CLOUD 9

連載第35回: Nobody Told Me(1)

アバター画像杜 昌彦, 2025年5月30日
Fediverse Reactions

録音所を襲撃したテロの狂気は新型感染症のごとく急速に広まった異常事態に世間がようやく気づいたのはデビューから一年後の一九六三年十月一三日毎週日曜にロンドン・パラディアムから生放送されるATVの長寿番組に出演した夜だ運転手付きのオースチン・プリンセスで到着した僕らに群がるファンと音が大きく反響する劇場で生じた事態について月曜の朝刊はこぞって書き立てたほかにはどこぞで死んだ驢馬の話くらいしかネタがなかったからだいつもの汚いヴァンで事足りるのにBEがわざわざそんな高級車を借りた理由が腑に落ちたかれの見栄っぱりもたまには役立つBマニアなる単語を発明したのは確かミラー日報だったと思うこの話題は当日夜のITVのニュース速報でも取り上げられたエリザベス皇太后とマーガレット王女の前で毎年催される演芸会への出演が報じられたあとはどの公演も大事件なみに報じられるようになった初めての海外ツアーはスウェーデンわずか一週間に九回の公演と数々のメディア出演という強行軍だった言葉の通じないこの国にも病的な熱狂は波及していてストックホルムではGが危うく舞台から引きずり落とされるところだった十月三一日の帰国時には烈しい暴風雨にもかかわらず悲鳴を上げる三百人と報道陣百人ほどが空港でひしめいて待ち構えていた屋上に群がるファンの金切り声は離着陸の騒音さえも掻き消したその全員が僕らの髪型を真似ていた幸い近視の僕には見えなかった)。 当惑してタラップを降りると盛大にフラッシュが焚かれた国は違えどいつも通りロックンロールの演奏で出稼ぎをしてきただけだなのに尻を蹴られて追い出され這々の体で帰り着いたあの日が嘘のようなあたかも英雄が月からご帰還あそばされたかのごときこの歓待ぶりはなんだ? 愛想笑いで手を振りながらもうぇ気持悪いと僕らは思った毎度恒例の儀式になるとはまさか思いもよらなかった
 一一月四日に王室が主催した演芸会では劇場の外で警官隊が鎖のように互いに腕を組んで押し寄せる少女たちに突破されまいと決死の努力をすることになった王室関係者の到着さえも人目を惹かなかった社交界の名士やら王室関係者やら高価なドレスや宝飾を身にまとった淑女やらの前でツイスト&シャウトをぶちかましその糞忌々しい宝石をじゃらじゃら鳴らしてみやがれとでも放言してやるつもりだったけれどBEがいまにも泣きださんばかりに懇願するので穏当な表現に丸めてやった振り最後の曲になりましたのでご協力をお安い席の方は手拍子で……とオチその他の方は……のあいだに溜めをつくったのは受けを狙った効果というよりハラハラして見守るBEをからかうためだ僕らにしてみればいつもの辛辣な悪ふざけにすぎなかったけれど初めてこの手の冗談に接した連中にとってみれば思いがけぬ方向から愉快な玩具が飛び出してきたようなものだったろう女王陛下にもお気に召していただけたようだこのあとどこに出演なさるのと訊かれてスラウですと応えたらあらうちの近所ねと陛下は微笑んで仰せになったなるほどウィンザー城は近所だなと僕らは笑い合ったものだ
 翌日にはBマニア現象を時事問題として扱う番組に出演しその先はもうだれにも止められぬ狂騒の幕開けとなったクリスマス公演の入場券十万枚はわずか二五日間で売り切れた三四会場をまわる予定の秋公演の前売りがはじまると全英各地で数千人が寒空のもと徹夜で行列し連日のように一面で大々的に報じられた二枚目のアルバムは予約だけでも二七万枚一週間で五〇万枚を売り上げた八月に出たEPは二五万枚その頃から売れつづけて百万枚を突破したシングルは一二月第一週に五枚目のシングルが出るとようやく第一位の座を譲ったその頃Pはお嬢様女優の邸宅に間借りしていたのだけれどそこの地下倉庫で僕とあいつがサシで向き合って書いた抱きしめたい予約開始の翌日時点で五〇万枚も売れしまいには百万枚も注文されたので発売後にはさすがに売れ行きが鈍るだろうと思っていたらクリスマス商戦を通じて六週ものあいだ一位を保った僕らの髪型を真似たがために放校になった生徒や僕らを引き合いに出して人気取りする牧師や政治家ロンドン公演の警備費が国会で問題にされたとかいったくだらない話題が連日のように紙面を賑わせたこの騒ぎは北米でも徐々に報道されはじめた
 思うにあれはナチスの党大会やMAGAの暴動のような集団ヒステリーの類いだった教師然としたGMでさえ夫婦で僕らの公演を客席から見たら正気を喪って周囲の少女たちと一緒に立ち上がり目を見ひらいて全力で叫んでいたというからその感染力は半端ではない全世界へ蔓延したその騒動についてMはイエスの墓から遺骸が消えたのもこんなことだったんだろうねなどと冒涜的な冗談を吐いたあるいはそれは信心深さの裏返しだったかもしれない他人事だったら笑えたろうが僕らには深刻な問題で表へ出るには念入りに変装せねばならなくなり住まいは四六時中監視され楽屋からは服や楽器が盗まれついには僕らや家族を誘拐しようと企む輩まで現れたジェリベイビーズが好きだとGが冗談を洩らしたが運の尽き赤ちゃん型ゼリー菓子が雨あられどころか機銃掃射のごとく舞台へ降りそそぎ演奏は妨げられ怪我まで負いかねない惨状となったストックホルムの件にせよドラマー交代劇で殴られた件にせよ当時Gはいつもそんな貧乏くじを引いてばかりいた)。 秋の巡業ではMの差配のもとのちに映画で再現されるように付けひげやら眼鏡やらの変装や偽名を用いてさながら特命を受けた諜報部隊のごとくこそこそと物陰に身を隠して街から街へと移動し建築現場の鉄骨をよじ登って会場の屋根に渡り天井裏から舞台袖へ降りたり秘密の地下通路を使って劇場からテレビ局へ移動したりさせられたまたまたお得意の誇張かよと思われそうだが本当の話だ不安定な足場でいかに体重を分散させ筋肉を使うかを僕らはMから軍隊式のスパルタで教わったおかげでそれまでだれに助言されても観客なんて見えなくて結構だと痩せ我慢していたのにとうとうコンタクトレンズに頼らざるを得なくなった
 Mにあれこれ指図されなければ絶叫する群衆に何をされるかわからない……という極限状況は僕ら四人とあいつとのあいだに緊張を生んでもおかしくなかったひとは生殺与奪の力を握る相手を憎むものだしMのやったことはそれまでただ悪ふざけをする仲間にすぎなかったのがGMやBEといった教師側の人間としてふるまいだしたようなものだからだところが会場から会場への命がけの移動はそれが危険であればあるほどふざけた大冒険に思えて僕ら四人は悲鳴を上げたりぶーぶー不平を垂れたりしながらも実はそれほど苦にならなかったやっとのことで劇場へたどり着いても今度は楽屋に缶詰で舞台じゃ客は絶叫するばかり演奏なんてだれも聴いちゃくれずむしろそのほうがしんどくてプロ意識の強いGなんかいつもぼやいていた十代向けの幼稚な愛の唄なんぞ歌う代わりに腐れ×××! なんて罵倒してやったところで客は目を剝いて叫びつづけるのだからめちゃくちゃだ年末にやった握手会では会場の経営者が設備を破壊されるのを畏れて僕らのまわりに金網を張り巡らしたほど三千人の熱狂的な客は頬や手や全身を金網に押しつけて叫んでいた舞台袖でその様子を見た僕はあいつら漫画みたいにフライドポテトになって出てきちまうぞと笑いMは日本じゃトコロテンというんだ格子から海藻ゼリーをにゅるっと押し出してソースをかけて辛子を添えて喰うのさと教えてくれた僕は響きがおもしろくて客めがけて何度もその日本語を叫んでやったトコロテン! きゃーっ!
 興行主やBEそれにMがやたらファンを畏れるのを僕ら四人は大げさだと笑っていたけれどいま振り返れば少しも被害妄想とは思われないロックンロールを生んだ国の大統領が二枚目のアルバムが発売されたまさにその日にダラスで受けたような歓待を次は僕ら四人が受けたとしても不思議ではなかったのだPは世間で何が起きているか知るためにだれかが楽屋で読み棄てた新聞でも平気で読む僕ら四人が米国の人種差別に異議を申し立てたのは仲間内に日本人がいたせいもさることながら主にPの意見にひっぱられてのことだよそで他人がどう扱われようが無関心だった三人もリトル・リチャードやチャック・ベリーに相応の敬意が払われないとPに聞かされそんなのおかしいと憤った黒人街まるごと虐殺しておきながら何もなかったことにした国だからなぁジム・クロウ法や敵性外国人法なんてのもいまだにあるし……とMは感想を述べ四〇年前にオクラホマ州で起きたことや二〇年前の強制収容について話してくれた)。 Gは映画撮影で知り合ったアイドルとの恋に夢中で新聞なんか読む暇はなかったし小学校すらまともに通えなかったRは漫画くらいしか読まない僕はといえば届いたばかりの朝刊を伯父の膝で読み聞かせられて育ったせいかマルEに買ってこさせたばかりのパリッとした新聞をいつも楽屋で舐めるように読んでいたかといって社会にはPほど関心がない知らない世界への空想をかき立てられるのが好きなだけだMは僕がどの記事に関心を抱いたかをいい当てる遊びを好んだ当たることもあれば外れることもあった)。 いつか自分もおなじ目に遭うかも……なんて白昼夢に耽りはしたけれど現実の問題とは捉えなかったしまして僕らの運命に大きく影響するなんて思いもしなかった
 そうした騒ぎのすべてから僕はCを締め出し思い出深い洞窟での最終公演にすら立ち会わせなかった妻子の存在は昔からの地元ファンにこそ知られていたものの世間には依然として秘密にされていた僕の妻かと問われるたびにCは懸命に否定してこそこそと乳母車を押して立ち去らねばならなかった初対面からBEを侮って反抗的だったPはお嬢様女優といるところを撮られても平然としていたけれど波に乗っている商売が台なしになったら仲間三人にどう顔向けすれば……と思うと僕にはいいつけを無視する度胸がなかったおかげでCはいまでいうワンオペのシンママのごとき暮らしを強いられたしかも体調が悪いとか二階に追いやられたとか被害者ぶって四六時中不平をこぼす強烈な姑と同居だひっきりなしに泣く長男をCはおくるみに包んで乳母車に寝かせ庭のいちばん遠いところに停めて声が二階へ届かぬことをひたすら祈るしかない僕は秒刻みに詰め込まれた予定を縫ってなるべく頻繁に帰るようにはしていたものの狂騒から隔てられた安らぎの場を求めたところで家庭内の空気は張り詰めている何しろ僕の育ての親伯母のこだわりの強さは生まれつきだ何をいっても無駄なのは子どもの頃から身に染みていた僕は日々疲れきっていて妻子がされている仕打ちに見て見ぬふりをした成功すればするほどCと僕を結びつけていたはずのこの騒ぎが過ぎ去ればともに穏やかに暮らせると信じる気持が薄れせっかく手に入れた家庭が指のあいだから砂のようにすり抜けていくのを感じたロンドン・パラディアムに二度目の生出演をしたときやたら押しの強い年増歌手と知り合ったのもその頃だ翌年までつづいた関係にCは気づかぬふりをした


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告

“Nobody Told Me(1)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog 本人達の意思とは関係なく時代の熱狂に巻き込まれていくB。音楽なんて誰もろくに聴いていないキャーキャー言っているだけの騒ぎが虚しい。

    トコロテンのところは実に皮肉が効いている。Mの活躍は愉快なのだけれど。大切なはずの家庭もうまくいかないJの虚しさが伝わってくる。