僕ら四人はちっぽけな暴徒と化した。 鬨の声を上げ、 商店の飾り窓を壊そうと試みたりしながら、 行きつけの店の一見地味な扉に辿り着き、 ホールを横切って昇降機にどたばたと飛び乗った。 一階は皇太子の名を冠した劇場で、 最上階はミニマリズムに徹した趣向が人気の、 ヒップな連中が入り浸る流行の店になっていた。 一月にRが美容師に求婚したのもこの店でだ。 慌てていた僕は躓き、 勢い余って派手につんのめった。 咄嗟に手を伸ばしてCの腕に掴まった。 操作係の制服を着た一七歳の白人少女は恐怖に叫んだ。 僕の手は滑らかで黒かった。 時は一九二一年の戦没者追悼記念日、 場所はオクラホマ州タルサ、 僕は一九歳の靴磨きだった。 僕らのための便所は近所でこの建物の最上階にしかなかった。 一階の服屋の店員が悲鳴を聞きつけて駆けつけた。 樹に吊した遺体を誇らしげに見上げる群衆を幾度となく眼にしていた僕は、 自分が何をしでかしたか悟って全力で逃げ、 グリーンウッド地区の母親の家に匿ってもらったものの、 すぐ見つかって拘置所まで連行された。 いつも靴を磨かせてくれるお得意様の弁護士が駆けつけて、 そんな大それた真似をする子じゃないと保安官に訴える様子や、 執務机に置かれた地元紙の、 制裁を煽る見出しが鉄格子の内側から見えた。 新聞の隣には殺害予告の手紙が広げられていた。
日が暮れる頃には表の騒ぎは膨れ上がっていた。 僕は恐怖のあまり気を喪い、 気づけば自分を頭上から見下ろしていた。 そのまま天井を突き抜けて建物の上空へ至った。 保安官は猟銃を手にした六名の部下を屋上に配置して昇降機を停め、 数百人の前に歩み出て追い返そうと試みた。 だれも聴く耳を持たなかった。 『国民の創生』 にかぶれた二千人が州兵の武器庫を襲撃して武装し、 建物を取り巻いた。 聖職者や警察署長の説得も功を奏さなかった。 白人が黒人から銃を奪い取ろうとして最初の発砲が生じた。 銃撃戦は数秒で終わったものの双方が多数命を落とした。 逃げる黒人を暴徒が追った。 店舗が破壊され略奪され火を放たれた。 通行人が無差別に射殺された。 美しかった街はたちまち炎に覆われた。 通報を受けて駆けつけた消防隊は銃で追い返された。 州兵や在郷軍人会からなる自警団は治安維持と称して手当たり次第に住民を拘束し、 会議場や広場に収容した。 明け方に鳴った列車の汽笛が合図となり、 暴徒は惨殺と略奪をくり返しつつ住宅街にまで雪崩れ込んだ。 一二機の飛行機が、 松精油を吸わせた布の球に火をつけて投下し、 逃げ惑うひとびとを猟銃や機銃で殺戮した。 暴動は裕福な白人住宅街へも拡大した。 使用人の引き渡しを拒否した邸宅は打ち壊され、 略奪や落書きの被害に遭った。 何の罪もない六千人あまりが数日間にわたって拘禁され、 戒厳令が解除されたのは翌月だった。 およそ一万人が家を喪い、 被害総額は不動産で一五〇万ドル、 個人資産で七五万ドル、 どれだけ大勢が殺されたかだれにもわからなかった。
ちょうどある本の登場人物が別の本へ紛れ込み、 さらにまた別の本へと渡り歩くようなもので、 僕の名を叫ぶCの悲痛な声にこちらの世界へ引き戻された。 焦点が合ってみれば街を舐め尽くす炎は昇降機の小さな赤色灯だった。 まるで救命艇でひそひそ話をする宇宙飛行士を見下ろす目玉のようだった。 僕は咄嗟にCの腕を掴んだ。 鮮烈な恐怖が古い火傷のようによぎった。 振り向いたのは制服の操作係ではなかった。 Cは見るからに安堵し、 どこへ行ってたのというなり僕の胸にしがみついて泣き出した。 もう会えないかと思ったぜ、 いつかのMみたいにさとGがいった。 お茶の間アイドルは恋人の袖を指でつまみ、 緊張病のように硬直して僕ら夫婦を見つめていた。 Cの悪夢にあとのふたりが引きずられたのだ。 僕だけが加われず、 ひとり黒人になって一九二一年の米国にいたなんて奇妙な感じがした。 僕ら四人は汗だくになり荒く呼吸して籠をまろび出た。 最上階の店では演奏に合わせて流行服で踊る男女を低い卓が囲んでいた。 卓は長すぎて先が霞んで消えていた。 長椅子は僕らを呑み込みそうだった。 酒だけは現実で、 僕はそれにすがりつこうとした。 するとグラスは縮んで消えてしまった。 黒い穴を覗き込んで戻ってこいと叫んだ。 その穴は渦を巻いて僕を頭から呑み込もうとした。 歌手かだれかが僕らの隣に座る許可を求めてきた。 失せろカスと僕は凄んだ。 親しくもない人間どころか幻覚の相手をするので精いっぱいだった。 ケンウッドは遠すぎたのでGとアイドルが同棲するイーシャーの邸宅、 キンファウンズへ向かった。 時速十哩でハンドルにしがみつくGは、 高速で繰り出す僕の冗談に、 笑わせないでくれと懇願した。 夜の街並みは糖蜜さながらに重く緩慢に流れ、 女たちはただ後部席で抱き合って慄えていた。 男たちが食屍鬼に見えていたからだ。 疲れきったGとアイドルは早々に寝室へ引き上げた。 僕ら夫婦ときたらまだ幻覚のただなかで、 僕は鮮やかな計器の瞬く黄色の潜水艦を操舵しながら、 ぬるぬる動く壁と喋る観葉植物に怯えるCを、 朝まで慰めるはめになった。
その時点ではまだ自分の脳に生じた変化を正しく評価できていなかった。 昇降機での幻覚があまりに真に迫っていたので、 本か記録映画で見た実在の事件じゃなかろうかと考え、 それから数週間ほどひとに聞いたり本で調べたりしてみたけれど、 そんな出来事はだれも知らずどの本にも載っていなかった。 受けそうにないので歯医者事件を人前でネタにするときには人種虐殺のくだりは省略し、 赤色灯を火事だと思って騒いだことにして、 それきり忘れてしまった。 ところが二〇二一年六月にぼんやりニュースを観ていたら、 惚けかけた大統領がその地を訪れて演説していたんで仰天した。 長年隠蔽されていた事件は細部に至るまであの幻覚とそっくりだった。 思えば豆ッコや名誉戦傷章なんてのはまだ可愛らしい部類だった。 どうもあの黒い錠剤を服んだあたりから物事の調子が狂いはじめた気がする。 大麻そしてLSDがその流れを致命的にした。 煤けた港町から成り上がった不良という現実や、 愛する妻子との家庭生活は急に色褪せた。 意識が加速し人生の何もかもが捏造されたかのように急速に変転した。
社会生活を営むうえで必要な手続の何もかもが僕は苦手だった。 そして苦手なものは何もかも先延ばしする癖があった。 叙勲を打診する書類を僕はいつか開封して読まねばと思いつつ、 知らぬ間に徴兵制が再開されたのではとの不安もあって、 駐車違反の切符や不出来な答案のように、 ファンレターの山に紛らせて放っておいた。 僕が認めぬことにはあとの三人が困るとBEに懇願され、 広報担当や付き人たちにも受け取るべきだと口々に助言され、 何よりCが惚れ直したように僕を仰ぎ見るので、 渋々ながら承諾した。 Mじゃないほうのもじゃもじゃ頭がのちにノーベル文学賞をもらったとき、 いやいや歌手だろと大勢が首をひねったものだけれど、 だれよりも当惑したのは受賞者本人だったとか (だれにもいうなよと釘を刺されたけれど、 この僕に話しておいてそれは無理というものだ)。 大英帝国五等勲爵士に選ばれた僕もまさにそんな心境だった。 人前じゃ満更でもなく、 ギターじゃ喰っていけないなんてガミガミいってた伯母も今度こそ認めざるを得ないだろうな、 なんて軽口を叩いて得意満面、 戦功を認められて授与された過去の受賞者たちが、 首相の人気取りに憤慨して返還の列をなすのを、 僕は新聞やテレビで知って口汚く腐しながらも、 内心じゃ当然至極と思っていた。 同僚三人は無邪気に喜んだ。 BBCラジオの電話インタビューで親父はどう思うかなとPはいい、 歳をとって人生を振り返るときのために大切に取っておくよとRはいった。 僕はといえば、 さすがに仲間を批難に巻き込みたくはなく、 武勲のあるやつがもらうもんだとばかり思っていたなどと穏便に言葉を丸めた。 本当にいいたかったのはだれも殺してないのに……ってことだった。 空気を読まぬ態度をあえて貫くGは、 要らないんだったらお宅らの分もおくれよ、 マネージャにあげるからさ、 MBEってのはミスターBEの略なんだぜといってのけて、 ユダヤ人青年実業家を感涙させた。 記者会見に僕は七〇分も遅刻した。 鳴りつづける電話は布団を被って無視した。 寝台のそばでCはただひたすら狼狽し、 Mはニヤニヤしながら僕らのことが書かれた新聞を読み上げた。 車で迎えに来たBEがむりやり引っ張り出してくれなければ僕は不敬罪で逮捕されていたかもしれない。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)

@ezdog 幻覚のシーンが急にはじまって別の物語が交錯したようになるところが薬物の効果をリアルに表していて、びっくりして思わず引き込まれるし薬物の恐ろしさがよく分かる。すごい!
実際の事件にリンクした幻覚の映像が恐ろしくも鮮やかで、それをJがみたということが平和のために必要だったんじゃないかと思える。叙勲に前向きになれない感じもJらしいなぁ。
またまたボブがさりげなく登場しているのもうれしい。