CLOUD 9

連載第4回: Get Off Of My Cloud(1)

アバター画像杜 昌彦, 2024年9月20日
Fediverse Reactions

ジュリアーニ以前まだソーシャルメディアもなく殺人が日常茶飯事だった僕の街ではMの死は数行の記事にさえならず一五分間の名声を得ようとした襲撃者にはお気の毒なことに一瞬たりとも話題にならなかったMが何者であるかは警察も僕が大枚はたいて雇った探偵もついに突き止められなかったあるいは僕のまわりを嗅ぎまわっていたCIAなら知っていたのかもしれないものぐさな僕らは身内のだれに対してもそうしたように下の名前ギヴンネームを縮めた一音節だけでかれを呼んでいたので苗字ファミリーネームのほうがラテン語で死を意味することには気づきもしなかったいま思えばちょっとできすぎた話で本名は別にあったのではと僕は疑っているかれが語る前世の逸話には一緒に大麻やLSDをやっていてさえも妙な気分にさせられた目の前のかれと似ているところが少しもなかったからだMは僕とおなじくらいの背丈で運動神経も物憶えも悪からず僕と張り合えるほどの大酒飲みだった何より一緒にいて楽しかったしGやRとはもちろん僕らの仕事仲間のだれともうまくやれたそれどころか気難しく頑固な伯母からさえも笑いを引き出せたMと仲違いしてからあの中国だか日本だかのお猿さんはどうしてるんだいと何度訊かれたことかつまらない意地の張り合いはよすんだよなどとPとの間柄についてさえいわれたことのない説教をされたりもした辛辣に罵り合いながら笑い合っていたふたりが懐かしい
 必ずしも折り合いのよくなかったYやPとでさえも特定の話題では意気投合したり視線だけで意思疎通をし合うような場面を何度も見たたとえば一九六六年四月、 『回転式拳銃リヴォルヴァの収録に取りかかったときの話だあの頃Mは気まぐれに録音所に出入りしてはマルEの手伝いをしたり練習や収録の様子をただ眺めたりして僕らもそれを当たり前みたいに思ってなんの疑問も持たなかったある日僕らは四年前のオーディション以来ずっと調整卓を任されていた技師がお役御免になったのをなんの前ぶれもなく報された馴染みの顔が見えない理由をGが尋ねかれと同名のプロデューサーが僕らよりずっと若い未成年の後任者を紹介したふーんそうなんだじゃ僕らはそれでいいよとPが笑顔で宣言しGが険悪な目つきをして空気が張り詰めたまさにその瞬間すかさずMが口を挟んだいいんじゃないのマークⅠには新しい音が必要だし若い子に大いに実験してもらおうよそれでGは毒気を抜かれ僕はおまえらがそういうならとただ肩をすくめてギターの調律を再開したGMが例の校長先生風の笑みを浮かべPがひどく満足げにRのドラムセットへ歩き出したのを憶えているそのときあいつは確かにMと意味ありげな目配せを交わした僕やGに反対されるのを見越してあいつらが仕組んだ交代劇だったといまでは確信しているそしてMの予言通りEMIの規則を片っ端から破るジェフEの魔法を僕らは気に入ったマイクを危険なほどバスドラに近づけるとかレズリーの回転スピーカに声を通すとかスピーカを逆に配線してマイク代わりに使うとかいった発想はGMと同年輩の前任者からは決して出てこなかったろうMと一緒にいるとそんな風に考えを吹き込まれて操られてしまうことがたびたびあったあとの三人がどうだったか尋ねたことはないけれど僕はいつもずっと後になって気づきあの間の抜けた笑みの下に何か禍々しいものが隠されているように思えてならなかったものだ
 LSDで口が軽くなったとき本人が説明したところによると僕らが知るバージョンのあいつは複製時の遺伝子操作によって先天性のあらゆる欠陥を修復されたのだそうだかれが前世と呼ぶ原型は小柄なRより三インチも背が低く深夜に鏡を見ると自分でも不安になるほど醜くて重度の近視僕よりひどかったそうだ軽微だが社会生活には差し障るほどの知的障害を抱えビール一杯で赤くなるほどの下戸で何をやらせても満足にできない無能をだれからも疎まれ友も家族も恋人もなく生まれた地方都市から一歩も出ずに過去の並行世界に超人として転生した自分が活躍する内容のだれにも読まれぬSF小説を書きながら生涯を過ごし最期には取り壊しを理由にアパートを退去させられ新たに部屋を借りる金もなくお情けで雇われていた非正規の職も失って冬の路上で餓えと寒さと心臓麻痺で死んだという享年四九歳哀しむ者は身元不明の遺体を片づけさせられた市の職員くらいでヘンリー・ダーガーならぬMの原型は非現実の王国を死後に見いだされることすらなかった再生されたかれを殺すことになる色つき眼鏡の狂人にでさえ愛してくれる妻や世界旅行をしたり楽器を弾いたりする豊かな人生があったというのに……
 ちなみに犯人のことをなぜ詳しく知っているかというと事件のあとその妻がわざわざ僕ら夫婦に連絡してきて夫がいかに善良な人間であるかを力説したからだ会えばきっと好きになるとまでいわれたYやPもさすがにこれには憤慨していた僕とYのパロディであるかのように加害者の妻もまた日系人だった日本人の妻がいる男の旧友である日本人を日系人の妻がいる男が殺したわけだ文字通りの無名人を殺したところで大した罪にはならず犯人は数年で出所したいまでは孫に囲まれて幸せに暮らしているだろう若き日の殺人を武勇伝のように語ってさえいるかもしれないMの話しぶりからすると原型の死はたぶんいまから数年後でせめて本名でもわかればとも思うけれどわかったところで遠く離れた日本の浮浪者のためにしてやれることは何もないMの話が本当ならそこまでの無能に与えられる仕事は音楽業界ではテイラー・スウィフトの次に金持といわれる僕もさすがに持ち合わせない
 天才電子工学者を自称する詐欺師や社会病質の破壊活動家といった金を目当てに群がってくる連中にさんざん騙され痛い目を見てきた僕だけれどMの話はさすがにイアン・フレミングやフィリップ・K・ディックの読みすぎだと思っていた後者はかれのご贔屓の作家だった)。 でもいま振り返ればかれの学習能力には確かに常人離れしたところがあったようにも思うYと早口の日本語で口論していたからあれが母語なのは確かだしあの光景には嫉妬させられた)、 初対面の自己紹介はKに似たドイツ語訛りだったのに閉店で別れる頃には僕らそっくりのリヴァプール訛りになっていたのはいまでも鮮明に憶えているしフィリピンで僕ら全員が殺されかけたときには片言のタガログ語で暴徒を説得しようとしていた……通じたようには見えなかったけれど一九六四年六月の世界ツアー直前にRが流感で倒れたときその場しのぎの代役をいつもの悪ふざけで押しつけたら経験がないと渋っていたのにわずか一時間ほどPが教えただけで音がまるで聞こえなくても僕らの頭の動きだけを見てそこそこ叩けるまでになったこともある特殊メイクの東洋人がRとすり替わっていることに観客のだれも気づかなかった金切り声を上げて失神さえできればだれが演奏していようと構わなかったのだ)。 そんなわけでいまでは——というよりメイPと風呂上がりにバルコニーでUFOを目撃した一九七四年の夏以来はかれが話してくれた素性を半信半疑ながら受け入れている
 Mが暴力を厭う気持はまんざら嘘でもなかったろう何しろあの心優しい巨漢マルEの無害なマカロニウェスタン趣味にさえ眉をひそめそんなものを振りまわしていたら誤解を招くとかなんとか難癖をつけてお気に入りの水鉄砲を取り上げようとしたくらいなのだ可哀想なマル! 一九七六年にジアゼパムで錯乱して同棲中の恋人に通報されたときかれは駆けつけた警官たちに人差し指を向け親指を立ててばんばんと大声で叫んだために撃たれるはめになったおかげで楽器にも調整卓にも触れなくなり書きかけの自叙伝も口述に頼らざるを得なくなったMに銃の蒐集を禁じられなければその手には本物が握られていて数本の指を吹き飛ばされただけでは済まなかったかもしれないMがフィル・スペクターを毛嫌いしてパーティの席でロニー・ベネットに婚約を破棄するよう忠告したことなんかもそうだ僕が彼女の尻を追いかけまわしていた一九六四年あの米国人プロデューサーが厚かましく僕らの飛行機に同乗しようとしたときや一九七〇年にグリンJが仕上げられなかった音源を僕とGがPには無断であの男に託そうと相談していたときなんかMはたびたび人間性に疑問を呈し……というか監禁虐待者だの殺人犯だのと呼んで僕らを怒らせた
音の壁で知られるあの偏執者を腐すときMは口を滑らして前世の両親を引き合いに出したろくでなしの親父を恥に思っている僕でさえもこの話にはぎょっとさせられたその遺伝的欠陥も修正されたのかむしろ兵士に有利な性質として残されたのではあるまいかかれは戦場での殺人を否定しなかったただ曖昧に笑うだけで辛辣な僕の問いに答えなかった一九六〇年秋僕らと出逢うまでの八日間をMはあの港町のどこでどうして過ごしたのか血と泥にまみれた軍服や靴の代わりにまともな服や靴それにあの店で夜ごと飲み喰いする金をどうやって手に入れたのか銃を売り払ったのかそれとも……使ってからエルベ川か運河にでも棄てたのかあの頃の僕らがあえて問い質さなかったのは答えを知るのが怖かったせいかもしれない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。