CLOUD 9

連載第47回: Anywhere I Lay My Head(5)

アバター画像杜 昌彦, 2025年9月3日
Fediverse Reactions

帰京すると——つまりこの頃にはもうすっかりロンドンがになり地元を恥ずべき後ろめたい影のように感じていたわけだけれど我が家には解決すべき住宅事情が待っていた僕らの会計士に相談したところ湯水のように金を使えるとそそのかされたので素直に従ったあとで税金で苦しむはめになるとは教えてもらえなかった)。 相談のために赴いたサリー州ウェイブリッジが僕とCは気に入ったロンドンからほど近いのに静かで美しい聖ジョージヶ丘に申し分のない物件を見つけた国産ロックの先輩クリフ・リチャードや女の子をキャーッといわせる先輩トム・ジョーンズも住まう高級住宅地で何エーカーも広がる森林や手入れの行き届いた野っ原にぽつりぽつりと豪邸が点在しているはぁ金持ってのはこんなとこに住んでんだなと感心し自分の日常がそこへ加わるのを思い描いて空想と現実の境がなくなったかのような妙な心地がした一九一三年テオフィラス某なる建築家の設計でゴルフクラブ近くの丘に建てられたチューダー朝様式のその家ケンウッドは元は茶色の家と呼ばれていた内見したときは凝りすぎた醜悪な装飾だらけだったけれど窮屈な都会暮らしにうんざりしていた僕らには開放的な明るい間取りが魅力だった二万ポンドもした当時にしちゃ莫大な額だ改修にはその倍かかった七月一五日に購入契約に署名工事が終わるまでは屋根裏のふた間で生活することになったそこだけは例の醜悪な装飾が施されておらず手を入れる必要がなかったからだ結局そこには九ヶ月いたその間ずっと高級住宅街の豪邸にいながら以前の狭いアパートと同様の暮らしをしていたわけだ掘削人やら建築屋やら内装屋やらが天下の往来のごとく出入りしていてむしろ僕ら家族のほうが闖入者であるかに思えた遊ばれては困るのでときどき工事の進捗を覗いてそのたびに英国式にお茶の時間だったりした八月には筋骨隆々たる肉体労働者らのあいだに美しい若妻をひとり残して全米公演に出たのだからいま思えば物騒な話だ当時はそんなことで問題が起きるなんてだれも考えなかった
 思いつきの衝動で動いて失敗することが僕にはよくありそのことでMにたびたび説教されたものだ家を買うなんて初めての経験で何をどうすればいいのか皆目わからずBEのパーティで紹介された室内装飾家を何かの縁とばかりよく調べもせずに雇った案の定Mはこの男が気に入らずねえAに頼もうよとかきみたちふたりをよく知ってるAなら居心地のいい内装を考えてくれるよなどといいつづけたるせえなおれの金で自分ん家をどうしようが勝手だろと撥ねつけたのはひとつには僕はAのことを知っているようで何ひとつ知らず彼女は今頃きっと売れっ子の写真家になっていて旧友の仕事を請ける暇などなかろうと思い込んでいたからだしあとのひとつはあの芸術的なジツゾン感覚で家中を黒や銀にされてはかなわんと畏れたからだ今思えばMのいう通りAなら独善的な趣味を押しつけてくることなく僕らの暮らしに寄り添う提案をしてくれたにちがいない悔やんでみても後の祭り契約書に署名したが最後くだんの装飾家は次から次へと奇抜なことを思いつき僕らの金で好き放題をやらかしたたとえばある日帰宅すると購入の決め手のひとつとなった明るいサンルームが野外結婚式のテントみたいな深緑の安っぽい生地で覆われていた頭にきて即座にむしりとりびりびりに引き裂いてやった工事の音がやんで芸術家気どりのとんちきと手下の職人どもが引き上げたあとどぎつい絨毯もカーテンも取っ払って別のにし赤革の堅いソファもRに譲って柔らかい緑の天鵞絨のに取り替えた
 Cは地元じゃ川向こうと呼ばれる裕福な地区のお嬢さんで労働者階級の出を売りにする僕にしても実際にはそこそこ恵まれた中流階級で育ったそれでもいざ家全体が使えるようになってみると広すぎて落ち着かなかった二二室もあった部屋は一七室に減らしてもまだ多すぎた応接室と食堂は客を招いたときにしか使わず改装したきり開かずの間のようになった広大な居間のまん中で顔を見合わせなぁ……うんわたしもそう思ってたと言葉に出さずに意見が一致し奥の部屋に古いソファとテレビと食卓と息子の玩具を持ってきてそのこぢんまりとした区画で家族で肩を寄せ合って暮らすようになった来客用寝室にはSの絵をふたつ飾り仕事のない日には寝台に腰かけて何時間も見つめた前にも書いたけれどプールは僕らの世代にとって成功の象徴だった泳げるくらいに育った息子と水着で日光浴するCその傍で浮き輪に尻を収めて揺られながら傘つきの甘い酒なんか啜っちゃう自分を想像した三年後出て行く前年に僕はこのプールを鏡張りにしようとした当時の技術では水圧で割れる畏れがあったしあまりに高くつくので諦めた代わりにインド思想に着想を得て巨大な目玉のモザイク画にした)。 壁一面に造りつけた書棚は本好きならだれだって夢みるだろうやがてぎっしり埋まるにせよそれまで寂しいので僕は義母に頼んで趣味のいい骨董品を並べてもらったCのような女性を産み育てあまつさえ僕のような不良を受け入れてくれた義母に僕は深く感謝していたそれで伯母に与えるのとおなじだけの小遣いを送金していたのだけれど義母は一銭たりとも自分のためには使わずせっせと競売場に通っては僕らのための品物を買い集めてくれたこの小遣いについて知るなり伯母は激怒しいつもの認知の歪みを発揮して義母を寄生虫呼ばわりした傷ついて泣くCにほっとけよと僕はいうしかなかった
 寄生虫といえばこれでやっと解放されて落ち着いた安全な暮らしができると思いきや傍若無人なファンどもはここにも押しかけてきたこんな事件は決まって僕がいないときに起きるある朝Cが目覚めて一階へ降りてみたら見知らぬ他人が二〇名くらい我が物顔で歩きまわり観光気どりで部屋中を物色していたCは寝室に引き返して電話でBEに助けを求めその時間にどうして連絡がついたのかわからないけれどMがふたりの警官を連れてきて不法侵入者たちを追い払ったこの騒ぎがあってから門に木製の巨大な引込み戸をしつらえたまるで中世の城門だそれでも晴れていようが雨だろうが門前にキャンプを決め込んで重い扉に記念に名前を彫る輩は絶えなかったアニメが大好きな孫たちの話によれば聖地巡礼と称してロケ地を観光するのがいまどきの流行はやりらしい当時のケンウッドにもそんなオーバーツーリズムが生じたわけだ僕はさしずめ絶滅危惧種の珍獣か……同世代どころか僕らの影響を受けた世代まで老衰であらかた死んじまったいまとなっちゃ当たらずとも遠からずだ先日も夜更けにオジー・オズボーンの追悼文を書いていたら僕のためにおなじことをしてくれる友人がどれだけ生き残っているか急に不安になりたいした用もないのにウェブ会議で三人の仲間を呼び出してしまったRは明け方までPも途中まで付き合ってくれたけれどGは阿呆らしいといって早々に退出した
 当時の男が大方そうだったように僕は家のことや子育てはCに任せきりだった乳母や家政婦を雇うことを提案したこともあるけれどCが自分でやれるというのでそれ以上は口出ししなかったしかしさすがに高級住宅街の広大な邸宅に住まいながら下積み時代と変わらぬ質素な生活はできないついにCは前の住人のもとでアイロン係をしていた家政婦を受け入れた優秀で人柄のいい四〇代の女でときに警護役も兼ねてくれた運転手や無口で腕のいい庭師とともに我が家になくてはならぬ存在になった僕は屋根裏を気に入って書斎にすることにしたメロトロン電子オルガンピアノいくつかのギターとAC三〇アンプに加え最新の録音機材を各種取り揃えたにもかかわらず使い方がわからないのちに宅録の元祖と目されることになるPを呼んで多重録音ができるよう設定を手伝ってもらったサンルームにはアップライトピアノを置いてそこで曲を書いたこれは息子がもう少し大きくなってからの話だけれど屋根裏の別室にはスケーレックストリック製の競技コースを設置しRとGを招いてかれらとぼくら親子とそれぞれのチームに分かれて対戦したりした縮尺三二分の一のスロットカーに僕らは熱中しずるしたな卑怯だぞ! なんて本気になって騒いだものだそんな僕らに飲み物を運びながら笑顔で見守るCや横から声援を送ったり野次ったりするMのことを懐かしく思い出す夕食の支度ができたと呼びに来たCや遊びに来たMが僕を探して屋根裏にいなければサンルームでテレビを見たり新聞を読んだりするところを見つけられたろう僕はこの家でたくさんの猫を飼いお気に入りの黒猫を肩に載せて庭園を散歩したりした最初の猫には伯母の名をつけ粗相をされるたびにその名前で叱るのを楽しんだ
 ……そう僕はこの家を気に入っていたのだなのにその幸福に気づかず退屈と決め込んで台なしにすることになる住んだのは一九六八年の晩秋まで人生が変わるには充分な四年間だいまでも一年の大半を過ごすダコタ集合住宅に移ったのは一九七四年だからもう半世紀以上になる別階の三部屋は随分前に売ってしまったけれどMが最後にとした家から離れることは僕とYにはとてもできなかった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

連載目次


  1. Born on a Different Cloud(1)
  2. Born on a Different Cloud(2)
  3. Born on a Different Cloud(3)
  4. Get Off Of My Cloud(1)
  5. Get Off Of My Cloud(2)
  6. Get Off Of My Cloud(3)
  7. Obscured By Clouds(1)
  8. Obscured By Clouds(2)
  9. Obscured By Clouds(3)
  10. Cloudburst(1)
  11. Cloudburst(2)
  12. Cloudburst(3)
  13. Over the Rainbow(1)
  14. Over the Rainbow(2)
  15. Over the Rainbow(3)
  16. Devil’s Haircut(1)
  17. Devil’s Haircut(2)
  18. Devil’s Haircut(3)
  19. Peppermint Twist(1)
  20. Peppermint Twist(2)
  21. Peppermint Twist(3)
  22. Peppermint Twist(4)
  23. Baby’s in Black(1)
  24. Baby’s in Black(2)
  25. Baby’s in Black(3)
  26. Baby’s in Black(4)
  27. Hello, Goodbye(1)
  28. Hello, Goodbye(2)
  29. Hello, Goodbye(3)
  30. Hello, Goodbye(4)
  31. Hellhound on My Trail(1)
  32. Hellhound on My Trail(2)
  33. Hellhound on My Trail(3)
  34. Hellhound on My Trail(4)
  35. Nobody Told Me(1)
  36. Nobody Told Me(2)
  37. Nobody Told Me(3)
  38. Nobody Told Me(4)
  39. Paperback Writer(1)
  40. Paperback Writer(2)
  41. Paperback Writer(3)
  42. Paperback Writer(4)
  43. Anywhere I Lay My Head(1)
  44. Anywhere I Lay My Head(2)
  45. Anywhere I Lay My Head(3)
  46. Anywhere I Lay My Head(4)
  47. Anywhere I Lay My Head(5)
  48. Crippled Inside(1)
  49. Crippled Inside(2)
  50. Crippled Inside(3)
  51. Crippled Inside(4)
  52. Crippled Inside(5)
  53. Mother’s Little Helper(1)
  54. Mother’s Little Helper(2)
  55. Mother’s Little Helper(3)
  56. Mother’s Little Helper(4)
  57. Mother’s Little Helper(5)
  58. Flying(1)
  59. Flying(2)
  60. Flying(3)
  61. Flying(4)
  62. Flying(5)
  63. Setting Sun(1)
  64. Setting Sun(2)
  65. Setting Sun(3)
  66. Setting Sun(4)
ぼっち広告

“Anywhere I Lay My Head(5)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog 豪邸を改装したり住んだりするのもなかなか大変なんだな……。それでも家で家族や仲間達とくつろぐJの幸せな日々のかけがえのなさが伝わってくる。失われると分かっているからなおさら。

    オジー・オズボーンの追悼文のところと現代のJとPとGとRの様子もいいなぁ。そしてJとYが同じ部屋に住み続けている理由に泣きそうになった。