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連載第18回: Devil’s Haircut(3)

アバター画像杜 昌彦, 2025年1月29日
Fediverse Reactions

まさにこの瞬間からBEの精神と前途は間抜けな笑みの東洋人と黒革上下の強面ロッカーふたりの男に引き裂かれることになる恩知らずの僕らがとうに見限っていたマネージャからおれみたいに痛い目を見たくなきゃしっかり契約を交わすことだなと忠告されつつその座を奪うことになるこの男最前列の女の子たちと同様に大股をひらいた僕の股間に釘づけだったとの説もあるけれどさすがにそれは眉唾だと思う別に友人だったから弁護するわけじゃないいくら僕の逸物が目立つといってもかれの位置からは単に遠すぎたからだ買い物中の僕らをいつも見張っている店主だと気づいたGが用向きを尋ねたひがみ根性からの皮肉に育ちのいいBEは気づかずマイボニーを聴きに来たとばか正直に答えたかけてやってよとGはお父つぁんに頼んだNEMSからお客さんですと司会者兼DJは回転卓に針を落として店内放送した聞きつけたMがあの間抜けな笑みで現れやあBEさんあのときはどうもとか何とか挨拶したいした縁なんかないくせにやけに深々と日本式のお辞儀をしやがるどうも何か意図があるようなふるまいに思えたというのは直後に僕のほうを見てニヤリと笑ったからだ
 気の早いことに翌日にはマネージャを買って出るBEは独グラモフォンのロンドン事務所を通してこの音盤を二五枚仕入れた注文分と予備の五枚を除いて陳列し、 「ザ・Bの音盤あり〼とみずから大書した紙を飾り窓へ貼りだし一歩退いて眺めて満足して肯きさてどうなるか見てみようじゃないのと事務室へ戻りかけたところ店の扉が勢いよくひらく音につづいて猿のような甲高い声が聞こえた振り向くとそばかすの少女が狂喜し商品を抱き締めるようにしてレジへ急ぐところだったその客と入れ替わりに数名の女の子たちが飛び込んできて商品をかっさらった噂が広まったらしく陳列した商品は数時間で売り切れたグラモフォンに電話して追加注文した五〇枚も入荷するなり飛ぶように売れた山師の気性のあるBEは商機を逃さじとばかりJVが撮ったアー写とともにこの音盤を携えて上京し大手小売店として多少のコネがあったEMIへ売り込んだ歌手ではなく伴奏を聴いてくれと無茶な注文をつけその場で返事は得られなかったもののアー写の反応がよかったものだからプロにもっと撮らせようと思いついた
 新人マネージャが雇った禿頭の婚礼写真屋に僕らが黒革上下先の尖ったスウェード靴で気どってポーズを決めた翌週まだ調子がいい日もあったSはクリスマスを家族と過ごすためにAを連れて帰国したロンドンに立ち寄った際Sは婚約者が贔屓にしていた演劇やバレエなどの舞台靴専門店で黒革のフラメンコ練習靴を買った痩せて背が低いのを気にしていたSは踵の高いその靴を履いて洞窟を訪れた僕とPはすぐさま奇妙な靴に目を留めたピートBを牽引する足踏みはすっかりザ・Bの専売特許みたいになっていて床で打ち鳴らされるのを意図した踵は僕らの舞台によさそうだったどこで買ったのかNが尋ね教わった店名を僕らは心に刻んだファッションに目敏いGが最初に声をあげなかったのは思えばおかしなことだったMの間抜け面を見るなりSの表情がこわばったのに気づいたのはGだけだったのだ僕は足許を見るばかりで親友の顔色に気づかなかった。 「洞窟の暗さはいいわけにならない医者でもなければまして未来の工作員でもない僕らには気づいたところでいかんともしがたかったのだけれど
 リザーランド市民講堂で地元人気を確実にしたそのちょうど一年後一一年ぶりの大寒波が訪れた夜に、 「洞窟で仲間のグループをいくつか招き僕らのファン感謝祭が催された華氏一六度の寒さにピートBは熱を出して寝込んでしまったそこで僕らはこれ幸いとたまたま体が空いていたハリケーンズのRに代役を頼んだ交互に舞台を務めた皇帝壕以来仲よくなっていたかれとは共演の機会こそ稀だったものの互いの公演を客として楽しむ間柄だったかれがドラムセットに座るとパズルの最後の一片が収まったかのように感じられた僕ら四人の演奏は最初からしっくりきたこれだと思った僕とPとGは互いに視線を交わし合った口に出さずとも思いは全員がおなじだった舞台が終わると僕らはRの背中をばしばし叩いて笑い四人で遅くまで話したり飲んだりした残念ながらこのときはそれ以上の縁がなくRは三日後に先生こと先輩歌手との仕事のためにハンブルクへ発った
 大晦日に僕らはNが運転するヴァンに乗り合わせ吹雪と渋滞のただなかへ向かった十日ほど前にEMIから断り状が届いていた事実は知らされていなかった新人マネージャのBEは大舞台を前にしてわざわざ幸先の悪い報せを伝えたくなかったのだろうかれとはロンドンの宿で落ち合う約束だったいつもの小さなヴァンは助手席がいつも争奪戦でMに教わった日本の遊びじゃんけんの勝者が座る決まりだった (「最初は石ってどういう意味だったんだ?)。 残りの三人は硬い後部座席さらに背後に楽器や機材が詰め込まれるケースに収まったギターとドラムセットはともかくアンプやあとの荷物はハンドルが切られるたびにあちこち飛んでぶつかり合ったどだい長距離移動に適した車じゃないそこで吝嗇家のくせに僕には甘いBEが気前よく大型車を借りてくれたさすが敏腕の商売人あいつのおかげでツキがまわってきたぞと僕らは思ったクリスマスカードや目覚まし時計ばかりかデビューの好機まで贈ってくれたついに夢が叶うのだ重役たちは僕らの演奏にきっと目を丸くし拍手喝采して高額の契約を結びたがるだろうGなんか見るからにナーバスになり精神安定剤がほしいなどと弱音を吐いた帰国時に荷物に忍ばせて密輸した豆ッコは残りわずかだったので分けてやらなかった
 新人マネージャを僕らはまだ敬称で呼んでいた例によってすぐに一音節の綽名が定着し僕なんか好意につけ込んで無遠慮にあんたは音楽に口を出すな得意の金でも数えてりゃいいんだよおかまのユダヤ野郎めなどと罵倒するようになるのだけれどその数日前かれが挨拶したがるのでメンディップスへ連れて行って引き合わせたら礼儀正しく機知に富んだ話し方をするこの男を伯母は拍子抜けするほどあっさり信用しちまったどうもうちの伯母は背広とネクタイと内羽根の靴に弱いらしいうちの子の面倒を見るのはあなたにとってただの退屈しのぎかもしれないけど……と伯母はお茶を勧めながら釘を刺した万事失敗に終わって痛い目に遭うのは子どもたちのほうなんですからね
 あの気難しい伯母の信頼を勝ちとったのはMにつづいて二人目でしかもこの青年実業家の訪問目的を思えばこれはたまげたことだったそこでこの僕も多少は信じてみようかという気になり、 「葡萄亭へ飲みに誘って秘蔵の豆ッコを気前よくご馳走してやった僕らは腹を割って話したMやKとそうしたようにだ当時違法だった性的指向を打ち明けられたのはそのときだ本人にしてみればトム・ティット・トットがその名をみずから差し出すかのような覚悟の告白だっただろう僕はといえばJVもAの師匠もそうだったし学生時代の友人にもいたから驚きはしなかった驚かないからといって愚弄や嘲笑をしなかったわけではないちなみにこの友人によれば統計上男のじつに四人にひとりは該当するのだそうでそれを聞いた僕らは疑心暗鬼で互いの顔色を探ったものだ)。 公然の秘密としてだれもが揶揄しはじめるまで僕は口外しなかったというかわざわざ口外なんてしなくても香水つけて透明マニキュアなんて塗ってたら当時の英国ではバレバレだった我らがマネージャの存在が合法になるにはかれがうっかり度を過ごす一九六七年まで待たねばならず時代の変化はかれ——いや僕らにとってちょっとばかり遅すぎた
 話を一九六一年の大晦日へ戻そう三二〇キロの旅路は順調にはいかなかった雪の吹きだまりに突っ込んだり凍結した道路にハンドルを奪われたり猛吹雪や濃霧に視界を覆われたり乗り棄てられた車に行く手を阻まれたりした一一時間もの長距離運転でしまいにはウルバーハンプトン辺りで道に迷った田舎者の僕らはロンドンの大晦日に憧れがあった鐘の音とともにトラファルガー広場の巨大なもみの樹のもとへ大勢が集まり蛍の光を歌って年越しの瞬間には僕らみたいな連中が噴水に飛び込んだりするものだと思っていた実際にはあまりの寒さに人通りは少なかった身を切るような寒さのなか僕らはチャリングクロス通りの楽器店を冷やかしアネロ&ダビデで一足の靴に群がって長時間見つめたあげく値札に首を振り食堂で一杯六シリングのスープにぼったくりだと騒いで店を蹴り出された酔っ払いふたり組にその車で草を吸わせてくれと頼まれてわけがわからず断ったりした
 靴屋で見たものを僕らは宿へ向かう車中で思い描きやっぱりあとで注文しようと心に決めた一足三ポンド一五シリング中央で縫い合わされた柔らかな黒革尖った爪先ゴム布で伸縮する履き口そして愛用のウェスタンブーツにも相通ずる傾斜した二インチの踵……この靴はやがて床で踵を打ち鳴らす僕らを虹の彼方へ連れて行ってくれることになるSそれにJVのおかげで三大登録商標のふたつまでもが物語に登場したわけだ残るひとつたる細い背広とそれに付随したあれこれ——一曲ごとに深々と頭を下げるお辞儀やら舞台上での喫煙飲食罵詈雑言の排除やらで初期の僕らは完成する歳上の新人マネージャに躾けられた数々のうち背広については素直に受け入れがたい気持もあったけれど地元を一歩出れば黒革上下なんて古臭すぎてお笑い種でしかなかったので金のためなら何でもやってみようという気になったガムを噛むのは前より控えたし最前列の常連を贔屓するのもやめたCやBEが困惑して眉をひそめMもまた憤然と説教を垂れてきた身障者の物真似だけはだれに何といわれようと断固つづけたそれはある意味で僕自身を表現するものだったからだ階級の高い連中にも気に入られるようにと叩き込まれたわざとらしい滑稽なお辞儀についてはいつか着想源を問い質してやろうと思ったまま六七年を迎えついに機会を逃してしまった
 とはいえこの時点で僕らはいまだ黒革上下の臭い野郎どもに過ぎなかった宿に着くなりBEとの挨拶もそこそこに僕とPGとピートBの部屋に分かれて例の目覚まし時計をセットして寝台に倒れ込み翌日午前十時からの審査に備えた疲れ果てていて夢は見なかったそれはあす現実になるのだ……このときはまだそう思っていた翌朝地下にある憧れのデッカ第二録音所に集結した僕らは張り切っていた都会人にリヴァプール魂を見せつけてやるぜ! 車から僕Gはそれぞれの楽器をNとピートBは秘密兵器の棺桶を運び入れたおなじ地下でも洞窟の狭い階段と較べれば楽なものだふたりは例によって文句を呟いていたけれど)。 準備万端腕が鳴るぜ! ところが責任者がいつまで経っても現れない僕らは木目の床に立たされたまま苛々しながら待ったプロの録音ってそういうもんなのか? 何分なにぶんはじめてでわからなかったBEは侮辱と見なして激怒した僕らと大差ない若さの責任者は二日酔いで現れたあけましておめでとう昨夜は噴水には飛び込まなかったみたいだけどとGが皮肉をいったその冗談は無視されようやくマイクやら何やらが位置決めされて楽器はアンプに繋がれ窓の向こうで技師が調整卓に着き赤色灯がついた……
 いざ本番!


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Devil’s Haircut(3)” への2件のフィードバック

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