はじめたばかりの仕事を休めなかったので、僕らは献花とAKの付き添いをKVに託した。KVにはAKが妙な考えを起こさぬよう見張ってくれと厳命した。詳細は知らないけれど、心配したとおりSの実家でまたしてもひと騒動あって、AKが元マネージャ夫妻に泣きつくという流れが再演されたらしい。Sが埋葬された日の舞台はどうも盛り上がらなかった。口には出さずとも四人全員が葬儀のことを考えているのは明白だった。早まるとしたらむしろAKよりも、Sを追い詰め追い出したPのほうだった。仕事明けにみんなで飲んだとき、普段ならいくら豆ッコや大麻を薦められても頑として受けつけない安全第一主義のかれが、子どもの頃に歯医者で処方されたよなとか何とかいいながら、歌手兼ピアニストにもらった粉をだらしない顔で吸引するのを見せられては、だれにも慰めようがなかった。見かねた風俗王が翌日は所有のヨットで海へクルージングに連れて行ってくれた。お抱え料理人によるご馳走と酒がふんだんに用意されていて、僕らは一日中食べて食べて食べまくった。ご馳走といえば肉と芋くらいしか知らなかった田舎者の僕らには強烈な体験だったので、Cに詳細を書き送ったばかりか、帰国後も幾度となく話して聞かせ、最初はおもしろがってくれた彼女もしまいにはちょっとうんざりした顔をするようになった。
休んだのはその一日きりであとは連日、全力でロックした。仕事が僕らの救いになった。酒と煙草と薬で声を酷使しながら、僕は自分と同様に潰れかけているもうひとりの人間を気にかけていた。正直なところそれまで僕はAKをいけ好かない女だと思っていた。親友を奪われたせいでもあるし、一九六二年に英国北部出身の若い男が女性というものをどう捉えていたかということもある。でもこんなことになってみれば、おなじ感情を僕以上に味わわされているのはAKをおいてほかになく、僕は舞台でマイク越しに聴衆へ怒りを叫べたし、酒と薬と喧嘩と行きずりの女で気を紛らすこともできたけれど、彼女にはSを喪った屋敷よりほかに帰る場所はなく、そこには打ちひしがれた母親がいるだけだった。おまけに彼女は哀しみを共有できたはずの遺族にさえも疎まれていた。KVは帰国した足ですぐさま僕らの公演を観に来てくれたし、そんなかれを僕らは音楽と笑いで勇気づけることができた。でもかれの隣には死んだ親友ばかりかその婚約者の姿もなかった。その夜もまた次の夜も……。撮影スタジオの仕事もずっと休んでいると聞いた。屋敷に電話してもだれも出なかった。きっと母娘であの広大な屋敷に重いカーテンを閉ざして引き籠もっているのだ。僕は運命とか神の意思とかいったものに猛烈に腹を立てた。こんな理不尽が許されてなるものか。高次元にいていつか僕らを裁くとかいう説教がましいくそったれは、あのふたりがどれだけ美しい恋人同士だったかご存じないのだ。あるいはその罰当たりな怒りは、たった一錠口にしただけの消し炭の離脱症状だったかもしれない。遠い未来に豪雨の塹壕であの間抜けを殺人器械に変えた粒だ、僕にだって何をしたか知れたもんじゃない。僕はある日突然思い立ち、屋敷へひとりで出かけていった。どうせ電話に出ないのはわかりきっていたので何の連絡もしなかった。呼び鈴と扉を連打し、大声で何度も呼ばわり、しまいには即興で高吟放歌した。
お日様のぼって空は青い、あんたみたいにきれいだよ
見なよ目をひらいて、いいお天気さ
風はそよいで鳥はうたう、あんたもその絵の一部だよ
ねえお客さん、目を開けてくれないか
見まわせよ四方八方、ぐーるぐる……
笑顔を見せて子どもみたいに、お空の雲がきみの花輪
だからまた笑ってみせてよ
アイムスビュッテラー通りの閑静な住宅街に最後の歌詞が吸い込まれて消えた。電線の上で小鳥が鳴き、遠くで犬が吠えた。諦めて帰ろうと決めたときAKが泣きはらした目で出てきて、近所迷惑よと老女のような声で苦情を述べた(この頃には彼女の英語はかなり上達していた)。僕はしめたもう逃がすものか、とばかりその腕をつかんで飲みに行くぞと告げた。彼女は痛い、痣になると低く悲鳴を上げ、急にそんなこといわれてもと渋った。何度も電話したんだ、都合のいいときなんてないんだろうと僕は高圧的にいい返した。化粧をしていない、服だって部屋着だしと彼女は弱々しく弁解した。だれに見られたって構うものか、相手は僕だぞ、めかし込んでどうなるといってやった。餓鬼大将で鳴らした僕の強要を断れる人間はいない。AKは操り糸を引かれる壊れた人形のようについてきた。確かに顔も格好もひどく、髪も乱れていて、みんなが憧れSへの嫉妬を募らせたのとおなじ女には見えなかった。僕の近眼にそれまでお高くとまっているかに映っていたAKはこの日、酒も豆ッコも断らなかった。拒む気力もないんだなと思ったけれど、いま振り返れば僕が臆病者呼ばわりしたせいかもしれない。僕らは負けず嫌いの似たもの同士だった。頭を突き合わせてSにまつわる記憶をぽつりぽつりと語り合い、笑ったり泣いたりした。多くの点で意見が一致した。あいつが彼女の前でだけ見せた側面には意外に思わされる逸話もあり、悔しかった。僕もまた彼女を嫉妬させたかもしれない。話題はやがて生と死、人生全般に至った。僕は幼い息子を棄てたろくでなしについて、膝で読み聞かせてくれた伯父について、非番の警官に殺された母について打ち明けた。
女とそんな風に話したのも、尊重すべきひとりの人間として異性を見たのもはじめてだった。このように聡明な強い女を愛した親友を誇りに思った。やがて僕はなかば自分にいい聞かせるように、前を向いて人生の駒を進めるか、思い出もろともくたばるか選べよとAKに命じた。あんたがそんな風にめそめそ塞ぎ込んでるのをお袋さんやKVがどんな気持で耐えてるかわかるか? ……云々。いま振り返ればどの口が偉そうに、よくいうわと思うけれども、そのときの僕らにとっては必要な儀式だった。ふたりともいい加減に嘆き悲しむのをやめて歩き出さねばならなかったし、そのために僕は彼女のもとを訪ねたのだ。彼女は頬を張られでもしたかのようにこちらを見た。僕は目をそらしたら負けだと思った。互いに狼狽するほど見つめ合ってから彼女は肯き、Sもきっとそういうだろうと認めた。そして彼女のほうが先に気づいて手を引っ込めた。僕らは無意識に手を握り合っていた、どちらもまだ二十歳そこそこだったのだ。ねえ怒らないで聞いて、わたしはこれを大切な友情だと思ってる、それは嘘じゃない、でもわたしたちはSの死を互いに埋め合わそうとしているだけ、早とちりしたらあとで後悔するわ、それにあなたには大切なひとがいるでしょう。いるけどこの街で気にしたことはないといってやると、AKは僕をじっと見つめた。あなたはわたしに恋をしているの? 僕はいや……と負けを認めた、きみが正しい。
さてこのときの僕のやり口にはどこか見憶えがないだろうか。その通り、強制送還のあと塞ぎ込んでいただれかさんをお日様のもとへ引っ張り出したMを、僕は自覚なしになぞっていたのだ。そしてもうひとり、いつだって僕を見守って支えてくれる人間がいた。だれにも告げなかったのにGは僕の単独行動に気づいていて、きょうもAKの家だろう、一緒に行くよといいだした。デートを邪魔されて辟易した学生時代の気分で、しょうがねえな、ついて来いよと兄貴風を吹かせた僕はほんとうに幼く、愚かだったと思う。独立独歩のピートBは屋敷に行ったことがなく、Pはとてもじゃないが顔を出せる立場でも心境でもなかった。そこでGとふたりして出かけていった。この辺りの記憶が怪しくて、「洞窟」のファン感謝祭で棄てたはずの衣裳を、どうしてあの日の写真で着ているのかどうしても思いだせない。AKを励ますためにわざわざ買い直したのか? そう思って見れば写真の黒革上下は、着たきりで強烈な臭いを放つ安物ではなく、まだ真新しい上物にも見える。しかし三度目のハンブルク巡業はいい金になったとはいえ、そこまでゆとりがあったろうか。SとAKのを借りたという線もあるけれど、小柄なかれらとはサイズが合わなかったはずだ。それともこれまた例の、改変された歴史とか平行記憶とかいうやつなのだろうか。
確かなのは僕らが屋敷へ押しかけ、Sの仕事場を見せてくれと頼んだことだ。AKのやつれた顔を見るなりGは抱きついて耳元で何か囁いた。くどいようだけれど一九六二年の成人男性は一般にそんなことをしなかった。Gが離れたあとAKの顔は少し明るくなっていた。それから僕らはまだ松精油の臭う屋根裏部屋へ案内された。床に落ちている丸めた紙屑、水の入ったコップ、脱ぎ棄てられた服や伏せた本、ねじれて固まった鉛チューブ、鈍い色のナイフ、重なる絵具で盛り上がったパレット……それに窓から射す午後の光に照らされた、画架にかかったまま乾ききらない描きかけの遺作。まさにその場所に立つSは、AKが恩師に教わったキアロスクーロなる手法で撮られていた。イタリア語で鮮明な暗がりを意味する専門用語である。仏語ではクレルオブスキュール、JVなんかはそっちの呼び方がお好みかもしれない。一九二〇年代から三〇年代のフランスの舞台俳優がよくその手法で肖像写真を撮られていた。運命の恋人を見つめるSの顔は半分が光に浮かび上がり、もう半分が闇に沈んでいる。僕とGはしばらく頭を突き合わせてその一枚をじっと覗き込んだ。それから同時に顔をあげて声を重ねた。おれらも撮ってくれ。ここで? とAKは泣き笑いのような顔で尋ねた。そうここで、これとおなじようにと僕らは口々に強く主張した。AKはしまい込まれていたローライコードと三脚を階下から運び上げた。光源は窓からの自然光だけだ。喪った親友の気配を感じようとする男と、かれを支えるかのように決然と寄り添って立つ年下の男。KVに指摘されてからも僕はずっとAKが写し取ったものを理解しなかった。理解していたら一九七〇年の空中分解はなかったかもしれない。少なくともその三年前には再び機会があったのに。喪った相手よりいま生きて愛してくれる人間へ目を向けろ、という僕の言葉はまさに自分にかけるべきだった。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
すごくいいな……! 親友を、恋人を、大切なひとを喪ったふたりが思い出や記憶を分かち合い、前を向いて歩き出そうとする。そしてGの気遣いや優しさや強さ。若き日に同じ悲しみを共有したかけがえのない仲間達。
実は前にMがしてくれたことをJがしているというのもグッとくるなぁ。