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連載第1回: Born on a Different Cloud(1)

アバター画像杜 昌彦, 2024年8月23日
Fediverse Reactions

ずっと書いてきたけれど自伝じゃない実人生について書いた連中はみんな死んじまうのに気づいたんでね
——JL一九七六年ファンの質問に答えて

好きなとこ行けない
タイムマシーンいらない
——The BirthdayCOME TOGETHER

 
の家系は先祖代々の嘘つきだ大法螺を吹いて他人を笑わすのが大好きで日々の挨拶でさえ話を盛らずにはいられない芸術と辛辣な冗談を愛する母方の血かもしれないし酔っ払いの船乗りだった父方のせいかもしれないこの僕にしても誠実さとはほど遠く度のきつい眼鏡で現実を捉えるよりも裸眼で薄らぼんやりした光を眺めてどんな世界だろうと夢見るほうが好みだったりするだから伯母によれば一九四〇年秋オックスフォード通り産院に五分おきに電話をかけつづけ男の子ですとの報せを耳にするや炸裂する榴散弾や散発的な銃撃戦をかいくぐって駆けつけ生まれたての甥を妹から奪って抱き締めてこの子はあたしのだと心に決め戦時下の衝動的な愛国心から親父発案による祖父の名に苦虫を噛み潰したような首相の名を加えさせたことになっているのだけれどこれはやがて街いちばんのガキ大将を自認し独創的な悪戯の数々で大人たちを戦慄させることになるその子が純真かつ品行方正な少年として回想されるのと同様に伯母が話をおもしろくしようと欲ばってしまいにはみずから信じ込むに至った一例にすぎない確かに夕暮れからはじまる空襲に備えて交通機関が停まっていたのも僕らの街が翌年の春にはすっかり跡形もなくなったのも事実だしそうなる前でさえ活力や希望のあふれる真新しい街とはいえずなんなら現在でさえ前世紀の疵痕が癒えぬまま老いぼれ四人組にすがって街興しを目論む体たらくではあるものの少なくともその日にかぎっては勤勉なドイツ人が珍しく日課をサボったのが記録上の事実なのだ僕の子ども時代が頑固で偏屈な読書家と恋と音楽を愛する享楽主義者ふたりの母によって形づくられたとするならばいわばその愛すべき子どもはこの世にまろび出た時点から真っ赤な嘘妻Yとわれらが友人Mによれば日本語ではそう表現するそうだ……嘘が血と革命の色だなんて皮肉じゃないか?にまみれていたわけだ
 ありのままの声はつまらないいつだってエコーやリバーブをかけてだれか途轍もなく愉快な人物が別世界から語りかけてくるみたいにしたい僕がそうすることはみんな知っているしきみだってそうだろうお宅の棚にだってJLやザ・Bの作品がきっと一枚はあるはずだ)。 ましてこの物語には僕には知りようもない出来事や知りようもない他人の内面をあたかも見てきたかのように描写するところがたくさんあるでもこれだけは信じてほしいはじまりの日付が九時刻は午前六時三〇分——足すと九になる数字だったのは誓って本当だ終生つきまといこの物語で幾度となくくり返される魔法の数字である最初に住んだ祖父の家はリバプールウェヴァツリーニューカッスルロードと九文字で綴る地名の九番地だったし七二番バスに乗って通った学校で九文字の姓を持つ親友ふたりと出逢いその後もなんやかやと足すと九になる番地に暮らしたり思い出深い日付が決まって九日だったりしたものだそんなのは偶然にすぎないこじつけだご都合主義の嘘っぱちだ……いやまったくごもっともでも例えば殺到するファンから逃げ隠れるために付けひげをつけたりキャメラの前でその再現をさせられたりしたときには四人ともまさか好きこのんで自前の毛を伸ばすことになるとは思ってもみなかったし雪山で酔っ払って奇妙な鳴き声を披露したり南の島で女の子を演奏したりしていた時点ではGが演じた役そのままにインド音楽や危険な自動車レースに熱中するなんて大麻の夢においてさえも思い描かなかったド近眼に映るぼやけた世界のほうが得てして真実に迫っていたりするものなのだそしてこれからお聞かせする与太話もきみのところの歴史はたまた未来がいかなるものであれ二度と逢うことのない奇妙な友人と僕のふたりにとっては嘘偽りない真実なのである
 他人を笑わせるための駄法螺といえばわが全生涯を費やす娯楽稼業なるものがまさにそれで僕は貧しい港町から這い上がった労働者階級の英雄ということになっている出身地がお世辞にも豊かとはいえないのは事実だけれど育った家をそんなふうに評されては伯母は機嫌を損ねるだろうメンローヴ通り二五番地に構えた家はほとんど戸建てといっていい準独立家屋で当時としては文化的で小洒落ており小さな庭には植木や芝生や物置があり浴室も屋内便所もあったし電話や絵を架ける横木やステンドグラスまであった僕が引き取られた頃には機能しなくなっていたものの召使いを呼ぶ電気式のベルまで備えていた何よりメンディップスと名づけられたその家には本がふんだんにあったパイプをくゆらす伯父の膝で地元紙を読み聞かせられるうちに文字を憶えた僕は求めるままに買い与えられた児童書を卒業すると古典や名作伝記回想録や歴史書にまで手を出したろくでなしの父親と享楽主義者の母親双方のあいだを引きずりまわされるディケンズ的孤児はついに伯母夫婦と本愛情と文字の世界に安住の地を見いだしたというわけだ続き物の小説をはじめて書いたのもこの頃でその物語は決まってまた来週号をお楽しみにで終わった結末まで書き上げたかは思いだせない伯母の下宿人からハーモニカをせしめたのも同時期だったので音楽に関心が移って飽きたのではないか年相応の落ち着きをついぞ身につけなかった僕だけれどいまはもうこの世界にいないMとの約束だけは守りたいこの物語はきっとめでたしめでたしで締めくくると誓う。 「そしてJはYといつまでも幸せに暮らしましたとさ
 メンディップスに行き着くまでの事情を説明しようとするとつい感情的になり伯母に負けじと話を盛ってしまう父について行くつもりだったが土壇場で気を変えた話はやりすぎだった逆光に遠ざかる小さな背中や夕陽に長く伸びる影母ちゃんと叫んで駆け寄る幼い僕を描写したりなんかしてね実際はそこまで劇的でもお涙頂戴でもない両親とも責任を果たせるほど大人でもなければ金もなかっただけのこと何しろ父は育ちや頭が悪すぎて子どもには安定した暮らしや教育が必要だということを理解せず休暇旅行を口実に息子を伯母のもとから連れ出して船員仲間の家に居候したりしたあげく危うく外国にまで拉致するところだったし母は母で厳格な父親に反抗する十代の少女のまま成長していなかったなにせ母ときたらいくら貧しいとはいえひとつの寝台で顔面神経麻痺の愛人とのあいだに幼いわが子を寝かせて平然としていたのだMとYにいわせればかれらの故国では川の字」 (三本の線で水の流れを示す僕が憶えた数少ない日本語のひとつだといって別に珍しい習慣ではないらしいし確かに小津安二郎の映画でそんな場面を観たこともあるけれど奔放な母の生活を思えば伯母の判断はけっして杞憂ではなかった法的には離婚していない夫婦双方に幾度となく介入を試みた伯母は埒が明かぬと見てとるや公的扶助委員会の職員を引き連れて妹の家へ押しかけゲートエイカー地区よりウールトンのほうが養育にふさわしいと認めさせたかくして僕は兎穴に落ちたアリスやわんぱく坊主ウィリアム・ブラウンと親友になったわけだ
 当時の中流家庭にはよくあったことだけれど伯母は上昇志向の持主で暮らし向きの劣るひとびとをあからさまに差別してあの家の子とは遊んじゃいけませんなどと僕の交友を制限したり身障者とすれ違うたびに何か病気でも感染しかねないかのように顔をしかめたりした子どもというのは大人から教わったとおりに不幸を蔑むものだし禁じられたらなおさらやってみたくなるものだ焼け跡が残る港町では盗みや悪ふざけをする友人に事欠かなかったし街を歩けば片目や手脚を喪ったひととすれ違った僕は自然と悪童仲間とつるんで弱い者いじめをするようになった身障者を見かけるたびに物真似をして取り巻きを笑わせどれだけ教師に叱られようとやめなかったあるとき片脚のない包帯だらけの物乞いが僕を見るなり想像もつかぬ機敏さでいざり寄り奇声をあげて抱きついてきた当時の物乞いの多くがそうだったように元は軍服だったらしい襤褸ぼろを身につけていて顔はケロイドでただれていて瞼がなかった腐った膿の臭いがした物乞いはなぜか僕の名を知っていて戦争がどうとか別の自分がどうとか支離滅裂なことを叫んだ僕は恐怖のあまり失禁し力をふりしぼってその狂人を突き飛ばして逃げたその記憶から逃れるために僕はますます身障者を残酷にからかうようになった
 甘やかしてくれる伯父がなんの前ぶれもなく急死してからは反抗期の息子を持つ家庭がどこもそうであるようにメンディップスではいい争いが絶えなかった父も伯父も人生から去ったことで自分が一族の男たちに不幸をもたらす呪われた存在に思えたその不安と苛立ちを伯母にぶつけてもいたのだと思う下宿人たちにはさぞいい迷惑だったろうあんたのために人生をどれだけ犠牲にしてきたかわかっているのかいと責めなじる声がいまも鮮明によみがえる罪悪感につけ込もうとする手口には苦い気持にさせられるけれど育児放棄の両親から救い出してくれたことを思えばけだしもっともな主張ではあっただからこそ僕は女王陛下にいただいた勲章をよりふさわしい持ち主として伯母に贈ったわけだその勲章はいちばんいい場所であるテレビの上に飾られた)。 僕は長らく伯母のことを甥を枠に嵌めたがる堅物と見なしていたし最初の妻Cにしても頑固な姑にはずいぶんと苦労させられたようだでもこの歳になって思うのは伯母のほうが実は妹よりも反抗的で型破りな女性だったのではということだ関係者もみんな鬼籍に入りさすがにもう時効だろうから白状するけれど伯父がまだ元気だった頃彼女が下宿人のひとりとこっそりつきあっていたのを僕は知っている当時の既婚女性としては珍しいことに結婚指輪もしていなかった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Born on a Different Cloud(1)” への3件のフィードバック

  1. 杜 昌彦 より:

    第一回がここから読めます

    • 杜 昌彦 より:

      という投稿をしてrepostとfavoriteをすると、返信として投稿したものがコメント欄に、repostとfavoriteはヒーローヘッダの右下に表示される
      これやってるやつ日本では見たことない

  2. ::: より:

    @ezdog えっ!これすごいです!(つい試したくなってしまいました……すいません)