夜明け前だというのにロビーでは昂奮した若者たちが警官隊と小競り合いをしており、 ひとりあたり数名に護られて到達した水浸しの玄関口では、 赤色灯を回転させる警察車両が白いリムジンのまわりを固めていた。 PとRは先頭車に振り分けられ、 BEは警察の制止を振り切って強引に同乗した (Mはわざわざ通訳しなかった)。 これまでどの国でも受け入れ側が事態を甘く見たことこそあれ、 これほど厳格な規則に従うよう求められたことはない。 プロフェッショナルを通り越して、 まるで国粋主義者たちが僕らに仕掛けようとしている爆弾そのものにでもなった気分にさせられた。 言葉を交わす隙もなく二台目へ押し込まれる僕とGに、 Mはそっけなく手を振った。 僕はきっと不安そうな顔をしたのだろう。 日本警察を信じろよJ、 先進国への返り咲きを目指すこの時期に、 むざむざと国際問題を生じせしむるのは政治家連中だって望んじゃいない、 おれはちょっとここでやることがある……そういって笑うとあいつは警護の列をすり抜け、 殺到してわめき叫ぶ人垣の向こうへ消えた。 どこかで犬の吼える声がした。 BEに倣ってトニーBが僕らの後から滑り込み、 扉が締まった。 リムジンは十台以上のけたたましいサイレンを引き連れ、 徹夜で待っていた一五〇〇人を素通りして速度をあげた。 あとで聞いた話ではその全員に厳重な手荷物検査が実施され、 ひとりにつきふたりの警官が貼りついたそうだ。 のちにタルコフスキーの退屈なSF映画で再びお目にかかる曲がりくねった高速道路は、 一般車が締め出されて全交差点が通行止めとなり、 武装した白バイが僕らに伴走した。 護るよりもむしろ逃すまいとするかのようだった。
ヒルトンで貸し切られた一九階の、 寝台をふたつずつ備えた二寝室からなる一〇〇五号室は 「貴賓室」 と呼ばれていた。 角の左右に配置された長椅子、 孤島のような執務机、 果物の籠やら四人宛ての贈り物やらを乗せた箪笥、 屏風で隔てた広い居間には八脚の椅子に囲まれた食卓。 回転式拳銃を腰に吊った制服警官が、 部屋の前と同階のあちこちに仁王立ちした。 隣室内や階段やロビーなど建物内のあらゆる場所に総勢二〇〇〇人が配備され、 さらには空港から宿、 宿から武道館、 そして会場内といった道筋において、 私服刑事から狙撃手、 手伝いに駆り出された麹町消防署員まですべて合わせると、 のべ三万五〇〇〇人が群衆整理や警護に動員されたと聞く。 BEは廊下の先のおなじく仰々しい部屋にひとりで泊まった。 建物の出入口は二四時間の交代制で監視され (仮眠のため入れ替わる警官はどの顔も区別できなかった)、 出発準備を済ませるのが一二時七分、 警備班が本部つまり僕らの部屋に着くのが一二時一〇分、 昇降機前が一二時一二分でロビー到着が一二時一六分……といった具合に、 滑稽なほど厳格で綿密な管理下に置かれ、 会場への車に乗せられるまで僕らは一歩も部屋から出られなかった。 あとでMに教わったところによれば軍事作戦とはそういうものだそうだ (ただし計画が機能するのは遠く離れた安全な都会の、 空調の効いた清潔な作戦室にいる連中の空想においてだけだともあいつはいった)。 僕らは無表情な制服の男たちに囲まれながら、 午すぎまで気絶するように眠ったのち、 午後二時半に 「真珠の間」 なる巨大宴会場へ通され、 現地報道陣と海外特派員を前に、 一時間も記者会見と撮影に応じさせられた。
先に十分間の写真撮影を済ませてからトニーBが僕らの傍で司会をし、 指名した記者に助手たちがマイクを向ける、 といういつもの質疑応答の段取りはここでは通用しなかった。 部屋の端で腕組みして壁にもたれながら僕らに親指を立ててみせるMもいないし、 それどころか好きな順にも座れない。 僕らは珍獣のお披露目といった趣で、 緞帳まで備えた高い舞台上の、 金ぴかの壁と白布をかけた長卓のあいだに、 等間隔に離れて座らされた。 僕が言葉に詰まるたびに力添えしてくれるGはPの向こうで遠すぎたし、 冗談やいいまちがいで場を和ませてくれるRは向こう端。 トニーBやBEに至ってはさらに遠く離れた場所にいた。 さんざん日本への憧れを掻き立てておきながら肝心の案内役が消えちまったんだから、 持ち前の沈着冷静ぶりにも磨きがかかろうってもんで、 気もそぞろな僕は小便でも我慢しているのかとPにからかわれるほど落ち着きがなく、 不自然な笑みで両手で卓をぱたぱた叩いたりPに話しかけたり、 かと思えば肩肘ついて手で頭を支えてぼんやりしたりした。 どの質問も意識を素通りした。 日本語だから当たり前だ。 聞こえてるかと通訳に何度も訊かれた。 そのくせこっちが口を開くとまだ通訳中だと横柄に遮られる。 たかだか数メートル先が地球の裏側からの中継みたいだった。 拙い英語をお許しくださいなどとあらかじめ謝られるから、 こっちこそ訛りがきついし辞書なんかで爆笑するほど語彙に乏しいのに妙だとは思っていたのだ。 もとより記者会見では口数が減りがちなGはいつにも増して大人しく、 Pもやはり心のどこかでMをあてにしていたのか、 グループを代表して如才なくふるまいながらもせわしなく煙草をふかしつづけた。 常に愛嬌ある返答を心がけるRもまた、 のちに声をあてることになる機関車さながらに喫煙に逃避していた。
家族ぐるみの交流はあるかとの質問に、 伯母のことを考えていた僕はなんで親のことなんか訊くんだよと喰ってかかった。 Cや息子の存在は忘れていた。 金と名声の次に何を求めるかと問われ、 世界平和と答えると、 爆弾を廃絶せよとPが調子を合わせてくれた。 神聖な武術の場での演奏は冒涜だとか、 伝統の価値観から遠ざけて少年犯罪を誘発するとの声もありますが? この問いは心配性のMのおかげで僕らも予期していた。 ただ頼まれただけさ、 僕らだって伝統は大事だとPは肩をすくめ、 格闘より歌うのを見るほうが平和だろと僕も言葉を添えた。 神経症的で暴力的な反応についちゃどうです、 若者の憂さ晴らしに利用されてるのでは? この挑発もPは柳に風と受け流した、 それならサッカー試合のほうが世界中で負傷者を出してるよ。 暴力沙汰も多いしなと僕。 でも本当は烈しい反応を期待してるんでしょう? 受けなきゃ別のことをやるだけさ、 ただ舞台で歌うだけでご大層な考えなんてないとP。 この受け答えを親父さんが見たらさぞかし誇らしく思っただろう。 見事なスポークスマンぶりを信頼してPに任せておけばよかったのに、 ヴェトナムについて尋ねられた僕はつい口を滑らせてBEの寿命を縮めた。 毎日考えてるさ、 同意できないしまちがってるね、 でもせいぜいその程度の関心で、 やれるのもそれが限界だ……厭だと発言するくらいがね。
音楽がいかに世界を変えうるか。 一九六六年のJLが自信のなさを窺わせたこの話題に、 きっとMならいいたいことが山ほどあったろう。 鉄のカーテンの向こうでX線フィルムに刻まれた僕らの音源が密かにまわし聴きされていたと知ったのはインターネットの時代になってからだ。 くだんの駝鳥男の音盤もまた命がけで聴かれていた。 我らがマネージャが属する少数者や、 Mが受けてきたような虐待、 それに当時の僕らが隠した麻薬使用について公然と歌いつづけたこの詩人は、 四半世紀後、 東欧の大統領にまさにおなじ問いを発している。 ワルシャワ条約機構軍によって改革運動が潰されたあと、 バナナの次作を母国へ持ち帰って仲間内でこっそり聴きつづけ、 自由な音や言葉に勇気づけられて幾度となく逮捕、 投獄されながら人権憲章を起草し、 ついに無血革命を成し遂げた劇作家はこう応えたそうだ。 音楽だけじゃ足りない、 でも人間の精神を呼び醒ますものの一部として大きく貢献できる……と。 人間の精神とはいったい何だろう。 掌中の端末が世界を変えはじめた頃、 Mの故郷が津波で流された年に没した大統領が信じたような、 人権や民主主義といった崇高な理念か。 それともその端末を通じて多くの人生を操り、 台なしにして高笑いする暴力か。 僕らの音楽は果たしてMの信念の側にいられたろうか。
会場への三キロほどの車中で僕らは、 沿道の群衆を手際よく交差点や橋のたもとに集める機動隊に見蕩れた。 流れ弾の被害をなるべく抑えてテロ犯を射殺しやすくするためだとは思いもしなかった。 空調の効いた楽屋は、 調律や練習をする広さが充分にあり、 高級家具が用意されていて寝台で寛ぐこともできた。 着物美人がしずしずと絶え間なく出入りして、 紅茶や、 いま思えば寿司だったろうと思われる軽食を差し入れてくれた。 今回の公演旅行で僕らは二着の衣裳を新調していた。 ミュンヘンでも披露した襟が赤橙になった開襟シャツに、 東京の初日では橙の細縞がはいった薄鈍色の背広を合わせる予定だった。 ところが採寸時はぴったりだった僕の細身トラウザーズが土壇場になって入らなかった。 運動せずに寝てばかりいたからだ。 僕だけ別の衣裳ってわけにはいかないんで、 初日はミュンヘンとおなじ襟が別珍の深緑の背広にして、 別の回では明るい色の上衣に黒トラウザーズを穿くことになった。 遅れて現れたトニーBは宿のロビーで数名の少女に取り囲まれて警告されたのを僕らに黙っていた。 右翼系学生団体が機関誌に殺害予告を出しているのに官憲が手をまわして報道されない、 公演に踏み切ってザ・Bの命を危険に晒すのはやめて、 と涙ながらに訴えられたのだ。 それがあながち荒唐無稽な陰謀論でもなかったのを、 トニーBはのちに英国大使館に送りつけられた脅迫状について聞かされて知ることになる。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)

@ezdog やはり日本の警察はカッチリしている……というか、ほんと軍隊みたいだよなぁ。この件に関してはすごいと素直に思えない……。「護るよりも逃がすまい」という感じがよくわかる。
記者会見の様子も色々な意味で日本らしい。無意味に間隔を開けられたBのやつらの様子を想像したら可笑しくなった。右翼の爆発予告が不穏ではあるけれど、きっとMがなんとかしてくれているんだ!という安心感がある。