CLOUD 9

連載第32回: Hellhound on My Trail(2)

アバター画像杜 昌彦, 2025年5月9日
Fediverse Reactions

一九六二年の残りはひたすら公演と番組出演に明け暮れた僕らは背後を顧みなかった僕の移り気のせいではなくただ振り返る余裕がなかったのだ最後のハンブルク巡業の別れ際で強面の用心棒HFは男泣きに泣いた僕らがもう下積みに耐える田舎小僧の集団ではなく世界的な有名人になりかけていて気軽には逢えなくなることを察したからだ僕らも大いに感傷的になって酒を酌み交わしたあとは結婚の翌月にラッシュワース楽器店でGとお揃いのギブソンJ一六〇Eを買ったこと憧れのリトル・リチャードと地元とハンブルクで三度も共演したこと二度もBEが地元に招いただけあって思っていたのとちょっと違うRはやけに気に入られて可愛がられた)、 ハンブルクの英国船員協会でクリスマスに馬肉を喰わされたことしか憶えていない……いやもうひとつ重要なことがあった僕がロンドンにいるあいだにCが出血したのだ自身の存在を秘すことをBEに強要されてあたかも持って生まれた苦しみと同等の立場を恋敵に味わわそうとしたかのように)、 赤子の誕生を楽しみに待つ喜びを奪われた心労がついに祟ったのだろうたまたま彼女の兄が様子を見に来て医者を呼んでくれたけれどその兄が仕事に戻ってからはCはお腹の子どもを喪うのが怖くて便所へも行けなかったというのはBEのフラットはなぜか寝室だけ離れた場所にあり便所と行き来するには居住者全員が通る共同のロビーを横切らなければならなかったからだそこで彼女は便器代わりのバケツとお茶を淹れるためのやかんを枕許に置き寝床に横になったきり三日間を耐えるしかなかった心配をかけたくないと僕には連絡をくれなかった当時の倫理観はそういうものだったのだ——妻は家を護り夫は外で働くもので互いに弱音を吐いてはならないと本心をさらけ出して話し合う対等な関係はまだ一般的ではなかったもし彼女がわがままで僕を振りまわすような女だったらむしろ僕らはまだ結婚をつづけていられたかもしれない
 当時の冬は気候変動なんてものとは無縁で僕らは風邪をひいてばかりいた新年早々に行われた五日間スコットランド公演は初日が猛吹雪で公演中止になった最初のアルバムを収録した二月一一日に僕は風邪をひき牛乳でうがいしてグラスを赤く染めたり痛み抑えてスッキリ爽やか!なる触れ込みの喉飴を舐めたりしてどうにか乗り切ったものの翌月にまた寝込んだときには残りの三人に公演を託さねばならなかった確か同じ年の秋にはPも流感にかかって腹を下し公演が延期や中止になったりしたように記憶している一月後半にはいくつもの収録を掛け持ちした翌日に強行軍で地元へ戻らねばならず発熱で寝込んだNの代わりにマルEが運転手を務めた前年の夏にBEが友人の自動車販売業者から買ったフォード製テムズ四〇〇Eエクスプレスはシリンダーのひとつに不具合がありブレーキパッドも摩耗していた僕らは寒い寒いと騒いで暖房を最強にしていた前面の窓にはもともと小さな疵でもあったのだろう冷えたグラスに湯を注ぐようなもので外気との差に耐えかねて突如として破裂し粉々に砕け散ったマルEは咄嗟に帽子を裏返しにして拳に被せ窓枠に残った破片を叩き割って運転をつづけたおかげで僕らは鰯の油漬けよろしくうつ伏せに折り重なって寒さをしのぐ羽目になった上が凍死しかけて下が圧死しかけた頃合いで順番を代わるという按配どのくらいで着く? と僕らが尋ねるとマルEはあと二〇〇マイル! と叫んだこれは長らく僕らの冗談として定着した平たくのされて凍った僕らがようやく地元へ帰り着くとロンドンで僕らを見送ったMが急行列車でも先回りは不可能だったはずなのに万事承知といった顔でニヤニヤしながら出迎えたこれにはむかついた
 二枚目のシングルが銀盤賞シルヴァー・ディスクに選ばれた三日後一九六三年四月八日にCはセフトン総合病院で長男を産んだCが収容された病室では半数の女が出産を終えていて傍らに寝かせた新生児を満足げに見つめる一方もう半数は悶絶しながら烈しい苦痛が一刻も早く終わることだけを祈っていた面会時間には幸福な夫や親族が花束や贈り物を手に現れて談笑するCの隣ではヤリ棄てられた肥った十代の子が母親に会いたいと泣いてばかりいたもうたくさんといって冷や汗をかきながら起き上がり家へ帰ろうとするその子をCは懸命に引き留めなければならなかったこのふたりは倫理にもとる落ち度があると見なされて職員たちから冷ややかにあしらわれた分娩室でCはここで踏ん張らなければあんたも子どもも死ぬよと黒人助産婦に脅されて覚悟を決めたわが子の誕生を僕はこの目で見ておきたかったけれど当時は立ち会いなんて概念はなかったし僕は英国南部へ公演旅行中だったお目通り叶ったのは三日後だ僕は文字通り駆けつけた疾風のごとく病室へ飛び込み寝台のCに接吻してその腕に抱かれた乳児を見た小さな手脚にちゃんと機能する指がついてミニチュアサイズの爪まで備わっているのに僕は驚嘆したCが差し出すその子を腕に抱いてみるとこの世界に驚いているかのような目が僕を捉えておかしそうに笑うので僕まで嬉しくなった父ちゃんみたいに有名な小さなロッカーになるのはだれかな? と僕は話しかけたCによればそのとき僕の目には涙が滲んでいたという子どもは母親に似て美しかった自分の血をひいた子が醜怪な障害を負って生まれてくるのを僕はずっと畏れていたのだ分娩されたときは頚に臍の緒が巻きつき黄疸を起こしていたと看護師に聞かされ救ってくれた医療スタッフ全員とついでに神にも感謝した女たちに求められるまま無数の署名に応じて僕が立ち去ったあとCへの職員の扱いは激変したそうだ
 喜んではみたものの親というのがどうふるまうものか知らなかった自分が子どもの頃両親は好き勝手にふらついていて息子など顧みなかった伯母と伯父が金と手間暇かけて一丁前どころか大人より達者に喋れるまで養育したからこそお袋はご機嫌で一緒に踊ったりバンジョーなんか教えたりしてくれたものの昼夜お構いなしに泣き叫んだり便所にも行かずに糞をしたり唐突にミルクを戻したりするだけの生き物など彼女には面倒を見るつもりも能力もなかった親父に至っては船で外国をほっつき歩くばかりで親としての責任なんて発想は毛筋一本ほどもなくそれでいて息子の成功を聞きつけるやお袋が死んだときでさえ何の連絡もなかったのにCが独りで守る家へ意気揚々とたかりに来たのだから呆れたものだ負け犬のまま年老いたバージョンの僕に居座られてCは若い女ひとりでどんなに心細かったことかたまたま敗北を免れた若いほうもどっこいどっこいで大切な息子を落として壊してしまうのではと畏れて抱き上げるのさえおっかなびっくり不安が伝わるのか息子はギャン泣きするありさまなのに赤の他人であるはずのPはどこでそんな芸当を習得したやら途方に暮れる僕からさっと息子を取り上げてべろべろばぁなんていって目尻を下げ腕を籠のように揺らしてたちまち笑い声を上げさせちまうこれではどちらが実の親かわからない
 僕ら新婚夫婦はその頃BEのフラットを引き払ってメンディップスへ戻っていた伯母が僕を手許に留めたいばかりにCと赤子を気遣うかのような嘘をついたからだ若く愚かだった僕らは伯母の心変わりを信じて胸を打たれたCは人がよすぎ僕は強い女のいいなりだったまだ妊娠中だったCはまんまと伯母の使用人に仕立てられさながら灰被り姫のごとく這いつくばって便所掃除をさせられたり三匹の飼い猫のために魚屋から生臭いアラを毎日もらってきてはつわりに耐えながら煮て骨を取り除いて餌をやらされたりした産後は家庭内の空気を察知して泣き叫ぶ息子の世話がそこに加わったしかも彼女はBEの思惑によって社会的に存在しないことにさせられていて赤子を乳母車に乗せて買い物に行くだけでさえも人目を気にせねばならなかったBEの指示もあながち悪意からとはいえず実際付き合いはじめたばかりだったRの最初の奥さんは会場の外に停めた車で公演が終わるのを待っていたら近寄ってきたファンがいきなり窓から腕を差し入れてきて顔をひっかかれたという長い爪を振りまわすその手をハンドバッグで叩いて必死に押し返しどうにか窓を締めたものの気の毒に彼女はRが戻るまで車内で耳を塞いでうずくまり怖ろしい時間に耐えねばならなかったそうだ
 伯母との不仲やファンの嫉妬は薄々察していたけれどCは何もかも黙っていたのでそんな思いをさせられているのに僕はさっぱり気づいていなかったそこへたいした用もないのに遊びに来たMはCが抱いた赤子に対面するや怯えるかのようにさっと全身をこわばらせたハンブルクの犯罪者たちの乱闘にも動じなかったあいつがだ抱いてみるようCに勧められても断固として拒否伯母もまた僕の見ていないところではCと長男に冷淡だったけれどもそれともまた様子が異なったあとでコークハイと豆ッコで酔わせて理由を訊いてみれば戦場で子どもほど不吉な存在はないというかれが兵士だったのはそのとき初めて知ったかれの元いた世界で子どもとは大概こっぴどく暴行されたり切り刻まれたり撃たれたりしていて虫の息で転がるか膝を抱えてうずくまるかしているちょっとでも人間の心を持ったやつが気の毒がって近づくとその子に撃たれるか刺されるそれが赤ん坊ならおくるみに隠された爆弾で吹き飛ばされるというどの戦争のことなのかハンブルクの前にどこにいたのかそのときは頑なに口にしなかった話してもどうせ理解できまいといった態度だった育った家庭について人前で触れたがらない僕自身を鏡に映したかに思えてぞっとした数年後に息子のために巨大なパンダを買ってきたときもMは爆弾や盗聴器が仕込まれてやしまいかと怯えて愛らしいぬいぐるみに近寄ろうともしなかった
 出産を終えたばかりの嫁を姑は顎でこき使いうるさいったらありゃしないだれに似たのかしらねと赤子の泣き声に難癖をつけるばかりで当初の約束のような助力は当然期待できないし夫にしても滅多に家に寄りつかずというか帰宅したところで疲れて不機嫌おむつ替えすらやらないばかりか日増しに人間らしくなる悪臭を罵倒する有様これまたいっさい何の役にも立たないのでCは育児の何もかもを独りでやらねばならなかった特に信仰心が篤いほうではなかったけれど生まれ育った地域では子どもが生まれたら当然そうするものと決まっていたのでだれにも相談せずに洗礼式を自分で手配したこれが僕にはおもしろくなかったそんな必要ないなぜひと言相談してくれなかったと大声で責めただってあなたはいつも肝心なときに家にいてくれないじゃないとCは泣いた初の夫婦喧嘩——いやそうじゃないいま思いだしたがその前にもCが髪を切りすぎたのに腹を立てて泣かせたことがある僕はいつだって理不尽な癇癪を起こしてばかりいた学生時代にはよその男にいい顔をしたと被害妄想を募らせてCの顔を殴ったことさえある
 ……そう当時の倫理基準からいっても僕は悪い男だったでも彼女が僕を喪いたくなかったように僕だってせっかく手に入れた家庭を喪いたくなかったというのは嘘じゃない愛する妻と家にいて夕食後の団欒を楽しみわが子の成長を目に焼きつけたかったし何より自分の子ども時代みたいな思いを息子にはさせたくなかったあのろくでなしの親父とおなじ過ちをくり返すつもりは本当はなかったのだザ・Bを取り巻く状況があまりに急激に烈しく変わりすぎていて僕は家庭には何ひとつ変わらないことを強迫的に求めた——Cの髪型さえもだくたくたになって妻子の待つ家に帰り着き扉を締めれば支離滅裂な現実の狂騒とは隔てられ安全な居間で心穏やかに団欒を楽しめるそんな暮らしを切望していたCは応えようと懸命に努めたがそもそもが無茶な要求だった子どもは成長につれて急激に烈しく変化するものだし子どもを中心とした家庭というのもまたそうだからだ甥に対して伯母がそうだったように僕にもそのことが理解できなかった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告

“Hellhound on My Trail(2)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog 今回はしんみりした。そしてそこがまたいいのです。それにしても伯母ったらもう。

Comments

Join the conversation on Bluesky

  1. 一夜文庫
    一夜文庫 @ichiya-bunko.bsky.social

    若き日のふたりがそれぞれに大変な目にあってすれ違っていく様子がせつない。こういうことは当時も今もきっとよくあることで、だから人生はままならないのだなぁ。 そしてMのトラウマが明かされるのがリアルだ。これまでこの時代ではのんきに笑っていたMもやはり過去を忘れられたわけではなかったのだ。しんみりした。

    2025年5月9日