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連載第30回: Hello, Goodbye(4)

アバター画像杜 昌彦, 2025年4月25日
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ボビーBやフリーダKは新しい僕らを気に入ってくれた騒ぎも数日で収まったドラマー交代問題はそれでケリがついたあとは結婚だ僕らふたりは夫婦になるという考えが次第に気に入ってきたL夫人なんですか旦那様と呼びかけ合ってみたりいつか倦怠期を迎えた老夫婦になって揺り椅子に座るんだろうなと僕が冷やかすとあなたはパイプをくゆらしわたしは編み物をしているかもなんてCが茶化してみたり生まれてもいない赤ん坊のことをきっと僕らに似て芸術家になるぞなんて空想してみたりそれでも親たちに打ち明けるとなるとまた話が別だったCは失望されるのを畏れて母親に話す勇気が出なかった一時帰国して息子宅に泊まっていた母親は翌日にカナダへ船で戻るさらにその翌日には結婚式の予定だいまを逃したらあとはない彼女は意を決してひとりで逢いに行った僕は嫌われていたので力になれなかった将来性のない不良との恋愛を三年も断固として反対しつづけてきた彼女の母親も孫を抱けると思うと態度を軟化させ娘の決断を祝福したあなたのことだけが気がかりだ面倒を見てやれないのがつらいといって娘を抱き締めひとはだれでも過ちを犯すものだけれど最後にはきっとうまくいくわと勇気づけた過ちの張本人たる僕はその話を聞いて羨ましくてならなかったそれに引き換えうちの伯母ときたら……
 育ててもらった恩を忘れたり愛を疑ったりしたことは一度たりともないザ・Bの成功で増長させまいとする教育的意図も理解できるしはたからは言葉や態度の折檻に見えることでも彼女なりのひねくれた愛情表現なのだとわかっているでもとにかく愛の条件を吊り上げるばかりでまだ足りぬまだ足りぬとばかりに僕を全否定せずにはいられぬ伯母には辟易させられることも多かった最初の音盤を気に入ってくれたらしい逸話ああした瞬間はごく稀であって僕が世界有数の金持になって勲章をもらってからも史上最低の穀潰しのように感じさせられっぱなし一九九二年末に彼女が死ぬまで認めてもらえなかったのが実際のところだ幼い僕の養育を巡って目の前で口論する両親がいまだ記憶に残る僕には対立から目を背けがちなところがあってPがSにやっていることを見て見ぬふりしたのもピートBの解任を人任せにしたのもそれが理由だっただから姑の嫁いびりも放置したのだろうと思われがちだけれどいくら卑怯な僕であってもメンディップスで僕に向けるような態度をこれから結婚しようという相手に向けられるのは我慢ならなかったしかも僕が選んだ相手だからというだけの理由で……
 最初の出稼ぎから一文無しで帰国したとき現金は残っていなかったけれど実は多少の貯金はあった伯母にはドイツから仕送りしていたしお土産のひとつも持ち帰れなかった代わりに婚約者にも何か買ってあげたいと思うのは自然なことだそこでC&Aモードという百貨店へCを連れて行きチョコレート色をした七分丈の革外套を買い与えた百貨店の隣にクーパーの店という惣菜屋があってそこで鶏料理を買った伯母と三人で和やかに午後のお茶を楽しむつもりだったところが伯母はCの新しい外套を買ったのが僕だと知るなり烈火のごとく激高したあんなギャングの情婦みたいな服に無駄金を? と金切り声をあげCから鶏をひったくって僕らに投げつけたそれから手鏡やら何やらたまたま手近にあったものを次々と……
 こんな女に全財産はたいといてお粗末な鶏であたしのご機嫌をとろうってのかいと彼女は叫んだ支離滅裂だったいったい何がどうしたっていうんだよと僕は叫んだ愛する女を侮辱されるのも彼女の前で家庭内の恥を晒されるのも耐えがたかった僕はCの腕をつかみ暴れる伯母を押しのけてこんな狂った家にいられるかよと叫んで裏口から駆けだしたバス停に着くと僕と同様に息を切らしているCを抱き締めてすまないと謝った伯母は金と猫のことしか頭にないんだと弁解したけれど僕が猫より格下なのは事実にせよそういうことなのかどうか自分でもよくわからなかった頭が混乱していた両親のどちらを選ぶか迫られたときとおなじくらいに駅までの車内でCは口をきかなかったそれが僕は怖かったあんたの伯母さんイカれてるわよとでも口汚く罵ってくれたらどんなにか気が楽だったろうでも彼女は僕の家族を悪し様にいうような人間ではなかった知るかぎりだれのことだって生涯で一度たりとも悪くいわなかった彼女と長男にあんな仕打ちをした僕のことでさえもだきっと悪口が満載されているにちがいないと決めつけて買い求めた彼女の自叙伝に元夫の人柄がくり返し褒められているのを見つけた僕の気持を想像してみてほしいその本でCは伯母とYにはさすがに辛辣だったけれどそれでも伯母の葬儀でだれよりも泣いたのは彼女だったしYとも和解しようと最後まで健気な努力をしてくれた
 愛は呪いだよとMがいっていた意味がこの歳になってわかるような気がするあいつは前世の家族を情け容赦なくこき下ろしたあるいは僕もそうすべきだったのかもしれないでもどうしても割り切れなかった性格破綻者の伯母も僕を置いてあっさり逝っちまった母もろくでなしの父でさえもそう簡単には切り棄てられないあるいはそれを世間では愛と呼ぶのかもしれないさんざん歌っていながら実のところ僕は愛のことがよくわからないなのにファンは歌詞に書かれていることを僕よりもご存知のようだよくも悪くも僕は伯母のひねくれた残酷なユーモアを受けついだ彼女は僕という人間の原型なのだだから愛してほしかったし愛しているのをわかってほしかったところが彼女は僕の愛するもの彼女以外という意味だを打ち砕くことに喜びを見いだす人間のように見えた僕が幸せを手に入れかけていることを知ったら外套事件の騒ぎが再び演じられるのは目に見えていたあと少しで築けるかもしれない家庭僕を信じてくれる女と生まれてくる赤ん坊を喪うのが怖かっただからギリギリまで先延ばしにしていたのだけれどCが勇気を出したのを聞いて負けていられないと思った
 式の前日、 「洞窟の昼公演にグラナダTVの取材が入りぜんまい式のキャメラと一本しかないマイクと暑苦しい照明で撮られた日のことだピートを出せ! という男の声が記録されていて元ドラマー本人だとの悪意ある説もしばしば耳にするけれど実のところあれはMの仕業だ良識派ぶって説教してくるかと思えばこの僕でさえドン引きするほどの悪ふざけもするやつだった夜公演までのあいだに僕らにはやることがあったCは埠頭へ母親を見送りに行き僕はいうべきことをぶつぶつと予行演習しながらメンディップスへ向かった折悪しく上の妹が居合わせた僕が教会のバザーで安ギターを抱えトラックの荷台に立ったときには笑って引きずり落とそうとふざけた彼女ももう一六歳で幼い子どもではなかったそれでもこれからはじまる光景を見せたくなかったもう家に帰りなと僕は命じたどうしてと彼女は無邪気に尋ねた兄のやることをいつも愉快だと信じてくれていておもしろいことを見逃したくないといった表情だった自分が家族に期待されるような人間ではないという事実に傷つき傷ついた事実を努めて態度に出さぬようにしながら大事な話があるんだと僕はそっけなく答えた何の用だと伯母がしつこく問うので妹を気遣う余裕はなくなった赤ん坊が生まれるから明日結婚するけど式に出たいかいと僕は用意していた質問をひと息に発した道中ずっと考えに考えた文句だった
 案の定伯母は発狂した目の前にいるのはろくでなしの父と享楽主義者の母のあいだで混乱していた幼い僕を無償の愛で救い出してくれたはずの女だったそれがいつしか条件つきの愛に変わり所帯を持つにはまだ若すぎると成人した僕を金切り声で批難し拳を振りまわし地団駄を踏んで暴れている前日まで黙っていた僕も確かに責められてしかるべきだけれどそれを割引いても常軌を逸していたわけがわからなかった僕はこの女に育てられたのだ彼女が叫ぶほど僕は体温が下がって冷静になったいかにCを愛しているか彼女といると自分がいかにマシな人間に感じられるかを注意深く言葉を選んで説明した何ひとつまちがったことをしていないのは知っていたけれどへりくだって赦しを乞いさえしたわかってもらえないのは最初からわかりきっていた筋の通った理屈はここメンディップスには存在しないのだ性悪女の罠にはまったのだとかなんとか他人が聞いたら噴き出すような妄想を伯母は叫び勝手にやりたければやればいいわたしは出ないからね親戚中のだれひとり出させやしないと息巻いた祝福されない結婚式でCに侘しい思いをさせるのは哀しかったけれど伯母の反応は予想通りだったので失望はしなかった
 二年前の強制送還のあとライス通りの学生向けパブでMとふたりで飲んでいて珍しく考えが一致したことがある他人は変えられないからねとあいつはいい自分が変わるしかないんだと僕はいってふたりで肯き合ったのだ自分の考えをあいつの口から聞いた気がしたのを伯母の暴言を針の雨のごとく浴びながら僕は思いだしていた伯母はこういう人間なのだ要求に応えようとどれだけ愛を費やしても底なし穴に吸い込まれるばかりだ僕はわかったよと肯き唖然とする妹に目で詫びてメンディップスを出て行った他人は変えられないそれと同様に僕の世界もまた何ものにも変えられない自分自身の意思を除いては


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Hello, Goodbye(4)” への2件のフィードバック

  1. ::: より:

    @ezdog 結婚を前に幸せなJとC。めでたしめでたし……と思いきや、Jの伯母が……。肉親との関係性は難しい。もうとっくに自立した大人なのに、育ての親にとっては幾つになってもそうは思えないのかもしれない。明らかに伯母がおかしいのだけど、Bの曲を鼻歌で歌っていた伯母も知っているだけに、やるせないなぁ。

  2. ::: より:

    @ezdog 酷い伯母をにくみきれないJの気持ちもわかって、ほろ苦いんだけど、だからこそ最後のJとMの会話と、メンディップスを去るJの気持ちがずしんと響く。

Comments

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  1. 杜昌彦
    杜昌彦 @ezdog.press

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    2025年4月26日