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連載第52回: Crippled Inside(5)

アバター画像杜 昌彦, 2025年10月8日
Fediverse Reactions

嵐は過ぎ去ったから安心しろと聞かされていたのにイメソン空港に到着した時点では雲が重く垂れ込めて夜のように暗く地獄のような強風が吹き荒れていて椰子の木が倒れて葉が散乱していた四ドルから五ドルを支払った三万人のうち会場を訪れる余裕があったのは二万三千人だけだった残りの七千人はきっとMの故郷で起きたような災いじゃなく黄色い煉瓦道の先で愉快な仲間たちとの冒険を経験していたと信じたいその頃にはさすがに結婚や恋愛僕はCと長男Pはお嬢様女優GはポテチCMのアイドルRは地元ファンを隠さなくなっていたものの政治と宗教については公の場で話すなといまだBEに厳命されていて僕としてもそれで構わなかった一九六四年の時点ではどちらにも関心はなく表明するほどの意見は持ち合わせなかったからだPなんかは学者一家に育ったお嬢様女優と釣り合う男になりたくて身分や学歴の高い連中と交流して積極的に学びつつある様子だったけれど田舎の港町から出てきた不良にすぎない僕にしてみればふんぞり返った政治家やじっと静かにしてなきゃいけない礼拝が苦手ってこと以外難しいことは何もわからず客の前で好きなように演奏させてもらえれば文句はなかったただ単にその演奏を特定のだれかではなくみんなに聴いてほしかったしでき得るならば大きな借りのあるひとたちに感謝と敬意を示してさらには認めてもらいたかっただけだ思い出してほしい僕は障害者やBEのような少数者を差別して楽しむような人間だったのだアイルランドの血が半分流れていなければハンブルクを経験せずYやMとも知り合っていなければやがて監視や裁判を耐え抜いてまで移民するような人間でなければ僕だってボブ・マーリーの曲で大金を稼いでBBキングと共演までしておきながらいけしゃあしゃあと移民を侮辱して公演会場から追い払うような高級車の蒐集と勲章がご自慢の鼻持ちならぬ老人になっていま頃はヴァン・モリソンと結託して反ワクチンの陰謀論を唱えていたかもしれないデヴィッド・ボウイは数年で改心して猛省したってのに……なんだって僕はあんな奴とまだ友だち付き合いをつづけてるんだろう)。 客席を隔てるなと契約書に明記させたのは決して高邁な倫理観からじゃない音楽に人生を救われた人間の素朴な欲求にすぎなかった僕は確かに嘘つきだけれどそういうところで世の中を騙して自分を立派に見せかけるつもりはない
 興行主は同意しても会場の権利者多くは自治体や設備となるとまた話が別だった公民権の制定はたった二ヶ月前で現地じゃ男女の便所が分けられるのとおなじ意識だった僕は報道陣に思うところを素直に述べた関東大震災の話をMから聞かされたばかりだったのも少しは影響したかもしれない普段は如才ないPもこのときばかりは同調し例のチャーミングな笑顔をかなぐり棄てておなじ人間なのに席が分けられるなんておかしいと真剣に主張したどの地元紙も余所者が知った風にくちばしを突っ込むなと批判がましく書き立てたMがおもしろがって買い集めて僕らに読み聞かせてくれた)。 全米芸術家組合は千八百ドルのみかじめ料もとい組合費をよこさないかぎりピケを張ると脅迫してきた規定上ギターを弾くのは構わないが歌うのはまかりならぬというのだBEは大人しく全額を支払い会場は渋々とはいえ新たな法律に従って設備を改めたすると今度は無断撮影のフィルムを売りさばいて暴利を得んとする連中が公演を妨げたんで広報担当デレクTが一世一代の大演説をぶつことになったいわくみんなに聴いてもらうために何千マイルも旅をしてきたザ・Bはいま百フィート先で待機している出番を妨げているのは海賊盤の業者だ……それを聴いた群衆は怒り狂って全力で叫んだ撮影機器を担いだ八名の業者は殺害される寸前で警察によってこれ見よがしに取り押さえられ会場外へ連行された僕らは高さ六フィートの金網と客席まで四五フィートの距離それに仁王立ちする四〇名の警官に護られて演奏したRのラディックは舞台に釘づけされPとGは僕ほどじゃないにせよ大股に大地を踏みしめた障壁と風のおかげでジェリベイビーズは届かなかったけれど木枝だの葉っぱだの紙切れだのが何度も飛んできたマルEは僕らが虹の彼方へ飛んでっちまうんじゃないかと気が気じゃなかったようで大丈夫だよJは猫派だとMにわけのわからぬ気休めを囁かれたそうだ吹きすさぶ強風のおかげで僕ら四人ははからずもかつら疑惑を払拭した
 当時の僕らがわかってなかったのは大衆なるものは僕自身がそうであるように難しいことは何もわからないってことだそれまでの常識や習慣が法律で否定されましたよそからやってきた音楽に子どもたちが熱狂していますさあ変化に従いましょう……なんていわれて渋々受け入れてみせても心の奥底じゃ何ひとつ納得しちゃいないいい暮らしをする高学歴連中から教養のなさにつけ込まれて押しつけられたと感じる鬱屈した不満はいつか噴きだし疫病のごとく蔓延して社会を原始時代へ揺り戻すここ米国の田舎町で意見を通した事実に僕はやがて復讐されることになるかといって一九六四年九月一一日でも二年後の舌禍でも自分を偽るなんて考えもよらないことではあったのだけれどザ・Bを神格化したがる連中はこのときの僕らのふるまいがやがて全米の興行会場で差別が撤廃されるきっかけになったと主張する白人も黒人も分け隔てなく僕らに熱狂した国境のない理想が実現したのだと……何かのパーティで顔を合わせたウーピー・ゴールドバーグから黒人の少女たちに勇気を与えてくれたなんて改まって礼をいわれたことさえある彼女の大ファンなんでそう思ってもらえるのは嬉しいでも残念ながらみんな嘘っぱちだあの頃はきわめて過密な日程で地球上のあらゆる場所を次々に移動したんでどの国のどの会場だったか曖昧で当てにはならないけれど嵐の会場で黒人を見かけた記憶はない飛ばされまいと必死で客の顔なんか気にしちゃいられなかったせいかもしれない半世紀前の何月何日に喰った昼飯までご存知のファンのほうがそういうのは詳しいだろう僕ときたらもう十五年も前から前日の晩飯さえ思いだせない始末だ
 商売上手なYの宣伝のおかげでいまじゃ平和の使者みたいに過大評価されているしMなんか未来でAIに何を吹き込まれたのか本気でそう信じていた節さえあったけれど実際にはあの頃のザ・Bは思い上がった糞野郎だったそれも地上最大の……そうとりわけ僕がだやるかたない憤懣をM本人へぶつけられぬ分付き人たちと広報担当それにBEがその割を喰った報じられる僕らは子どもたちに明朗健全な愛を売る何の憂いもない愉快な若い四人組しかしてその実体は酒をもって池と為し肉を縣けて林と為し男女をして倮らならしめあいその間に逐わしめ長夜の飲をなす暴君そのものだった戯れに何かに触れるだけで百万ポンドもの大金をたちまち生み出しばら撒きや賄賂が横行し警察までをも巻き込み荒唐無稽な誇大広告にまみれた僕らをだれが引きずり下ろせるというのだろうそれをやれる唯一の男は些細なことで口うるさく小言をいう一方で現代なら大炎上ものの狼藉にはいつだって見て見ぬふりあいつ自身がだれよりも法や倫理に無頓着でファシストのごとく他人に顎で指図して平然としていたからだ公務員をしながら洞窟の用心棒をしていたマルEはただ感動して僕らをうっとり仰ぎ見るばかりだったけれどこの頃にはザ・Bがプラチナ製の神からほど遠いことを徐々に身に染みて理解するようになっていた妻子を抱えた身でありながら華やかな世界に眼が眩み安定した職をなげうったかれは今さら郵便局に戻れるわけもなくどれだけ理不尽な扱いを受けても耐えるしかなかった
 女を巡る共犯関係のおかげで絆は強まりつつあったものの献身的に尽くしてくれる付き人を僕が頭ごなしに人格否定するのはこの頃もまだ日常茶飯事だったジャンボと呼んで愛用したGとお揃いのギブソンJ一六〇Eを一九六三年の暮れに紛失されてからはたかが五〇ペニーのことでSを執拗にからかったP以上にネチネチと僕はマルEに辛辣な厭味をいいつづけたいかに寛大な心優しい人間にも限界はあるものでいつ何時どんな要求をされても応じられるよう煙草や大麻やピックを詰め込んだ通称お医者さん鞄を抱えたあの大男はボストンガーデン公演のためにマサチューセッツ州へ向かう機内でどっかへ失せろと僕に理由もなく怒鳴られたあと安い後部席でしくしくと声もなく泣きだしたたちまち曇る黒縁の眼鏡をはずして俯き怪力で知られる巨大な拳で溢れる涙をごしごし擦った隣に座るMが顔を寄せて何やら話しかけたあとであの日本人に聞かされたところによればマルEはこう語ったそうだ——Jはわたしのことがきらいなんだそれでもあの男が大好きさ強い魅力の持ち主だよ手荒いときもあるけどねわかるだろ知るかぎりあんな偉大な男はいないよ……といかに大きな体から発せられる言葉だろうとすべて聞こえたわけじゃないでもその異変に機内で気づかぬ者はなかったしまして身に憶えのある僕が無視してはいられなかったRの困惑やGの視線を感じた隣のPが前方を見つめたまま独り言みたいにボソッと呟いた……おい謝ったほうがいいんじゃないかあいつがその台詞をいい終える前に僕は何かに撃たれでもしたかのように立ち上がったそして不機嫌な顔で大股にのしのしと後部席へ歩いて行った機内の視線を集めるのを意識したマルEを宥めようとしていたMが振り向いた泣き濡れた顔を上げたマルEを僕は無言でしっかり抱きしめたその肩は思った以上に大きくて僕の両腕には余った付き人の模範として世界中の同業者から尊敬を集めることになる男は大切な仲間にさえ辛辣に接することしかできない僕をひしと抱き返し獣のような声で啜り泣いた
 なあとMは横目でジトッと僕を見ていったもうちょっと給料を上げてやれよせめておれとおなじくらいにはさ……Mが用心棒として正式に雇われていると知ったのはこのときだあいつがどうして僕らと同行しているのかなぜかそのときまで一瞬たりとも考えなかった趣味でついてきているくらいに思っていたのだあれコイツこんな顔だっけと唐突に思った初対面ではもっと頼りない無表情な男だったような気がしたBEにいってくれと僕は背骨をへし折られかけ呼吸困難になりかけながら呻いた元役者志望の青年実業家は前方の座席でこの出来事に気づかぬふりをしていたなんならかれだって悔恨の熱い涙を流してマルEを抱きしめてやるべきだったのに僕らはチームで戦場さながらの過酷な全米公演を生き延びるために全員が全員を必要としていたでもきっとBEには坊やたちしか見えていなかったのだろう——それとかれの押し隠された心を翻弄する日本人しか


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

連載目次


  1. Born on a Different Cloud(1)
  2. Born on a Different Cloud(2)
  3. Born on a Different Cloud(3)
  4. Get Off Of My Cloud(1)
  5. Get Off Of My Cloud(2)
  6. Get Off Of My Cloud(3)
  7. Obscured By Clouds(1)
  8. Obscured By Clouds(2)
  9. Obscured By Clouds(3)
  10. Cloudburst(1)
  11. Cloudburst(2)
  12. Cloudburst(3)
  13. Over the Rainbow(1)
  14. Over the Rainbow(2)
  15. Over the Rainbow(3)
  16. Devil’s Haircut(1)
  17. Devil’s Haircut(2)
  18. Devil’s Haircut(3)
  19. Peppermint Twist(1)
  20. Peppermint Twist(2)
  21. Peppermint Twist(3)
  22. Peppermint Twist(4)
  23. Baby’s in Black(1)
  24. Baby’s in Black(2)
  25. Baby’s in Black(3)
  26. Baby’s in Black(4)
  27. Hello, Goodbye(1)
  28. Hello, Goodbye(2)
  29. Hello, Goodbye(3)
  30. Hello, Goodbye(4)
  31. Hellhound on My Trail(1)
  32. Hellhound on My Trail(2)
  33. Hellhound on My Trail(3)
  34. Hellhound on My Trail(4)
  35. Nobody Told Me(1)
  36. Nobody Told Me(2)
  37. Nobody Told Me(3)
  38. Nobody Told Me(4)
  39. Paperback Writer(1)
  40. Paperback Writer(2)
  41. Paperback Writer(3)
  42. Paperback Writer(4)
  43. Anywhere I Lay My Head(1)
  44. Anywhere I Lay My Head(2)
  45. Anywhere I Lay My Head(3)
  46. Anywhere I Lay My Head(4)
  47. Anywhere I Lay My Head(5)
  48. Crippled Inside(1)
  49. Crippled Inside(2)
  50. Crippled Inside(3)
  51. Crippled Inside(4)
  52. Crippled Inside(5)
  53. Mother’s Little Helper(1)
  54. Mother’s Little Helper(2)
  55. Mother’s Little Helper(3)
  56. Mother’s Little Helper(4)
  57. Mother’s Little Helper(5)
  58. Flying(1)
  59. Flying(2)
  60. Flying(3)
  61. Flying(4)
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“Crippled Inside(5)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog 知らなかった……Jがコンサートの座席の人種差別をなくしただなんて。全く彼らしい。深い政治的意図なんかなしに、自然にそれをおかしいと思っておかしいと言えるひとなんだよな。

    辛そうなマルEが少しでも報われてよかった。心の余裕がなかっただろうJの気持ちも分かる。そしてMはマルEのためによくぞ言ってくれたなぁ。

    Jはきっと本当に生きていたら、若い日の暴君のような自分をこんなふうに思い返して恥じたことだろう。そしてBEとMの関係の行方も気になるところ。

    細かいところなのだけと、暴風雨のおかげで鬘疑惑が払拭されたというところも面白かった。あとJがクラプトンとまだ友人なのもよかった。