帰京すると——つまりこの頃にはもうすっかりロンドンが 「家」 になり、 地元を恥ずべき後ろめたい影のように感じていたわけだけれど、 我が家には解決すべき住宅事情が待っていた。 僕らの会計士に相談したところ湯水のように金を使えるとそそのかされたので素直に従った (あとで税金で苦しむはめになるとは教えてもらえなかった)。 相談のために赴いたサリー州ウェイブリッジが僕とCは気に入った。 ロンドンからほど近いのに静かで美しい。 聖ジョージヶ丘に申し分のない物件を見つけた。 国産ロックの先輩クリフ・リチャードや女の子をキャーッといわせる先輩トム・ジョーンズも住まう高級住宅地で、 何エーカーも広がる森林や手入れの行き届いた野っ原に、 ぽつりぽつりと豪邸が点在している。 はぁ金持ってのはこんなとこに住んでんだなと感心し、 自分の日常がそこへ加わるのを思い描いて、 空想と現実の境がなくなったかのような妙な心地がした。 一九一三年、 テオフィラス某なる建築家の設計で、 ゴルフクラブ近くの丘に建てられたチューダー朝様式のその家ケンウッドは、 元は 「茶色の家」 と呼ばれていた。 内見したときは凝りすぎた醜悪な装飾だらけだったけれど、 窮屈な都会暮らしにうんざりしていた僕らには、 開放的な明るい間取りが魅力だった。 二万ポンドもした。 当時にしちゃ莫大な額だ。 改修にはその倍かかった。 七月一五日に購入契約に署名、 工事が終わるまでは屋根裏のふた間で生活することになった。 そこだけは例の醜悪な装飾が施されておらず、 手を入れる必要がなかったからだ。 結局そこには九ヶ月いた。 その間ずっと高級住宅街の豪邸にいながら以前の狭いアパートと同様の暮らしをしていたわけだ。 掘削人やら建築屋やら内装屋やらが天下の往来のごとく出入りしていて、 むしろ僕ら家族のほうが闖入者であるかに思えた。 遊ばれては困るのでときどき工事の進捗を覗いて、 そのたびに英国式にお茶の時間だったりした。 八月には筋骨隆々たる肉体労働者らのあいだに美しい若妻をひとり残して全米公演に出たのだから、 いま思えば物騒な話だ。 当時はそんなことで問題が起きるなんてだれも考えなかった。
思いつきの衝動で動いて失敗することが僕にはよくあり、 そのことでMにたびたび説教されたものだ。 家を買うなんて初めての経験で、 何をどうすればいいのか皆目わからず、 BEのパーティで紹介された室内装飾家を、 何かの縁とばかりよく調べもせずに雇った。 案の定Mはこの男が気に入らず、 ねえAに頼もうよとか、 きみたちふたりをよく知ってるAなら居心地のいい内装を考えてくれるよなどといいつづけた。 るせえな、 おれの金で自分ん家をどうしようが勝手だろと撥ねつけたのは、 ひとつには僕はAのことを知っているようで何ひとつ知らず、 彼女は今頃きっと売れっ子の写真家になっていて、 旧友の仕事を請ける暇などなかろうと思い込んでいたからだし、 あとのひとつは、 あの芸術的なジツゾン感覚で家中を黒や銀にされてはかなわんと畏れたからだ。 今思えばMのいう通り、 Aなら独善的な趣味を押しつけてくることなく、 僕らの暮らしに寄り添う提案をしてくれたにちがいない。 悔やんでみても後の祭り。 契約書に署名したが最後、 くだんの装飾家は次から次へと奇抜なことを思いつき、 僕らの金で好き放題をやらかした。 たとえばある日帰宅すると購入の決め手のひとつとなった明るいサンルームが、 野外結婚式のテントみたいな深緑の安っぽい生地で覆われていた。 頭にきて即座にむしりとり、 びりびりに引き裂いてやった。 工事の音がやんで芸術家気どりのとんちきと手下の職人どもが引き上げたあと、 どぎつい絨毯もカーテンも取っ払って別のにし、 赤革の堅いソファもRに譲って、 柔らかい緑の天鵞絨のに取り替えた。
Cは地元じゃ 「川向こう」 と呼ばれる裕福な地区のお嬢さんで、 労働者階級の出を売りにする僕にしても、 実際にはそこそこ恵まれた中流階級で育った。 それでもいざ家全体が使えるようになってみると広すぎて落ち着かなかった。 二二室もあった部屋は一七室に減らしてもまだ多すぎた。 応接室と食堂は客を招いたときにしか使わず、 改装したきり開かずの間のようになった。 広大な居間のまん中で顔を見合わせ、 なぁ……うん、 わたしもそう思ってたと言葉に出さずに意見が一致し、 奥の部屋に古いソファとテレビと食卓と息子の玩具を持ってきて、 そのこぢんまりとした区画で家族で肩を寄せ合って暮らすようになった。 来客用寝室にはSの絵をふたつ飾り、 仕事のない日には寝台に腰かけて何時間も見つめた。 前にも書いたけれどプールは僕らの世代にとって成功の象徴だった。 泳げるくらいに育った息子と水着で日光浴するC、 その傍で浮き輪に尻を収めて揺られながら、 傘つきの甘い酒なんか啜っちゃう自分を想像した (三年後、 出て行く前年に僕はこのプールを鏡張りにしようとした。 当時の技術では水圧で割れる畏れがあったし、 あまりに高くつくので諦めた。 代わりにインド思想に着想を得て、 巨大な目玉のモザイク画にした)。 壁一面に造りつけた書棚は本好きならだれだって夢みるだろう。 やがてぎっしり埋まるにせよ、 それまで寂しいので僕は義母に頼んで、 趣味のいい骨董品を並べてもらった。 Cのような女性を産み育て、 あまつさえ僕のような不良を受け入れてくれた義母に、 僕は深く感謝していた。 それで伯母に与えるのとおなじだけの小遣いを送金していたのだけれど、 義母は一銭たりとも自分のためには使わず、 せっせと競売場に通っては、 僕らのための品物を買い集めてくれた。 この小遣いについて知るなり伯母は激怒し、 いつもの認知の歪みを発揮して、 義母を寄生虫呼ばわりした。 傷ついて泣くCにほっとけよと僕はいうしかなかった。
寄生虫といえば、 これでやっと解放されて落ち着いた安全な暮らしができると思いきや、 傍若無人なファンどもはここにも押しかけてきた。 こんな事件は決まって僕がいないときに起きる。 ある朝Cが目覚めて一階へ降りてみたら、 見知らぬ他人が二〇名くらい我が物顔で歩きまわり、 観光気どりで部屋中を物色していた。 Cは寝室に引き返して電話でBEに助けを求め、 その時間にどうして連絡がついたのかわからないけれど、 Mがふたりの警官を連れてきて不法侵入者たちを追い払った。 この騒ぎがあってから門に木製の巨大な引込み戸をしつらえた。 まるで中世の城門だ。 それでも晴れていようが雨だろうが門前にキャンプを決め込んで、 重い扉に記念に名前を彫る輩は絶えなかった。 アニメが大好きな孫たちの話によれば聖地巡礼と称してロケ地を観光するのがいまどきの流行らしい。 当時のケンウッドにもそんなオーバーツーリズムが生じたわけだ。 僕はさしずめ絶滅危惧種の珍獣か……同世代どころか僕らの影響を受けた世代まで老衰であらかた死んじまったいまとなっちゃ、 当たらずとも遠からずだ。 先日も夜更けにオジー・オズボーンの追悼文を書いていたら、 僕のためにおなじことをしてくれる友人がどれだけ生き残っているか急に不安になり、 たいした用もないのにウェブ会議で三人の仲間を呼び出してしまった。 Rは明け方まで、 Pも途中まで付き合ってくれたけれど、 Gは阿呆らしいといって早々に退出した。
当時の男が大方そうだったように、 僕は家のことや子育てはCに任せきりだった。 乳母や家政婦を雇うことを提案したこともあるけれど、 Cが自分でやれるというのでそれ以上は口出ししなかった。 しかしさすがに高級住宅街の広大な邸宅に住まいながら、 下積み時代と変わらぬ質素な生活はできない。 ついにCは前の住人のもとでアイロン係をしていた家政婦を受け入れた。 優秀で人柄のいい四〇代の女で、 ときに警護役も兼ねてくれた運転手や、 無口で腕のいい庭師とともに我が家になくてはならぬ存在になった。 僕は屋根裏を気に入って書斎にすることにした。 メロトロン、 電子オルガン、 ピアノ、 いくつかのギターとAC三〇アンプに加え、 最新の録音機材を各種取り揃えたにもかかわらず使い方がわからない。 のちに宅録の元祖と目されることになるPを呼んで、 多重録音ができるよう設定を手伝ってもらった。 サンルームにはアップライトピアノを置いてそこで曲を書いた。 これは息子がもう少し大きくなってからの話だけれど、 屋根裏の別室にはスケーレックストリック製の競技コースを設置し、 RとGを招いてかれらとぼくら親子と、 それぞれのチームに分かれて対戦したりした。 縮尺三二分の一のスロットカーに僕らは熱中し、 ずるしたな卑怯だぞ! なんて本気になって騒いだものだ。 そんな僕らに飲み物を運びながら笑顔で見守るCや、 横から声援を送ったり野次ったりするMのことを懐かしく思い出す。 夕食の支度ができたと呼びに来たCや、 遊びに来たMが僕を探して屋根裏にいなければ、 サンルームでテレビを見たり新聞を読んだりするところを見つけられたろう。 僕はこの家でたくさんの猫を飼い、 お気に入りの黒猫を肩に載せて庭園を散歩したりした。 最初の猫には伯母の名をつけ、 粗相をされるたびにその名前で叱るのを楽しんだ。
……そう、 僕はこの家を気に入っていたのだ。 なのにその幸福に気づかず、 退屈と決め込んで台なしにすることになる。 住んだのは一九六八年の晩秋まで。 人生が変わるには充分な四年間だ。 いまでも一年の大半を過ごすダコタ集合住宅に移ったのは一九七四年だからもう半世紀以上になる。 別階の三部屋は随分前に売ってしまったけれど、 Mが最後に帰ろうとした家から離れることは僕とYにはとてもできなかった。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)

@ezdog 豪邸を改装したり住んだりするのもなかなか大変なんだな……。それでも家で家族や仲間達とくつろぐJの幸せな日々のかけがえのなさが伝わってくる。失われると分かっているからなおさら。
オジー・オズボーンの追悼文のところと現代のJとPとGとRの様子もいいなぁ。そしてJとYが同じ部屋に住み続けている理由に泣きそうになった。