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オリガ・モリソヴナの反語法
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オリガ・モリソヴナの反語法

1960年、チェコのプラハ・ソビエト学校に入った志摩は、舞踊教師オリガ・モリソヴナに魅了された。老女だが踊りは天才的。彼女が濁声で「美の極致!」と叫んだら、それは強烈な罵倒。だが、その行動には謎も多かった。あれから30数年、翻訳者となった志摩はモスクワに赴きオリガの半生を辿る。苛酷なスターリン時代を、伝説の踊子はどう生き抜いたのか。感動の長編小説。第13回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作。

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女たちの物語

読んだ人:杜 昌彦

オリガ・モリソヴナの反語法

このところ過去に感銘を受けた本を読みかえしている現代の小説がつまらないからだ現代人はソーシャルメディアのアルゴリズムに評価されるために読書するその用途に適した消費財でなければ低評価レビューをつけられ表示機会を抑制されるだから出版されない国家や企業にとって人間は養分だ自分たちに使役するものでなければならないひとりひとりが尊重されたら利益にならない

 支配されたがるひとの多さには驚かされるいまのロシアやかつての日本ひとびとの生活のすべてを支配したがる起業家アパルトヘイトで成り上がった家の出で自動運転車からコストのかかる安全装置を取り外させた男の気まぐれに従うひとびと自分自身であることの責任からみんな逃れたいのだだれもそこに向き合いたくない向き合う手段が小説だといわれたらきっとあなたは苦い顔をする

 たしかに小説はなんでもありだ中二階にあがるだけの小説だって言葉遊びに終始するだけの小説だって高尚な学問のためだけの小説だってあっていい権力におもねる小説だってきっとすばらしいのだろうでも本来はむしろ力に抗い人間性の側に立つものだったはずだかたちのないものや隠されたものを可視化しひとりひとりの尊厳を人間がどう生きて死ぬかを描く知り得ぬはずのそれらに触れることで他者への想像力が育まれるその想像力こそが人間にとって重要だったはずだ

 だからこそ権力はそれを憎み排除する

 十代二十代で読んだものは薄らぼんやりした印象だけが残り筋も細部もきれいさっぱり忘れている再読してやっぱりいいと思える本もそうでない本もある。 『オリガ・モリソヴナの反語法は記憶していた以上によかった小説ってこういうんだよこうでなくちゃと思ったそう思わせてくれる本はなかなかない

 ソ連の崩壊と女性の人生における踊り場にさしかかったタイミングが一致した主人公は少女時代の記憶で個性的な光を放っていた先達が何者であったのかその足跡を辿りはじめるその過程で旧友探偵ものの文脈でいえば有能な相棒と再会し人間味溢れる女たちと知り合い一致団結して謎を解き明かしていく

 まず第一にこれは人生の物語だそして男たちが決めた社会人間性を排除する社会にしたたかに抗う女たちの話だ登場人物はみな活き活きとして目の前でいままさに汗を掻き呼吸するかのようだそしてその人間たちが無残に死んでいく筋の通らない国家のアルゴリズムのためにだれがその仕組みを築いたのか? 男たちだでもこの物語はかれらを責めない変えられない前提として捉えその上で屈せずに切り抜けようとする人生は往々にしてそのようなものだだれも死や暴力は免れ得ないだからといって生きることから目は背けられない

 この小説はそれを書いている

 再読して驚いたのは何よりもまずよくできた推理小説だということだあまりに自然なので二十年前は気づかなかった複層的な語りを取り入れた巧みな構成は卑近な苦さすら取りこぼさず探偵をただの傍観者にはさせない。 「いまを語る背景として芸術の凋落を序盤に置きその対比として謎の解明部にさらりと挿入するそうすることで過酷な歴史と現代の日常とをひとつながりに結びつけ、 「いまの女たちの物語として浮かび上がらせる歴史の流れに呑まれて消えたかと思われた光は紛れもなく自分たちの世代へ受け継がれていたそのことを確かめて物語は終わる

 人間を信じている人間を諦めていないそこがこの小説の力であり現代の芸術に喪われたものだそして信頼から疎外された部外者としていまの苦さを知る身には何よりも羨望するものなのだ

(2023年08月08日)

(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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AUTHOR


米原万里
1950年4月29日 - 2006年5月25日

日本のロシア語同時通訳、エッセイスト、ノンフィクション作家、小説家。少女期をプラハで過ごす。ロシア語の同時通訳で活躍。また、異文化体験を綴った文筆家としても知られる。著作には『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(1994年)、『魔女の1ダース』(1996年)、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(2001年)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(2002年)などがある。