顔なじみの女性記者にキリスト教の趨勢を嘆いたのもその頃だ。 若く見えるというだけの理由で音楽欄を担当させられた、 オックスフォード大アンソニー寮出身の才媛で、 知識欲旺盛で観察力に富み、 ずけずけと意見を述べるので、 三年前に初めて顔を合わせてから僕らは大いに信頼していた。 彼女の筆にかかればPは 「丸っこい幼顔」、 Gは 「ハンサムで気まぐれでだらしない」、 Rは 「醜男だけど可愛い」 ってことになり、 僕に至っては 「容赦ない辛辣な上唇」 なんて評された。 音楽誌や十代向け雑誌の大半とちがって彼女は僕らの意見に関心を持ってくれた。 王族に宝石の音を求めたときには、 僕らを社会現象として分析する三日連載の記事を書いてくれたし、 全米公演では飛行機に同行してくれた。 とりわけ僕とCとは馬が合ってケンウッドに泊まりがけで遊びに来てもらう間柄だった。 何を書くべきかを僕に考えさせたのがMだとしたら、 彼女はどう書くべきかを教えてくれた。 常套句や空疎ないいまわしを棄てて音節の多い単語を使えというのだ。 路上育ちの一兵卒にはできない助言だ。 僕やMにはない学識ってもんが彼女にはあった。 ザ・Bとそのマネージャを五週にわたって深く掘り下げた見開きの特集記事のために、 Pはウィンポール通りのお嬢様女優宅にほど近い料理屋で、 あとの四人はそれぞれの自宅で彼女の取材を受けた。 飛行機の窓から見た光について述べたに等しい記述があるとしたらこのときのRの発言だ。 原爆で揉めたり飢饉に手をこまぬいたりしていた連中も、 異星人が訪れたら冷静にならざるを得まいというのだ。 Gの発言はもうちょっと現実に即していた。 新婚旅行の滞在先でひらかれた貴族のパーティで、 スエズ危機に陸軍士官として従軍したF1運転手と烈しい口論になったほど、 権力と戦争を憎むかれは、 ここでも法王やヴェトナムについて危険な持論を展開した。 戦場の英雄に憧れる連中には胸が悪くなるとか、 宗教は完全に廃れる、 触れ込み通りに素晴らしければ批判なんてものともしないはずだとか発言したのだ。
それに較べれば僕の発言なんてむしろ穏やかな部類だ。 僕もまたキリスト教の消滅を危惧したのだけれど、 本当にいわんとしたのは価値がないとかザ・Bのほうが偉大だとかではなく、 むしろその逆だった。 伝統的な英国国教徒として育った僕は、 Gとちがって宗教的権威を自然に受け入れていた。 その宗派が王の不義からはじまったなんて経緯は知ったことじゃない。 子どもの頃は伯母に日曜学校へ通わされていて、 聖歌隊や年長の子ども向けの聖書研究会にも加わった。 一六のときには堅信式まで受けた。 大人になるにはそうするのが当然と思っていたのだ。 白装束をまとって僕らの音盤を焼いた米国人たちは読み落としたようだけれど、 この記事でも金を持て余したスター宅の風景として 「IHSと記されたカトリック式の祭壇用十字架」 やら 「チェスターで買った巨大な聖書」 やらが描写されている。 進歩的聖書学者のベストセラーを読んだばかりの僕は、 大工の息子がどれだけいいことをいったにせよ、 鈍い弟子たちがねじ曲げちまったせいで、 近頃じゃだれも聖書を読まず、 代わりにザ・Bみたいなものに夢中で、 これじゃキリスト教と一時の流行に過ぎぬはずのロックンロール、 どっちが先に消えちまうか知れたもんじゃないと嘆いた。 一九六六年の英国だからザ・Bを引き合いに出したのであって、 一九三六年の取材ならラジオやヒトラーと答えていたろうし、 現代ならソーシャルメディアやAIを挙げていた。 当時だって別にわざわざ自分たちを引き合いに出さずとも、 テレビか何かだって構わなかったのだ。 そういうのに惑わされて社会がおかしな方向へ流されるのを批判しただけだ。
ただし言葉の選び方がよくなかった。 オックスフォードならぬ港町の芸大を中退した僕には決まり文句を避けるので精いっぱいだった。 心配性のMでさえも僕の知性が二百年もの歴史を持つ日刊紙に取り上げられるのを単純に喜んだ。 田舎の不良上がりの僕らだけじゃない。 学のある記者や編集主幹も、 だれひとり宗教のくだりが時限爆弾とは気づかず、 見出しに大きく抜き書きされたのは金を使い果たすのを畏れる発言のみだった。 ニューヨーク滞在中のBEが僕らの予定を発表した翌日、 連載第一弾が掲載された。 国内の反応は社会現象化した僕らを皮肉る他紙のコラムと、 あとはJLを親不孝と罵る読者投稿くらいだった。 BEは記事が掲載されるたびに待ちかねたように読んで、 仕上がりにとても満足している、 これまでに出た記事で最良だ、 などと浮かれた手紙を記者へ書き送った。 広報担当トニーBに至ってはいい宣伝になるとまで考え、 米国の十代向け雑誌に転載権を売り込んだ。 確かに宣伝にはなった——いかなる種類の宣伝かは別として。 ちなみにこの地方紙は元KGB諜報員に買収されて無料化されたものの、 携帯電話とソーシャルメディアに読者を奪われて人気が低迷し、 つい数年前に名を変えて週刊化された。 宗教やザ・Bよりも廃れるのが早かったわけだ。
三月二五日の午後にはBEに気に入られてお抱え写真家となった男に、 血の滴る生肉やばらばらにされた赤ん坊と笑顔で戯れる写真を撮られた。 二年に渡る付き合いで、 そいつも僕らも十代に夢を売る普段の仕事に飽き飽きしていた。 そこで一九三〇年代ドイツの超現実主義者ハンス・ベルメールにかぶれていたあいつは一計を案じ、 損壊された少女の人体を模した球体人形に倣って、 社会病質の素敵な四人を撮影することにした。 チェルシーのキングス通りから少し外れたザ・ヴェイル一番地にある写真館で、 ブラジルの新聞取材に全員で応じたり、 カナダ国営放送のインド系記者にGがシタールについて語ったり、 雑誌付録のソノシート盤をキャロライン放送のDJと収録したり、 ファン会報誌の発行人や記者がその様子を取材したりして大混乱のさなか、 NEMS事務所から歩いて二分のカーナビー通りで仕入れた最新流行モッズ服で決めた僕らは、 壊れた古い人形や数珠つなぎの腸詰め肉、 黄ばんだ入れ歯やガラス製の義眼、 それにチズウィックの肉屋から届いたばかりの新鮮な牛の厚切り肉を目の前にぶちまけられ、 白衣を押しつけられて、 さぁどうぞお好きに遊んでくださいと頼まれた。
当惑する三人の仲間を尻目に僕は嬉々として血まみれになった。 Gは僕の頭に六インチの釘を打ちつけようとするところを撮られ、 ザ・Bとの楽しい撮影だよと騙されて連れてこられたモデルの女は腸詰め肉で僕らと繋がれた。 眼を輝かせ歯を剥き出して痙攣するように甲高く笑う僕とは対照的に、 仏頂面のMは防疫給水部隊やら九州の大学のことやら、 かれが元いた場所のことやらを呟いた挙げ句、 警護を放棄して撮影中にぷいとどこかへ消えちまった。 僕はザ・Bの意外な側面を暴露するその連作を米国キャピタルへ送るようBEに強要した。 アルバムを細切れにして枚数を水増しするようなこすい商売をする連中には、 いい意趣返しだと思ったのだ。 BEはトニーBの前で、 鑢車に指をかけたライターをそれらのポジにかざして沈思黙考したのち、 長々と溜息をついて首を振り、 ライターの蓋を閉じて、 なるべく僕の笑顔が狂人じみて見えない写真を選んで封筒に入れた。 きっと親戚が連行された強制収容所のことでも考えていたのだろう。 素敵な肉屋の装幀は二〇万ドル以上もかけた回収騒ぎとなり、 大きな旅行鞄に寄り添うおざなりな写真を上に貼られて再出荷されることになる。 そっちの写真では同僚三人もこわばった笑みを浮かべておらず、 僕もすんとした無表情だった。 その写真家は数ヶ月後に馘になった。
その頃Mは僕とふたりきりになるたびに何かを打ち明けようとして、 そのたびに言葉に詰まったりだれかに邪魔されたりして話題を変えた。 常ならぬ面持ちが気になったけれど、 真面目な話が苦手な僕はあいつがその気になるまで待つことにした。 例え話で引き合いに出されたオルダス・ハクスリーを僕は読んでいなかった。 幻覚剤と未来の本を気に入り二冊ともGに薦めた。 四月にはあの日本人とPを誘って書店兼画廊のインディカを訪れ、 柑橘類についての自費出版本の隣に陳列されていた 『チベットの死者の書:サイケデリックバージョン』 を買った。 あいつらは道中も買い物中もずっと前衛文学について口論していた。 うるせえな本は黙って読むもんだといってやると、 おれにとってはね、 でもきみらは書くんだとMはいいやがった。 Pは短篇向きだともいっていたから、 あるいは月末に録音される行かず後家と神父のことを考えていたのかもしれない。 あの日本人は枕経として用いられるニンマ派の仏典について、 死後の三つの段階は臨死体験に似ているねなんて感想も述べた——まるで自ら体験したかのように。 ティモシー・リアリーに触発された僕は、 長らく放置していたMの宿題と、 年末に与えられたPの課題にいっぺんに取り組んだ。 完成したその曲にMは調整室で熱狂し、 ザ・Bの最高傑作と呼んで、 霞がかった山頂から届くお経のような僕の声、 Rの独創的な叩き方やGの持続するシタール、 万華鏡のようなメロトロンや鷗めいたPの笑い声を絶賛した。 うっすら涙まで浮かべてハンブルクできみらと出逢ってよかったとまでいいやがった。 普段は厳めしいGMも三年前から試していた実験を認められて相好を崩し、 僕らは嬉しいやら照れくさいやらで、 どんな顔をすればいいかわからなかった。 一方でPには女も神父も独り身のほうが気楽でよくない? なんて話しかけて、 またしても掴み合い叫び合いの喧嘩になっていた。
五月二七日にはGと連れ立ってロイヤル・アルバート講堂へ出かけた。 ディランには直前に不愉快な思いをさせられていたけれど、 まぁ一応観といてやろうと思ったのだ。 外壁上部をテラコッタが取り巻く、 古代の円形競技場と近代のオペラ劇場の合いの子めいた楕円形の建物で、 低い舞台を僕らはバルコニーのボックス席から見下ろした。 客は概ね電化ディランに好意的で、 態度の悪い数名は舞台上の詩人からも周囲の客からも黙らされた。 改名前のザ・バンド (ドラマーは入れ替わっていた) を従えたあいつに薬の影響は窺えず、 おいおい英国民謡じゃなく米国の労働歌だぜとか、 タジ・マハールに捧げますなどと意味不明な冗談をいう余裕があった。 険悪な空気で有名なあの音源はきっと別会場での収録だろう。 あの頃は対抗心もあり、 嘔吐の介抱をさせられたせいもあって莫迦にしてたんで、 海賊盤なんか聴こうとは思わず、 公式に商品化されてGが話題にしたときだって、 過去を懐かしむほど年老いちゃいないぜと虚勢を張った。 積んでおいた円盤を初めて聴いたのは二〇一六年、 Yのことで色々あって眠れなかった夜だ。 弾き語りの第一部は記憶と相違なくいつもの (と当時思われていた) あいつだ。 第二部に入るなり客は俄然、 敵対的になり拍手で演奏を妨げんとする。 やがて嘲笑と罵声があがり、 客のひとりが裏切り者! と野次って笑いと拍手が起きる。 おまえなんか二度と聴いてやんないよう、 と別の客が煽るのを最後まで聞いたあいつは、 信じないねと演奏したばかりの曲名を引用して呟くように返答する (その曲の副題は 「知らんぷりするあの子」 という)。 それから一瞬黙ったのち強い声で、 あんたらは嘘つきだと宣告し、 おもむろに背後を振り返り、 くそでかい音で演ろうぜと指示して 「転がる石のように」 を決然とおっぱじめる。 一九六六年英国の音響設備の限界を突き破るような轟音で……。
千鳥格子のモッズ服とレイバン、 僕らとおなじ靴の痩せた詩人が閉じた瞼にまざまざと浮かんだ。 一九六九年九月トロントの惨めな記憶が重なった。 心から大切に思っていたはずの前の家庭を棄ててYとの人生を選んだ僕は、 ずっと信じて味方でいてくれたMと仲違いし、 生涯の相棒Pとの絆さえもみずから断ち切って、 築き上げた何もかもを空中分解させていた。 一刻も早く生まれ変わりたい衝動から、 成り行き任せのぶっつけ本番で、 初めて三人の仲間抜きで舞台に立つはめになり、 自分で書いた歌詞すら思い出せずに便器を抱えて吐いた。 あのときでさえ僕には昔なじみのKと——それにだれよりもYがそばについていてくれたのだ。 ボロボロ涙がこぼれて夜中だというのに思わず電話しちまった。 老人は早寝するものと思っていたがなぜかあいつも起きていて、 僕の気まぐれに付き合ってくれた。 昔なら滑らかな地声を露わにして怒ったろうに丸くなったもんだ。 あんたはこれに独りで立ち向かったんだなぁ、 としみじみ伝えるとあいつも照れたようにあぁ……まぁねと応えた。 その声はかつて背伸びして装ったしわがれ声に同化していて、 僕らの年齢が憧れに追いつき、 いつしか遠く置き去りにしたのを感じさせた。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)
- Isn’t It A Pity(2)
- Isn’t It A Pity(3)
- Isn’t It A Pity(4)
- Isn’t It A Pity(5)

@ezdog 生肉まみれのB達に、もう何やってるのさ……と呆れて苦笑いしていました。そしていつかの宿題(トゥモローのことだな)の曲ができたのを聴いたMの大感激っぷりやMとPのケンカがほほえましくニコニコしていたら……後半で完全にノックアウトされました……。泣ける……。
Jとディランの夜中の電話。大観衆にさらされた者同士だからこそ分かる、怖さとか辛さとか、それを振り切って自分の演奏をした強さとか……うわぁぁぁ!Jもディランも同じ時代を怒涛のごとく歌ってきたんだよなぁ。
ジョンが生きていて年を経てからこんな時間が本当にあったらよかったのに。