先に起きることをMが何もかもあらかじめ知っているかに思えた瞬間が、 正体を明かされる前から僕にはたびたびあった。 一九八〇年末にあいつの葬儀で解散以来ひさしぶりに揃って顔を合わせ、 その話になって初めて、 四人全員がおなじことを感じていたと知った。 なのにあれだけ訪日を畏れたMが、 チーム全員があわや殺害されかけた次の公演地についちゃ、 蒸し暑さしか警告しなかったのも妙な話だ。 袖にした相手にベッタリつきまとえばどうなるかだってこの僕にさえ予知できた。 あいつらしからぬ見通しの甘さが、 やがてルーブ・ゴールドバーグ・マシンさながらの破局を招くことになる。 あいつが独立運動の英雄は小説家で、 日本にはそいつをモデルにした古い冒険小説があるとか、 おれは華僑ってことにしといてくれといった話ばかりしていたのを憶えている。 前年には機上の退屈しのぎにこの地域の現代史を議論したもので、 マニラ大虐殺についても聞かされていたけれど、 この年の僕らの関心はもっぱら薬物にあり、 始終酔っ払ってたんであいつも蒸し返さなかったし、 なんならあいつ自身が薬物で始終酔っ払っていた。
東京とちがって殺害予告は届かず、 僕らを伝統への脅威と見なす過激派もいなかった。 同胞を自称しつつ土足で上がり込み、 総人口一六〇〇万人のうち百万人の命を奪った日本よりも、 ひとびとは教会を遺したスペインや、 道路と独立への道を敷いた米国に親しみを抱いていて、 公用語だって米語で、 英国のロックンロールを受け入れる土壌があった。 前年に成立したばかりでアジアのケネディを自称する政権は、 学校や高速道路を建設したりして国民に人気があり、 まだ独裁とは見なされていなかった。 あるいはそのせいでMも、 ジャクリーン夫人気どりのご機嫌さえ損ねなければ大丈夫、 なんて高をくくったのかもしれない。 臍を曲げたBEがまさか自分の進言を聞き入れないとは思いもよらなかったのだ。 思い通りにならぬ恋路への強情が招いた窮地を、 BEは雇ったばかりの幹部ヴィクLに押しつけた。 楽団長から交渉代理人に転じたベテランだ。 十代の僕やトニーBは地元の帝国劇場で、 錚々たる大御所らの伴奏を務めるかれの楽団を観たことがある。 そんな風に僕ら四人が敬意を示したり、 デレクTのように親しく打ち解けたりする相手にBEはいつだって嫉妬し、 癇癪を起こして理不尽な扱いをした。 だったら最初から雇わなければいいのにとそのたびに思わされたものだ。 落ち着きのなさじゃ引けを取らぬ僕が、 ひとたび信用した相手が詐欺師や殺人者と知れてもなかなか縁を切れなかったのとは対照的に、 安易な閃きで雇っちゃ些細なことで馘にする癖が、 あのユダヤ人青年実業家にはあった。
思えば香港経由で空港に降り立った朝四時半から雲行きは怪しかった。 なんせ僕らは英国による侵略なんて呼ばれたくらいで、 市内の警備は六年前のアイゼンハワー来訪時並みに厳重、 装甲車やら消防車やら機動隊やら白バイやらが総動員され、 軍も非常事態に備えて待機していた。 なんでみんな武装してるんだ、 戦争でもおっぱじまったのかと僕は口走り、 戦争なんていつだってどこだってやってるよ、 人間は暴力で儲けるのが大好きだからねとMが応じた。 かつて日本人がこの国で殺した数の一割が殺到したターミナルを避け、 滑走路のはずれの茂みに隠されていた梯子で降ろされた僕らは、 緊迫した空気のもと旅券押印、 検疫証明書の確認、 手荷物検査に応じさせられた。 ヴィクLの手配に抜かりはなく、 機材の税関手続にはマルEが立ち会い、 草や薬を隠した手荷物は、 外交封印袋の扱いで検査を免除される段取りになっていた。 なのに僕らは回収を許されず、 待機していたリムジンの後部席へ、 警官らに荒々しく押し込まれた。 NとBE、 Mとともに滑走路にポツンと取り残された大切な荷物は、 たちまち背後に遠ざかった。
軍隊式のバイク六台に護送される車中で、 トニーBは僕らの心配ぶりを誤解し、 三人もすぐに追いつくさと宥めてくれた。 メアリ・ジェーンとあとのふたりはだれだいとGが尋ね、 Rが何か素っ頓狂なことをいい、 映画で要人が拉致される場面を連想した僕とPは、 なんで宿へ向かわないんだと騒いだ。 宿の予約が報道陣や群衆を欺く見せかけで、 実際には湾内に停泊するマリマ号なる豪華ヨットで一夜を明かす手筈になっているのを、 広報担当もまた報されていなかった。 幸いひとけのない倉庫街で椅子に縛られて監禁されるなんてことはなく (少なくともここでは)、 車は海軍本部へ到着し、 僕らは戦略室なる会場で四〇人の報道陣に囲まれて尋問された。 中身のない質問に中身のない答えで返し、 ただちに裏口から連行されて港へ向かった。 付き人コンビとBE、 それにだれよりも僕らを暴徒から護ってきたMから切り離され、 蒸した毛布のような湿気と汗にまとわりつかれて僕らは怯えた。 全員と船で合流するまで人心地がしなかった。 荷物が押収されなかったことをNに聞かされ、 僕ら四人は胸を撫で下ろした。 BEは機材を返してもらうのに高い保証金を巻き上げられた怒りで顔を紅潮させていて、 報道陣を追い払えなどと関係者に当たり散らしていた。 Mは撮影機材を抱えた岸壁の人だかりに狙撃者を探していた。 僕とPは無言で顔を見合わせた。 日本人がBEの傍ではなく付き人の向こうにいるのに我が相棒も気づいたのだ。
鉄鋼と麻それに葡萄酒で財を成し、 大統領そのひとの友人でもあった地元紙社主は、 ヨットを提供する見返りに、 所有する放送局の独占取材権を得ていた。 ところが道理の通じぬBEは局員へ下船を命じ、 海軍の協力で陸地と結ばれた電話越しに、 こんな横揺れのする舟あと一分だって乗っていられるか、 坊やたちは退屈でうんざりしてる、 あと一時間でトニーBを迎えに来るそうだな、 その船で全員宿へ帰れるようにしておけよ! と地元興行主を頭ごなしに怒鳴りつけた。 ゴム草履を履いてラヴィ・シャンカールを聴きつつ日光浴する僕らを、 トニーBは困惑したように振り向いた。 「退屈でうんざりしてる坊やたち」 はコークハイ片手に肩をすくめた。 そりゃ暑さと湿気で汗だくだし、 武装警官も手荷物も気がかりだけど (とりわけPは一服を恋しがった)、 騒ぎを逃れて沖合でひと晩のんびり過ごすってんなら、 それで一向に構わないよ……。 ここがボーンマスでもニースでもなく二〇年前まで紛争地だった独裁国家なのをチームのだれも理解していなかった。 Mでさえも油断しきって社主の息子とその妹、 息子の恋人である美人コンテストの女王に、 タガログ語で冗談をいって笑わせていた。 僕らは気前よく大麻をフィリピン人たちと分け合った。 この時点ではみんな笑顔だった、 ただひとりBEを除いては。
夜が更けて揚げ鶏、 フィレ・ミニヨン、 マッシュポテトと人参、 食用スイートピーが用意され、 コンソメに口をつけたところで迎えの小型船が到着し、 失望の声があがるのも顧みずBEはお開きを宣言した。 その気になれば涙目になるまで人前で辱めてやることもできたけれど、 移動や宿泊についちゃ僕らは何もわからずただ従うしかないんで、 豪勢な食卓に後ろ髪を引かれつつ、 指示されるがままリサール公園前のマニラホテルへ車で移動した。 二〇世紀初頭に建てられ、 マッカーサー将軍の占拠や日本軍敗走時の放火をくぐり抜けた、 マラカニアン宮殿に匹敵する豪華な建物だ。 BEは地元興行主に最低でも自分用に一室、 僕らには二室の続き部屋を確保するよう強要した。 格式ある高級宿は当然ながら満室で、 ほかのVIPを追い出すのに興行主は交渉術を駆使させられるはめになり、 目の前でご馳走を取り上げられた僕らは、 飯どころか寝床にさえ朝の四時までありつけなかった。 BEのわがままのおかげで興行側とは碌に話し合う時間がとれず、 不正確でわかりにくい日程をチームのだれもが見落とした。 おまけに海外公演では必ず地元紙を翻訳して聞かせてくれるMが、 なぜか手遅れになるまで一面記事に気づかなかった。 そこには僕らが午前一一時にマラカニアン宮殿へイメルダ夫人を表敬訪問する旨が、 あたかも決定事項のように書かれていた。
思うに興行主にしてみれば、 公演に備えるべき時間をそんな煩わしい行事に割くなんて、 BEに面と向かって伝えれば断られるに決まっていたし、 かといって独裁者夫人は、 ひとたび望めば世界中の靴が目の前に運ばれてきてしかるべきと心得ていて、 八本の足に履かれたフラメンコ靴もまた強制を免れず、 板挟みになって当日の土壇場でどちらかが折れるとか、 超自然的な力が作用して事態が自然に解決するなんてことを願うよりなかったのだ。 二度の公演が予定されていたその日の朝、 まず興行主の部下が付き人たちの部屋を訪れ、 拳銃を見せびらかしながら僕らの署名入り写真をせびった。 帰りの飛行機の乗務員のために数枚残してあるだけだとのマルEの説明は、 鼻先に突きつけられた銃で遮られた。 Pは僕がまだ眠りこけているうちにNを連れて金融街をのんびり散歩し、 貧民街で絵を二枚お土産に買った。 あいつらが浜辺で一服して宿に戻る頃にはひと悶着起きていた。 宮殿へ僕らを護衛する役目を仰せつかった大将と艦隊司令官が、 寝間着姿のヴィクLを叩き起こし、 約束の時刻が近づいた事実と 「上流の子女」 三〇〇人が出席する昼食会について告げたのだ。 気の毒な元バンマスはそんな要請は何も聞いていないがBEに報告しておくと応えた。 要請ではないと軍服の将軍らは教え、 かれの眼を醒まさせた。 単なる命令であり選択の余地はない、 あなた方は従うのみだと。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)

@ezdog さりげなく日本の加害の歴史にふれているのがいい。そしてBEったらワガママっぷりがすごいな!御馳走を食べ損なって明け方まで飯も寝床もなしのJ達の気の毒なことよ……。
イメルダ夫人なつかしい。やはり夫人と言えば靴!B達も“八本の足に履かれたフラメンコ靴”と例えられているのがなんとも粋な表現!イメルダ夫人の人を人と思っていない様子がよく表れているなぁ。夫人とBにそんなことがあったなんて知らなかった!どうなっちゃうんだろ!?