ほぼ円形の建物は隅々まで音が行き渡るつくりで、 一万人を収容する二層の観客席があり、 広大な競技場に約三メートルの仮設舞台が組まれ、 上から青い幕がかけられていた。 舞台後方にはグループ名を縁取る電飾があった。 舞台の二倍はある緩衝帯には、 紛争地の国境を思わせる障壁上にテレビ撮影用の線路が延びており、 さらにその周囲を鉄柵が取り巻いていた。 本気か冗談かわからない米語による興行側の説明では、 乗り越えようとする不心得者がいれば、 警備室の操作によって高圧電流でたちどころに焼き殺せるとのことだった。 葉書による応募は二〇万九〇〇〇通。 当初予定された三公演に二回の午後公演が追加されたにもかかわらず、 切符を勝ち取れたのはわずか四分の一以下だったとか。 初日は一度の公演しかない夜にしては早く、 一八時三〇分開演だった。 性別問わずだれもがきちんとした服装で、 日曜学校の生徒みたいに指示通り着席し、 ワクワクした口調ながら声を潜めて囁き合っていた。 昂奮した空気に包まれてはいてもどこか病院みたいな厳粛な雰囲気だ。 数人にひとりの割合で警官が目を光らせていて、 これほど静かな公演は一九六四年のパリ以来だ。 多くの少女が小さな旗やハンカチや小さな花束を手にしていた。 団扇に僕らの顔写真を貼りつけた子なんか、 報道陣にしきりにレンズを向けられていた。 次男の説ではそのイメージが新聞やテレビを通じて広まり、 まるでだれもがやっていたかのように国民にすり込まれ、 アイドル鑑賞の作法として定着したという。 JVのプラカードにつづく発明ってわけで、 韓流アイドルに夢中の孫たちを見ると、 なるほどそんなもんかなと思う。
前座はぱっとしなかった。 僕らを歓迎する曲にPは、 腕はともかく心意気がグッとくるじゃない、 と喜んだ。 あとで僕らから話を聞いたMは内田裕也と尾藤イサオを見逃したのを悔やんだ (前者と僕はのちに親しくなった)。 何か喜劇のようなことをやっている連中もいたが笑いの要となるはずのドラムが遠すぎて客席から見えず、 何やらわからぬうちに撤収した。 司会に呼ばれた僕らが演奏をはじめるなり、 大歓声があがって小さな花束があちこちから飛んできた。 ところが一曲終えると観客はまた静まりかえり、 膝に手を置いて真顔で着席する。 次の曲でもそうだった。 盛り上がるのは曲のしめくくりだけ。 僕らが舞台にいるあいだ鼓膜を圧しつづけるいつもの神経症的な絶叫はない。 どの区画も前の数列は制服警官が固め、 立ったり踊ったり席を離れたりする観客はすぐさま制止された。 バルコニー席の警官隊は双眼鏡をすぐさま狙撃銃に持ち替えるべく、 観客に紛れた狙撃手を探していた。 広大で空虚な舞台からだだっ広い緩衝地帯を越えて、 反応が読めぬ二層の観客席へ演奏を届けるのはやりにくかった。 おまけに正面のマイク台が僕らに敵対的で、 何度引っぱり上げて締めなおしてやっても勝手にスルスルと低くなり、 気ままに回転されちゃそっぽを向かれた。 僕は苛立って悪態をつき、 どうにかしてくれと舞台袖に怒鳴った。 マルEは大きな身ぶりで裏方の日本人へ懸命に訴えたものの、 通じないのか通じぬふりをされたのか、 代わりは調達してもらえなかった。
調子が狂った僕らは投げやりで失敗だらけになった。 顔を寄せて重ねる声は音程を外し、 まだ六回しか客前で披露したことのない 「三文作家」 は、 電気処理なしでは平板に聞こえた。 何をどの音盤に収録したか思い出せず僕の曲紹介はしどろもどろ。 どの曲も明らかに練習不足で、 自分でも声に情熱がないのがわかった。 早く終わってほしいと祈る公演は世界中の舞台に立つようになってから初めてだった。 消え入りたい気持で足早に舞台から去り、 人払いした楽屋で汗を拭った。 こんなとき口火を切る勇気があるのはGだ。 きょうの 「恋をするなら」 はこれまでのおれで最低だったといいだした。 いい夜も悪い夜もあるさとRは宥め、 なかったことにしたい僕とPは無駄なあがきで、 九時間もの寄り道や時差惚けのせいにしてみたものの、 生真面目なGは許しちゃくれなかった。 もういい加減に現実を見ようぜ、 最近のおれらはいつもこんなんだよ、 だれも聴いてないから手を抜くようになっちまったんだ、 こんな無意味な舞台で消耗するなんて莫迦げてるよ、 録音所でならもっといい仕事ができるのに……。 心の奥底でずっと感じていたことをズバリいい当てられて、 残りの僕ら三人は黙り込んだ。 次の回から演奏は多少改善され、 ちょっとふざけたり笑顔で視線を交わしたりする余裕も取り戻せたものの、 初日の出来は四人全員の心にくすぶりつづけた。
強大なストレスに晒されたあとは宿や夜の街で発散するのが常だったのに、 ここ日本じゃ警官らの無言の圧力で叶わなかった。 貴賓室を一歩でも出ようものなら必ず待機所から誰かしら現れて、 慇懃な物腰で行き先を問い質される。 同階のBEを訪ねる分には許されたものの、 昇降機へ向かうと即座に連れ戻された。 Pは雨合羽をどこからか調達して襟を立て、 帽子を目深に被ってトニーBとアルカトラズからの脱出を試みた。 ロビーへ着くまでに無線の報告が飛び交い、 待ち構えていた警官らに籠へ押し戻された。 翌日も事態は好転しなかった。 旭日旗を振ったり横断幕を掲げて演説したりする連中が窓から見えた。 大通りには装甲を施されて深緑に塗られ、 拡声器を取りつけられた小型トラックが軍歌を流して巡回していた。 Mの翻訳に頼れぬ僕らに新聞はひと言も読めなかったものの、 何が起きているかは薄々察せられた。 Pは今度はRを連れて宿の前に待機するタクシー列まで辿り着き、 そこで敢えなく拿捕された。 ついに成功したのは僕とNだ。 肉屋の写真家から報道許可証と写真機を巻き上げて、 帽子と黒眼鏡で変装し、 まんまと警官どもを出し抜いた。 欅並木の表参道をそぞろ歩いて画廊を冷やかし、 老舗土産物店オリエンタルバザーで福助人形と一九世紀の嗅ぎ煙草入れに一〇〇〇ドル支払った。 幼いYが空爆から避難した防空壕のある麻布では眼鏡を買った。 不撓不屈のPはマルEを連れて警官と押し問答になり、 私服刑事を満載した車で移動するならという条件で外出を認められた。 明治神宮と皇居前を散策して記念写真を撮ったりお土産を買ったりしたものの、 報道陣に見つかり即座に車へ連れ戻された。 僕とPは互いの冒険を自慢し合った。
それほどの厳戒態勢にもかかわらず宿にはイーグルスのヒット曲さながらに大勢が出入りした。 一年ぶりに再会した星加ルミ子は、 ザ・Bが日本の女性記者を憶えていたのに感激した一方で、 僕らと長年一緒にいる日本人のことはまるで憶えていなかった。 記事を翻訳して僕らに聞かせてくれて、 尊敬の念をたびたび口にしていたMには気の毒なことに、 どうもあいつは出入り業者か使用人か何かと彼女に思われていたらしい。 Mに教わった手脚を鍵十字のようにするギャグとゴジラ映画の知識で彼女を驚かせ、 そのポーズで一緒に写真に収まったりして僕は大得意だった。 宿にすき焼きを喰いに来た自称歌手は、 たぶん本人が主張したほど音楽では有名ではなかったのだろう、 あとで聞いたMは岡本喜八の戦争映画を話題にしたくらいで、 それも共演した別の俳優のことばかり喋った。 その歌手だか役者だかには箸を使えぬことでさんざん莫迦にされたので、 Mに教わっときゃよかったと思ったけれど、 考えてみればあいつが日本食を口にする場面など見たことがなかった。
最終日は土曜で、 警官が増員され機動隊輸送車が四〇台も集まった。 軟禁状態に同情した興行師が、 高級店の外商を呼びつけて即席の物産市をひらいてくれた (芸者を呼ぶ案も出たけれど、 お色気はよそでも手に入るので僕が断った)。 象牙細工や宝飾品、 写真機材、 手彫りの鉢、 絹織物……神田眼鏡店の品には僕とGが大喜びした。 万年筆入れに収まる小さな長方形レンズの黒眼鏡で、 ロジャー・マッギンにいくらせがんでもどこで買ったか教えてもらえなかった奴だ。 まさかここ日本で手に入るとは思わなかった (僕らが真似てからあいつはかけるのをやめた)。 丸や六角形のレンズもあってPとRも買ったと思う。 映画で三船敏郎がいってたみたいに靴はひどいけど服の生地や仕立てはいいぜ、 とMが日本製品について話していたのを思い出して背広を採寸してもらった。 絵具と筆の揃った画材セットは退屈しのぎにちょうどよかった。 大きな手漉きの和紙を買いにやらせて大きな卓に広げ、 卓上灯を重石にして四隅からそれぞれ色を足していった。 公演が終わる頃には卓上灯まで達した。 僕らは丸い空白に署名し、 この合作を日本のファンクラブ支部に寄付して慈善競売にでもかけてくれと頼んだ。 日本の緑茶や煎茶は伯母へのお土産にした。 不味いとかおかしな味だとか文句をいいながらも結構気に入って飲んでいたようだ。
超特急の仕立てで背広はチェックアウトに間に合った。 Mの合流も出国に間に合った。 僕ら四人は空港であいつを囲み、 どこ行ってたんだよと肘で小突いたり背中や肩を叩いたりしてやった。 付き人たちはもちろん、 トニーBまでもが見るからに安堵していたし、 BEなど顔を紅潮させて複雑な表情をしていた。 あいつが戻ってこないのをチーム全員が畏れていたのに僕はそのとき初めて気づいた。 いやぁおかげで勧誘が捗ったよとMはあの間抜けな笑みでいった。 Gは太い眉をひそめ、 Pは無言で尋ねるような眼を僕へ向け、 僕も知らんと首を振り、 Rはただ戸惑っていた。 あいつが本業のことを口にしたのはそれが初めてで、 その仕事が何かとは尋ねる勇気はそのときの僕らにはなかった。
のちに聞いた話では僕らがこの国を去ったあと、 鋏で滅多刺しにされた遺体が塵芥処理場で続々と見つかり、 いずれも僕らの髪を切る脅迫をしていた右翼と判明したのだそうだ。 さらにあいつ自身がのちに僕に打ち明けたところによれば、 僕らを懲らしめて二度と来日できないようにせよと主張する連中は、 国力衰退の原因を若い世代の甘ったれた根性に求め、 徴兵制を復活させて若者たちを訓練せよ、 なんてことも熱心に訴えていたという。 その考えは六〇年かけて感染症のごとく国中へ広まり、 子どもや孫の世代を戦場に送るべく声高な主張がなされるようになる。 夢や憧れは自分で叶えるもんだからね、 手助けしてやったのさとMは笑った。 現地の週刊誌には当時、 過激派の取材記事がいくつも出ていた。 まぁ見ててくださいよ、 改憲への第一歩との意気込みでいるんですから……なんて意気揚々とテロ計画を熱弁していた青年団体らを、 片っ端から調べ上げては拉致し、 黒い孔の向こうへ送り込んでやったそうだ。 挽肉の壁はいつだって人手不足さ、 お国の役に立ててかれらも本望でしょとMは、 角砂糖で夢うつつの僕に語った。 薬から醒めたときはおかしな幻覚を見たものだと思っていたけれど、 いま思えばあれは実際にあいつが話したことだったのだ。
新作の題名は思いついたかい? と空港でMに尋ねられた僕は、 警官たちが腰に吊っていた五連発の回転式拳銃、 ニューナンブM六〇を思い描いた。 銃器愛好家のマルEがこの本のために教えてくれたところによると、 ザ・B訪日の六年前に六〇年安保対策として配備されたその寸詰まりの小型拳銃には、 正式な手続を踏んだ発砲を想定して引き金にゴムが挟まれていた。 いまでは多くの自治体がその運用を撤廃し、 銃そのものも財閥系の兵器会社から、 満洲で戦闘機や爆撃機をつくっていた会社に製造が引き継がれたのち生産終了となり、 即座に発砲できる輸入物の自動拳銃に取って代わられたそうだ。 生死をかけてまわるもの、 いったいそれはなんでしょう? 宿を出る間際に警官に囲まれて思いついたのはPだったように思うが確証はない。 その答えは即座にロンドンのEMIに電報で伝えられた。 僕は改めて同僚三人の顔を見渡し、 だれも気が変わっていないのを確かめてから宣言するようにMにその単語を告げた。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)

@ezdog 日曜学校の生徒に例えられた日本の観客達の様子が容易に想像できる。観客にしても警官にしても日本人ってそうですよね。B達やりづらかっただろうなぁ……。そんな演奏の後のGの言葉が染みる。みんなちゃんといい音楽をやりたいんだ。
貴賓室に軟禁状態なのをアルカトラズというのがぴったりで良すぎる!報道許可証があったとはいえJはよく脱出できたもんだ。脱出して出かけたオリエンタルバザーはさぞや楽しかったろう。
そしてMが帰ってきてくれて、私もホッとした!ずいぶん働いていたんだなぁ。今の時代もMが活躍してくれたら……なんて考えてしまう。