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連載第19回: Peppermint Twist(1)

アバター画像杜 昌彦, 2025年2月5日
Fediverse Reactions

昼前にようやくはじまった録音は休憩を挟んで午後にまでずれ込んだ幅十メートル奥行六・四メートルで窓がなく同じ階に調整室があるこの録音所では爆音は無用の長物だったかといって音量を下げると棺桶は雑音を発するばかり僕らのギターはその辺の適当なアンプに繋がれピートBは衝立で僕らの足踏みから隔離されたそもそも床が傷むからと足踏みを禁じられた気が散るからあの赤いやつを消してくれとPが頼んで笑われたひとが入ってくるという意味が僕らにはわからなかったとある伝記作家の評によれば普段は獣さながらに痛烈な僕の声は小心者のように遠慮がちで気負いすぎのPは女みたいに声がうわずり語尾を変に強調しておりつまずきがちなGのソロは初心者と疑われるほど。 「洞窟をどっかんどっかん沸かす僕とPのギャグは肝心の聴衆がいないため空疎に響きピートBに至っては衝立の向こうでトランプのカードでも切っていたのではあるまいか目の前で熱狂してくれる観客の代わりに無表情な連中が窓の向こうで調整卓を弄っているだけでは張り合いがなさすぎて調子が出なかった
 要するに僕らは洞窟のぬるま湯に慣れきっていたのだ地元じゃどんなに人気でも一歩都会へ出ればこのざま弁解させてもらえば技術に制約のあった当時これはよくある話だったアンディ・ウォーホルのお抱えグループが計器の針を振り切らせるのは僕らが世界を変えた数年後でしかもパトロンの加護があってのこと馘にされたウェールズ人がプロデュースした元祖パンクバンドも音盤じゃおとなしいねなんて揶揄されたそうだしだからこそGMも僕らのデビュー作に実況盤を検討したのだけれど結果として僕らは調整室にさえ入れてもらえず教室で罰を受ける生徒のようにその場に立たされたまま自分らの冴えない演奏を聴かされるはめになったどうも思い描いていた成功とは様子がちがった演奏を終えるなり調整室から技師たちが飛び出してきて拍手喝采葉巻をくわえた偉いさんが僕らに熱烈な握手をその秘書がBEに契約書へのサインを求めてくるはずだったのにこのときの経験を僕とGは根に持ちおよそ四年後危険が増すばかりで自分らの演奏さえ聞こえない公演にうんざりしてからは録音所こそ我らが楽器とばかりに録音技術に極端にのめり込むようになる憧れの音盤会社をあとにした僕らはBEに夕飯を奢ってもらった店は繁盛していて給仕がなかなか注文を取りに来ず頼んだワインは何かを暗示するかのようについに出てこなかった僕らは水だけでもそもそと料理を口へ運んだ
 地元に帰ってからも僕ら三人はまだ華やかな成功を夢見ていて結果が出るまでの六週間ずっとあの話はどうなったんだいとBEを何度もせっついたBEも電話や手紙でデッカを何度もせっついた音盤会社としても取引先を無下にはできなかったのだろうついにBEはテムズ南岸を望む役員専用の食堂へ呼び出されそこでの昼食のために夜行列車へ飛び乗った新人発掘部門トップと営業部長及びその秘書は世間話に終始してなかなか本題に入ろうとしなかった悪い報せは食後のコーヒーとともに出されたいまどきギター主体のグループは流行らないどうしてもというなら百ポンド払えば音盤を出してあげてもいいですよというのだBEは一瞬ぐらりと心が揺らぎつつもお得意の癇癪を起こしふざけんなと丸めた紙ナプキンを叩きつけ椅子を蹴倒してというのは僕の想像で実際は感情をこらえてそつなくふるまったのだろう食堂を出て行きそれきり僕らとデッカの縁は切れた
 そのことをかれが渋々認めてからも僕らはお流れになったことをピートBに教えてやらなかった単に話すのがめんどくさかったからだ最初の渡独でその場しのぎに雇い入れただけでつるんで悪ふざけをする仲でもなく母親仕込みの金勘定や交渉術に免じてずるずると関係をつづけたにすぎないいい奴だけどつきあいは悪いしこの頃じゃすっかりやる気をなくして遅刻や病欠が重なっていた自発的か馘首かはさておき辞めるやつというのはそういうものなのだろうかSにしても最後の頃は客がまばらな明け方にはベースをKに押しつけて代わりに弾かせ自分は婚約者の隣に座って客として僕らを眺めたりしていて僕らもそれをとやかくいわなかった思えば僕は固定メンバーでの活動というものをザ・B以外に経験しないまま人生を過ごしてしまった学生時代のお遊びはいろんなやつが常に出たり入ったりしていたし妻とやっていたバンドはそのときどきで都合のつく奴を集めたPやGとちがって僕は安定した人間関係を築くのが苦手でそのことをMにたびたび批判されたそのくせあいつ自身にも似たようなところがあったから腹が立つ
 月末にはBEと秘書にフェリーに乗せられてマージー川向こうのバーケンヘッドにある仕立屋仕立てはイタリア風だが経営者はポーランド系ユダヤ人でやがてイスラエルへ移住することになるへ連れて行かれた秘書は護送中の囚人でも見るような目で僕らを見ていた採寸のために靴を脱ぐと店員やほかの客が猛烈に顔をしかめてゲホゲホと噎せた偉そうな店員に言葉遣いを叱られつつ裾をもっと細くしろとしつこく要求してやって三度も測り直させザ・フーの映画で描写された通りあの頃の若者はみんなそうだった)、 濃紺モヘア生地の細襟三つボタン上下を定価二八ギニーから五ギニーまけさせてついでに丸襟白シャツカフリンクス細い黒のネクタイ襟ピンなんかもひと揃い注文しその場で気前よく前金を支払った残りはマネージャに請求されあとから給料から天引きされるわけだ注文に凝りすぎて仕上がりはふた月後だといわれた店を出て振り返ると消臭スプレーが撒かれるのが窓越しに見えた
 帰宅すると伯母が台所仕事をしながらふんふん鼻唄をやっているところに出くわしたかつて母がそんな真似をしていたらまぁはしたないなんて顔をしかめた彼女がだスコットランド民謡を元にした旋律には確かに聴き憶えがあったのちに下宿人たちから聞きだした話によれば英国で売り出されたばかりの当時の僕らが一九九四年に映画になるまで当たることはなかったその珍しい音盤を彼女はだれよりも早く手に入れあの子たちが音盤をつくったのよ! と誇らしげに聴かせてくれたという甥に気づかれたのに気づくと彼女は歌うのをやめまるでそんなことなどなかったかのようにしれっといつもの説教をはじめた彼女を見つめる僕はきっと口をぽかんと開けていたはずだ表は悪天候だったけれど季節は確かに変わりはじめていた
 ハンブルクの用心棒HFと再会したのもこの頃だちょっと見ぬあいだにいっぱしの興行師になっていたかれは風俗店で成功した経営者と組んでひと儲けを企んでいた。 「スター座なる古い映画館を改装し大舞台と最新鋭の照明上等の客席つきの上階まで備えた豪華施設スター倶楽部として新規開店する僕らをその演し物の目玉にしようというのだちょうど二度目の渡独で公演したトップテンと契約寸前まで話が進んでいたのだけれど一千マルクの新札を握らされたBEがどちらを選んだかはいうまでもないその金は無言で瞬時にかれのポケットへ消え僕らは一銭たりとも目にしていない通訳としてHFについてきた歌手兼ピアニストはまだトップテンに所属していて数日間の休みをとっての渡英だった業界の浮き沈みを目敏く読んだってわけだ演者も客も奪われた店は案の定閑古鳥が鳴いてすっかり落ち目十位圏内トップテンどころかランク外になる
 閑話休題人生に飽いた青年実業家が手つかずの鉱脈を発見し危険に踏み入るスリルとない交ぜの昂奮を味わったさらにそのひと月ほど前かれの店に並ぶ地元音楽誌にはザ・Bにまつわる暗い噂の真偽を尋ねる手紙が掲載されていたやがて僕らの活動末期には横断歩道を裸足で渡るPは替え玉だとか僕がかれを葬ったアイ・バリード・Pとかクラン・ベリー・ソーォォオスと歌っただけなのに!とかいったばかげた噂が広まることになるけれどこれはその最初期の例で不吉さにおいては当たらずとも遠からずだった元ベーシストは疑われたような交通事故死こそしていなかったものの耐えがたい頭痛のため塞ぎ込んで神経過敏になり勉学に支障が出はじめていた最初のうちAと母親はそれまでの分を取り返そうとするかのように画業に打ち込む様子から疲れや睡眠不足のせいと見なし根を詰めすぎよなんて笑っていたが脱退の翌月にはさすがにおかしいということになり検査を受けさせたところ胃炎盲腸の痛み肺の影線の腫れが認められたAの母親が支払う治療費がかさむのに気兼ねしたSは国民健康保険を使うつもりでAに付き添われて帰省したところがセフトン総合病院の担当外科医にどこも悪くない気の病ですなと決めつけられた挙げ句母親にまであたかも婚約者のせいであるかのように当てこすられて早々にとんぼ返りするはめになったおかげで僕はこのときかれに逢っていない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。