世界公演をきっかけにMと僕らの関係は変わりはじめた。 Rのお粗末な代役を務めるあいだMはたびたびPに助言を求め、 顔を突き合わせて話し込むようになった。 誕生日という共通項のあるふたりはこれを機に急接近し、 八月の米国公演ではマルEをお遣いに出してビートニク作家のペイパーバックを山ほど買い込んだPが、 得意気に講釈を垂れてはMと文学論を闘わせるようになる。 政治や宗教についてMと話し込むGもたびたび見かけた。 元海軍少佐との一件以来、 このふたりには他人にはわからぬ絆が生じたようだった。 仲間たちがこの僕を差し置いてMと個人的な話題を共有するのが僕にはおもしろくなかった。 サンチョ・パンサのごとき忠実な家来を奪われたかに感じたのだ。 病床のRはRで、 付け鼻の贋物に職を奪われることを本気で心配していたらしい。 そのことを知った僕は (そしてM本人も) 思わず噴き出してしまったけれど、 子ども時代の大半を病床で過ごし、 同世代との交流が少なかった上に、 数年遅れて僕らの仲間に加わったRにとっては切実な問題だったようだ。 おかげでRはどんなときも心から味方をしてくれる相手だと悟るまで、 数ヶ月はMによそよそしく接した。 ハンブルク時代、 自分が歌唱するコーナーのたびに大喜びのMに拍手喝采されていた癖に (なぁR、 僕だってあんな賞賛は受けなかったぞ)、 そんな態度をとるのだから筋金入りの人見知りだ。 病床で鬱々とするRのために、 婚約者は仕事を休んで地元から飛んできて、 甲斐甲斐しく世話を焼いてやったらしい。 一八歳の見習い美容師に海外行きの飛行機は思いきった冒険だったはずだ。 本人たちから直接聞いたわけじゃないけれど、 気が弱っていたRはきっと当時の男なら滅多にさらけ出さぬような不安や悩みを正直に打ち明けたのだろう。 Cと同じく夫は家族を養うため外で働き、 妻は家族に気を配り子どもを産み育てるものという古めかしい価値観で育った婚約者は、 やはり僕へのCの思いと同様に、 このひとには自分がいなければだめだ、 一生かけて支えてやらねばと若いながらに決意したにちがいない。 彼女はそれぞれの夫が離れたのちも、 Cと生涯の友情で結ばれることになる。
思い返せば当時の僕らはとにかく若すぎて何もわかっちゃいなかった。 アムステルダムから三六マイル離れたブロッカーの展示場では、 舞台の合間にちょっとした待ち時間があったので、 これ幸いと楽屋でうたた寝を貪った。 地元食堂での歓迎会といくつかの催事に参加するはずだったのを報されていなかったのだ。 警護にかけては油断を知らぬかに見えたMでさえも、 僕らに押しつけられた大役に疲れきって鼾をかいて眠りこけた。 すっぽかされたファン (またしてもむくつけき野郎ばかり) は荒れ狂い、 暴動寸前になったとのちに聞かされた。 いま振り返ればこれは二年後に降りかかる災難のいわば予兆だったのに、 僕らときたら悪い悪い、 うっかりしちゃった程度の認識で、 この失敗から何も学ぼうとはしなかった。 あるいは僕らはちょっとばかり増長しはじめていたのかもしれない。 BEにしてもそんなちっぽけな仕事は無視しても構わないと侮り、 僕らに何もいわなかった。 僕らもそんなちっぽけなマネージャに説教されたところで、 無視しても構わないと侮っていたのだから、 どのみち出席はしなかったろう。 飛行機は僕らの乗り継ぎのために一時間も待ってくれた。 無関係の乗客に迷惑をかけておきながら僕らはそれが当たり前であるかのように平然としていた。 侮りつつもなんだかんだ世慣れた大人の見本にしていたBEが、 まさにそんな態度だったからだ。
ジツゾン組から 「親分」 とまで綽名された僕は、 ザ・Bにかけては自分こそ兄貴分であり、 だれからも指図される謂れはないと思っていた。 BEと出逢わなくても成功していたと人前では豪語したし、 当の本人に対しても、 宗教や性的指向のことで残酷にからかうばかりか、 あんたはおれらを働かせるばかりで何もしていない、 などと事実無根の難癖をつけたものだ。 あとの三人だって僕ほどじゃなくとも似たり寄ったりで、 それでも内心ではみんな言葉にいい表せぬ深い恩義を感じていた。 この頃のBEが、 成功の方程式をほかの歌手やグループに当てはめようと業務を拡大する一方、 何ひとつ人任せにせず抱え込んで働きづめなのは、 Mに忠告されるまでもなく三人ともわかっていた。 たまに性質の悪い男にひっかかってこっ酷くぶちのめされたり、 身ぐるみ剥がれたりするのを別にすれば、 あの頃のBEに私生活なんて微塵もなかった。 過労死なんて言葉は当時はなかったけれど、 このまま会社が大きくなりつづければ死んでしまうと、 身近で知るだれもが心配していた。 それでも僕らはかれに、 ほかの所属芸能人になど脇目をふらず、 四六時中ザ・Bのことだけを考えていてほしかった。 あの頃を振り返れば舞台袖のBEが思い浮かぶ。 会場を埋め尽くして絶叫する観客の前で、 両脚を踏みしめリッケンバッカーをかき鳴らして歌いながら、 ちらりと視線をやる——すると客席や天井に視線を巡らすMの横で、 あのユダヤ人青年実業家がうっすら涙を滲ませて僕らに見惚れていたものだ。 僕ら四人はかれに、 舞台だろうと録音所だろうと演奏しつづけるかぎり、 永遠に生きて見守っていてほしかった。 僕らを世に送り出したからにはそうするのが当然の義務と思っていた。 だから初の世界公演前にかれが珍しく弱気になって、 僕らの管理をどこぞの馬の骨に譲渡するなどといいだしたときには猛烈に反対した。 ずっと反抗的で喧嘩腰だったPでさえも、 あんたと別れるくらいなら解散すると宣言したものだ。 GとRがそうだそうだと力強く肯き、 糞喰らえと僕が罵ってその件は終わった。 BEはそのときも顔を真っ赤にして感涙していた。
三〇時間もの飛行を僕らは床に座ってコークハイと豆ッコでやり過ごした。 機長はきみらのだれがRなの、 娘が署名をほしがってるんだといった。 Gは眉を上下させてPに、 おいR署名してやれよ、 意地悪するなよといいつづけた。 燃料補給のために立ち寄ったベイルートでは滑走路に侵入したファンに警察が消化器の泡を浴びせた。 カラチでお土産を買おうと飛行機を抜け出したPは、 午前二時だというのにファンが殺到したんですごすごと戻ってきた。 朝六時にひっそりとお茶を飲めたカルカッタでは、 いい国だ、 いつかゆっくり遊びに来たいとGが感想を述べた。 バンコクの空港では僕らの名を連呼する千人の学生を宥めるためにタラップを降りて、 署名したり接吻を受けたりせざるを得なかった。 MはGに乞われるまま、 かれの母国が敗戦までアジア各地でやってきた悪行の数々を講義した。 これからまわる地域の大半で残虐な逸話があった。 僕らと同世代のはずのあいつが実際にその戦争を経験したはずはなく、 本人も教科書に載っているくらいしか知らないといっていたのに (国は都合のいいことしか教えないともいっていた)、 その語り口は当事者でしかあり得ない説得力に満ちていて、 僕らは茶化しながらも真剣に耳を傾け、 質問したり議論したりした。 つづけるためだけに永遠につづく未来の戦争や、 あいつが放り込まれた 「挽肉の壁」 についてはまだ聞かされていなかったものの、 元英国海軍少佐への剥き出しの悪意がいかなる経験によるものか、 なんとなく察せられたものだ。 日本軍が敗退したあとには、 引き裂かれたり軍事政権になったりした国が多いともあいつは話していて、 英国とは事情が違うんだから気をつけろよと警告されたのに、 二年後の僕らはすっかり忘れて痛い目に遭うはめになる。
話に夢中になっていたおかげで九龍の啓徳空港に着いたときには、 もう? って感じだった。 税関や入国管理局といった七面倒くさい手続は飛ばしてもらい、 恆豐酒店の一五階へ移送された。 豪華なスイートにあとのふたりと付き人たちが感嘆の声をあげているとき、 Mはいかめしい東洋の警官たちを広東語で破顔させた。 短い談笑を僕に見られたのに気づいたMは、 地元出身と思われたみたいだ、 日本人だってのは黙っといてくれと耳打ちしてきた。 その夜はミス香港の催事に呼ばれていた。 疲れと時差惚けで遠慮した。 すでに述べたように僕らはその手の仕事をしょっちゅうすっぽかし、 BEもそんな僕らのわがままに慣れていた。 ところが何人もの参加者が泣き出したと地元関係者から聞かされ、 コンテストに出るような美人たちを哀しませた事実に、 僕は少々気が咎めた (そういうとこだよとMは呆れた)。 そこでひとりホールへ降りて顔を出し、 東洋の女性はみんな綺麗だねとかなんとか感想を述べた (あーあーデレデレしちゃってとMは嘆いた)。 翌日の新聞記事のために、 参加者ふたりを部屋に招いて写真を撮ったとき、 片方の美人を膝に乗せたPはなぜか裸足だった。 録音所前の横断歩道で適当に撮った写真を目にするたびに、 解散直前のつらい空気と、 商売が上り調子で僕らの仲も順調だったこの頃のことを対比するように思いだす。 香港美人のことでMには散々からかわれたし、 満更でもなかったのは認めるけれど、 この夜に僕が考えていたのはCのことだった。 エキゾチックな土地に身を置くほど離ればなれの彼女が恋しくなった。 赤ん坊を連れてくるわけにも丸ひと月ほったらかすわけにもいかず、 子どもには母親が必要だと僕たち夫婦は考えた。 同様に父親も必要だってことに僕のほうは思い至らなかった。 混乱した環境で育った僕は家庭なるものがどうあるべきか知らなかった。 王妃劇場では欲をかいた興行主が、 成人男性の平均的な週給に相当する値付けをしたので切符が売れ残り、 客はまばらで英国人ばかりだった。 空港で出迎えてくれた千人とおなじ顔がそこにいるとは思えなかった。 演奏をちゃんと聴いてもらえたのはよかったけれど張り合いがなかった。 切符に手が届かなかったファンが暴動を起こしかねず観光は諦めた。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)
- Isn’t It A Pity(2)
- Isn’t It A Pity(3)
- Isn’t It A Pity(4)
- Isn’t It A Pity(5)

@ezdog Jの心のさびしさみたいなものが感じられる回だなぁ。MがPやJと仲良くなって嫉妬するなんて。そしてBEとの結びつきの強さも感じる。小さな催事をすっぽかす様子に不穏な予感も感じつつ、異国の地でCを想うJの気持ちにしんみりする。
@ezdog Mの広東語ペラペラっぷりも面白い。最近未来人らしい活躍が続いているのがSFらしくていいなぁ。