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連載第41回: Paperback Writer(3)

アバター画像杜 昌彦, 2025年7月11日
Fediverse Reactions

ハンブルクのAが週刊誌の連中に手柄を奪われていた頃ロンドンでは僕の最初の本が出版された地元音楽誌に寄稿した雑文を読んだ編集者がこういうのはもっとないかと打診してきた熱狂する観客がおぼろになるほど視力を損ねるまで読んできた人間にとって夢のような経験だ僕は多忙の隙を縫ってルイス・キャロルやおまぬけ一座グーンズになりきりイングヴェイ顔負けの高速打鍵で韻文散文冗談駄法螺もじりパロディ模倣パスティーシュ言葉遊び落書きの類いをノリノリで書き散らした溜まった原稿の束を編集者はホクホク顔で抱えて持ち去ったMには冷やかされたくなくて発売直前まで黙っていたPには序文を書いてもらった僕のことを昔からよく知る相棒ならではの心温まる文章だ僕としてはちょっとした思い出づくりのつもりだった有名になればこんな役得もあるんだなくらいに思っていたところがどうせ売るなら半端なことをしてはいけないとBEがいいだしテレビやラジオで朗読させられるはめになったやけに強気な出版社にちょっと刷りすぎじゃない? と不安にさせられたもののいざ書店に積まれると飛ぶように売れて品切が続出その週のうちに二度も増刷された。 『メロディメイカーでもタイムズ文芸別冊でも日曜テレグラフでも書評家から絶賛された不良とか問題児などと罵倒されて四半世紀近く生きてきて先生と呼ばれる連中から褒められたのは生まれて初めてだった
 女優宅の地下室でPと書いた曲が一位を獲得するのとはまた別の嬉しさだった豊富な蔵書で僕に読書の悦びを教えた伯母も口先ではまたこんなくだらないものを恥さらしだねぇ……なんていいつつ誇らしげな笑みを隠さなかったし僕が音楽以外のささやかな夢を叶えたことをCも心から喜んでくれたでもだれよりも喜んだのはMだったまるで自分が書いたかのように得意げにニヤニヤしてどこへ行くにも持ち歩き楽屋や移動中に頁を繰り声をあげて笑っては書いた当人に向かって聞けよこんなことが書いてある! とでもいいたげに気に入った箇所を幾度となく読み上げた挿絵がまたいいねぇとも日本じゃハナモゲラ語というんだともいっただからいったろうきみは作家だって! ともいったこっちが恥ずかしくなるほど……というか通り越してむしろ冷静にさせられるほどの常軌を逸した喜びようだった犬猿の仲であるはずのPの序文までも絶賛してよせよ気色悪いといわれていたいつも間の抜けた薄笑いを浮かべたMを僕は感情の起伏の穏やかな男だと思っていた思い違いだったかもしれないと気づいた実のところMは僕やBEに負けず劣らずの激情家だったのだ
 チャリングクロスの巨大書店フォイルズが祝賀会を開いてくれることになった大変な名誉だと編集者に聞かされてはいたものの異業種からの新参者である僕にはことの重大さがさっぱりわかっていなかったMが英国人であったなら大騒ぎしていたにちがいないのだがあいにくかれもまたこの国の出版事業における商習慣に疎かった業界の筋を通すための野暮用は有名になるにつれて増えていたちょっとしたご馳走の前で文壇や出版界の著名人といかにも文化人らしく気の利いた会話を交わしお褒めの言葉をいただく自分たちを僕とCは想像した翌日には顔も名前も忘れるようなお偉方にザ・Bとして媚を売るそのひとつとしてはまぁ悪くない堅苦しい会合の前に景気づけが必要だったお祝いしたいとMがいうので僕ら夫婦は息子をCの母に預け翌日の撮影は僕抜きでやるよう監督とBEに話をつけて友人たちを誘って飲みに出かけたお気に入りのナイトクラブでばか騒ぎしたところまでは憶えているどうにか粗相もせずに帰宅して寝床まではたどり着いたのだろう数時間後にふと目を醒ますとまるで別の惑星にいるかのようだった割れんばかりの痛みは頭に鉛でも詰められたかのようで重力は十数倍に増加していたううん何時? と隣でCが呻いた僕はBEに贈られた目覚まし時計によろよろと手を伸ばしどうにかつかみ取って二日酔いに霞む近眼に文字盤を近づけた数秒の沈思黙考ののち目を剝きがばっと飛び起きた運転手が迎えに来るまであと一九分しかない! 僕らは大慌てで人前に出られる最低限の身支度をした見栄えのする服や靴を選ぶどころじゃない目は充血し隈ができて手も慄えていて文化人どころか文明人としてさえ認められるか怪しい祝賀会とはいえ昼のパーティだから時間はさほど取られまい愛想笑いでやり過ごしてさっさと帰宅しあとはバタンキュウだなんて自分たちにいい聞かせて家を飛び出した
 ドーチェスターホテルの会場に一歩踏み入るなり数百人もの財界人や芸能人に拍手喝采されえっえっと戸惑ううちに頼りの妻と引き離され主賓席に座らされた僕の愛想笑いはこわばった蒼ざめていたのは二日酔いのせいばかりではないなんだか雲行きが怪しくなってきた……さながら自動操縦のごとくお偉方と当たり障りない会話をかわしながらも内容が頭に入らない司会者の言葉に耳を疑った主賓がスピーチをするという当然そのつもりで準備してきている前提の進行だった僕は追い詰められた獣のようにほかの主賓を探した万雷の拍手と期待のまなざしを一手に浴びた大成功した流行音楽家でありいまや新進気鋭の作家ともなったJLそのひとを囲みだれもが固唾を呑んで静まりかえったそいつはきっとだれも思いつきもしないような革新的で創造的なすばらしくおもしろい演説をするにちがいないのだ報道陣もその歴史的瞬間に備えて機材やペンを構えた僕も聴衆の側にいられたらどれだけよかったか
 僕には知るよしもなかったのだけれどそこにいたのは地位も名誉もありながら僕の話を聞きたい一心でなりふり構わず切符の争奪戦を勝ち抜いたひとばかりだったこの身に降りかかった災いを知るのはCただひとり近眼を必死に凝らして見つけると彼女もまた僕とおなじ表情をしていた確かに僕は人生の喜怒哀楽を妻と分かち合うと神の前で誓ったでもこんな恥を味わわせるためじゃない男らしいところを見せて安心させてやらねば覚悟を決めて勇敢に立ち上がり決然と口をひらいたこの天才に不可能はない……はずなのに興に乗って執筆していたときや標的と定めただれかをいびり倒すときのような言葉の奔流は二日酔いのどす黒い渦に呑まれてちっとも出てきやしない僕は水面に浮上した酸欠の魚のようにもう一度口をひらいた喋れ喋るんだJL! と自分にいい聞かせたそして裏返った声を発したあっ……数百人の目に戸惑いの色が走ったあっあっ……ありがとう神のご加護をとだけ僕はいって茫然と着席した小学校の教室で失禁したときとおなじ気分だったあのときは笑いすぎて洩らしたのだがこのときは笑えなかった)。 「或人生の一日ア・デイ・イン・ザ・ライフの最後の和音はあのとき永遠につづくかに思われた会場の沈黙から着想したといったらきみは信じるかい? 各界の名士の前でそのような破壊力あるふるまいをした僕は不遜な反逆児の評判をまたしても高めた
 いささか脱線したけれどとにかく僕のいいたいのはMは僕にやたら書かせたがったということだ出版社の依頼があろうがなかろうがMに天性の作家だとかなんとかおだてられしつこくそそのかされなければあんな目には遭わなかったしこの本を書いてもいなかったかれは数年後にLSDの時代になると僕らの解散を防ぐために未来から派遣されたと主張するようになるのだけれどその任務と僕の執筆にどんな関係があったやら皆目見当がつかないといまでは確信している。 「人間の意思決定に影響を与えたり取って代わったりするための自動システムとやらに負わされた人類の命運を左右する重大な使命とやらには関わりなくかれはただ純粋に僕の書くものが好きでただ純粋に読みたかったのだ——おそらくはこの物語を
 Mは軍隊経験のある警護係である以前にどこまでも文句をいわずについてくる飲み仲間であり僕ら四人のだれかが愚痴を吐きたいときには都合のいい聞き手でもあったけれどNやマルEのような付き人でもなければGMのようなプロデューサでもジェフEのような音響技師でもない立場をわきまえていてGの成長を認めさせようと苛立つ最後の二年ほどを除けば音楽のことには滅多に首を突っ込んでこなかった例外はジェフEを引き入れたときくらいでその交代劇にしてもPやGMの思惑を通すためでしかなかった実際もしあいつが演奏や作曲に余計な口を挟んできたら僕ら四人は全力で辛辣にやり込めていたろうそれでいて僕らは舞台に立ったりテレビやラジオに出たりするたびにあいつの意見が気になって仕方なかったしとりわけ音盤の収録中は一緒にいてほしかったSを喪ったいまではMは下積み時代からずっと僕らをそばで見つめつづけてきた唯一の男だったからだNやマルEですらハンブルクの地獄は知らなかった僕らを取り巻くものが何もかも急速に目まぐるしく変わり名声は高まる一方でありながらどの公演でも客の声しか聞こえずだれひとり音楽にも僕らひとりひとりの本当の人間性にも関心がない状況で僕らがだれよりも何よりもMの讃辞を必要としていたまさにそのときにあいつは舞台の袖に立ちながらも明らかに警護のことしか頭にないかに僕らの目には映った
 映画のための新作には自作曲ばかり収録した当時そんなことをやるグループはなかったそれどころかバンドなんて単語さえホークスが改名する頃まで一般的ではなかった悔しくて口にこそ出さなかったものの僕は初対面のMにいわれたことがずっとひっかかっていたのだPだって心のどこかにはぎゃふんといわせてやるとの意気込みがあったはずだ完成したマスターテープを聴かせてやったときには僕らふたりともどうだ畏れ入ったかと勝ち誇る思いだったなのにあいつの反応は薄かったうんいいね気に入ったよ……などと気の抜けた返事ふざけるな気に入るなんて当たり前だろなぜ皇帝壕洞窟で客席から声援を送ってくれたときみたいにわれを忘れて熱狂しないんだ煮え切らぬ態度に業を煮やし襟首をつかんで壁に押しつけがくがくと揺すって問い詰めてやったところ歌詞がさ……とあいつは本心を白状した十代の恋愛なんておれにはよくわからないんだよきみらだってもう大人だろもっといろんなことを書けるんじゃないかともいいやがったそれでいて僕らがバラエティ番組に出演して脚本通りのくだらぬ寸劇を演じたり数組の芸能人を引き立て役に従えて冠特番で真夏の夜の夢の劇中劇を演じたりしたときにはあいつは大喜びで四人とも喜劇役者の才覚があるよとかなんとか太鼓判を押しやがったのには映画撮影を前にして自信がつくような情けないようなどうにも複雑な心境にさせられたとりわけ女装した僕のシスビーとPのピラマスが接吻寸前まで顔を近づけ客席の女たちから歓喜の悲鳴を浴びた演技なんかああいうのを日本語でBLと呼ぶんだとご満悦でYの前でうっかりこの口癖を洩らして馬脚を現すまでもなくこの頃にはすでに僕ら四人ともがどこか胡散臭いと感じていた)、 おもしろがったPがのちに飼い猫をシスビーと名づけたりした確かに音盤を売るためなら何でもやる覚悟だったしラジオのおまぬけグーン劇場なんかで育った僕らはこの手のおふざけを演じるのもやぶさかではなかったけれどできればそんなもの抜きで演奏だけを評価してほしかったそれも口パクなんかじゃなくてだ音楽のことなど何ひとつわかりもしないくせに雑文集や芝居といった余技ばかり褒めるMをここらでちょっとばかし懲らしめてやる必要があった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Paperback Writer(3)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog 声出して笑ってしまった!二日酔いのJとCのなさけない顔を想像するとお気の毒にと思いつつ面白い。ジョンレノンったら現代のバンドマンと全然かわらない、なさけないところもある普通の青年だったんだなぁ。

    本が出たときのMの喜びようがほほえましい。そして映画の音楽があまり気に入らなかった理由もわかる。十代ならいいけど大人にはね……。でもその素直な感想が、Bがもっといい作品を作ろうとする原動力になりそうだな!続きがますます楽しみになった!