遡ること一年前、 何気なくタブロイド紙を広げたら、 僕を圧縮し老けさせて下品にしたような男が、 ロンドン南部のハンプトンにあるグレイハウンド旅館で皿を洗っている記事が載っていた。 それによるとあいつは僕の出ている新聞を同僚に見せられ、 親戚かと尋ねられて息子が億万長者になった事実を知ったらしい。 連絡を取るべく何度も手紙を書いたのに梨のつぶて、 あれだけ成功して贅沢な暮らしをしていながら、 困窮する実の父親をないがしろにする親不孝者だ……なんてことが書かれていて僕は憤慨した。 ほどなくシャーロット通りのスカラ座で最初の映画を撮っていたとき、 善人気どりの新聞記者があの碌でなしをNEMSの事務所に連れてきた。 感動の再会を特ダネにしようとの魂胆だ。 握手のつもりか髪の薄い親父は薄笑いを浮かべて分厚い手を差し出した。 くれてやるもんは何ひとつないと僕は応えた。 この恩知らずめ、 血は水よりも濃いんだとか何とか、 古ぼけた背広の小男は拳を振りまわし地団駄踏んでキーキー騒いだ。
ぶち切れた僕が口をひらく (あるいは手を出す) よりも先にMのほうが怒り狂ったのには居合わせた全員が仰天した。 あいつは 『アンナ・カレーニナ』 の冒頭を引用し、 ひとにはいろんな事情があるんだ、 幸福に育っていい学校を出て、 大新聞社様にご入社できたあんたにはわからんだろうがね……と記者をまず罵倒し、 それから親父に屈み込むように迫って人差し指を突きつけ、 ひとを人間にするのは血じゃなく努力だ、 あんたは人生で何をしてきた? 蒔いた種の刈り入れどきとでも思ったか? と猛烈に凄んだ。 腰を抜かして文字通り這々の体で逃げる人間を僕はそのときはじめて見た。 怠惰な老人版JLを目の当たりにした僕は、 ああはなりたくない、 痩せようと決意した。 不安にさせたくなくてこの件はCに黙っていた。 まともな神経を持ち合わせていたら一度で懲りるだろうに、 人生から逃げつづけてきた親父にとっちゃ痛くも痒くもなかったのだろう、 次は僕の留守を狙って、 彼女が独りで守る家にぶらりと訪れた。 しかしここが元優等生たる彼女の機転が利いたところ、 あるいはザ・Bの妻として肝が据わったところなんだけど、 身を守るためと間を持たせるために散髪を申し出たという。 刃物を手にした女に身を委ねる小男にやれることはあまりない。 あの碌でなしは二時間ほど居座り、 お茶とチーズトーストかなんか平らげて帰って行ったそうだ。
それだけで諦めずに今度は音盤会社に売り込んでまで恥を世間に晒すとは、 水よりも濃い血そのものが強請の種になるとよくご存知らしい。 僕はいかなる汚い手を用いても構わぬからあの忌まわしい代物を世間から抹殺するようBEに頼んだ。 血ではなく音盤の話だ。 市場からの引き上げと販促中止に八千ポンドも握らせた甲斐があり、 後者はさして話題にならずに消えた。 前者については話をつけてやろうかとMに問われたけれど何の話かわからぬふりを通した。 現実にそんな真似をされたらさすがに後味が悪い。 おかげで親父は図に乗り、 厭がらせに独創性を発揮して、 翌年には一八歳の女学生 (我らが商売敵ストーンズのファンだったらしい) を手懐けて嫁にするといいだした。 親父は五三だ。 いくら大人の女に相手にしてもらえぬからってそれはなかろう。 三〇過ぎの子持ちと再婚したPの親父さんとはわけがちがうし、 僕とメイPとはきっかけこそYの強要にせよ、 互いに納得づくの関係だった。 仕事を世話してくれというのでその子をファンレターの仕分け係として会社で雇ってやり、 家にまでおいてやった。 屋根裏部屋で日がな一日啜り泣いたり電話に金切り声で叫んだりするのが筒抜けで、 息子の教育にもよくないし僕もCも気が変になりそうだった。 もっともその頃、 僕はすでに薬漬けで実際に気が変になっていたのだけれど。 出て行った数ヶ月後にその若い娘は親父と駆け落ちして子どもまで産んだ。 ミック・ジャガーの悪口はいいたくないけれどそんな女の気が知れない。 気の毒な腹違いの弟には一度も逢ったことも財産を要求されたこともない。 その十年後に親父は胃癌で死んだ。 だれもが尊敬するPの親父さんが亡くなった九日後、 Mが殺される四年前だった。
思えばそれまでの僕らにケリをつけた年末だった。 PとGを襲撃せんとした暴漢がMに組み伏せられた一二月一二日が、 会社の屋上での公開録音を別にすれば正真正銘、 英国での最終公演になるとはそのときはまだわかっていなかった。 その一週間前には故郷での最後の凱旋公演があり、 二五五〇人収容の帝国劇場二回分に対して四万人が切符を申し込んだ。 一九五七年に悪友仲間と遊びでやっていたスキッフル楽団で、 一九五九年にR以外の三人で芸能人スカウトの審査を落選し、 その三年後には四人の顔ぶれが揃ってMに見守られながらリトル・リチャードの前座を務め、 さらにその翌年にはファン感謝祭をやってBBCで放送された思い出の場所だ。 子どもの頃には毎年年末になると伯母に観劇に連れてきてもらったのを思い出す。 雪の日に幼い僕が、 ねぇ見て猫も僕とおんなじ長靴を履いてるよと叫んで、 劇場中の視線とクスクス笑いを集めた話を、 伯母は一九九一年に八五歳で死ぬまで何度もくり返した。 きっと彼女には僕がずっとその日の子どもみたいに見えていたのだろう。
もう少年少女ではない懐かしい顔ぶれに楽屋で再会した。 就職したり昇進したり子どもを産んだりしていた最初期のファンたちは、 「洞窟」 存続の嘆願書を手にしていて、 通算三百本の舞台をこなした思い出の店を救ってくれまいかと頼み込んできた。 衛生設備と水まわりの改善を市議会に求められた経営者は店を閉めるつもりでいるという。 いまでこそ歴史建築保全財団が銘板を設置した縁の地へ、 世界中のファンが金とゴミを落としに押し寄せる僕らだけれど、 功成り名を遂げたとはいえ当時はまだいずれ弾ける泡と目されていて、 下水臭い墓穴を保全してやる謂れはなかった。 地元ファンには現在進行形でも僕らにとっては大昔に終わったことだった。 帰郷するたびに僕らは亡霊の堂々巡りに付き合わされる気分になった。 故郷は確かに僕らを育んだ。 でもそれはいつか出て行くべき田舎としてだ。 爆撃跡の残る煤けた港街なんかにいられるかと思ったからこそ僕らは成功した。 愛想のいいPは地元の名所にしてみたらと提案し、 ちょうど親父という過去に苦しめられていた僕は、 あんな店に何の借りもないねと冷たくいい放った。 二年前Pが客に誓った約束も虚しく、 一万ポンドの債務を負った 「洞窟」 は二ヶ月後に監査官により閉鎖された。 警察はバリケードを壊して籠城するファンを立ち退かせた。 店は一時的な再開を経て一九七三年に埋め立てられ駐車場になる。 無関係の場所で営業する贋物を見に行くため、 知らずに車を停める観光客もいるのではないか。
内助の功やら伝統的な家庭やらを求める一方で、 恋の現地調達に躊躇がなかったPは、 自立した職業人であるお嬢様女優とうまくいっておらず、 暇を持て余してプリティ・シングスのドラマーやなんかとようやく角砂糖を試すに至った。 虹色世界の味を知ったあいつはやおら実験的な電子音楽やら、 GMに教わったテープループやらに嵌まりだす。 その手の曲をあいつは、 活動の参考になりそうな流行曲と取り混ぜてラジオDJごっこを演じてアセテート盤に吹き込み、 Gがお茶の間アイドルに求婚した一二月二三日、 同僚たちへのクリスマスの贈り物にした。 僕ら三人は家庭教師役を勝手に自任する同級生から予習を命じられた学生みたいな気分になった。 世界にたった四枚しかないあの音盤は確かに翌年の僕らを占っていた。 しばらく大切にとっておいたのにどこへやってしまったろう。 年が明けると僕とR (前のグループにいたときのひげが復活していた) は互いの伴侶を連れて三年前に英国から独立したトリニダード・トバゴへ海水浴に出かけた。 追いかけてきた報道陣に撮られた写真は、 美しい女たちと腹の引き締まったRに較べ、 強面気どりのひとりだけが体脂肪やらセルライトやら怠惰な遺伝子やらを窺わせ、 僕に先日の決意を新たにさせた。 そのあいだにGは逃亡せぬようPとBEに監視されつつ、 登記所を訪れた三番目の (そして裕福な中流階級との人生に足を踏み入れた初の) Bとなって、 お茶の間アイドルは日記をハートで埋め尽くし、 結婚したよ、 わーいと丸っこい字で書き込んだ。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)
- Isn’t It A Pity(2)
- Isn’t It A Pity(3)
- Isn’t It A Pity(4)
- Isn’t It A Pity(5)

@ezdog 新聞記者と碌でなしの親父にMがしっかり怒ってくれて本当によかった。まったくひどい親父だなぁ。とんだ恥知らずだ。そんな親父を散髪して追い返したCは強いなぁ。
故郷での公演、昔のお客さんとの再会。温かな思い出もありつつ、ここから出るんだという強い気持ちがあったJの気概に胸を打たれる。
そしてGの結婚、これまで読んできたからなんだか他人事じゃない感じ。感慨深いなぁ。