あなた自身であるということ、 についての小説です。 元ネタは映画 『フィッシャー・キング』 と 『ドリーム・チーム』 です。 制作時期がわずか一年違い。 なぜか筋立ても 「旅立てジャック」 が登場するところも似ています。 どちらも大好きな映画です。 ほかにもドラマ 『シリコンバレー』 やこの五年ほどのあいだに読み込んだ大量の少女漫画を参考にしています。 ドラマ 『結婚できない男』 も参考にしたのですが、 これはつい最近続編が制作されて、 Gyao! で視聴したところあまりのひどさにがっかりしました。 #MeToo や Time’s Up 以降の作品とはとても思えない。 あれが現代のこの国が求める 「わかりやすさ」 なのでしょうね。 二話の前半で見るのをやめました。 そういうことじゃないだろうと思いました。 じゃあどういうことかという答えがこの本です。 ヒロインに家政婦まがいの仕事をさせるのには葛藤がありましたが、 よく考えると男だろうと女だろうとゲイだろうと家事が好きな人間はいるわけだし、 愛を口実として強制される感情労働ではなく、 対価の発生する商売としての家事なら真剣に打ち込めるひとは多いのではないかと思い直しました。 見かけ上ジェンダーロールの押しつけを容認するかのような設定を使う代わりに、 家事労働が自己実現の手段になる必然は明示するよう心がけました。 車の話が出てくるんですがおれ免許持ってないんですよ。 発達性協調運動障害だから。 だれも殺したくないし事故死もご免なので。 車種は 「ヤンキー 車」 「見栄っぱり スポーツカー」 で検索して決めました。 参照した記事がまちがっていたとしても知りようがありません。 書名は村田基 『フェミニズムの帝国』 から。 正しい生き方を押しつけられ、 適応できなければ生きていかれないことへの疑問について書いたのですが、 結婚も題材のひとつです。 正直七割以上の男が結婚するほうが異常だと思うし、 女性の未婚率と釣り合いがとれていないのは差別のあらわれに感じます (男よりも多くの女が結婚させられ、 さらにその大半が子どもを産まされ家族の面倒を見させられるという意味で)。 映画 『ガタカ』 に登場するような心身共に完璧な男女だけが家族をつくればいいと思うんです。 それ以外の人間はだれとも関わらずに自分ひとりの幸福を追求するのがいい。 他人にその考えを強制したらナチや 1996 年までの日本みたいになりますが、 自分自身にのみ適用する人生であればたぶん救済になる。 作中にも書きましたが、 相模原障害者施設殺傷事件の加害者は彼自身の考えに従えば、 だれよりもまず先に 「淘汰」 されるべき個体でありました。 そのことをなぜ認識できなかったのか、 なぜ 「淘汰」 する優れた側だと錯覚したのか。 その自己愛こそが彼のような社会病質とわれわれとを分け隔てています。 社会的能力に障害のある人間が、 他人と関わらぬことでだれも傷つけずに、 いかに人生を自分らしく充実させるか。 ウェブサイトにすべきか小説にすべきか迷って結局、 こうなりました。 作中でウェブサービスの話が出てくるのはそのなごりです。 botch なる英単語を先日知りました。 発音もまんま 「ぼっち」 で意味は 「できそこない」、 複数形は botches。 本書にはアイがあるので異なります、 という愉快なオチでございます。 2019 年に最初の版を、 2022 年 6 月に新装版を出しました。
タイトルと背表紙の紹介文でライトな恋愛ストーリーかと思いきや、 傷と癒しの物語。
自分もぼっちだし、 どちらかというとおっさん系だからか笑、 しばしば登場人物達に自分を重ね読み。
杜さんご自身が独立出版レーベル 「人格OverDrive」 を立ち上げており、 物語の誰かに杜さんが重なるんだろうなと著者様のことも想像。
基本的には明るい筆運びで面白おかしくも、 時折、 自分自身の傷を抉られるような感覚になる。
実は主人公以上に不器用な元妻に一番共感を感じてしまうかも⋯元妻も幸せになってほしい⋯と切に祈る思い⋯⋯。
よかった。 面白かった。
冒頭から中盤までは、 ギャグみたいな怒涛の展開に翻弄され続けるアラサー女性が、 「~かもしれぬ。」 とかって妙に古風な調子で語る。 一般常識とかレッテルとか社会性とかいったものに囚われてそれを押しつけてくる人々、 あるいはそれからはずれてしまった人々、 はずれつつある自分を、 辛辣で鋭い皮肉をもってバッサバッサ切るのも小気味よい。
終盤に向かうにつれ少しずつ不穏な影が差し、 暴力に虐殺、 SNS 炎上と社会的死といった負の連鎖を食らわしてきて読みながら気が滅入るんだけど、 続きが気になって読むのを止められない。 久しぶりに寝るのも忘れて読んだ。
著者の作品を読むのはたぶん五冊目だ。 共通点として、 主人公あるいはメインの登場人物が立ち向かう相手に、 横の広がりと縦の連なりの二つの軸がある。
前者は社会、 群集、 団体といったもので、 より具体的にはカルト宗教、 インターネット、 匿名掲示板、 SNS と作品が書かれた年代と共にアップデートされている。 群集心理の描写が巧みで真に迫っている。 登場人物も知りえない事件が目の前で発生し、 読者だけがそれを追いかける。 その構図は実況中継動画のようで興奮するし、 同時に興奮することに居心地の悪さを感じる。
後者はほぼ一貫しており、 過去に犯した罪や、 異常な両親や祖父母、 親戚との確執や虐待であり、 その血を引いている、 血縁、 遺伝という呪いであったりする。
読み終わってすぐは、 男女格差や女性差別の問題から始まったのに、 血縁の呪い、 虐殺にすり替わったような印象を受けた。 しばらくして改めて考えてみて、 それらは暴力という点で共通していると気づいた。 性的に搾取する痴漢も派遣会社の担当も、 銃を乱射する殺人犯と底で繋がっている。 私自身もまた自覚せず暴力を振るっている。