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小さいおうち
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小さいおうち

昭和6年、若く美しい時子奥様との出会いが長年の奉公のなかでも特に忘れがたい日々の始まりだった。女中という職業に誇りをもち、思い出をノートに綴る老女、タキ。モダンな風物や戦争に向かう世相をよそに続く穏やかな家庭生活、そこに秘められた奥様の切ない恋。そして物語は意外な形で現代へと継がれ……。最終章で浮かび上がるタキの秘密の想いに胸を熱くせずにおれない、上質の恋愛小説。第143回直木賞受賞作。


¥715
文藝春秋 2012年, 文庫 348頁
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読んだ人:杜 昌彦

小さいおうち

まず先に山田洋次の映画版を観たのでその話から大筋としては楽しくて輝いてた時期なんてあっという間で一瞬のつまらない嫉妬とか過ちとかをなんとまぁずるずると長いこと一生かけて引きずるもんだろうかね人間はというような話だったいい歳した老女がそのことで若い女みたいに泣くんだよ随所にさりげなく挟まれる一瞬の演出が巧みだ初老の小説家がお手伝いさんに浮気相手の恋文にまつわる冒険譚をこそこそと話した直後奥さんが何を話してたんですかとかいってお茶を持ってきてその辺に転がってた手紙をひろいあげて旦那に手渡すのねわかってるのよてな色っぽい目つきでばれたかみたいな小説家の態度も自然でこれが彼らの日常のやりとりであることがわかる長年連れ添った夫婦の色っぽいくだりをそういうさりげない一瞬の演出でさらっとやる

それからお手伝いさんがヒロインと共犯めいた友情をむすび同時に恋にも落ちるあんまのシークエンスあれはさりげないともいえるし過剰なまでにわかりやすいともいえるんだけれどいずれにせよ色っぽくてよかったいちばん色っぽかった演出は子どもが本の印刷の匂いを嗅ぐとこねほんと一瞬なんだけどあれであの子がほんとうに本が好きなんだってわかるお手伝いさんの少女に小説家があんまをさせるシークエンスはまぁ性的搾取なんだけど役者のせいか演出の意図かあまりその気配がない孫がかわいくてしょうがない爺さんみたいに見える部下である画家に妻を近づかせて政略結婚を受け入れさせようとする夫にしてもやってることはむかしの男の性暴力のはずなんだけれどこれまたまったくそんな感じに見せないこちらは明らかに意図された演出でセックスを知らない子どもみたいな男であるように描かれている

よくわからないのは画家以外の男たちで当時の男たちの愚かしさを揶揄するつもりなのかどうなのか戦車のおもちゃをふりまわして遊ぶような子どもっぽさを強調しているあの演出意図は何かあれだけ画家を出入りさせておきながら妻の不貞に気づかないわけはないので夫がその逢瀬を仕組んだと考えるのがふつうだけれどあの男たちの子どもっぽさは妻の性的資源を自分の所有する道具であるかのように扱う当時の男性に往々にしてあった残酷さを都合よくごまかす手管なのかそれとも単純に性愛に疎いかまととぶりを強調したかったのかあるいは単に政治的な偏りによる演出かもしれない語り手のお手伝いさんがいちばん嫌った歪め方のようにおれには思えるこの映画で性的にふるまうのは女だけだ画家にしても巻き込まれたにすぎない

宝塚みたいな親友にはLGBT とフェミニズムに対する露骨な差別意識を感じた多くの客に一瞬でわからせるには現状あのくらいが求められるんだろうヒロインと不倫する画家の卵が描いた絵が元お手伝いさんの老女の寝室にかかっている描写がくどいくらい繰り返されるんだけどそれは結末近くでその画家もまた大成してからもずっとおなじことをやっていたという逸話が語られるための伏線なんだよなあの絵はたぶん戦後に買い求めたものだろう元お手伝いさんは画家を知っていたけれど画家は彼女に買われたことは知らなかったんじゃないか交流があったとしても罪の意識にもとづく友情みたいなものだったろう画家のほうでも何かがあったのを察していたろうし手紙は渡されなかったので真相は知らないままだった)、 元お手伝いさんにしてみれば地獄の責め苦みたいな友情だったろう進んで罰せられようとしたのでないかぎりそのような関係に積極的に身を置いたとは思えない人づてに一枚の絵を買い求めて寝室に飾ってそれきりにしたんじゃないかいろいろあった男のアカウントを偶然みつけて遠巻きにヲチりつつフォローはしない女みたいな

反戦に絡めて女の同性愛を描いた作品に見せかけてそのじつ色濃いミソジニーや同性愛嫌悪を感じた巧みだけれども何かちょっとひっかかる男を子どもっぽく描いたのは赤い屋根の家をあえてミニチュアっぽく撮ったのとあいまってかわいらしい童話みたいな感じを出していたから映画の演出としては成功なんだけど

⋯⋯で肝心の原作結論をいえば映画版は女性に差別的だった持ち上げるようにしてばかにしている女性編集者が勇ましい記事を書くくだりは映画では描かれず代わりに男たちの子どもっぽさがひたすら強調される男の幼稚さが戦争を引き起こしたのだとでもいいたげ反面性的にがっついてるのは女ばかりだ奥さんにいい寄られる画家志望の青年は終始迷惑げにしているまるでしょうがなく押し切られたみたいだ原作ではそのようなことはなかった映画で印象に残るのは女中と画家志望の残酷な共犯関係である結末近くで明かされる紙芝居から判断するかぎり画家志望のほうは奥さんと女中のあいだがらをおそらくは女中自身が気づいていない彼女側の立場から見抜いている映画では画家志望の側は奥さんと自分とのあいだがらを見抜かれているのに気づいていてしかし女中の罪悪感には気づかずにその共犯関係を残酷に理想化しているそういうイノセンスあるいは子どもっぽさが女中を苦しめる女中は画家志望が信ずる共犯関係と実際に彼女がやったことの落差に苦しむ

原作小説ではこの画家志望の男は終始他者として描かれる共犯関係はない女たちへの残酷さも様相が異なる神格化のまなざしが残酷であることを知りつつあえて神格化した節がある本人さえ気づいてもいないような女中の奥さんへの気持を知りつつあのようなことをやったそもそも彼は男の臭いをさせているそれは寝取られ旦那からはしなかった体臭だ女中はその臭いを生理的に嫌悪している奥さんを神格化するのとは正反対だ寝取られ旦那はいるのかいないのかわからん人間として描かれる彼が何を考えていたのかはさっぱりわからない映画版では妻の不倫を自分の利益のためにけしかけているのかそれとも子どもすぎて本当に気づかないのかどちらかに見える原作小説ではそれすらわからない確かに臭いがしないのだ獣じみた性的なことがらにまったく興味を示さない単にそれだけの理由で結果的に不倫をけしかけることになりしかもその事実となりゆきにまるで関心がないかに見える

映画版では語り手の残酷さを持ち合わせているのは女中の側に見えるけれど原作小説ではなんと画家志望の青年のほうだ表面上の語り手が女中から現代の青年へと引き継がれ画家志望の男は他者として扱われるにもかかわらず作品世界を残酷に見下ろす語り手は直接には内面が描かれない彼のほうなんであるあの紙芝居によって間接的にすべてを語るのだ彼だけが知っていた彼だけがこの物語の全容を見渡していたのだそしてそこからは寝取られ亭主は疎外されていたつくづく部外者である)。 恋愛から疎外された人間だけにわかる恐ろしさというものがあってその辺と創作における悪魔的な側面とがあの紙芝居には凝縮されているかに思える映画ではその絵は男の側から女を無邪気に神格化するものだった原作小説は獣の臭いをさせる男とか恋愛とかいったものの悪魔的な側面を描いていた結論をいえば原作の圧勝だね映画版は演出こそ巧みだけれども浅薄だ

(2015年08月24日)

(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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AUTHOR


中島京子
1964年3月23日 -

2010年『小さいおうち』で直木賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞・歴史時代作家クラブ作品賞・柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞・日本医療小説大賞を受賞。