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連載第42回: Paperback Writer(4)

アバター画像杜 昌彦, 2025年7月18日
Fediverse Reactions

Pとあいつの誕生日の二週間ほど前朝から米国の土曜夕報誌の撮影があったお気に入りの短篇がいくつも掲載された雑誌だというんでMは前から楽しみにしていた僕らは古めかしい山高帽なんか被らされ喪服みたいな背広の胸にハンカチを覗かせて太いネクタイに内羽根の靴手袋といった英国紳士の扮装をさせられ傘まで持たされて滑稽な写真をいくつも撮られたそのうちひとつは僕らが背中と腹をぴったりくっつけてムカデのごとく列をなして闊歩する図でマッドネスの振付を二〇年は先取りしていた普段は表情を消してまわりに気を配るMがこのときはハンブルク時代に戻ったかのように腹を抱えて笑っていた写真家や助手があんたうるさいよ撮影の邪魔だと苦情をいいつつつられて笑い出すほどだった膝をもっと上げてくれよとか錦蛇パイソンがどうとか口走るもんでまたお得意の日本語か? といってやるとMは急に真顔になって慌てたようにいやこれは英語だ忘れてくれなんていいやがるこっちが元ネタだよなとも呟いていたのは確かな記憶なのに六年後のお笑い番組にびっくりして電話に手を伸ばしたものの三人の仲間とは一時的に疎遠となっていたし肝心のMは姿を消していて連絡先もわからなかったのでだれにも確かめようがなかった
 記憶といえばこのあとに起きたことほど納得いかずわが正気を信頼できなくなる話もないちょっと調べればわかることだけれどどの本にもどの記事にもどの記録映像にも出てくるのはMの代わりに知らぬ男の顔と名前ばかりともにあの時期を過ごしただれに尋ねてもそれが事実で正しい歴史だというPもGもRもはじめは僕がふざけているのだと思い次に一九八〇年の事件がもとで頭がおかしくなったのではと心配ししまいには気味悪がってその話題を避けるようになった惚けたと家族に思われるのが癪でいまでは自分でも口にしなくなった一九七四年の夏にベランダでUFOを見た話のほうが証人もいてまだしも耳を貸してもらえる〇〇七シリーズのとある一作の結末やC3POの配色には世界中のだれもが記憶違いをしているというけれどこの僕の実体験ってやつはいまだだれとも共有できない
 英国紳士に扮した僕らにMが笑い転げるのとは対照的にRは撮影中ずっと不機嫌そうにむっつりしていた話を振られてもだんまりでお得意の奇妙な冗談も出てこないどうしたと尋ねると喉に手を当てていと別人のような声で訴えた大丈夫かイヤ大丈夫ジャイってんで額に手を当ててやると高熱だ哀しげな眼はどんよりと潤んでいるおいおいこないだのGとおんなじ流れかよと僕は思ったBEが大慌てでゾディアックにRを乗せ大学病院へ連れて行った医師の診断では一週間は退院できないという前にも書いたけどどうもこの頃の僕らは疲労で免疫が弱っていたらしく代わるがわる流感で倒れていた病院から戻ったBEはデモ音源を録っていた僕らにそのことを報せて弱りきったように溜息をついた翌日から世界公演へ発つ予定だったからだRのドラムは僕らの音楽のいわば心臓そいつが入院じゃどうにもならないどうすんだおまえのせいだぞと僕はMを罵ったおれが? なんでよとあいつは目を丸くしたおれらが必死こいて働いてるってのに指さしてゲラゲラ笑ってたからだと僕は理不尽にいい募った罰としておまえ代わりに叩けはぁ? 付き人ふたりもGMも僕が何をいいだしたのか計りかねる顔をしたPとGだけは僕の意図に勘づいたようで悪ふざけに乗ってきたあいつをとっちめたかったのは連中もおなじだったのだRのラディックなら慣れてんだろお手のもんだよな? おれらの音楽を子ども向け呼ばわりするからには当然それなりに叩けるんだろ? 三人でニヤニヤ笑ってMを取り囲み顔を近づけて口々に煽り立てた子ども向けなんてひと言も……いいやいったねいったいったおれらは忘れてないよさあ叩いてみろってお手並み拝見といこうや僕らはあいつを奥のドラムセットまで追い詰め座らせてバチを握らせた
 僕らが困惑させられたのはここからだハンブルクからずっと一緒にいてレパートリーを熟知しているMは実際そこそこ叩けたのだなんだ全然だめじゃんかと三人で指さして嗤って身の程を思い知らせてやるつもりだったのが当てが外れたどんな言語でも数分ほど話しかけられると片言ながら返事ができるようになる特技をあいつは持っていたけれどこれもそのひとつのようだった日本のことわざに門前の小僧というのがあってね……とあいつは説明した)。 かといって音がまるで聞こえぬ状況で僕らの背中だけを頼りに当意即妙に叩けるほどでもない即座に椅子から引きずり降ろすにも僕らの看板を負わせて世界中の舞台に立たせるにも中途半端だった視線を合わせまいとするPを僕はじっと見つめてやったあいつは溜息をつきまたこの役回りかよといってMに稽古をつけはじめた僕とGも小一時間ほど練習に協力してやった僕らの酔狂に珍しく黙って付き合っていたGMが苛立ちはじめた不安げに成り行きを見守っていたBEが口出しを僕に咎められるのを覚悟の上でもう時間がないから代役を探そうと提案した例によって僕はかれを睨みつけてやりながらも内心では渡りに船と喜んだただの悪ふざけのはずがその頃には引っ込みがつかなくなっていたからだするとMが急に立ち上がって僕らに告げた五分ほど待っていてくれどこへ行くんだ? とGが尋ねた十字路と応えてMは厚い扉から出て行った泥臭いデルタブルースよりモータウンの女声コーラスが好みだった僕にはその冗談がわからなかったけれどGはその不吉な元ネタを知っているようで笑ったものかどうか戸惑うような気味悪がるような表情をしていた
 数分後に戻ってきたMは出て行く前よりもどこか少し老けて見えたちょっと歳下だったのが僕に追いついたかのようなじゃもっかいおさらいだってんで四人で音を合わせたどの曲も完璧だったまるで別人だそう指摘してやったらあいつはそうだよと肯いた十字路というのがどれだけ遠いか知らないけれどMの叩き方はRにそっくりでありながら何かが致命的に異なったまるで少し前Mに読まされたジャック・フィニイの莢人間だ生身の人間ならだれにもあるはずの一貫した癖のようなものが感じられない……というかフランケンシュタインの怪物よろしく継ぎぎにしてもっともらしく装って騙そうとするかのようだったその不自然さにPは気づかぬようだったわずかな時間で素人を世界の舞台に立たせられるまでに仕上げた手柄で鼻高々だったヘフナーを弾きながら例のチャーミングな笑顔をMに寄せて何かいい話しかけられたほうも苦笑しつつ叩きながら何か返事をしていた僕はGと視線が合ったおなじ考えのようだったR不在の急場はしのげるでもこれは音楽じゃない……
 きみらの死から数十年後にはとMは数年後のある晩に語ったことがあるきみらの音源を学習した機械がきみらをそっくり真似た新作を出すだろう生身の人生で積み重ねた実感のようなものはそこにはないでも客は違いになんて頓着しないその頃には大衆は資本家と結託した政治家に調教されて人間性なんてものは社会の生産性を損ねるとしか見なくなっているそれが世間の求めるきみらだそうなりたくなければいつまでも健康に生きつづけることだねとMはいったこのときのMの演奏はそんな街が盗まれる未来を先取りしたかに思えた問い質したことはないけれどいまではGも似たようなことを考えているのではないか
 僕ら四人は意見を求めてGMを見たかれは渋い顔でまぁいいだろうと肯いたBEはまだ渋っていた保守的な海外では東洋人が受け入れられるはずがないというのだそりゃそうだと思いつつつむじ曲がりの僕はBEを困らせたいとか弱みを当てこすりたいとかいった衝動をこらえきれず化粧でどうにかなるだろと口走ったわれながらばかなことをいったもんだMを代役にする珍妙な案はそれで一笑に付されて流れるものと思ったのに何を考えたかGが真顔で怪奇映画の特殊メイク係を呼ぼうといいだしたBEは大慌てで手配に走ったおなじ手間と金でセッションドラマーでも呼ぶべきだったのに! いまさら冗談だったとはいいだせない空気になった僕はGをまじまじと見つめた正気か? 声には出さなかったが伝わったようであいつは肩をすくめた
 急遽呼ばれた職人はラテックスでRを模した付け鼻を作成したまるでミンストレル劇そのものの醜悪さだ普段は意識しないがこうして見るとMはやはり骨格のつくりが僕らとは違うのちに僕が人前でも眼鏡をかけるようになるとあいつに羨ましがられたものだ顔が平坦なので白人用の眼鏡はずり落ちてしまうのだという欠陥遺伝子の修正とかいう話はどこ行ったんだよとも思うけれど直してあの程度のご面相だったのかもしれないもじゃもじゃ頭には直毛の鬘が被せられたいいだしっぺのくせに僕はこらえきれずに爆笑した腹を抱えて指さし涙を流しこんなんでごまかされる客はおかしいだろといったいけるってどうせだれもドラマーなんて見てやしないとPあいつら叫んで失神したいだけだからなとG頭越しに僕らが喧々諤々の議論を繰り広げるあいだ当人はずっと不本意極まりないといった風の仏頂面だった
 コペンハーゲンの客はパリと同様野太い声援が目立ったそして取り澄ましたフランス人よりも情熱的だった恒例となった空港のお出迎えは六千人交通を麻痺させた一万人は地元警察と独特の制帽を被り燧石すいせき式マスケット銃を携えて視察に訪れていた英国陸軍のフュージリア連隊によってどうにか暴動に至らず抑え込まれた急ごしらえの新編成で僕らは演奏曲のおさらいをしたRの持ち歌を外すために入れ替えられた曲順をマルEがそれぞれの楽器に貼りつけてくれた英国大使の訪問を受けたあと四四〇〇人がぎっしりの会場で二度の公演をこなした付け鼻にヘルメットみたいな鬘のMは警備係とRの贋物の二役を務めたしかしどちらかといえば演奏のほうに気が行って本業がおろそかになっていた面は否めない緊張で蒼ざめたあいつはフォイルズの昼食会での僕に似ていなくもなかったので僕としてはしてやったりの気分だった技術的にはピートBより遥かにマシで四六時中ひっついて飲み歩いた仲だけあって息も合ったけれどやはりどこか薄気味の悪い演奏だった遅ればせながらPもその違和感に気づいたようで寂しいから早く復帰してくれとRに切実な電報を打っていた僕らが去ったあとの舞台で終演が告げられると観客は怒り狂って騒然となったロビーにあった鉢植えが司会者に投げつけられて砕け紫の花と土が舞台へ飛び散った
 アムステルダムでは伝統衣裳の娘たちから花束と帽子を贈られ記者会見がひらかれた舞い上がったMは何度も余計なことを口走ろうとし僕ら三人は襤褸を出させまいと必死で取り繕った付け鼻がずれて外れそうになる一幕まであったその後ヒルレーゴムまで二六マイル移動してトレスロング喫茶食堂でVARAテレビの収録を口パクで行った踊る客たちが一曲演るごとにじりじりと迫るのに不安を憶えていたらついに終演間際に雄叫びをあげて乱入してきたマルEは殺到する野郎どもを舞台から降ろそうと奮闘したけれどいつもの客層とはわけが違うどうせ聞こえるのはRの録音なのにMは演奏をトチるまいと必死で何も指示を出せなかったNが悲鳴のようにだめだこりゃ逃げろ! と叫んだ僕らはプラグを抜き大切な楽器を抱きしめて命からがら逃げ出した鬘と付け鼻で一心に叩きつづけるMが舞台に残されたその姿は暴徒に呑まれて見えなくなった僕らのいない舞台に音盤だけが騒ぎなど知らぬげに鳴りつづけた


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Paperback Writer(4)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog Mが大活躍だ!Pに稽古をつけられるM、変装させられるM、面白い!……んだけど、Mの完璧な演奏が象徴する未来にうすら寒いものを感じる。叩き続けながら群衆の波に埋もれていくMの残像、彼の伝えたかった警告が胸に残る。

    Bの英国紳士の扮装とか、舞台に散った紫の花と土とか、映像が目に浮かぶ。美しいなぁ。杜昌彦氏のいいところはたくさんあるのだけれど、この描写の綺麗さ、余韻の残し方は特に素晴らしい。