結婚のおかげで運気が上昇したのか、 突如として万事が順調に運びはじめた。 キューバの核ミサイル基地のことが盛んに報じられるようになる少し前、 一九六二年十月五日にデビュー盤が発売された (張り切りすぎたRはマラカスでハイハットを刻むという珍妙な芸当を披露したがこれは採用されなかった)。 年末にかけて二週間ずつのハンブルク巡業が二度あって、 その合間に二枚目のシングルを収録。 その頃から遠征公演も販促のメディア出演もみるみる増えた。 地元音楽誌の人気投票で一位を獲ったばかりか、 全国誌の年末人気投票でも、 最優秀英国歌唱グループ部門で第五位、 最優秀英国小グループ部門でも第七位に入った。 田舎の無名グループの初シングルにしては上々の首尾だ。 うんざりしながら五回目にして最後のハンブルク巡業をこなし、 二枚目のシングルがチャート首位を獲得し、 もはや僕らが地元ファンだけのものではなくなった翌一九六三年からは、 何もかも手のつけようがないほど目まぐるしく動きだした。
その異常な騒ぎを語る前に、 まずはデビュー直前の一九六二年夏に話を戻そう。 僕は結婚式のことをRにもNにも告げなかった。 かれらの口の堅さにまだ確信が持てなかったからだ。 Rに苦情をいわれたことは一度もないけれど、 のちのち自分だけが疎外されていると誤解して拗ねるかれのことを思えば、 どうせ仲間にするんだから来てもらえばよかったなと思うことはある。 送迎地がメンローヴ通りからフォークナー通りに変わってからも僕は口を濁しつづけた。 自らも脛に傷持つNは深く追求しないでくれた。 Gとほぼ同世代の少年が壁を越えようとして東の警備兵に射殺された六日後、 八月二三日の朝は空が雲で厚く覆われていた。 僕の最初の妻となるCは、 手持ちでいちばんいい紫と黒の格子柄ツーピースに、 Aにもらったフリル付きハイネックの白ブラウスを合わせ、 髪を夜会巻きにしてピンクの口紅をひき、 黒の靴を履いて黒のハンドバッグを手にし、 緊張して自宅前に立っていた。 ピンストライプの背広で決めたBEが運転手付きのゾディアックで迎えにきて、 うやうやしく彼女をエスコートした。 僕と同じく強い近視のCは、 車体がペンキ落としでムラになっているのは見なかったことにして、 贅沢な計らいに感激した。 BEは車中でCの緊張をほぐすようなことをいったり装いを褒めたりした。 彼女が一六のとき癌で死んだ父親ならきっとそうしたであろうように。 あるいは役者志望だったBEは、 自分の父親にそうであってほしかった姿を演じていたのかもしれない。
かつてジェイペイジ・スリーなるグループを結成したこともある三人と、 どうせ嗅ぎつけるだろうと呼ばなかったら案の定、 勝手に参加したMは、 マウントプレザント登記所の薄汚れた待合室で、 そわそわしながら新婦を待っていた。 四人ともふざけたモッズスーツではなく、 黒の背広とネクタイ、 白シャツといった馬子にも衣装そのものの格好。 何しろ結婚式なんて全員はじめてだ。 PとGは場にふさわしいふるまいをしなくては、 ちゃんと新郎をサポートしなければと気負い込んで、 落ち着きなく立ったり座ったり歩きまわったりしていた。 とりわけ当事者の僕は緊張どころか悲壮感すら漂わせ、 ふたりのあいだで背中を丸めてじっと座っていた。 Mだけは妙に大人ぶって世慣れたふりをしていたけれど、 煙草を出したり火をつけずにポケットにしまったり、 何か気の利いたことをいおうとしてやめたりしていたので、 僕ら同様に慣れていないのは隠せなかった。 Cが現れると僕は救われた気持になり、 飛びつくように抱き締めて接吻した。 みんなに冷やかされてからようやく彼女を離してまじまじと見つめ、 とてもきれいだと本心からいった。 Cの親族代表である次兄夫妻が、 昼休みに仕事を抜けてきてくれた。 これで全員が揃った。 つまり伯母は脅迫を実行に移したのだ。 Cの次兄が僕らの背広をからかい、 緊張がほぐれてみんな笑った。
僕らの喪服めいた格好といい深刻な顔つきといい、 登記官の厳粛な態度といい、 結婚式というより葬式みたいだった。 まるで授業中に黒板の前に立たされて優等生を孕ませたことや、 おこがましくも一丁前に所帯を持とうとするのを叱られるかのような気持になった。 僕とCが何やら今後について神に誓うために進み出た途端、 僕の人生がまさしく喜劇であることを証明するかのような奇跡が起きた。 隣接する裏庭で空圧ドリルの掘削音が轟きはじめたのだ。 こんなことある? 僕らは思わず互いに顔を見合わせた。 すさまじい振動音以外だれも何も聞こえない。 どどどどががががだだだだどるどるどるずごごごご……。 Pが眉根を寄せて何か抗議するようなことを叫んだけれど、 口だけパクパクしているかに見えた。 Mがいきり立って出て行き、 面目なさげに首を振りながら戻ってきた。 使えないやつだ。
かくして絶対に笑ってはいけない結婚式の開幕と相成った。 自分で二回も経験して他人のにも幾度となく出席したいまでこそ、 段取りも台詞も見当がつくけれど、 純真無垢な当時の僕らには何もかも新鮮だった。 僕とCは登記官の言葉を聞きとろうと懸命に前屈みになり、 全神経を耳に集中させた。 答えるときにはふたり揃って 「ツイスト&シャウト」 ばりの大声を張り上げた。 あのときのCなら僕と一緒に舞台に立てたろう。 どどどどどともに愛しががががが害しだだだだだだ相続税どるどるどるどる分かつまでずごごごごご……。 登記官が新婦に一歩前へ出るよう促すと、 ここぞとばかりGが真顔で進み出た。 登記官はしかつめらしい顔を一ミリも崩さず、 僕らは必死で耐えた。 Cの次兄夫婦とPが立会人として登記簿に署名し、 ようやく解放された僕らは表へ出た。 その瞬間を待ち構えていたかのように土砂降りの雨が降りだした。 向かいの建物が見えないくらいの雨だ。 僕らはずぶ濡れになりながら、 詰めていた息をいっせいに噴きだして笑い転げた。
瀧のような雨に打たれながら、 Cの次兄夫婦は晴れて夫婦となった僕らを抱き締めて祝福してくれた。 ひとつもいい印象がなかったはずの僕を温かく迎え入れてくれたのだ。 イエス様から直々に洗礼を受けたってあんなには感動しなかったろう。 雨のせいにした涙をCには見抜かれたかもしれない。 かれらが職場へ戻り、 やるべきことを終えた僕らは次にどうしたらいいかわからなくなった。 結婚式のあとは普通どうするんだ? BEの提案で近くにある 「リースの店」 で昼食にしようということになった。 僕ら六人はひゃーと悲鳴まじりに笑いながらマウントプレザント通りを走った。 そのとき通りすぎた 「ヴァインの店」 という大きな居酒屋で、 二四年前おなじ登記所で結婚した両親が祝杯を挙げたことを、 僕は知らなかった。
スープと鶏肉にデザートのトライフルがついた一五シリングのセットを、 BEは僕らに奢ってくれた。 かれが見せた気前のよさはそれだけに留まらなかった。 若く貧しい僕らには出産と育児に適した新居を用意する手立てがなく、 このあと本来ならCは隣人が越してしまった物寂しい安アパートへ、 僕はあの狂った伯母が待つメンディップスへそれぞれ戻るしかなかった。 伯母とのあいだに何があったか話さなかったのにBEは察してくれていた。 かれもまた家族に気を許せない事情があったからだ。 そのためにかれはフォークナー通り三六番地のフラットを借りていた。 家族はおろか僕らを含めてだれひとりその隠れ家を知らなかった (というか、 そのはずなのだが……訪ねてきたMに便所を貸したときには場所を訊かれなかった)。 その部屋をいつまででも好きなだけ使っていいと、 その昼食の席でBEは明言してくれたのだ。 当時の僕らは若かったから、 途轍もない親切だとしかわからなかった。 でも違法な存在として生まれついた男にはきっとそれ以上のことだったのだ。 感極まったCはBEに抱きついて礼をいった。 僕より六歳上のBEは感情を表に出すのを潔しとしない世代に属していた。 そのかれがCが全身で表明した感謝に、 顔を赤らめて照れていた。 僕は驚きと喜びのあまり咄嗟に何もいえなかった。 もちろんあとで礼をいったけれど、 あのとき目で通じ合った気持のほうがもっと伝わったと思う。
兄貴分の僕に世間に秘さねばならぬ事情ができたのは、 Gにとってこのうえなく弄り甲斐のある弱みだった。 Cはその前から 「洞窟」 に寄りつかなくなっていた。 慰め合い励まし合ったPの婚約者が物語から退場したせいでも、 僕らの関係に勘づいたファンに敵意を向けられ、 身の危険を感じることが増えたせいでもある。 日増しに腹が丸くせり出るようになってからはなおさらだった。 ところが僕らが戸籍登記所を出るところを 「洞窟」 の軽食係に見られてしまった。 噂はたちまち広まり、 いわゆる公然の秘密となった。 Sの後釜として僕と文通していたファンの子がその頃ノルウェイ土産の木製人形を持ってきてくれていた。 その子に見守られて楽屋でその包みを開けるときGが、 ほかのお祝いと一緒に飾るのかと訊いてきた。 僕はファンの子の視線を気にしながらしっ! 黙れといった。 便器に座ってズボンを下ろしたトロールが包みから現れた。 だってまた結婚のお祝いが来たのかと思ったんだよ、 とあいつはすっとぼけて追い打ちをかけた。 僕はだ、 ま、 れ! と歯の隙間からいった。 それから万事承知でくすくす笑っているファンの子に、 これ何、 ノルウェイの木? と僕はごまかすようにいった。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)

@ezdog みんないい奴らだなぁ。特にBEの優しさが染みる。すごすご戻ってきたMもいいやつだ。最悪みたいな状況の結婚式も笑い合える仲間達。青春だな!