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連載第49回: Crippled Inside(2)

アバター画像杜 昌彦, 2025年9月17日
Fediverse Reactions

五日後一時的に改名していたがのちにザ・フーと名前を戻して楽器に虐待を加えるようになるグループとブラックプールのオペラ劇場で共演した翌日に付き人マルEと広報担当デレクTはひと足先に米国へ発った空港からカウパレスまでの警備についてサンマテオ郡保安官事務所やサンフランシスコ郡警察と打ち合わせするためだ米国の興行主たちは安全確保の重要性を理解せずBEやデレクTがどれだけ説明しても耳を貸さなかった宣伝のために話を盛っていると思われたのだ多くの会場では警察も自分らのほうが経験豊富で状況を把握していると思い込み痛い目に遭ってはじめて僕らの訴えを笑い飛ばしたのを悔やんだ現地の代理店は半年前からノルマンディ上陸さながらの綿密な作戦を準備していてその情報は当然警察にも共有されているはずだったなのに連中は真夏の駐機場にふたりを立たせ安全規則について高飛車に説教するばかりだった策らしい策がないと知って仰天したデレクTは感情を抑えて冷静かつ紳士的に強調した大観衆がザ・Bを待ち受けるんですよ綿密な備えがなければ必ず厄介なことになります……とすると副保安官は沽券を脅かされたかに感じたらしくおれの仕事に口を出すなさもなくばそっちが必ず厄介なことになるぞ! と声を荒げて脅迫した気の利いた台詞のつもりなんだろうけれど自分より大柄なマルEを威圧できると考えたのなら笑える話だ本物の社会病質であることが露呈しつつあった日本人を見慣れていたふたりはあいにく感銘を受けずに顔を見合わせた音楽好きが高じて記者になり僕らに気に入られて抜擢された広報担当はただ困惑するばかりだったけれどMの影響でチャンドラーやスピレインを濫読していた付き人は米国の警官って本当にこうなんだ……と内心おもしろがったそして当時の僕らがこんなときいつもそうだったようにMにこの土産話をしてやろうと心に決めた
 案の定サンフランシスコ国際空港には九千人以上が殺到したヒルトンホテルへ向かう前に挨拶する場所がほしいというBEの要求に対しサンマテオ当局は空港の主棟から北西一マイル先の高台に暴風柵で囲った七メートル六〇センチ四方の緩衝地帯を設け一八〇名の警官を配備した僕らのチーム——すなわちザ・Bとマネージャ付き人たちと広報担当とMは莫迦みたいに長いリムジンの車内で頭を突き合わせて議論した顔を見せて手でも振ってやらなければ人死にが出る危険でもやるべきだとの結論になった最後まで反対していたMに僕らはいざとなったら頼むぜと無責任にいい放って肩や背中ををどやしつけてやった先頭のRを認めるなり群衆は高圧電流に打たれた猿の群のようになった人体の津波が絶叫して押し寄せ柵を砲撃のように烈しく揺すぶった現代の倫理観に照らして当時の僕らを誹るひとたちに狂った何千もの若い雌がたった四本の陰茎と八つの睾丸を求めて群がるこの光景を是非とも見ていただきたかった焼け跡が残る港町で鳴らした不良の僕らは客と捕食対象をそれなりに区別していたし喰い散らかした相手はファンよりもむしろその母親ばかりだった娘の通行証を得るためだけに自ら売り込んできたのだ——据え膳を美味しくいただいた僕らはそのお子さん方をソーダ水でもてなしお土産を持たせてにこやかに追い払った)。 もとより僕ら世代の男は異性というものを妻や娘や妹や母親のような庇護すべき弱者とどれだけ汚く扱っても許される阿婆擦れとに二分して捉える傾向があった僕はCに後者を期待しつつも前者と心得ていてだから有象無象の後者と裏切りを重ねてなんら気が咎めなかったところが一九六四年の少女たちにはその程度の分別さえなかった連中は警察に追われた売人よろしく続々と柵をよじ登りはじめた頑丈な金属柵はひしゃげて押し倒され一瞬先に乗り越えていた連中を下敷きにした悲鳴は絶叫に掻き消された踏み越えた群衆が僕らに到達する寸前で警官隊が僕らをリムジンへと押し戻した僕らが転がり込むや運転手はアクセルを踏み込んだ気密性の高い車内でさえも少女たちの絶叫で鼓膜が破れそうだった引き剥がされるまで群衆は車体を掌で叩いたり頬を押しつけたりしていたこれが戦場でなくてなんなんだとMが洩らすのが聞こえた
 その夜はリトル・リチャードのオルガン奏者ビリーPと再会し旧交を温める余裕があった翌日の公演はそうもいかなかったジェリビーンズの集中砲火に二度も中断させられながらも演目を淡々とこなし賽銭を投げつけられる仏像のようだとMは感想を述べた)、 わずか二九分後にツイスト&シャウトを終えるや楽器を舞台に放置して終演を観客に気づかれる前に袖へ疾走したリムジンは群衆の荒波に揉まれて転覆される寸前だったあのなかにはまだNがいるのだ半世紀後かつてMが故郷と呼んだ土地が地震と津波で壊滅したときYとふたりで狂ったように無数の動画を見つづけて急にあの日のことを思い出しどうやってあの車から生還したのか電話で訊こうとしてNがもうこの世にいないのを思い出したものだプランBだとMが叫び負傷者に備えて会場に横付けしてあった救急車に僕らは飛び乗ったマルEは殺気立った群衆に何をされるかわからぬ状況で機材を回収すべく果敢に舞台を奔走したこの日の反省から僕らは記者団を詰め込んだリムジンを目立つ場所に停めて囮に使うことにしたさして効果はなかった)。 一万七千人を相手にしたここでの稼ぎは九一六七〇ドル経費を差し引いた取り分は四九八〇〇ドル五〇名が負傷しほぼ同数が警官によって舞台から引きずり下ろされ二名が逮捕された記録された負傷者は肩を脱臼した一名過呼吸や失神で応急処置を受けた一九名軽傷五〇名治療を拒否して僕らを追った者もいたというから実際はもっと多いはずだ地獄のような公演のこれはまさに序の口だった宿では三五名が給仕に扮して一五階への侵入に成功したもののその時点で僕らはチャーター便に搭乗していて部屋はもぬけの殻だった
 午前一時に到着したラスヴェガスでは夜間外出禁止令が出されていたにもかかわらず宿の前で僕らを待ち構えていた二千人は警察犬に追い散らされたいつかテレビで見た抗議の若者たちが受けた扱いを連想して僕らはぞっとした一八階のペントハウスには監禁される僕らに配慮してスロット機が二台設置されていた脱走で悪名高い僕らにカジノへ繰り出されたら未成年が殺到して収拾がつかなくなるからだMが顔をしかめて場末のラブホみたいだないやこっちが原型かと感想を述べたなんだって? とGが聞きかえしたのをあいつは聞こえないふりをしたなんとなく意味を察した僕は意外な側面をかいま見たように思いそういう場所にはどっちの性別の相手と行くんだろうかと邪推したPがちょっと試して報道写真に収まっただけで僕らはその銀色の小箱にすぐ飽きたああいうのは貧乏人を騙すためにあるのだそんなものに儚い夢を見ずとも金は溢れ出ていた壁やダストシュートをよじ登り運搬用昇降機に隠れた侵入者たちとは幸い鉢合わせることなく朝食を平らげ午後には八千人収容の国際展示場へ僕らは向かった音響確認と予行演習の合間に若い記者の取材を受けたかつて隣国から強制連行されてきた労働者を日本人がどう扱ったかをMに聞かされたばかりだったPは人種差別について思うところを自由に述べたかの反屑協会の類似団体がここ米国にもあったようで昼公演はつつがなく終わったが午後の部は爆破予告により遅延せざるを得なかった小一時間ほどどこかへ消えたMは満面の笑みで戻ってきてあの予告ならもう心配要らないよと宣言した何がどう大丈夫なのか僕らには訊く勇気がなかった)。 警官たちは舞台前に整列しそれこそ命がけで観客から僕らを護ってくれたブリンクス金融警備会社の防弾装甲車に乗せられて僕らが退散したあと警察はいささか荒々しい手段で群衆を楽屋から追い払ったある女性記者など白バイに足を轢かれ別の女は警棒で滅多打ちにされて肋を折ったニュース映像からの連想もあながち的はずれではなかったわけだここでの稼ぎは三万ドル触れたものを黄金に変える神のごとく扱われることに僕らは徐々に慣れていったそしてそれとともに僕はケンウッドで使用人に囲まれて長男と暮らすCを思い出さなくなった自分の妻子でありながらそちらのほうがむしろ別世界であるかのようだった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Crippled Inside(2)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog ザ・フーのところで思わずぷっと吹き出して笑っちゃって、その後もちょいちょい皮肉の効いたところにクスクス笑いっぱなし。しかし読むほうは気楽だけれど実際こんな目にあったら、そりゃあ最終的にスタジオに籠って録音にふけるようにもなるだろうな……。

    こんなおかしい毎日を過ごしていたら、遠くで留守番している家族を思いやるどころじゃなくなってしまうのは当たり前だろう。そのことをしみじみ実感させてくれる。Jの気持ちを考えるとせつない。

    Mが要所要所でしっかりBを守って任務を果たしているのもいいなぁ。