CLOUD 9

連載第59回: Flying(2)

アバター画像杜 昌彦, 2025年11月26日
Fediverse Reactions

人生であれほど死に近づいたのは翌年を別にすれば一九八〇年六月くらいだ僕は血の気がひくのを感じ脂汗をかいて座席の肘かけを握り締めたCと二歳の長男を想ったおなじ部屋にいる息子をほったらかして本や新聞を読んだりテレビを観たりMとどうでもいい会話をしたり銃や爆弾がどうとかいって怯えることはさすがになくなったもののあいつも子どもとどう接したらいいかわからぬようだったかけがえのない成長の瞬間をみすみす見逃しつづけた愚かさを痛感した僕は四文字言葉を連発して猛然と立ち上がるや疾風のごとく非常扉の把手に飛びついて羽交い締めせんとするMを振り払った一九六三年に僕を軽々と投げ飛ばしたあの日本人をだ後日あいつがのたまったところでは日本語でその手の神経症的怪力を火事場の莫迦力というのだそうな飛行機ってのは一方のエンジンを喪っても飛べるようにできてるんだとか高度やら気圧差やらについてもMは解説してくれたけれどどうせなら僕が再び扉へ突進してマルEに体当たりされる前に教えてほしかった
 せいぜい三十分のはずが永遠に思えたエレクトラ機は緊急消防隊が撒布した泡の上に何事もなく着陸した泡に包まれたエンジンはあっさり鎮火した拍手が沸き起こってしかるべき場面だけれど前座の連中や付き人たち記者団のだれにもそんな気力はなかったMでさえ気の抜けたような顔をしていた——もっともあいつはいつだってそんな間抜け面だったのだけれど宿に備えつけの聖書を好むあいつやメダルを胸に下げたRを別にすれば信心深いとはいえない僕らも音楽が危うく再び死にかけたこのときばかりは深い溜息をついて神に感謝しもう二度と飛行機なんか乗るもんかと誓ったしかし公演を投げ出して船で英国へ逃げ帰るわけにもいかずLAへの移動にはおなじロッキード社製でも骨董品のコンステレーション機が使われた第二次大戦中の主力機で大手航空会社からのお下がりだ僕らはみんな機内の古臭い装備を疑いの眼で見つめたGは巻かれて埃を被った縄を頭上の物入れで発見した訊かれるより先に添乗員が緊急脱出用の梯子だと説明したGが長さを尋ねると一二フィートだというでは今夜われわれは一三フィートの高度を保つこととしよう! とGは厳かに宣言した
 この公演旅行で僕はCや伯母に随分たくさんの手紙を書いた別に火を噴いたエンジンのせいじゃないもとより僕は手紙魔で近所の洗濯屋への苦情でさえ便箋を何枚も費やしたものだけれど海を跨いだ通話でさえ高価で不便だったこの時代には回線が繋がりさえすれば掌中の端末で世界中どこでも即時にやりとりできる未来なんてM以外だれも知らず僕やSのように書くことにそしてMのようにことに取り憑かれていなくともひと月も家族と離れたらむしろそんなのが当たり前だった数秒の動画を指先でスクロールして消費する現代じゃたかが数行を送信しただけで孫に長いと不平をいわれるのだから寂しいものだいつものように仲間と莫迦をやって笑い転げながらもふと谷間のような昏い一瞬楽屋で何時間も出番を待っているときなんかにだれの愛も繋ぎ止められない身勝手を不意に自覚してどん底まで気持が沈むことがあの頃の僕にはあった親父そっくりなことをやっている自覚があり再会するたびに成長している長男が僕を憶えていてくれるか心配だった息子と会うたびに目尻が下がり態度が変わるPのほうがむしろ実の父親らしく思えて劣等感に打ちのめされたお袋と僕がそうだったみたいに碌にわかり合う前に何かあったら取り返しがつかないと思った息子にありのままの自分を記憶に焼きつけてほしかった
 二歳の長男に海外通話はまだ早かったそこで僕はCが読み聞かせられるよういつか成人した我が子が読み返せるように手紙をしたためた世界で経験した冒険の数々や家族に逢えない寂しさ仕事を終えて帰宅する日がどれだけ待ち遠しいかをひたすら書き送ったその感情に嘘はない僕が想うのと同様に妻子にも恋しがってほしかったでもご存知の通り数年後に僕はかれらをあっさり棄てちまい無慈悲にも過去の亡霊扱いするようになるMはあたかも世界の終わりのように怒り狂いGとRは僕の機嫌を損ねるのを畏れてCと距離を置いたPだけは何事もなかったかのように平然として住む家さえ喪って困窮したCと息子にそれまでと何ら変わらず接しつづけたそればかりか競売に出された僕の手紙をわざわざ買い戻して額に入れてCに贈りまでしたらしい人づてにその噂を耳にしても何も感じぬほどその頃の僕は変わってしまっていた
 時間が速度を緩めたのはエレクトラ機の一件だけであとはまた大麻の夢を見るうちに轟然と流れ過ぎた九月二日に帰国し長男と取っ組み合って遊んだりファンからの手紙を整理したりCに入れてもらったお茶を啜りながら家がいちばんだとしみじみ繰り返したりウエストエンドホテルの続き部屋での逢瀬を重ねていたウィンストン夫人こと年増歌手が痩身薬の注射で健康を損ねたってんで病院に見舞ったりするうちに一〇月一日にはPが夢で聴いたのを元にした曲が全米番付で一位になった。 「掻き卵なんて仮題で年増歌手とピアノを弾いてふざけていた時点では想像もつかぬ快挙だ弦楽四重奏を重ねたPの弾き語りを調整室で再生したらあと三人の出番がないことに全員が気づいた叩きようがないとRがいいギターは一本で充分とGも認めGMや録音技師付き人ふたりを含む全員の視線が僕に集まった活動末期には四人各自が分かれて収録するのも珍しくなくなるけれどこの時点では単独の演奏をザ・B名義で発表するなんて前代未聞だった僕は責任を押しつけるべくMを見たみんなの視線もつられて移動したMは肩をすくめきっと昨日はそうなることが最初から決まってたんだよと述べたほらPだって自分のだって信じられなくてなんて曲かみんなに訊いてまわってたじゃないか……本当にいいんだなとGMが僕らの顔を見渡し僕らは重々しく肯きそれで決まった
 僕が指一本関与していないこの曲がザ・Bの代表作として扱われるたびに誇らしいような妬ましいような悔しいような複雑な心境にさせられる見ず知らずの他人にあれ歌ってくださいよと何度せがまれたことかやわな曲で強面グループの印象を壊したくなくて英国ではシングルにしなかったのを悔やみ以後の公演ではPの見せ場にしたスポット照明を当てて僕があいつを紹介し弦楽四重奏の代わりにVOXのオルガンを弾いてやる目立ちたがりで有名な僕だけれど引き立て役だってお手の物これは受けに受けたPのファンは感動のあまり卒倒し舞台袖でBEは真っ赤な顔で涙ぐみMときたら執拗に向こうを張って明日を書けよとけしかけてきたこういう厄介なところがあいつにはあった何かにつけてPと競わせたがるのだ張り合うといえば僕はMをサンチョ・パンサのごとき生意気な家来のように思っていたのだけれどPのほうではまるで対抗するかのようにマルEをお供に連れ歩いていたペパー軍曹の案もふたりで考えたって噂だし向こうも家来が主人にけしかけたり入れ知恵したりしていたのかもしれないうっせえな用心棒風情が首を突っ込むなよと怒鳴りつけてやりながらも負けず嫌いの僕は明日とやらを無意識にこねまわしやがて新曲マークⅠにRの言葉から着想した歌詞を充てることになる


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

連載目次


  1. Born on a Different Cloud(1)
  2. Born on a Different Cloud(2)
  3. Born on a Different Cloud(3)
  4. Get Off Of My Cloud(1)
  5. Get Off Of My Cloud(2)
  6. Get Off Of My Cloud(3)
  7. Obscured By Clouds(1)
  8. Obscured By Clouds(2)
  9. Obscured By Clouds(3)
  10. Cloudburst(1)
  11. Cloudburst(2)
  12. Cloudburst(3)
  13. Over the Rainbow(1)
  14. Over the Rainbow(2)
  15. Over the Rainbow(3)
  16. Devil’s Haircut(1)
  17. Devil’s Haircut(2)
  18. Devil’s Haircut(3)
  19. Peppermint Twist(1)
  20. Peppermint Twist(2)
  21. Peppermint Twist(3)
  22. Peppermint Twist(4)
  23. Baby’s in Black(1)
  24. Baby’s in Black(2)
  25. Baby’s in Black(3)
  26. Baby’s in Black(4)
  27. Hello, Goodbye(1)
  28. Hello, Goodbye(2)
  29. Hello, Goodbye(3)
  30. Hello, Goodbye(4)
  31. Hellhound on My Trail(1)
  32. Hellhound on My Trail(2)
  33. Hellhound on My Trail(3)
  34. Hellhound on My Trail(4)
  35. Nobody Told Me(1)
  36. Nobody Told Me(2)
  37. Nobody Told Me(3)
  38. Nobody Told Me(4)
  39. Paperback Writer(1)
  40. Paperback Writer(2)
  41. Paperback Writer(3)
  42. Paperback Writer(4)
  43. Anywhere I Lay My Head(1)
  44. Anywhere I Lay My Head(2)
  45. Anywhere I Lay My Head(3)
  46. Anywhere I Lay My Head(4)
  47. Anywhere I Lay My Head(5)
  48. Crippled Inside(1)
  49. Crippled Inside(2)
  50. Crippled Inside(3)
  51. Crippled Inside(4)
  52. Crippled Inside(5)
  53. Mother’s Little Helper(1)
  54. Mother’s Little Helper(2)
  55. Mother’s Little Helper(3)
  56. Mother’s Little Helper(4)
  57. Mother’s Little Helper(5)
  58. Flying(1)
  59. Flying(2)
  60. Flying(3)
  61. Flying(4)
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“Flying(2)” への1件のコメント

  1. ::: より:

    @ezdog Jが飛行機から飛び降りなくて本当によかった!しかし怖かっただろうなぁ。梯子のエピソードが面白い。

    せっせと手紙を書き送るJの気持ちの切実さがよく分かる。家族を大切に思っていた気持ちがこの時は本当に本当だったんだなというのが温かくも切ない。それにしてもPはいいやつだなぁ。

    「明日」を書けよと言うMのしつこさが面白すぎる!Mがしつこすぎたおかげで名曲ができたと思うとなんだか楽しい。Mがサンチョ・パンサというのはぴったりすぎる!いいな!