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連載第17回: Devil’s Haircut(2)

アバター画像杜 昌彦, 2025年1月22日
Fediverse Reactions

帰国の翌日一五キロ北への遠征のためにモナBが六五ポンドの割賦で買ったカマー製ヴァンで迎えに来たNは未成年のかれは車庫の契約を結べなかった)、 まずメンディップスで僕の髪型に眉をひそめたついでフォースリン通り二〇番地の市営住宅でスキップしながら髪を指さして出てきたPに度肝を抜かれた僕は後部席で今後のことを考えていて気づかなかったのちにこの話を聞いたときは担がれていると思い膝をばしばし叩いて笑ったNは真顔でまじだってと請け合ったP本人に確かめたことはない長い移動中僕とPはパンタロンやださい音楽の土産話をした大受けするどころかGはずっとむすっとしていてかれの機嫌と信頼を取り戻すのはひと苦労だった無口なピートBはいつも通り何もいわなかったマネージャ気どりで息子のグループを方々へ熱心に売り込んでいて自分自身も興行主であるその母親にはあとでしっかり厭味をいわれたBEの登場と息子の退場でやがて彼女は過去の人物となるさんざんしゃぶりつくして利用価値がなくなれば棄てるとのちにMに批判される僕だけれど人付き合いの面でも飽きっぽいのは確かに否めないしかし逆算すれば彼女は僕らの不在中にNとの子を身ごもったわけでこの件に関してはどっちもどっちではなかろうか別れ際にGが僕らふたりの頭をじっと見たのが気になった次に顔を合わせたときにその理由がわかったかれもおなじ髪型になっていたのだやがてNも後につづいたピートBだけはグリスで固めた髪を崩さなかった僕らは何ひとつ要求しなかったふんそれならいいさと思っただけだ
 Gが髪型を変えた十日ほどのちの金曜この小さな内輪の流行にさっそく感染した未来の工作員がNEMSのホワイトチャペル店を訪問するといってもかれの場合毛質のせいで僕らとおなじには決してなり得なかったのだけれどボブ・ディランとは髪型の悩みで随分と意気投合していたようだ)。 ヒットチャート売場で落胆したように首を振りシングル盤売場の項に眉根を寄せるもじゃもじゃ頭の東洋人を整った髪といかにも上品で高価そうな背広の青年実業家BEは疑いの目で見つめたかれはスペインでの長い休暇から戻ったばかりだった闘牛やかの地の男たちの情熱に比して家業はいかにも無味乾燥で退屈に思えたその手応えのない日常を護るのが両親や世間に期待されたかれの役割だった黒革上下に先の尖ったブーツセンターロールリーゼントの小汚い常連客が狭い試聴ブースに騒々しく詰めかける際もかれは店員の女の子にちょっかいを出されるのや万引きを畏れていつも店の反対側から遠巻きに監視していたましてあんなおかしな髪型をしたかつての敵国人が何をやらかすか知れたものではないそう決めつけたのはザ・Bが観光の目玉になる前の地元で日本人などまず見かけず東洋人といえば中華街の移民くらいでしかもその連中は戦前まで洗濯屋が襲撃されたり墓が荒らされたりすることがあったほど差別されておりかたやBEはユダヤ系とはいえ裕福な白人に属していたからだけれどことかれの人生についてのみいうならばこのときの不安はやがて的中することになる
 日本人に話しかけられた店員は首を横に振り店主へ助けを求めたそしてMはついに青年実業家の前に歩み寄りアヌビスのような目で相手を見つめのんびりした低音でこう尋ねたザ・Bのマイボニーはありますか……といかに話を盛りたがる僕といえどそのときBEの脳内で天上の音楽が鳴り響いたとまではいわない僕がYと出逢ったときでさえ重大さに気づいたのはずっとあとだむしろこのときBEが抱いた感情はあたかも侮辱されたかのような怒りだったこんな洗濯屋でさえ欲しがるものを商品知識に精通したこの自分が知らないなんて! 偏見ゆえの決めつけは皮肉にも惜しいところをかすめていたこの東洋人の職業はではなくだったのであるBEの店はどんな稀少盤でも揃っているのが自慢だった短気で尊大なかれは悔しさを押し殺しちょうど品切なんです近日中に入荷しますと笑顔で嘘をついた些細なことで癇癪を起こし周囲に暴言を吐いて当たり散らすのが日常でありながら人前では穏やかな物腰を演ずるのは役者志望だったかれの十八番で冷酷残虐な兵士の側面を隠していたMとはそんな意味で確かに相通ずるものがあったのかもしれないまた来ますといい残しておかしな日本人は去った
 何を考えてMがこんな悪戯を仕掛けたのか僕には見当もつかない偶然か必然かまさにその翌日古い革ジャンを着た二〇歳の印刷工がおなじ商品を注文するやがて僕らの会社のいわば何でも屋になり新しい財務管理者に馘首されるまで僕やPの無理難題を叶えつづけてくれたBEの秘書はこの客は実在せず発注のための創作だったと主張した僕はBBCのラジオ番組企画でスペイン在住の本人と実際に会って話したのでその数年後に亡くなった元秘書の記憶は誤りだと断言できるこの伝説にはさまざまなヴァージョンがあるけれど癇癪持ちの上司に逆らわずに機会損失を防ぐには架空であれ何であれだれかしら注文主の名を記入せねばならなかったという部分は事実だと思うその印刷工は前から洞窟に出入りしていてお父つぁんのために入場券を刷ってやったこともあったらしいそいつにドイツで出版された音源の存在を教えたのは今風にいえばバンドマンの義兄で正反対の世界に生きるユダヤ系青年実業家にそんな情報源はなかった目上にでさえ頭を下げるのが苦手なBEは流行っているのかと部下に尋ねるのすら癪で言葉を少し変えほかにザ・Bの注文はあるかと秘書に尋ねた二件の問合せがあったと秘書は答えたいずれも十代の女性だというそこでBEはその二名を接客した店員に尋ねた店員は顔を輝かせてグループを絶賛し自分はPのファンだ笑顔がとっても可愛いんですと尋ねもしないのに教えてくれ音盤の実在を知って喜びその在庫が店にないことや昼公演のために店を抜けられないのを残念がるという失態まで犯した情報の対価として雇用者は聞かぬふりをしてやった珍しく寛大な措置だかれは週明けにカタログを調べて発注しようと決めた
 地元の人気グループの名はそれまでにも見かけていた街中に宣伝ビラが貼られていたしかれらを特集した地元音楽誌ジンを店で扱ってもいてなんならそこに評論を書いたことさえあったいったいどんな連中だ? 店に厄介を持ち込まぬよう目を光らせていた不良少年どものこととはつゆ知らずBEは興味と野心をかき立てられこれはもしやちょっとした商機ではと気づいたあの縮れ毛の東洋人のことが血の染みのようにじわじわと意識にのぼってきたアルカイック・スマイルというのか謎めいた——というより実のところ間の抜けた笑みに何か嘘くさいものをBEは本能的に感じたこれはぜひ実際に赴いてこの目で確かめてみねばなるまい背筋がぞくぞくした……そうそれまでにも幾度となく危険な裏通りへ赴いてはたちの悪い男娼に騙され打ち据えられたりナイフで脅されたりして身ぐるみ剥がれる経験をしていたかれは自覚なきままに公私混同しまたしても悪癖にとらわれていたのだ
 そして運命の一一月Aの国で壁が崩れるちょうど二八年前Pがパリで僕にハンバーガーを奢ってくれたまさにひと月後日中だというのに車が前照灯をつけて走るほど煤煙で空が覆われた寒く湿った日だった再来店して入荷予定を確かめた日本人のあとを青年実業家はかれ自身の心には市場調査を部下らには昼食を口実として店を出て兎を追うアリスのごとく尾行した遠く霧笛が聞こえた日本人が向かったのは果物取引所の裏わずか百歩の近所だったそいつは順番待ちの列へ加わることなく用心棒に挨拶して暗い入口へ消えたその店にBEはジャズクラブだった頃に訪れたことがあったともに礼拝堂へ通った幼馴染みが当時は経営していたからだうちの店員が話していたのはこれかとBEは合点した店に戻り訝しげな秘書の視線を無視して地元音楽誌の編集者に電話した建物に近づくと代替わりした経営者が出てきて用心棒に耳打ちしふたりは肯いて通してくれた青年実業家は暗くてじめじめした階段を降り悪臭と騒音に満ちた地下の国へ飛び込んだ濡れた煉瓦壁と低い天井に囲まれてカードの女王や軍隊の代わりに十代の会社員や学生がひしめいていたパウル・クレー風の模様が壁に描かれた低いアーチの舞台で黒革上下のむさ苦しい四人組が帽子屋さながらに狂ったことをやっていた
 僕らは大きな音を出すために二台の棺桶を背後の壁へ向けていた約四〇センチのスピーカとセルマー・トゥルーヴォイスのアンプを一・五メートルの黒塗り木製キャビネットに納めた当時の僕らとしては化物級の機材で五〇ギニーの完済に翌年の夏までかかったのを憶えている狭く滑りやすい階段からこの重量物を搬入するのにNとピートBはよく拳を擦り剥いて悪態をついたものだ力仕事はかれらに押しつけていた)。 轟く低音のおかげで青年実業家はすぐには気づかなかった演奏されているのは紛れもなくかれが発注して店に並べた音楽だったのだ煙草をふかしチーズロールを頬張りスープを啜る若者たちは僕らの舞台を楽しみながらも場違いな闖入者をチラチラと気にした整った髪と仕立てのよい背広洒落たネクタイ輝くタイピンやカフリンクス暗くて見えないが同様に高級にちがいない靴自分らの上司より裕福そうなこの人物は何者か地下室中の好奇のまなざしもBEにはまるで気にならなかった大音響の源である獣じみた四人のうち足を踏みしめて五本の弦でリズムを刻みガムを噛みながら歌う若者にとりわけ圧倒されていたかの東洋人の不穏な気配とは正反対にこの僕はあからさまな陽性の暴力でかれを捉えたそしてこのときは確かに音楽が鳴り響いていた——地下の騒音ノイズ・オブ・セラーフル


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。