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連載第56回: Mother’s Little Helper(4)

アバター画像杜 昌彦, 2025年11月5日
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僕ら四人はちっぽけな暴徒と化したときの声を上げ商店の飾り窓を壊そうと試みたりしながら行きつけの店の一見地味な扉に辿り着きホールを横切って昇降機にどたばたと飛び乗った一階は皇太子の名を冠した劇場で最上階はミニマリズムに徹した趣向が人気のヒップな連中が入り浸る流行の店になっていた一月にRが美容師に求婚したのもこの店でだ慌てていた僕は躓き勢い余って派手につんのめった咄嗟に手を伸ばしてCの腕に掴まった操作係の制服を着た一七歳の白人少女は恐怖に叫んだ僕の手は滑らかで黒かった時は一九二一年の戦没者追悼記念日場所はオクラホマ州タルサ僕は一九歳の靴磨きだった僕らのための便所は近所でこの建物の最上階にしかなかった一階の服屋の店員が悲鳴を聞きつけて駆けつけた樹に吊した遺体を誇らしげに見上げる群衆を幾度となく眼にしていた僕は自分が何をしでかしたか悟って全力で逃げグリーンウッド地区の母親の家に匿ってもらったもののすぐ見つかって拘置所まで連行されたいつも靴を磨かせてくれるお得意様の弁護士が駆けつけてそんな大それた真似をする子じゃないと保安官に訴える様子や執務机に置かれた地元紙の制裁を煽る見出しが鉄格子の内側から見えた新聞の隣には殺害予告の手紙が広げられていた
 日が暮れる頃には表の騒ぎは膨れ上がっていた僕は恐怖のあまり気を喪い気づけば自分を頭上から見下ろしていたそのまま天井を突き抜けて建物の上空へ至った保安官は猟銃を手にした六名の部下を屋上に配置して昇降機を停め数百人の前に歩み出て追い返そうと試みただれも聴く耳を持たなかった。 『国民の創生にかぶれた二千人が州兵の武器庫を襲撃して武装し建物を取り巻いた聖職者や警察署長の説得も功を奏さなかった白人が黒人から銃を奪い取ろうとして最初の発砲が生じた銃撃戦は数秒で終わったものの双方が多数命を落とした逃げる黒人を暴徒が追った店舗が破壊され略奪され火を放たれた通行人が無差別に射殺された美しかった街はたちまち炎に覆われた通報を受けて駆けつけた消防隊は銃で追い返された州兵や在郷軍人会からなる自警団は治安維持と称して手当たり次第に住民を拘束し会議場や広場に収容した明け方に鳴った列車の汽笛が合図となり暴徒は惨殺と略奪をくり返しつつ住宅街にまで雪崩れ込んだ一二機の飛行機が松精油を吸わせた布の球に火をつけて投下し逃げ惑うひとびとを猟銃や機銃で殺戮した暴動は裕福な白人住宅街へも拡大した使用人の引き渡しを拒否した邸宅は打ち壊され略奪や落書きの被害に遭った何の罪もない六千人あまりが数日間にわたって拘禁され戒厳令が解除されたのは翌月だったおよそ一万人が家を喪い被害総額は不動産で一五〇万ドル個人資産で七五万ドルどれだけ大勢が殺されたかだれにもわからなかった
 ちょうどある本の登場人物が別の本へ紛れ込みさらにまた別の本へと渡り歩くようなもので僕の名を叫ぶCの悲痛な声にこちらの世界へ引き戻された焦点が合ってみれば街を舐め尽くす炎は昇降機の小さな赤色灯だったまるで救命艇でひそひそ話をする宇宙飛行士を見下ろす目玉のようだった僕は咄嗟にCの腕を掴んだ鮮烈な恐怖が古い火傷のようによぎった振り向いたのは制服の操作係ではなかったCは見るからに安堵しどこへ行ってたのというなり僕の胸にしがみついて泣き出したもう会えないかと思ったぜいつかのMみたいにさとGがいったお茶の間アイドルは恋人の袖を指でつまみ緊張病のように硬直して僕ら夫婦を見つめていたCの悪夢にあとのふたりが引きずられたのだ僕だけが加われずひとり黒人になって一九二一年の米国にいたなんて奇妙な感じがした僕ら四人は汗だくになり荒く呼吸して籠をまろび出た最上階の店では演奏に合わせて流行服で踊る男女を低い卓が囲んでいた卓は長すぎて先が霞んで消えていた長椅子は僕らを呑み込みそうだった酒だけは現実で僕はそれにすがりつこうとしたするとグラスは縮んで消えてしまった黒い穴を覗き込んで戻ってこいと叫んだその穴は渦を巻いて僕を頭から呑み込もうとした歌手かだれかが僕らの隣に座る許可を求めてきた失せろカスと僕は凄んだ親しくもない人間どころか幻覚の相手をするので精いっぱいだったケンウッドは遠すぎたのでGとアイドルが同棲するイーシャーの邸宅キンファウンズへ向かった時速十マイルでハンドルにしがみつくGは高速で繰り出す僕の冗談に笑わせないでくれと懇願した夜の街並みは糖蜜さながらに重く緩慢に流れ女たちはただ後部席で抱き合って慄えていた男たちが食屍鬼に見えていたからだ疲れきったGとアイドルは早々に寝室へ引き上げた僕ら夫婦ときたらまだ幻覚のただなかで僕は鮮やかな計器の瞬く黄色の潜水艦を操舵しながらぬるぬる動く壁と喋る観葉植物に怯えるCを朝まで慰めるはめになった
 その時点ではまだ自分の脳に生じた変化を正しく評価できていなかった昇降機での幻覚があまりに真に迫っていたので本か記録映画で見た実在の事件じゃなかろうかと考えそれから数週間ほどひとに聞いたり本で調べたりしてみたけれどそんな出来事はだれも知らずどの本にも載っていなかった受けそうにないので歯医者事件を人前でネタにするときには人種虐殺のくだりは省略し赤色灯を火事だと思って騒いだことにしてそれきり忘れてしまったところが二〇二一年六月にぼんやりニュースを観ていたら惚けかけた大統領がその地を訪れて演説していたんで仰天した長年隠蔽されていた事件は細部に至るまであの幻覚とそっくりだった思えば豆ッコや名誉戦傷章なんてのはまだ可愛らしい部類だったどうもあの黒い錠剤を服んだあたりから物事の調子が狂いはじめた気がする大麻そしてLSDがその流れを致命的にした煤けた港町から成り上がった不良という現実や愛する妻子との家庭生活は急に色褪せた意識が加速し人生の何もかもが捏造されたかのように急速に変転した
 社会生活を営むうえで必要な手続の何もかもが僕は苦手だったそして苦手なものは何もかも先延ばしする癖があった叙勲を打診する書類を僕はいつか開封して読まねばと思いつつ知らぬ間に徴兵制が再開されたのではとの不安もあって駐車違反の切符や不出来な答案のようにファンレターの山に紛らせて放っておいた僕が認めぬことにはあとの三人が困るとBEに懇願され広報担当や付き人たちにも受け取るべきだと口々に助言され何よりCが惚れ直したように僕を仰ぎ見るので渋々ながら承諾したMじゃないほうのもじゃもじゃ頭がのちにノーベル文学賞をもらったときいやいや歌手だろと大勢が首をひねったものだけれどだれよりも当惑したのは受賞者本人だったとかだれにもいうなよと釘を刺されたけれどこの僕に話しておいてそれは無理というものだ)。 大英帝国五等勲爵士に選ばれた僕もまさにそんな心境だった人前じゃ満更でもなくギターじゃ喰っていけないなんてガミガミいってた伯母も今度こそ認めざるを得ないだろうななんて軽口を叩いて得意満面戦功を認められて授与された過去の受賞者たちが首相の人気取りに憤慨して返還の列をなすのを僕は新聞やテレビで知って口汚く腐しながらも内心じゃ当然至極と思っていた同僚三人は無邪気に喜んだBBCラジオの電話インタビューで親父はどう思うかなとPはいい歳をとって人生を振り返るときのために大切に取っておくよとRはいった僕はといえばさすがに仲間を批難に巻き込みたくはなく武勲のあるやつがもらうもんだとばかり思っていたなどと穏便に言葉を丸めた本当にいいたかったのはだれも殺してないのに……ってことだった空気を読まぬ態度をあえて貫くGは要らないんだったらお宅らの分もおくれよマネージャにあげるからさMBEってのはミスターBEの略なんだぜといってのけてユダヤ人青年実業家を感涙させた記者会見に僕は七〇分も遅刻した鳴りつづける電話は布団を被って無視した寝台のそばでCはただひたすら狼狽しMはニヤニヤしながら僕らのことが書かれた新聞を読み上げた車で迎えに来たBEがむりやり引っ張り出してくれなければ僕は不敬罪で逮捕されていたかもしれない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Mother’s Little Helper(4)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog 幻覚のシーンが急にはじまって別の物語が交錯したようになるところが薬物の効果をリアルに表していて、びっくりして思わず引き込まれるし薬物の恐ろしさがよく分かる。すごい!

    実際の事件にリンクした幻覚の映像が恐ろしくも鮮やかで、それをJがみたということが平和のために必要だったんじゃないかと思える。叙勲に前向きになれない感じもJらしいなぁ。

    またまたボブがさりげなく登場しているのもうれしい。