米国公演前、 ニューヨークの共同経営者や興業代理人、 弁護士といった商売仲間はBEに電話し、 病を押してでも火消しに取りかかるべきだと口々に提言していた。 泊まりに来たGMと観光地で静養中だったBEはまともに取り合わず、 火にくべる音盤が売れて結構だなどと嘯いたものの、 聖書地帯を納得させるような釈明をJLにさせなければ興行を取りやめざるを得なくなる、 と忠告されてようやく事態の深刻さを受け入れた。 米西海岸へ移住してバーズやビーチ・ボーイズの広報をやっていたデレクTに謝罪文を書かせ、 それを僕に読み上げさせて録音し、 全米の放送局に送付する妙案をかれは思いついた。 それならJLも受け入れそうだし公衆の面前での吊し上げから護ってもやれる、 そう考えて奮起したかれはチェスターまで車を飛ばし、 四人乗りのセスナ機を借りてロンドンへ飛び、 パンナムの定期便に搭乗する前にトニーBをはじめとするNEMS幹部らと対応を協議した。 風刺芸人レニー・ブルースが当局に目をつけられて干された挙げ句、 ヘロインを打たれた変死体となって自宅で発見された日のことだ。
眠れぬ夜を過ごした翌朝、 本来ならロンドンで新作発売を祝っていたはずの当日にBEは、 僕の失言が一面で大々的に扱われた 「ニューヨーク・タイムズ」 を読んだ。 ザ・Bの音楽を禁じる動きが収まらぬことを報じるUPIの記事や、 オックスフォード出の才媛記者による擁護のコメントがそこには掲載されていた。 かの才媛は自責に駆られたのかピッツバーグKDKA局のインタビューでも僕を庇った。 もはやBEに謝罪文や録音なんてまどろっこしい段取りを踏む余裕はなくなった。 急遽その日の午後に七番街のアメリカーナ・ホテルで記者会見をひらいた。 喪服然とした出で立ちで現れたBEは沈痛な面持だった。 内心では怒りが煮えくり返っていた。 追い打ちをかけるがごとく二本の批判記事が出た上に、 女性記者が勝手に出しゃばって余計なことを喋り、 あまつさえ米国人の拝金主義を批判するPの発言や、 二週間ほど休んだらまた米国人に叩きのめされに行くんだ、 などと語るGの不遜な言葉までが報じられたからだ。 かれは会見前にロンドンの助手へ電報を打ち、 ザ・Bに報道陣に接触させず余計な口を慎ませるよう指示した。 会見の質疑応答では八人の看護学生が陵辱され刺殺されたシカゴの事件や、 テキサス大学の銃乱射事件が引き合いに出され、 同様の事態を懸念しているのかと問われた。 公演に危険は付きものだと動揺を隠して応えたものの脅しとしては充分だった。
八月一一日に僕らは経由地のボストンで六〇〇人の絶叫に迎えられた。 シカゴでは一般乗客より先にターミナルから離れた格納庫近くで降ろしてもらい、 ミシガン湖から二ブロックの宿に直行した。 Mは何もいわずに僕の隣にぴったりついて歩いた。 普段なら暑苦しいと押しのけるところだけれど今度ばかりは僕にそんな気力はなかった。 僕はBEとトニーBの顔を見るなり、 記者会見前に四人だけで話したいと持ちかけた。 どうしてMを引き込んだのか自分でもわからない。 あのときの僕にはそうするのが当たり前に思えた。 どう声をかけたものか戸惑っていたらしい三人の同僚は気を利かせてそっと離れた。 BEの部屋で膝を交えて話し合った。 キリスト教を貶めたり自らを神に喩えたりする意図はなかったと米国人に納得させねばとBEはいい、 トニーBは三大テレビ放送網をはじめとする記者団への想定問答を伝授してくれた。 僕は椅子に座ったまま背中を丸めて頭を抱えた。 啜り泣きを悟られたくなかった。 BEが僕の肩にそっと腕をまわして慰めの言葉を囁いてくれた。
僕はそれまで他人によく思われるために自分を偽ったことがなかった。 六〇年後のいまだってバズ狙いの偽善は大きらいだ。 異国の便所裏から一九六六年八月のこのときまで、 世間の評価を気にして当たり障りのないことばかり口にする柔な芸能人をさんざん莫迦にしてきたし、 世界中のファンだってそんな傍若無人な僕らを気に入っていたはずだ。 けれども三人の仲間と築き上げてきた努力を台なしにするとなれば話は別だ。 GもRも結婚したばかり、 親たちだって親戚だって成功を喜んでくれている。 それに大勢が僕らのために働いていて、 何かあれば職を喪うのは僕らばかりじゃなかった。 僕は洟を啜って顔を上げ、 BEとトニーBに訴えた。 幾らでも謝るよ、 やれといわれたら何でもやる、 でもおれのせいで商売が駄目になったらどの面下げてみんなに会えばいいんだ……。 トニーBは謝るよりも状況説明に努めるよう助言してくれた。 BEは秘密結社の殺害予告について包み隠さず率直に警告してきた。 いいかいJ、 きみたちの生命を危険に晒すくらいなら公演は中止するよ、 GとPとRに話すのはわたしが引き受ける……。 僕は何もいえなくなってしまった。 その決断がBEにとってどれだけの重みを持つかわかっていたからだ。
前にもこんなことがあったよな、 とMが出し抜けにいったのはそのときだ。 みんなびっくりしてあいつを見た。 Mはあの間抜けな顔で懐かしそうに笑っていた。 なぁJ、 あのときもあんたは責任をひとりで背負い込んで、 これでザ・Bも一巻の終わりだと思い詰めたね。 でもあれはPとピートBのボヤ騒ぎが発端だし、 今回だってあんたひとりのせいじゃない。 おれもBEもあんたの考えを世間に知ってほしかったし、 トニーBだってそうさ。 だからどう使われるか碌に確かめもせずに売り込んじまったんだ (僕より四歳上の広報担当は気まずそうに苦笑した)。 まさか米国人たちが実物を読みもせずに騒ぐなんてだれが予期するよ……なぁ、 ブラックヴェルヴェットって本当は林檎酒じゃなくシャンパンを使うって知ってた?
トニーBは二七階の自分の続き部屋に地元紙と全国紙の記者を招いた。 大勢の人間や撮影と録音の機材、 それに照明が鮨詰めになった。 僕ら四人はふざけて見られまいとチェルシーの最先端モッズ服ではなく初期の喪服めいた背広を着ていた。 そして実際この会見はカワユイ坊やたちの葬式になったのだ。 席は花柄の壁際にギリギリ寄せられていて、 低い卓のあいだに膝を抱えて這い込まねばならなかった。 まばらに離れて座った東京とは正反対に身を縮めてギュウ詰めだ。 罪人の僕めがけて一斉に閃光が焚かれた。 普段の僕は、 口から先に生まれたとMに日本語の慣用句でからかわれたほどお喋りだ。 けれども肝心な場面ではいつだって伯母に叱られるときのように、 舌に伝わるまでに考えがこんがらがって意味のない音しか出てこない。 僕は頻繁に瞬きしてしどろもどろに弁解した。 近すぎる報道陣の眼やレンズをまともに見ることさえできず、 手許に視線を落としてばかりで、 見かねたPが助け船を出したり回答を補足したりしてくれた。 弟分と見くびっていたGさえも保護者のごとく代弁してくれた。 ディランがスウェーデン翰林院に呼び出されたとき、 おれは文学者じゃない、 歌手なんだと隠遁先から電話で泣き言をいってきたものだけれど僕だってそうだ。 弁舌巧みなら政治家か詐欺師にでもなっていた。 書いたものの力をMは信じてくれたけれど自分では心許ない。 僕の言葉に説得力があるのは楽器を弾いて歌うときだけだ。
あなたの宗派は、 発言の真意は、 神を信じますか、 神よりあなたがたを選ぶ子どもたちにどう責任を……? 挙げ句に身内の恥である親父のことまで当てこすられて嗤いものにされた。 弱みを突かれて頭に血がのぼった僕はますます舌がもつれた。 音盤が燃やされ放送禁止にされる動きに心を痛めていると認めても連中は許してくれず、 悔い改めるか否かを執拗に詰められた。 後悔してるさ、 そんなつもりじゃなかった、 口の利き方がまちがっていたと僕は答えた。 それでもまだ謝罪とは見なされずに問い質された。 つまりあなたはザ・Bは神より人気があると主張されるんですか、 本当にキリスト教が縮小していると? さんざん説明したのが無駄だったのにがっくりして僕は溜息をついた。 だから逆だよとPが割って入った。 そんな世間を残念に思ってるってことなんだってば! 僕のとりとめのない言葉をGが改めて要約するのにつづけてPは、 僕らは進歩したいだけなんだと説明した。 見世物稼業らしく取り繕いたければそうするさ、 でも正直に向き合って話してるんだとも辛抱強く語りかけた。 我が相棒の演説は少なからず記者たちの胸を打ったようで、 敵対的な空気がかすかに変わった。 人気はだれのおかげとお考えですかとの質問に、 それまで黙っていたRが子どものようにすっとぼけた顔で口を挟んだ。 そりゃトニーBに訊いておくれよ! どっと笑いが生じて張り詰めた場がようやくほぐれた。
お開きとなって記者たちが追い返され、 吊し上げから解放された僕は安堵の息をついた。 歩み寄るMと視線が合った。 あいつは僕の肩を無言でぽんと叩き、 それからPと視線を合わせて互いにニヤッと笑った。 満足に喋れなかった恥ずかしさが薄れるにつれて感謝の念がじわじわと湧いてきた。 大迷惑をかけて見限られてもおかしくなかったのに、 三人の同僚は世間を敵にまわして庇ってくれたのだ。 BEとトニーBは興行師や代理人と話し合って一五公演を決行することにした。 チーム全員の愛を実感した僕はすっかり元気を取り戻し、 宿のテレビで排斥集会の様子を見ながら 「一二歳の見物客のために焚き火する中年ども」 なんて軽口を叩いたりした。 ひどい人相だ、 まさに狂信者だねとPも声高に僕の肩を持った。 GもRも付き人たちも口々に何か似たようなことをいった。 Mはあの間抜けな笑みで僕らをただ眺めていた。 Cや長男には悪いけれどこんな経験を重ねると仕事仲間のほうが家族みたいに思えてくる。 かけがえのないその家族がわずか四年後に離散するとは、 この僕が自ら進んでその選択をするとはこのときは考えもしなかった。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)
- Isn’t It A Pity(2)
- Isn’t It A Pity(3)
- Isn’t It A Pity(4)

@ezdog 「バズ狙いの偽善は大きらい」というJの言葉、Jらしいなぁ。そんなJやBのやつらだから、しどろもどろでも自分の言葉で会見したのがよかったと思う。
そして会見の前に四人で話し合ったときにJをはげましたMの言葉……泣いてしまった。ハンブルク時代のあの強制送還事件が懐かしくも思えたし、あの時だってBのやつらは大丈夫だったんだ。私まで安心したし温かい気持ちになった。今回は特にすごくいい。