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連載第15回: Over the Rainbow(3)

アバター画像杜 昌彦, 2024年12月31日
Fediverse Reactions

日増しに悪化する頭痛や眩暈に苦しみながらSは絵だけは休まず描きつづけ六月には返済不要の毎月百マルクの奨学金を得てハンブルク美術大学に編入した時を同じくしてザ・Bには先輩歌手の伴奏役として録音する機会が訪れたドイツ人にピーデルズと聞こえるグループ名はビートブラザーズなるださい名前に変えられたものの念願の音盤デビューにようやくありつけたのだSは参加しなかった先輩が演奏技術を認めなかったせいもあるけれどSはもうPとの乱闘騒ぎで腹をくくっていた僕らが先生と呼んで慕いつつPなんか露骨にゴマを擂るもんで逆にきらわれていた)、 煩わしくも感じていたこの歌手先輩といっても僕と同い年でザ・Bはかれに七度和音の押さえ方やマイクの前でどう立つべきかを教わったりBフラットマイナーだ阿呆とかドラム速すぎるとかどうしてそんなこともできないんだ下手くそと罵られたりときにはかれのほうが僕らのギターにまわってくれたりといった間柄だったあんなに威勢がよかったのにいまでは僕らとの録音でしか知られていない僕なんて十数年前にかれが亡くなったのすらウィキペディアで最近知った
 ちょうど三ヶ月目の土曜七月一日に契約が満了さて算数の時間です三足す七引く一は幾つでしょう?)。 Sはギブソン・レスポールのアンプをGに譲り大きすぎてかさばるヘフナー三三三は二百マルクでKに売ったPは最後までSにつらく当たり僕とGとピートBはいつも通り見て見ぬふりをしつつもおいおい今夜くらいはさ……と内心で思ったものだけれどSはSでいよいよ縁が切れるからなのかPに対してあからさまに冷淡にふるまっていたところがいざ舞台に上がると犬猿の仲のこのふたり目が合うたびに涙ぐむ教え教わる仲にしかわからない事情もいろいろあったのだろうPにしてみれば損な役割を押しつけられたにすぎないSの演奏の拙さはだれかが直してやらねばならなかったのだ押しつけられたといえばSだって僕の親友ってことのほかは何の関係もない画学生だったのに絵が売れた金でむりやりベースを買わされ異国へ拉致された三人がかりで寄ってたかって叩いたりひっぱったり踏んづけたりしてみたところで画家は最後まで画家でしかなかった僕が兵士や弁護士や会計士でないのとおなじだ
 舞台を終えると用心棒のHFとその兄弟たちが酒を奢ってくれた過失致死で投獄経験もあるハンブルクの無法者の代表格みたいな連中で僕らはあいつらが蹴った客の頭蓋骨がばきっと割れる音を聞いたことさえあるけれどそれでいて妙に情に厚いところがあり二度の滞在ですっかり仲よくなっていたGだけは怖がって距離を置いていた)。 いつもなら早々に離脱するAもその夜は朝まで一緒にいた大量にふるまわれた酒と薬でだれもが泥酔しこれまでの意地悪や厭がらせの数々について赦しを乞う言葉がSとのあいだに何度も交わされたやがてみんな口数が少なくなりいつもの日曜のように朝飯を喰って魚市場をさまよい歩いた陽射しが強まり僕らは店の近所のタール通りで板きれに座ったA以外まっすぐ座っていられなかった)。 こうして酔いを醒ます習慣もきょうが最後か船と列車を乗り継ぐ長距離移動を思ってぼんやりしていると僕も連れてってくれとKに懇願されたベースなら僕だって弾けるよ仲間に入れてくれ頼む話はわかった落ち着けよと僕は宥めたそりゃまぁあんたが弾けるのは知ってるよ餓鬼の頃からピアノを習ってたんだしでもPはもうヘフナーを買っちまったからさ悪いな……Kはがっくり肩を落とした親友のJVは実存主義への憧れが昂じてパリへ行っちまうし交際していたAは英国人に奪われ人生を変えるほど夢中になったザ・Bはとうとう帰国する残るはいまや退屈に思えるグラフィックデザインの仕事だけ気の毒だったけれどPのベースは僕とGのギターにしっくりきていていまさらほかの奴の出る幕はなかった
 だいたいこんなときいつも突拍子もないことをいいだす奴なのだけれどこのときもMはだしぬけに安心しなよKといったきみがザ・BやJと仕事する機会は今後いくらでもあるどれも歴史に残る仕事だでもそれはいまじゃない僕ら全員がぽかんとしてMを見つめた何いってんだこいつ? やがてKが話題を変えようとしてきみはどうするんだいと尋ねたもちろんザ・Bを追うさそれが僕の仕事みたいなもんだからねとMは答えた船でとも飛行機でともいわなかっただれも尋ねなかったのは答えを知るのがなんとなく怖かったからだ実際にはかれは僕らとおなじ列車と船を使ったかえってはめ込み合成めいた違和感があった)。 HF三兄弟は僕Pを高々と肩車して中央駅構内を笑ったり叫んだりして練り歩いたMは手を叩いて囃し立てSとAは涙ぐんだ本来なら静かな日曜午後のハンブルクで見送りの騒ぎは大いに注目を集めたそのようにして僕らは修行の地をふたたび離れた今度は強制送還なんかではなくまっとうに刑期を終えたのだ
 帰国のふた月後くらいだったと思うCがメンディップスに下宿することになった母親が数ヶ月カナダへ行くことになりそれまで暮らしていたホイレイクの家が賃貸に出されたからだ僕好みの女になろうと努めつつ未来の姑にも気に入られようとする彼女を伯母はあばずれと呼んだ本人の前でもだ僕がした仕打ちとはMや長男に指摘されるまでもなく較べようもないけれどよき妻よき母親であろうとした女の人間性を無視したことと思い込みの烈しさにかけて伯母はまさしく僕の原型といえた
 僕の仕事のことで幾分気まずくなってはいたものの、 「洞窟の昼興行と夜興行とのあいだの暇つぶしにそしてときにはただそのためだけにお茶をご馳走になりながら伯母とお喋りを楽しむのがこの頃のMの日課だった先日書きかけの原稿について話していたらMに会ったこともない次男かれはMの前世と同い年だに思いがけない指摘をされたMは僕の母に似ていたのではないかというのだばかげていると一笑に付したもののこうして記憶を掘り返してみるとある意味では確かにどこかそんな側面もあった母と伯父の不在で心に穴が空いたのは僕だけじゃなかったのだMは未来の嫁姑のあいだを取り持とうともしていたようだけれどどだい無理な話だったメンディップスの食堂にこの三人で座るとMがどれだけ取りなしても必ずCが泣きながら飛び出してしまう結果になったたちの悪い卑しい女学生時代の僕は生まじめな優等生の彼女をさんざんからかったものだったのに!にたぶらかされて甥がおかしくなったと信じる伯母は僕が実際どんな仕事をしているのかしかと我が目で確かめてやろうと決意したそこへ間の悪いことにMが現れたかれは伯母に逃げられぬよう腕をつかまれ僕とそっくりな切れ長の目と有無をいわさぬいつもの調子で店へ案内するよう命じられた
 伯母の頼みを断れるMではないというかむしろわざと昼興行に間に合うよう狙って訪れたのだと僕は確信しているマシュー通り十番の滑りやすい急な階段確か一九段あったを降りきると赤いランプがあって狭い通路を左に曲がりさらに短い階段を降りたら消毒薬と掘り返した墓と下水の混合のようないわくいいがたい臭いの穴蔵がある夜には六百人がひしめくその場所には便所が個室三つと男子用小便器ひとつきりしかも下水管に繋がっておらず地下に垂れ流しで当時の地下鉄が臭かったのは滲み出た汚物が原因だ)、 そこからの悪臭に地下特有のじめじめした臭い詰め込まれた客の汗と体臭近所の果物取引所や倉庫からの甘ったるい匂い充満する紫煙スナックバーの調理台から漂うスープの湯気やホットドッグの匂いなどなどが幾重にも入り混じり強烈な消毒液を毎朝撒いてもどうにもならずひとたび足を踏み入れれば服や髪へ永久に臭いが染みつきどこへ行ったか親や上司にバレバレで熱気で煉瓦壁や機材はつねに濡れ来店するなり客の眼鏡は曇り熱演した僕らのシャツなど汗が滝のように絞れるありさまなおかつ電圧は不安定で機材がショートしたりヒューズが飛んだりもしばしば漏電で出火しなかったのはいま思えば奇跡でもしそうなっていたら唯一の出口に客が殺到して阿鼻叫喚だれひとり助からなかったろう停電時はGやNが裏へまわって不具合を直すあいだ僕とPがラジオの長寿番組を茶化したおふざけをやったり観客を巻き込んで大合唱したり冗談合戦をやったりしたこれが大受けで電気が回復するとえーっと不平の声でもその後の烈しい演奏がまた最高潮に盛り上がる
 一九六九年一月末会社の屋上で演奏しながら僕とPの脳裏にあったのはこのときの思い出だった相棒が何を考えているかくらい互いに口に出さずともわかる最前列の子が競い合って手を伸ばすちょっと指を絡めたりしながら受け取った紙を僕が読み上げる……Jにお金を歌ってほしいな顔が真っ赤になるのを見たいからいいとも僕はいつだってお金のために真っ赤になって働くのさ。 「きみに出逢うまでを演ってよこの曲を歌うPがすごく素敵だからすると僕は聞こえないふりをするPを指しながら観客にいってやるすかした顔であっち向いてるけど耳をそばだてて一語も逃さず聞いてるからないつものあれをやってよ……ええとあれはあれかな虹の彼方に?そうでーすと何人かの声があがるあれはきょうは演りませんえーっと店中の不満の声)。 嘘です演ります安堵に満ちた爆笑)。 「虹の彼方にはPの十八番でリクエストがなくたって必ず演ると決まっていたどぉーこかぁーあああぁ……でやたら引き延ばした挙げ句に溜めをつくり客が不安になったところでニッコリ笑ってにぃーじの向こぉーおーとやるのだけれどその無言の見せ場で僕がおかしな顔Mに教わったやつをしてみせ観客の笑いを誘うのが恒例だった
 常連客には暗黙の序列があって前の列に座れる子たちはいつも決まっていたたとえばのちにファンクラブ運営を無償で担うことになる一八歳のボビーBは中央二列目の席が定位置だった全員を見渡せるしとりわけPがよく見えるからだPは彼女によくリクエストを促した常連の子たちと交わすそうしたお喋りは最後列の客には聞こえなかった場ちがいな地獄に紛れ込んだ伯母にも聞こえなかった代わりに煉瓦壁に反響するやかましい音が頭痛を招くとともに石灰質の粉を彼女の帽子に降らせたひしめく若者たちの頭の向こう狭いアーチの舞台にチーズ入りロールパンを囓ったり鼻をほじったりガムを噛んだりPやGとおふざけを演じたりしながら歌い演奏する僕が見えた。 「ベサメ・ムチョを熱唱するPの背後で不定冠詞のギャグをやりPが眉根を寄せて振り向くと知らん顔で演奏に戻ったりしたもちろん事前に打ち合わせた)。
 見るからに血圧が上昇中の伯母をMは宥めようと腐心していた——というかいかにも家庭内の揉めごとに巻き込まれて困惑するふりをしていたものの内心ではおもしろがっていたにちがいないたまたま近くの席にいてあいつがほくそ笑む瞬間を見たという客の証言もある僕らはホワッド・アイ・セイで観客にふーとかほーとかほにゃとかふにゃとか叫ばせて第一部を締めくくり楽屋へ引っ込んだ僕らのいちばんのファンであるGの母親が気づいて嬉しそうに手を振り声をかけてきたあら珍しいことあの子たちとっても素敵でしょう! すると伯母は眉を吊り上げあなたがけしかけるからうちの子は道を踏み外したのよ! と事実といささか異なる暴言を吐くなりびっくりする相手を残して僕らを追ったMは申し訳なさそうに日本風のお辞儀をしてGの母親に詫び掃除道具入れと同サイズの楽屋へ向かった伯母は怒りでほとんど泣きそうになりながら僕に吐き棄てているところだった——まぁ結構なことだわほんとうに結構だこと! そしてMにぶつかりそうになりながら出て行った僕がどんな表情をしていたか自分ではわからないMはただ苦笑いして肩をすくめてみせた
 別れてからのこんなたわいない日常のすべてを僕は海の向こうのSへ書き送ったちょうどいまの僕が未来のMやいま世界のどこかにいる前世のMへ向けてこの本を書いているように洗濯屋への苦情でさえ便箋が分厚くなるほど手紙魔の僕だけれどこの本に取りかかるまであれだけ大量の文章を書き散らしたのはあとにも先にもあの時期だけだ知人や友人に取材した資料を積み重ねスポティファイであの頃の音源を再生して原稿に取り組みながら何度もそのことを思い返すひたすらふざけて地口を重ね独り言や日記みたいな戯言がいつの間にやら詩に変わっていたりする僕窘めるような突っ込みや鋭い批評そして温かい応援の感想を返してくるSあの夭折した天才画家にしてまずいベーシスト華奢なそばかすジェームズ・ディーンはいわば僕のはじめての読者にして編集者だった言葉だけの懐かしいふたりだけのやりとり


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。