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連載第39回: Paperback Writer(1)

アバター画像杜 昌彦, 2025年6月27日
Fediverse Reactions

思い返せばMとは酒と幻覚剤で泥酔しながら随分いろんな話をしたものだあるときMは愛について定義した地上の総量が一定で寄り集まる性質を持つと富める者がより豊かになるアルゴリズムで世界は規定されているとあいつは語ったアル……なんだって? と僕はいった)。 その理屈でいえば当時のザ・Bこそ地上の愛を独占していたといえるでもあの頃の僕に子ども時代から渇望した愛を取り戻せた実感はなかったメディアが捏造した四頭の怪物にかっさらわれ生身の僕に残されたのは味気ない滓だけどんなに働いて成功しても伯母は相変わらず認めてくれないし群がる女たちは僕の本体ではなく髪型を愛していてロネッツのロニーは寝台の前で両脚を踏んばって貞操を守り通しおかげで僕らと彼女らは友情を保てた)、 恋女房だったはずのCとのあいだには隙間風が吹くばかり下半身の暴走のせいだろとMにはいわれそうだ)、 長男なんか僕の顔を見るたびに怖がって泣きだす始末そうとも僕は悪い父親だった)。 観測されるまで存在が確定しないともMは語っていたから僕にとってあの頃の愛は量子的揺らぎの状態にあったのかもしれないそれでいてだれもいない森で倒れた樹の音のことばかり世界中の子どもたちの前でわかったような顔で歌っていたのだから詐欺師もいいところだ
 出逢ったばかりのAを思いだす輝くばかりに美しく才能に溢れ自分の車を乗りまわし高名な師匠のもとで修業中写真家として華々しい成功が約束されているかに見えたなのにザ・Bとかかりあったが最後英国の男たちの成功と反比例するかのように減速し墜落した——あたかも巨大な怪物に捕食され養分を吸われたかのように米国進出が大成功を収めた頃にはふたつに切り分けられた敗戦国でも壁の向こうではいざ知らず僕らの名声は高まり音盤は飛ぶように売れていた股を誇示したり洗いたての仔犬よろしく頭を振ったりしながら安全無害な十代の恋を笑顔で歌う襟なし銀色背広の坊やたちを目にしない日はなかった政治や国際情勢を扱うお堅い雑誌や一流紙までもが競って僕らの記事を載せた覚醒剤をビールで流し込んでいた便所裏の汗くさい黒革上下を憶えている者もいてAが友人だと思っていたとある名家の跡取り息子なんかは作品や思い出に興味があるふりをして親しげに近づいてきたSに関心を持たれて嬉しかったAは写真やネガ山のような便箋や手書きの誕生日カードを気前よく披露し複製して家でゆっくり鑑賞したいとの口実を疑いもせず乞われるがままに貸してやったそれきり男は連絡を絶ち大切な思い出の品々は二度と戻ってこなかった数十年後に競売が報じられたネガには署名が加えられていた——あたかもそいつの作品であるかのように
 アイムスビュッテラー通りの屋敷にはアマチュア時代の音源の噂を聞きつけた音盤会社から続々と電話がかかってきたそれは美大の食堂で僕らがふざけたりSが拙いベースを練習したりする様子が記録された磁気テープで思い出を共有する仲間内でのみ価値がありだからこそ決して表に出したい代物ではなかったいいえお売りするつもりはありません金額の問題じゃないんです十万マルク? ご冗談はよしてください……男たちの声は日増しに脅迫めき鳴りやまぬ電話に音をあげた彼女は電話でGに助けを求めた彼女を姉のように慕うGはBEの事務所を教え保険をかけて郵送するよう助言したハイリゲン広場の移動式遊園地での作品は掲載を許可したのはライフ誌だけだったのにひと言も断りなく欧州の通信社を通じて全世界へばらまかれ興味本位の新聞や雑誌で衆目に晒される一方Aには一銭も支払われなかった抗議しようにもだれにどうやって訴えればいいかわからない一九六四年米国でこそ一六誌編集長のような立身出世のためならだれでも利用する貪欲な女も現れてはいたものの敗戦国の若い女は男社会に対してまったくの無力だった
 Aを喰い物にしようと群がる男たちはそいつらが最初でも最後でもなかった格調高き一流ニュース週刊誌シュテルンもまたそうだった編集長に密着取材を命じられた主幹撮影記者は三五歳マグナムフォト所属の写真家で暗殺された大統領や高名な女優の肖像作品で知られているインドシナ戦争や中東問題フルシチョフ訪欧にかけては詳しかったが十代向けの音楽は門外漢世界中の同業者が追う超過密スケジュールの人気芸能人にいかにして接触せよというのか無茶振りすぎだろと頭を悩ますうち友人の写真館で働く美人助手をふと思いだした確か無名時代のザ・Bに在籍していたベーシストの婚約者ではなかったかそんな話を聞いた気がする……記者に泣きつかれた師匠は弟子に事情を話しあいだを取り持ってくれまいかと尋ねた恩師の頼みとあっては断れないAは気が進まぬながら年長の男性記者に会って話を聞いたザ・Bが巻き起こした社会現象を四週にわたって考察する写真ルポだという交通宿泊費は編集部で持つから案内役として同行してくれと拝み倒された無名の若い女が功成り名遂げた大の男に頭を下げられるなど当時の社会ではあまりないことだった友人のわたしでも最近はなかなか逢えないので難しいと思いますよと教えたものの無下にもできずGに電話で相談した年長の作曲コンビと収入差がひらきはじめていたギタリストは回線の向こうで太い眉を寄せ報酬はどうなってるのと疑わしげに尋ねたその発想がなかったAはびっくりして旅費はもらえると応えたそんなの当然だろきみがタダ働きさせられるのなら協力しないよとGは厳しく告げたその話をAから伝え聞いた恩師はもっともだきみの友だちは若いのによく気がつくねと感心し案内役ではなく写真家として正式に雇用する契約を編集部とAとのあいだに取り交わさせるよう記者に確約させた屋敷に書留で届いた契約書には取材委託とあり報酬は一万五千マルクと明記されていたGはそれでもまだ半信半疑で契約書の控えが手許にあるか何度も念を押しならいいよ取材許可証を発行するようBEに話しとくと請け合ってRと共同生活をしているフラットに泊まるようAに求めた
 記者は雑誌社の費用で宿を予約したかれは高価なライカを若い後輩に贈ったAには初めての小型写真機だその時点での記者はAを利用する気はあっても騙すつもりまではなかったのだろうむしろ友人から預かった有望な新人を育成する心意気さえあったにちがいないAはいざという場面で撮り逃さぬよう新たな道具が手になじむまで練習を重ねて出発を待った三月二日黒革上下のAと撮影機材を抱えた記者はヒースロー空港へ降り立ったGとRは黒のベントレーを手配していたフラットでは映画撮影から戻ったばかりのふたりが満面の笑みで出迎えたかれらはAに紹介された記者を戦場で撮るのはどんな感じか危険ではないのかと質問攻めにしたそれから自然と映画の話になり早起きや台詞を憶えるのが大変だとかチョイ役で出ているスミスのポテトチップスの子が可愛いなどとふたりは楽しげにまくしたてあした見学に来なよ記者さんも連れてさと口々にせがんだ
 翌早朝のパディントン駅には出演者と撮影スタッフ総勢百人あまりが集まった報道関係者はふたりのドイツ人だけだ他人を締め出して大勢に見守られていれば安全だろうというのでこのときMはいなかった僕はAとやぁやぁひさしぶりとか元気? などと挨拶を交わしたBEのフラットで仮住まいだった頃に彼女が泊まりに来て以来の再会だった列車が走りだすと撮影の合間に話す時間がたっぷりあったおどけて出演者やスタッフを笑わせるRや停車中に構内へなだれ込んだファンに愛想を売るP台本を睨んでぶつぶつ呟いたり女優に腑抜けたように見惚れたりするGをAは一心に撮りつづけた構図を決めて思惑通りのポーズをさせるのではなく血の通った呼吸をし瞬きをする動く生身を捉える予測のつかぬ体験にAは目が開かれる思いだったそれは写真館での日常業務とも僕らと知り合ったばかりで意思疎通さえままならなかった移動遊園地での撮影ともまるで異なったライカを向けられた僕は無意識に髪型を気にして指先で整えAの顔がかすかに曇るのに気づいてどうした? と視線を向けたねぇJなんか疲れてる? いや別に……といつものように否定しかけてから彼女には正直に打ち明けることにしたうん実はちょっと息が詰まりかけてる鎖に繋がれた囚人みたいなもんさ僕が窓外の空へ目をやるとAもそっちを見た鳥になりたいよ愛が人生でなすべき最優先なら自由はその次だね……


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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“Paperback Writer(1)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog Jのむなしさが伝わってくる。スターに昇りつめたB達の生身の人間としての気持ちを考える。やっぱりあんなふうに売れてしまうと、もう自分達だけではどうにもならないことになるんだな。

    大事な思い出の品を奪われたり作品を勝手に使われたりしたAのことが私まで悔しく思えてならない。B達も親友がそんなめにあうことなど望んでいなかっただろうに。