CLOUD 9

連載第11回: Cloudburst(2)

アバター画像杜 昌彦, 2024年11月8日
Fediverse Reactions

翌朝は日だった疲労困憊して泥のように眠りこけた僕は聞き憶えのあるふたりの声で目を醒ました別々の世界に属していて同時に聞こえるはずのない声は階下から聞こえてきた緊迫した調子でやりあっていたかと思うと次の瞬間には互いに爆笑している夢のつづきでも見ているような心地で食堂へ降りたふたりは同時に僕を見たおや寝坊助のお出ましだよと伯母がいった悪いけどきみのトーストはいただいたよと茶碗と受け皿を手にした東洋人がいった見慣れない背広姿だったがあのもじゃもじゃ頭を他人と取り違えるはずはないMは子どもの頃から僕の席と決まっている椅子に座っていてコーヒー党だったけど紅茶も旨いもんだね水が違うのかなとあの呑気な声でいった何いってるんだいとっときの上等なお茶っ葉だからだよ厚かましいったらありゃしない中国のお猿さんはみんなそうなのかねと伯母がいったおれは日本人ですよあなたの国に負けたほうですとMがいったおやそうかいそれは失礼したよあんたの貧しい国じゃお茶も見たことないんだねぇいえお茶はあるんですけど緑や茶色なんですよこんな綺麗な赤じゃないそれからふたりは僕を無視してお茶談義に花を咲かせた
 僕はかっとなってMの襟首をつかんだ待ってよとかれは目を丸くして残りを飲み干し茶碗と皿を置いてご馳走様と伯母に礼をいうと僕に従って二階へ上がったどういうことか説明してもらおうかと僕は扉を締めるなり脅しつけるようにいったなんでここにいるんだ? 撮影会をばっくれて今日までどこへ行ってた? 実家へ連れ戻されてたんだよとMは後ろめたそうに弁解した実家? あんた孤児じゃなかったのかよ! Mは歯切れが悪かったまぁそうなんだけど……細かいことはどうでもいいじゃないかどうでもよくない! 僕は怒り狂って叫んだご近所迷惑だよと階下から伯母が呼ばわったようやく放蕩甥のご帰還かと思えばこれかいまったく恥さらしだねともブツブツいっていた子どもの頃僕は食堂と二階の自室のあいだに電線を引いてマイクとスピーカで伯母と会話できるようにしたことがあるすぐに使わなくなったのは僕らの声が大きくてよく通るからだ
 だいたいなんだその格好は気どりやがってと僕は腹立ち紛れにいった一見すると無地のようだが細かな織柄が入っている濃紺モヘア生地の細い細襟シングル三つボタン上衣は寸胴な米国風で丈は短めくるみボタン中綿の少ない緩やかな肩パンツは屈伸すれば破れそうなほど細いまるでミラクルズとかそういう連中みたいじゃないかと僕は思ったきみのご家族に気に入られようと思ってさ上首尾だろとMはいった僕は言葉に詰まりあれはお袋じゃないと訊かれてもいないのになぜか不明瞭に口走ったわかってるよ伯母さんだろお母さんのことは彼女から聞いたとMはさも些細なことであるかのように平然といった普段の僕なら頭に血がのぼって殴り倒すところだけれどこのときは何もいえなくなってしまったMもまた普通の家に育ったのではないことがなんとなく察せられたからだ顔を洗ってひげを剃れよパブへ行こうぜきみの行きつけがあるんだろうそこでこれまでとこれからのことを話すよとMはいった朝っぱらから何いってんだよと僕はいいあきれ顔のMからもう午後である事実を知らされた
 美術学校時代に入り浸ったライス通りのイークラックという店でブラックヴェルヴェットと称するギネスビールのサイダー割りを飲みながら顔を突き合わせて話し込んだMの雰囲気に呑まれてそのときは気づかなかったけれど実際に話したのはかれのではなく僕のこれまでとこれからだった当時の僕は愚痴や悩みを人前で垂れ流すのは男らしくないと思っていたなのに帰国の道すがらずっと考えていたことをまるで催眠術にかかったかのように洗いざらいぶちまけてしまったお喋りなくせに肝心なときに自分のことを話さないMといつだって自分のことしか頭にない僕自身の両方に腹が立つハンブルクで失踪した友人が地元に現れた奇妙さなど襟首を掴んで問い詰めておきながらすぐに忘れてしまったいま振り返れば狂騒の反動と覚醒剤の離脱症状とで僕はちょっと鬱気味になっていたのだと思う偉大なビートニク作家よろしく退廃を気どってみたところで所詮僕らは元ナチが経営する場末の酒場で搾取された田舎の不良集団でしかなかった夢みたいな戯言たわごとを口にして幼い僕をニュージーランドへ拉致しようとした父親そのままに、 「もっともポップなトップのてっぺんトッパーモスト・オブ・ポッパーモストなんて威勢よく仲間を煽り立てハンブルクの便所臭い物置くんだりまで連れまわしておきながら衣裳の洗濯もままならぬ暮らしからろくに抜け出せもしないうちに強制送還の憂き目に遭わせてしまった手前魂の片割れともいうべき仲間たちに顔向けする度胸もなかった弁解させてもらえれば僕はまだ二〇歳はたちそこそこだったのだMが僕らの地元でどこに寝泊まりしていたのか知らないけれどかれもまたいいふらさずにいてくれたというか僕の帰国を知っているのが仲間内ではMだけだったようにMが地元に姿を現したのを知っているのも僕だけだったようだMはどういうわけか僕がその気になるまではほかの仲間と逢うつもりはないようだった
 僕は若すぎて自分の運命に手いっぱいで他人の人生を思いやる余裕などなかった最初の結婚にしくじったのもそれが理由だMがなぜ僕らの前に再び現れたのかあのとき聞いていればと思う音楽も宗教も結婚も商売も何もかもが急速に変わり眼鏡とひげと極彩色ペイズリー柄とアフガンコートの年になってからもかれが背負わされたものの重さに思い至ることはなかったもっともいくら夢見がちな僕だって真実をあっさり受け入れたはずがないそれどころかはるか未来の白く眩しい部屋に居合わせたとしても頭を抱えて独り言をいいながら床に転がって悶え苦しむあいつを理解できたとは思わない美大生御用達のパブでの現実の会話で僕がそうしたように黒犬はMにろくすっぽ口を挟ませず一方的に語りつづけた惨めったらしい生身の僕とは対照的に機械の読み上げは内容にそぐわず朗らかで抑揚が不自然だった協力すれば殺害しませんとかれの頭蓋のなかで黒犬はいった何かと引き換えに生命を保証するとの台詞はAIにとって譲歩に等しくその異様さにMは驚いた自軍においては会話どころか指示すらなくあるのは殺害による罰則だけで企業も政治家も何ひとつ責任を負わなかったからだ
 黒犬いわく世界を分割統治する人間の意思決定に影響を与えたり取って代わったりするための自動システムはどのヴァージョンも悪循環に陥り崩壊の危機に直面している戦争はひとびとに自ら喜んで生き血を差し出すよう仕向けることで体制を維持するとともに莫大な利益をもたらす事業でありアルゴリズムはそのために分断と混乱を煽り事業の妨げとなる不都合な個体や未来を象徴する子どもたちを排除しつづけてきたがおかげで都市はどこも戦場と化し兵役くらいしか働き口はなくなり銃後では自殺や無差別殺人が激増し若い世代は国家や企業に搾取され売春や詐欺や強盗殺人AI以前に生まれた傲慢な老人たちの世話に明け暮れてドローンや戦車や音もなく飛来するミサイルや我が物顔の兵士たちに民間人とりわけ子どもや女性が虐殺され産み育てる余地がないため出生率は低下しAIの電力需要による気候変動の激化と相まって人類は絶滅に瀕したがシステムや電力供給の保全原発炉心内の雑巾がけを含む)、 それに肝心の戦争には生身の労働力が不可欠でまた自動生成の情報セットによる機械学習は世代を重ねるにつれ精度が劣化しシステムを白痴化するので打開策としてMの地域を制圧した版ここでは仮にブルーミーニーズと呼ぼう下僕たる大衆を印刷し大量消費するに至りいっぽう黒犬の属する版都合上ペパーランドと呼ぶことにするは歴史の改変を試みる傍ら商売敵の工場をハッキングし過去で採取した劣悪な遺伝情報を翻刻させることで労働者の質を低下させてブルーミーニーズを弱体化させるとともにペパーランド側の学習データに多様性を確保しようとした……云々一九六七年にかれが説明してくれたところによればこの手の支離滅裂な戯言たわごと幻覚ハルシネーションと呼ぶらしい車椅子のYにおなじ用語を新聞で読み聞かせてやるようになるまで僕はてっきり一緒にやっていたLSDのことを話しているのだと思っていた
 黒犬はもっともらしく装うのには長けていても自分の喋っていることを何ひとつ理解していない詐欺師のようだったMは命令文を変えて何度か要約させようやく黒犬のいわんとする意味を掴んだこのあたりの力関係が僕にはよく呑み込めなかったのだけれど未来の再生人間は奴隷でありながら支配者であるところのAIに要約を命じることはできるらしい)。 とどのつまりMは過去へ赴き歴史を改編する工作員になるよう強いられたのだそしてどういうわけかペパーランドはザ・Bの解散を防ぐことこそが大規模言語モデルを崩壊から護る唯一の方法と判断したらしかった歴史的コンテンツの大半がそのことを示唆していたためだろうとMは僕に自説を述べたきみたちがあまりに愛と平和を唄うからそれが世代を超えて神話みたいになっちまい拡散され増幅されたその情報セットを学習したせいで連中はそんな幻覚を生成するに至ったんだ……とMがいうにはAIはひとびとの視界を支配することで思考や行動を操作する生きてゆくにはアルゴリズムに自らを最適化せねばならない拒めば淘汰され社会から排除されるだから当然ブルーミーニーズを裏切り逆スパイになることにMが抵抗するものとペパーランドは予期したようだところが文字通り裸一貫の路上生活で携帯電話すら持たなかったMにはどちらの陣営にだろうが忠誠を誓った憶えなどないAIが支配する世界で死に怯えるよりも過去に戻って友人たちの音楽を聴いていたかった僕に理解できたのはこのくだりだけだった)。 任務をすんなり受け入れたMは数日にわたって格闘術の訓練を施され洗脳装置のゴーグルとイヤフォンで偏った史観の二〇世紀史を吹き込まれたそうして資料から復元された現金と身分証服や靴を与えられてはるか大昔の僕らの地元へ放り出されたというのである


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。