者からコカインを薦められても僕やPが感銘を受けなかったのは乳歯の治療で似たような薬を処方されていたからだところが芥子やコカや麻黄に由来する昔ながらの薬とちがってスイスの製薬会社で麦角菌アルカロイドからリゼルグ酸ジエチルアミドが合成されたのはポーランド侵攻の前年そのすばらしい薬効が発見されたのはこの夜からちょうど二十年前山本五十六が戦死したりワルシャワの人種隔離地域で武装蜂起があったりした頃でまだ歴史が浅く入手経路も限られていたシカゴで美容歯科を学んでハーリー通りで開業し人気芸能人や流行の芸術家に取り入って成功したこの巡査の息子はロンドンの高級キャバクラ経営者からそのブツを手に入れたらしく噂じゃグレイトフル・デッド御用達の上物だったとか米国中央情報局が元ナチを集めてやらせた研究ではほのかな苦みのあるこの透明な結晶は妊婦を流産させ廃人を量産する一方その計画が目論んだような成果は得られなかった思考を乗っ取って大人たちに議会を襲撃させたり子どもたちに自殺させたりって意味じゃ我らがティモシー・リアリーが晩年に見た夢は正しかったわけだあの大先生はそれを何かいいことだと思ってたみたいだけど
 風呂に入って洗濯した服を着るくらいに衛生観念は改善されていたとはいえ酒と薬と砂糖水で元気をつける暮らしが長すぎて僕らの歯はガタガタだったとりわけGの乱杭歯には大工事が必要だったこの話題になったときMは芸能人は歯が命!と叫んですぐさまいや忘れてくれ日本人でもこのことわざを知る世代は限られると弁解した)。 おかげでGは眉の手入れを憶えるのと同時期一九六三年後半から六四年にかけて頻繁に通院してその歯医者とは連れ立って夜のクラブを巡るほどの仲となったこの頃Mが話して聞かせてくれた日本とギリシャの神話によればひとたび冥府で煮炊きされたものを口にした人間は現世へ帰れぬというその夜の僕とGがまさにそうだったMやティモシー・リアリーのいいまわしを借りれば脳を再配線されたのだ
 歯医者の愛人は素人の女の子を騙して高級キャバクラで働かせる周旋屋で貧民一家がその上で暮らせそうな金のかかった胸しか僕の記憶には残っていないその女が自分でつくったか缶詰から出したかしたご馳走と成金の僕らには馴染みのない高い酒自宅の蔵にはBEの選んでくれた葡萄酒が山ほどあったのに僕ら夫婦には価値がわからなかったで楽しく歓談し次の約束があるんでそろそろお暇しようかという頃合いでいいが手に入ったとかいう口実で食後のコーヒーを執拗に薦められたお茶ならまだしも苦くて味の濃いコーヒーに何か混ぜられても気づきようがないこりゃ何かあるぞとGと顔を見合わせまぁそこまでいうならと浮かした尻を椅子に戻した角砂糖はいくつ入れるかと問われて僕だけはくれと要求したなんだって他人より多いほうがいいと思ったのだこの話を翌日に僕から聞かされたMはふたつで充分ですよと笑った未来の映画からの引用だと知ったのは例によってあいつの死後数年経ってからだ)。 僕の強欲に歯医者は笑みを禁じ得ず勇敢だねと感想を述べた含みのあるその台詞とご自慢のコーヒーに自分じゃ口をつけない様子から女たちも何か不穏な事態が進行しつつあると察したようだったとりわけお茶の間アイドルは前々からこの歯医者を疑っていたどんな治療をするにもジアゼパムを静脈注射するからだYが日本で富豪一族の両親によって精神病院にぶち込まれていたときに大量投与された鎮静剤である意識を喪った患者にあの歯医者は何でもできた目を醒ましたとき下腹部に違和感があったところでだれも疑わない成人してからほかの歯医者を知らぬ僕とGはそれが普通なのだと思っていたまだ女学生のように見えるお茶の間アイドルは眉根を寄せてGの腕をつつき急かすようなことを耳打ちしたCも疑るような眼で不安そうに僕を見つめたGはなぁもう行こうぜKの出番を見逃しちまうといいつづけた僕はすっとぼけて何も気づかぬふりをした
 案の定コーヒーは妙な味がして現実が変容しはじめ重力が僕らを地上へ引き留める確証がなくなった巨乳の女衒はビスマルク号が沈没するとくり返し叫んだ僕は一服盛りやがったなと叫んで歯医者の胸ぐらを掴もうとした胸も手も虹色に輝いて互いにすり抜けた歯医者とその愛人は麦角菌から分離した結晶を媚薬か何かと心得ていたらしく有名人カップル二組とのあいだに化学反応を期待してチェシャ猫よろしく淫蕩な笑みを浮かべていたいかがわしくよこしまなことじゃ人後に落ちぬ僕が映画撮影で知り合ったお茶の間アイドルをそんな眼で見たことが一切ないとまではいわないけれど歯医者の愛人には他人の口腔衛生さながらに関心がなかったし何より十代の頃から我が性欲最大の対象だったCには指一本たりともほかの男に触れさせたくはなかったそんな可能性は考えただけで世間の嗤いものにされた気分になる僕とGは口々に言葉にならぬ罵声を発し送っていってやろうと親切ぶる歯医者を振り切りそれぞれの連れ合いの手を引いてなぜかこのときはしっかり掴めたつもりでいたけれどもしかしたら自分の手を握っていたのかもしれない)、 それぞれの脚をフライシャー兄弟の漫画映画よろしくもつれさせ這々の体で逃げ出した。 「きみに抱きしめられたくない八本の脚ってわけだ


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

連載目次


  1. Born on a Different Cloud(1)
  2. Born on a Different Cloud(2)
  3. Born on a Different Cloud(3)
  4. Get Off Of My Cloud(1)
  5. Get Off Of My Cloud(2)
  6. Get Off Of My Cloud(3)
  7. Obscured By Clouds(1)
  8. Obscured By Clouds(2)
  9. Obscured By Clouds(3)
  10. Cloudburst(1)
  11. Cloudburst(2)
  12. Cloudburst(3)
  13. Over the Rainbow(1)
  14. Over the Rainbow(2)
  15. Over the Rainbow(3)
  16. Devil’s Haircut(1)
  17. Devil’s Haircut(2)
  18. Devil’s Haircut(3)
  19. Peppermint Twist(1)
  20. Peppermint Twist(2)
  21. Peppermint Twist(3)
  22. Peppermint Twist(4)
  23. Baby’s in Black(1)
  24. Baby’s in Black(2)
  25. Baby’s in Black(3)
  26. Baby’s in Black(4)
  27. Hello, Goodbye(1)
  28. Hello, Goodbye(2)
  29. Hello, Goodbye(3)
  30. Hello, Goodbye(4)
  31. Hellhound on My Trail(1)
  32. Hellhound on My Trail(2)
  33. Hellhound on My Trail(3)
  34. Hellhound on My Trail(4)
  35. Nobody Told Me(1)
  36. Nobody Told Me(2)
  37. Nobody Told Me(3)
  38. Nobody Told Me(4)
  39. Paperback Writer(1)
  40. Paperback Writer(2)
  41. Paperback Writer(3)
  42. Paperback Writer(4)
  43. Anywhere I Lay My Head(1)
  44. Anywhere I Lay My Head(2)
  45. Anywhere I Lay My Head(3)
  46. Anywhere I Lay My Head(4)
  47. Anywhere I Lay My Head(5)
  48. Crippled Inside(1)
  49. Crippled Inside(2)
  50. Crippled Inside(3)
  51. Crippled Inside(4)
  52. Crippled Inside(5)
  53. Mother’s Little Helper(1)
  54. Mother’s Little Helper(2)
  55. Mother’s Little Helper(3)
  56. Mother’s Little Helper(4)
  57. Mother’s Little Helper(5)
  58. Flying(1)
  59. Flying(2)
  60. Flying(3)
  61. Flying(4)
  62. Flying(5)
  63. Setting Sun(1)
  64. Setting Sun(2)
  65. Setting Sun(3)
  66. Setting Sun(4)
  67. Setting Sun(5)
  68. Isn’t It A Pity(1)
  69. Isn’t It A Pity(2)
  70. Isn’t It A Pity(3)
  71. Isn’t It A Pity(4)
  72. Isn’t It A Pity(5)
ぼっち広告

“Mother’s Little Helper(3)” への1件のフィードバック

  1. ::: より:

    @ezdog Bの奴らの2作目の映画がなかなかイッちゃってそうで逆に観てみたくなった!そしてMが「Help!」でJが自分の弱さを歌詞に出せたことをほめてくれたというのがいいな。それを知って改めて歌詞を読むと、人気が出て激変して変わっていったであろうJの内面がよく出ていると分かる。

    胡散臭い歯医者と愛人に一服盛られたJ達のこれからが気になる。歯医者が薬を手に入れられたという背景は今から考えるとちょっとびっくりだなぁ。そして「芸能人は……」のギャグは笑っちゃったし、この状況なら絶対言いたくなる!ぴったりすぎる。

    映画の話と歯医者事件が最後うまく絡んでまとまって粋で鮮やか!