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連載第24回: Baby’s in Black(2)

アバター画像杜 昌彦, 2025年3月14日
Fediverse Reactions

はじめたばかりの仕事を休めなかったので僕らは献花とAの付き添いをKに託したKにはAが妙な考えを起こさぬよう見張ってくれと厳命した詳細は知らないけれど心配したとおりSの実家でまたしてもひと騒動あってAが元マネージャ夫妻に泣きつくという流れが再演されたらしいSが埋葬された日の舞台はどうも盛り上がらなかった口には出さずとも四人全員が葬儀のことを考えているのは明白だった早まるとしたらむしろAよりもSを追い詰め追い出したPのほうだった仕事明けにみんなで飲んだとき普段ならいくら豆ッコや大麻を薦められても頑として受けつけない安全第一主義のかれが子どもの頃に歯医者で処方されたよなとか何とかいいながら歌手兼ピアニストにもらった粉をだらしない顔で吸引するのを見せられてはだれにも慰めようがなかった見かねた風俗王が翌日は所有のヨットで海へクルージングに連れて行ってくれたお抱え料理人によるご馳走と酒がふんだんに用意されていて僕らは一日中食べて食べて食べまくったご馳走といえば肉と芋くらいしか知らなかった田舎者の僕らには強烈な体験だったのでCに詳細を書き送ったばかりか帰国後も幾度となく話して聞かせ最初はおもしろがってくれた彼女もしまいにはちょっとうんざりした顔をするようになった
 休んだのはその一日きりであとは連日全力でロックした仕事が僕らの救いになった酒と煙草と薬で声を酷使しながら僕は自分と同様に潰れかけているもうひとりの人間を気にかけていた正直なところそれまで僕はAをいけ好かない女だと思っていた親友を奪われたせいでもあるし一九六二年に英国北部出身の若い男が女性というものをどう捉えていたかということもあるでもこんなことになってみればおなじ感情を僕以上に味わわされているのはAをおいてほかになく僕は舞台でマイク越しに聴衆へ怒りを叫べたし酒と薬と喧嘩と行きずりの女で気を紛らすこともできたけれど彼女にはSを喪った屋敷よりほかに帰る場所はなくそこには打ちひしがれた母親がいるだけだったおまけに彼女は哀しみを共有できたはずの遺族にさえも疎まれていたKは帰国した足ですぐさま僕らの公演を観に来てくれたしそんなかれを僕らは音楽と笑いで勇気づけることができたでもかれの隣には死んだ親友ばかりかその婚約者の姿もなかったその夜もまた次の夜も……写真館の仕事もずっと休んでいると聞いた屋敷に電話してもだれも出なかったきっと母娘であの広大な屋敷に重いカーテンを閉ざして引き籠もっているのだ僕は運命とか神の意思とかいったものに猛烈に腹を立てたこんな理不尽が許されてなるものか高次元にいていつか僕らを裁くとかいう説教がましいくそったれはあのふたりがどれだけ美しい恋人同士だったかご存じないのだあるいはその罰当たりな怒りはたった一錠口にしただけの消し炭の離脱症状だったかもしれない遠い未来に豪雨の塹壕であの間抜けを殺人器械に変えた粒だ僕にだって何をしたか知れたもんじゃない僕はある日突然思い立ち屋敷へひとりで出かけていったどうせ電話に出ないのはわかりきっていたので何の連絡もしなかった呼び鈴と扉を連打し大声で何度も呼ばわりしまいには即興で高吟放歌した

 まったくどうすりゃいいんだよ
喪服ブラックなんか着ちまって
おれまで気が滅入ブルーっちまう
教えてくれよどうすりゃいい
まったくどうすりゃいいんだよ

 あいつのことを想ってる
だから喪服をまとってる
二度と戻ってきやしないのに
喪服なんか着ちまって
まったくどうすりゃいいんだよ

 あの子のことを想ってる
なのにあいつのことばかり
いつまで待たせるつもりだよ
あの子が過ちに気づくまで
まったくどうすりゃいいんだよ

 
 アイムスビュッテラー通りの閑静な住宅街に最後の歌詞が吸い込まれて消えた電線の上で小鳥が鳴き遠くで犬が吠えた諦めて帰ろうと決めたときAが泣きはらした目で出てきて近所迷惑よと老女のような声で苦情を述べたこの頃には彼女の英語はかなり上達していた)。 僕はしめたもう逃がすものかとばかりその腕をつかんで飲みに行くぞと告げた彼女は痛い痣になると低く悲鳴を上げ急にそんなこといわれてもと渋った何度も電話したんだ都合のいいときなんてないんだろうと僕は高圧的にいい返した化粧をしていない服だって部屋着だしと彼女は弱々しく弁解しただれに見られたって構うものか相手は僕だぞめかし込んでどうなるといってやった餓鬼大将で鳴らした僕の強要を断れる人間はいないAは操り糸を引かれる壊れた人形のようについてきた確かに顔も格好もひどく髪も乱れていてみんなが憧れSへの嫉妬を募らせたのとおなじ女には見えなかった僕の近眼にそれまでお高くとまっているかに映っていたAはこの日酒も豆ッコも断らなかった拒む気力もないんだなと思ったけれどいま振り返れば僕が臆病者呼ばわりしたせいかもしれない僕らは負けず嫌いの似たもの同士だった頭を突き合わせてSにまつわる記憶をぽつりぽつりと語り合い笑ったり泣いたりした多くの点で意見が一致したあいつが彼女の前でだけ見せた側面には嫉妬させられお返しに僕もまた彼女を悔しがらせた話題はやがて生と死人生全般に至った僕は幼い息子を棄てたろくでなしについて膝で読み聞かせてくれた伯父について非番の警官に殺された母について打ち明けた
 女とそんな風に話したのも尊重すべきひとりの人間として異性を見たのもはじめてだったこのように聡明な強い女を愛した親友を誇りに思ったやがて僕はなかば自分にいい聞かせるように前を向いて人生の駒を進めるか思い出もろともくたばるか選べよとAに命じたあんたがそんな風にめそめそ塞ぎ込んでるのをお袋さんやKがどんな気持で耐えてるかわかるか? ……云々いま振り返ればどの口が偉そうによくいうわと思うけれどもそのときの僕らにとっては必要な儀式だったふたりともいい加減に嘆き悲しむのをやめて歩き出さねばならなかったしそのために僕は彼女のもとを訪ねたのだ彼女は頬を張られでもしたかのようにこちらを見た僕は目をそらしたら負けだと思った互いに狼狽するほど見つめ合ってから彼女は肯きSもきっとそういうだろうと認めたそして彼女のほうが先に気づいて手を引っ込めた僕らは無意識に手を握り合っていたどちらもまだ二〇歳そこそこだったのだねえ怒らないで聞いてわたしはこれを大切な友情だと思ってるそれは嘘じゃないでもわたしたちはSの死を互いに埋め合わそうとしているだけ早とちりしたらあとで後悔するわそれにあなたには大切なひとがいるでしょういるけどこの街で気にしたことはないといってやるとAは僕をじっと見つめたあなたはわたしに恋をしているの? 僕はいや……と負けを認めたきみが正しい
 さてこのときの僕のやり口にはどこか見憶えがないだろうかその通り強制送還のあと塞ぎ込んでいただれかさんをお日様のもとへ引っ張り出したMを僕は自覚なしになぞっていたのだそしてもうひとりいつだって僕を見守って支えてくれる人間がいただれにも告げなかったのにGは僕の単独行動に気づいていてきょうもAの家だろう一緒に行くよといいだしたデートを邪魔されて辟易した学生時代の気分でしょうがねえなついて来いよと兄貴風を吹かせた僕はほんとうに幼く愚かだったと思う独立独歩のピートBは屋敷に行ったことがなくPはとてもじゃないが顔を出せる立場でも心境でもなかったそこでGとふたりして出かけていったこの辺りの記憶が怪しくて、 「洞窟のファン感謝祭で棄てたはずの衣裳をどうしてあの日の写真で着ているのかどうしても思いだせないAを励ますためにわざわざ買い直したのか? そう思って見れば写真の黒革上下は着たきりで強烈な臭いを放つ安物ではなくまだ真新しい上物にも見えるしかし三度目のハンブルク巡業はいい金になったとはいえそこまでゆとりがあったろうかSとAのを借りたという線もあるけれど小柄なかれらとはサイズが合わなかったはずだそれともこれまた例の改変された歴史とか平行記憶とかいうやつなのだろうか
 確かなのは僕らが屋敷へ押しかけSの仕事場を見せてくれと頼んだことだAのやつれた顔を見るなりGは抱きついて耳元で何か囁いたくどいようだけれど一九六二年の成人男性は一般にそんなことをしなかったGが離れたあとAの顔は少し明るくなっていたそれから僕らはまだ松精テレピン油の臭う屋根裏部屋へ案内された床に落ちている丸めた紙屑水の入ったコップ脱ぎ棄てられた服や伏せた本ねじれて固まった鉛チューブ鈍い色のナイフ重なる絵具で盛り上がったパレット……それに窓から射す午後の光に照らされた画架にかかったまま乾ききらない描きかけの遺作まさにその場所に立つSはAが恩師に教わったキアロスクーロなる手法で撮られていたイタリア語で鮮明な暗がりを意味する専門用語である仏語ではクレルオブスキュールJVなんかはそっちの呼び方がお好みかもしれない一九二〇年代から三〇年代のフランスの舞台俳優がよくその手法で肖像写真を撮られていた運命の恋人を見つめるSの顔は半分が光に浮かび上がりもう半分が闇に沈んでいる僕とGはしばらく頭を突き合わせてその一枚をじっと覗き込んだそれから同時に顔をあげて声を重ねたおれらも撮ってくれここで? とAは泣き笑いのような顔で尋ねたそうここでこれとおなじようにと僕らは口々に強く主張したAはしまい込まれていたローライコードと三脚を階下から運び上げた光源は窓からの自然光だけだ喪った親友の気配を感じようとする男とかれを支えるかのように決然と寄り添って立つ年下の男Kに指摘されてからも僕はずっとAが写し取ったものを理解しなかった理解していたら一九七〇年の空中分解はなかったかもしれない少なくともその三年前には再び機会があったのに喪った相手よりいま生きて愛してくれる人間へ目を向けろという僕の言葉はまさに自分にかけるべきだった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Baby’s in Black(2)” への2件のフィードバック

  1. ::: より:

    すごくいいな……! 親友を、恋人を、大切なひとを喪ったふたりが思い出や記憶を分かち合い、前を向いて歩き出そうとする。そしてGの気遣いや優しさや強さ。若き日に同じ悲しみを共有したかけがえのない仲間達。
    実は前にMがしてくれたことをJがしているというのもグッとくるなぁ。

  2. ::: より:

    @ezdog あとAKの撮ったSの写真の描写、JとGの反応、ふたりを撮るAKの表情もいいなぁ。