ボビーBやフリーダKは新しい僕らを気に入ってくれた。 騒ぎも数日で収まった。 ドラマー交代問題はそれでケリがついた。 あとは結婚だ。 僕らふたりは夫婦になるという考えが次第に気に入ってきた。 L夫人、 なんですか旦那様と呼びかけ合ってみたり、 いつか倦怠期を迎えた老夫婦になって揺り椅子に座るんだろうなと僕が冷やかすと、 あなたはパイプをくゆらし、 わたしは編み物をしているかもなんてCが茶化してみたり、 生まれてもいない赤ん坊のことを、 きっと僕らに似て芸術家になるぞなんて空想してみたり。 それでも親たちに打ち明けるとなるとまた話が別だった。 Cは失望されるのを畏れて母親に話す勇気が出なかった。 一時帰国して息子宅に泊まっていた母親は翌日にカナダへ船で戻る。 さらにその翌日には結婚式の予定だ。 いまを逃したらあとはない。 彼女は意を決してひとりで逢いに行った。 僕は嫌われていたので力になれなかった。 将来性のない不良との恋愛を三年も断固として反対しつづけてきた彼女の母親も、 孫を抱けると思うと態度を軟化させ、 娘の決断を祝福した。 あなたのことだけが気がかりだ、 面倒を見てやれないのがつらいといって娘を抱き締め、 ひとはだれでも過ちを犯すものだけれど、 最後にはきっとうまくいくわと勇気づけた。 過ちの張本人たる僕はその話を聞いて羨ましくてならなかった。 それに引き換えうちの伯母ときたら……。
育ててもらった恩を忘れたり愛を疑ったりしたことは一度たりともない。 ザ・Bの成功で増長させまいとする教育的意図も理解できるし、 はたからは言葉や態度の折檻に見えることでも、 彼女なりのひねくれた愛情表現なのだとわかっている。 でもとにかく愛の条件を吊り上げるばかりで、 まだ足りぬまだ足りぬとばかりに、 僕を全否定せずにはいられぬ伯母には、 辟易させられることも多かった。 最初の音盤を気に入ってくれたらしい逸話、 ああした瞬間はごく稀であって、 僕が世界有数の金持になって勲章をもらってからも、 史上最低の穀潰しのように感じさせられっぱなし、 一九九二年末に彼女が死ぬまで認めてもらえなかったのが実際のところだ。 幼い僕の養育を巡って目の前で口論する両親がいまだ記憶に残る僕には、 対立から目を背けがちなところがあって、 PがSにやっていることを見て見ぬふりしたのも、 ピートBの解任を人任せにしたのもそれが理由だった。 だから姑の嫁いびりも放置したのだろうと思われがちだけれど、 いくら卑怯な僕であっても、 メンディップスで僕に向けるような態度を、 これから結婚しようという相手に向けられるのは我慢ならなかった。 しかも僕が選んだ相手だからというだけの理由で……。
最初の出稼ぎから一文無しで帰国したとき、 現金は残っていなかったけれど実は多少の貯金はあった。 伯母にはドイツから仕送りしていたし、 お土産のひとつも持ち帰れなかった代わりに婚約者にも何か買ってあげたいと思うのは自然なことだ。 そこでC&Aモードという百貨店へCを連れて行き、 チョコレート色をした七分丈の革外套を買い与えた。 百貨店の隣にクーパーの店という惣菜屋があってそこで鶏料理を買った。 伯母と三人で和やかに午後のお茶を楽しむつもりだった。 ところが伯母は、 Cの新しい外套を買ったのが僕だと知るなり、 烈火のごとく激高した。 あんなギャングの情婦みたいな服に無駄金を? と金切り声をあげ、 Cから鶏をひったくって僕らに投げつけた。 それから手鏡やら何やら、 たまたま手近にあったものを次々と……。
こんな女に全財産はたいといてお粗末な鶏であたしのご機嫌をとろうってのかいと彼女は叫んだ。 支離滅裂だった。 いったい何がどうしたっていうんだよと僕は叫んだ。 愛する女を侮辱されるのも、 彼女の前で家庭内の恥を晒されるのも耐えがたかった。 僕はCの腕をつかみ、 暴れる伯母を押しのけて、 こんな狂った家にいられるかよと叫んで裏口から駆けだした。 バス停に着くと、 僕と同様に息を切らしているCを抱き締めて、 すまないと謝った。 伯母は金と猫のことしか頭にないんだと弁解したけれど、 僕が猫より格下なのは事実にせよ、 そういうことなのかどうか自分でもよくわからなかった。 頭が混乱していた。 両親のどちらを選ぶか迫られたときとおなじくらいに。 駅までの車内でCは口をきかなかった。 それが僕は怖かった。 あんたの伯母さんイカれてるわよ、 とでも口汚く罵ってくれたらどんなにか気が楽だったろう。 でも彼女は僕の家族を悪し様にいうような人間ではなかった。 知るかぎりだれのことだって生涯で一度たりとも悪くいわなかった。 彼女と長男にあんな仕打ちをした僕のことでさえもだ。 きっと悪口が満載されているにちがいないと決めつけて買い求めた彼女の自叙伝に、 元夫の人柄がくり返し褒められているのを見つけた僕の気持を想像してみてほしい。 その本でCは伯母とYにはさすがに辛辣だったけれど、 それでも伯母の葬儀でだれよりも泣いたのは彼女だったし、 Yとも和解しようと最後まで健気な努力をしてくれた。
愛は呪いだよとMがいっていた意味がこの歳になってわかるような気がする。 あいつは 「前世」 の家族を情け容赦なくこき下ろした。 あるいは僕もそうすべきだったのかもしれない。 でもどうしても割り切れなかった。 性格破綻者の伯母も、 僕を置いてあっさり逝っちまった母も、 ろくでなしの父でさえも、 そう簡単には切り棄てられない。 あるいはそれを世間では愛と呼ぶのかもしれない。 さんざん歌っていながら実のところ僕は愛のことがよくわからない。 なのにファンは歌詞に書かれていることを僕よりもご存知のようだ。 よくも悪くも僕は伯母のひねくれた残酷なユーモアを受けついだ。 彼女は僕という人間の原型なのだ。 だから愛してほしかったし愛しているのをわかってほしかった。 ところが彼女は僕の愛するもの (彼女以外という意味だ) を打ち砕くことに喜びを見いだす人間のように見えた。 僕が幸せを手に入れかけていることを知ったら、 外套事件の騒ぎが再び演じられるのは目に見えていた。 あと少しで築けるかもしれない家庭、 僕を信じてくれる女と生まれてくる赤ん坊を喪うのが怖かった。 だからギリギリまで先延ばしにしていたのだけれど、 Cが勇気を出したのを聞いて負けていられないと思った。
式の前日、 「洞窟」 の昼公演にグラナダTVの取材が入り、 ぜんまい式のキャメラと一本しかないマイクと暑苦しい照明で撮られた日のことだ。 ピートを出せ! という男の声が記録されていて、 元ドラマー本人だとの悪意ある説もしばしば耳にするけれど、 実のところあれはMの仕業だ。 良識派ぶって説教してくるかと思えば、 この僕でさえドン引きするほどの悪ふざけもするやつだった。 夜公演までのあいだに僕らにはやることがあった。 Cは埠頭へ母親を見送りに行き、 僕はいうべきことをぶつぶつと予行演習しながらメンディップスへ向かった。 折悪しく上の妹が居合わせた。 僕が教会のバザーで安ギターを抱え、 トラックの荷台に立ったときには笑って引きずり落とそうとふざけた彼女も、 もう一六歳で幼い子どもではなかった。 それでもこれからはじまる光景を見せたくなかった。 もう家に帰りなと僕は命じた。 どうしてと彼女は無邪気に尋ねた。 兄のやることをいつも愉快だと信じてくれていて、 おもしろいことを見逃したくないといった表情だった。 自分が家族に期待されるような人間ではないという事実に傷つき、 傷ついた事実を努めて態度に出さぬようにしながら、 大事な話があるんだと僕はそっけなく答えた。 何の用だと伯母がしつこく問うので妹を気遣う余裕はなくなった。 赤ん坊が生まれるから明日結婚するけど式に出たいかい、 と僕は用意していた質問をひと息に発した。 道中ずっと考えに考えた文句だった。
案の定、 伯母は発狂した。 目の前にいるのは、 ろくでなしの父と享楽主義者の母のあいだで混乱していた幼い僕を、 無償の愛で救い出してくれたはずの女だった。 それがいつしか条件つきの愛に変わり、 所帯を持つにはまだ若すぎる、 と成人した僕を金切り声で批難し、 拳を振りまわし地団駄を踏んで暴れている。 前日まで黙っていた僕も確かに責められてしかるべきだけれど、 それを割引いても常軌を逸していた。 わけがわからなかった。 僕はこの女に育てられたのだ。 彼女が叫ぶほど僕は体温が下がって冷静になった。 いかにCを愛しているか、 彼女といると自分がいかにマシな人間に感じられるかを、 注意深く言葉を選んで説明した。 何ひとつまちがったことをしていないのは知っていたけれど、 へりくだって赦しを乞いさえした。 わかってもらえないのは最初からわかりきっていた。 筋の通った理屈はここメンディップスには存在しないのだ。 性悪女の罠にはまったのだとかなんとか、 他人が聞いたら噴き出すような妄想を伯母は叫び、 勝手にやりたければやればいい、 わたしは出ないからね、 親戚中のだれひとり出させやしないと息巻いた。 祝福されない結婚式でCに侘しい思いをさせるのは哀しかったけれど、 伯母の反応は予想通りだったので失望はしなかった。
二年前の強制送還のあと、 ライス通りの学生向けパブでMとふたりで飲んでいて、 珍しく考えが一致したことがある。 他人は変えられないからねとあいつはいい、 自分が変わるしかないんだと僕はいって、 ふたりで肯き合ったのだ。 自分の考えをあいつの口から聞いた気がしたのを、 伯母の暴言を針の雨のごとく浴びながら僕は思いだしていた。 伯母はこういう人間なのだ。 要求に応えようとどれだけ愛を費やしても底なし穴に吸い込まれるばかりだ。 僕はわかったよと肯き、 唖然とする妹に目で詫びてメンディップスを出て行った。 他人は変えられない。 それと同様に、 僕の世界もまた何ものにも変えられない。 自分自身の意思を除いては。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)

@ezdog 結婚を前に幸せなJとC。めでたしめでたし……と思いきや、Jの伯母が……。肉親との関係性は難しい。もうとっくに自立した大人なのに、育ての親にとっては幾つになってもそうは思えないのかもしれない。明らかに伯母がおかしいのだけど、Bの曲を鼻歌で歌っていた伯母も知っているだけに、やるせないなぁ。
@ezdog 酷い伯母をにくみきれないJの気持ちもわかって、ほろ苦いんだけど、だからこそ最後のJとMの会話と、メンディップスを去るJの気持ちがずしんと響く。