レイパーバーンへ繰り出そうぜと口々に誘われたが断った。 戸惑い失望する旧友らを見るのは後ろめたく気まずかった。 Mは予定が詰まっているのを口実に、 Aを残してあとの連中を無慈悲に追い返した。 いま思えばあいつは楽屋へ届いた匿名の電報のせいで神経過敏になっていたのだ。 危険だから東京には来るなと訴える警告あるいは脅迫を、 あいつとBE、 トニーBは僕ら四人に黙っていた。 昔なじみの連中は見たいものだけを見て僕らの変化に気づかなかった。 あとでAが書き送ってくれた手紙によれば、 ザ・Bの四人は成功しても謙虚なのに 「おとぼけ忍者」 はひとが変わっちまったと連中は口々に嘆いたそうだ。 Aは僕に贈り物を手渡してくれた。 かつて僕が海を隔ててSに書き送った手紙の束からは、 Sが何度も読み返してくれたこと、 Aがその日まで大切にとっておいてくれたことが感じとれた。 再会した若き日の僕は、 どの便箋でも言葉の礫を力任せに次々と暴投し、 我が初代編集者はいずれも見事に受け止めて投げ返していた。 冗談の応酬は情熱でもあり、 過去に置き去りにした思い出でそれだけは明日の輝きを喪わなかった。 記者会見では二作目の本について、 おふざけなのか文学なのかと問われた。 どっちもだよと僕は応え、 報道陣の向こうでMが力強く肯くのに励まされて先をつづけた……つまりさ、 どっちか片方だけの必要はないだろ?
マリアンヌ・フェイスフルの話じゃキャベンディッシュの家へ遊びに行ったとき、 甘ったるい煙をきらう恋人が窓を開けるたびにPが締める、 というくだりがバスター・キートンよろしく延々と繰り返され、 長く保たないのは明らかだったそうだ。 それと較べるとBEの癇癪は独り相撲に見えた。 総理大臣が来日に反対し、 和服でふんぞり返った政治評論家が乞食芸人呼ばわりし、 少年犯罪を助長すると訴えるチラシを教育団体がばら撒き、 こうも嘆かわしい世になったのは精神が弛んどるからだ、 と徴兵制復活や憲法改正が叫ばれて、 右翼が記者の前で公然と爆破テロを予告し、 危ないからと小学校がたとえ父兄(この国じゃ養育の責任は女ばかりが負わされるのに子どもの人生を好きにする権利は年長の男にあるんだとMは説明した) 同伴でも観覧を禁じ、 主宰新聞社の社主にして武道館会長の大立者が、 日本古来の精神への冒涜と激怒したにもかかわらず、 ほかに収容能力のある会場はないとか、 天候に左右される屋外は困るなどといって、 わざわざ調整のために来英した興行主を追い返してまでBEが計画を押し通したのは、 あるいは警備の都合や、 武道だけじゃ採算がとれない会場の算盤事情だけじゃなく、 あの青年実業家の、 個人的な当てつけも背景にあったように思う。
前回のアジア公演でMが話してくれたところによれば、 あいつの母国じゃかつて資本家と政治家と軍人が結託し、 急ごしらえの宗教で上書きした歴史でもって、 侵略を何かいいことに見せかけて国民を熱狂させた結果、 だれもが国家の血統から、 地域社会の連絡網や家庭のありよう、 相撲や武道のような庶民の娯楽に至るまで、 捏造された 「伝統」 に染まっていまだ脱せず、 戦勝国によって人権や民主主義の物語を、 社会を解体すべく押しつけられたとの思い込みが根強いとか。 一九六六年のあいつもその話を蒸し返し、 性差すら超越するきみらがいまこの時勢で、 国家カルトが神聖視する武道館において自由な考えを歌うのは、 あまりに危険すぎると強硬に主張した。 路上と戦場において血と泥と餓えと病で叩き込まれたその理屈が、 いいとこのぼんぼんであるBEにはわからず、 わからぬ理屈がMにはわからなかった。 Mの母国をこの目で見てみたい気持こそあったものの、 やるもやらぬも稼げさえすれば構わぬ僕らは、 あのふたりが些細なことで口論するたびに、 他人の寝室を盗み見た気分にさせられた。 とりわけ僕とGとRは、 お嬢様女優といるときのPを連想せずにいられなかった。 気を惹きつつも肝心なものは与えない手口がいつまでも通用すると踏んだのなら、 見込み違いもいいところで、 その認識の甘さがやがて僕らを破局へ導くことになる。
マルクを円に両替する余裕もなくいったんヒースローへ引き返し、 日本航空機に乗り換えた。 アンカレッジで燃料補給する一時間を入れても一六時間半で終わるはずの旅だ。 飛行機が滑走路へ出るとき、 自分の肉をしっかり掴んどけよと僕はGに命じてふたりでけたたましく笑い合った。 僕らはいまや薬ばかりか死への恐怖でも繋がっていた。 航空機事故が頻発した年で、 二月四日に全日空が羽田沖で墜落し、 その一ヶ月後にはカナダ太平洋航空機が着陸に失敗、 さらに翌日には富士山の近くで英国海外航空機が空中分解していた。 二年前は暇つぶしにアジアの歴史や戦争を議論したものだけれど、 このとき僕らは辞書遊びに嵌まっていた。 マルEにだれも聞いたことのないような難語を読み上げてもらって意味を考える。 「部分的に奴隷となった働き蜂もしくは雄蜂」 「手彫りのひげ剃り泡立て茶碗」 「南オーストラリアの沼地に生息する小型縞馬の一種」 ……突拍子もなくて笑えるほどいい。 現地では街宣車が軍歌を流して走りまわり、 断固粉砕のビラが交差点で撒かれ、 思想団体が各省庁に抗議を申し入れ、 英国大使館に脅迫文が届き、 新聞や週刊誌の編集部には爆破予告が頻々と入電しているとも知らず、 機上の僕らはNはもちろんBEやトニーBまで加わって愉快に盛り上がった。 何にでも首を突っ込むMが珍しく遠慮するんでわけを訊くと、 大抵の辞書は丸暗記しているという。 試しにいくつか質問したらことごとく正解され興醒めだった。 みんなでブーブー非難の声をあげているとBEが機長に怒鳴り散らしはじめた。 みんな酔っ払って報せを聞き洩らしていたけれど、 Mの母国はそのときまさに最大風速一九五マイルの温帯性低気圧に直撃されていたのだ。
社会変革の嵐を外国にもたらすのはこれで二度目、 今度は日程に余裕がない。 台風が収まるまでどこでどうして待てというんだ、 責任者を出せとBEは騒いだ (こういうのを日本語でカスハラというんだとMは説明した。 意味は教えてくれなかった)。 機長がじきじきに顔を出し、 最高級の宿ウェストウッドに案内すると説明して、 最上階のディスコはきっとお気に召すでしょうと請け合った。 それでもBEの怒りが収まらぬと見てとるや、 機長は 「ブライダルスイート」 を予約した旨を僕らに告げた。 その名称を聞くなり僕ら四人は爆笑して互いに求婚し合った。 車で十分ほどの宿は人口五万の田舎町にたちまち知れ渡り、 表では僕らを讃える合唱が沸き起こった。 閉じ込められた僕らは退屈を持て余した。 Rはカセット録音機で音声版ドキュメンタリーを吹き込み、 Gは大型ポラロイド写真機をばしゃばしゃやり、 BEは電話で精力的に打ち合わせ。 僕とPは何か読むものを持ってくるべきだったと後悔し、 代わりにMに日本の話をねだった。 Mは 「耳無芳一」 なる怪談と、 その話を記録した英国人と現地女性との恋愛譚とを聞かせてくれた。 宿に閉じ込められた状況や表の歌声と相まって僕らを心底慄え上がらせた前者に対し、 後者にPはさほど感銘を受けなかった様子だった。 物語ることの魔力に取り憑かれたその夫婦は、 心身を酷く消耗させながらも、 言葉や文化の壁を越えてふたりきりで世界と対峙したかに思えた。 BEのことにせよ僕とYのことにせよ、 人間の恋愛感情というものを最後まで理解できなかった未来の工作員が、 そんな話で僕を動揺させたのだから不思議なものだ。
外出禁止令が出ていた午後十時まで表の騒ぎは収まらず、 その三時間後に僕らはようやく機上にいた。 待ちぼうけを喰らわされたおかげで最新流行のモッズ服は皺々のよれよれ。 客席乗務員は明らかに僕らのファンで、 御用聞きをマルEと競うかのような態度を示した。 会話する口実がほしくてその日本美人を招き寄せ、 アイロンをかけてもらえまいかと僕は頼んだ。 法被を羽織って隠すのがいちばんの解決策だ、 と彼女は満面の笑みで僕を説得した。 ハッピー? と僕は訊き返した。 複数の言語を横断するナボコフの駄洒落が大好きなMが、 お祭りのときに着る伝統的な上衣だよ、 と横から口を挟み、 現代じゃ滑稽なものと見なされている、 と僕の反応を見ながら焚きつけるかのように付け加えた。 それで決まった、 何事も挑戦だ。 手渡された薄手の着物に袖を通しながら、 ははぁん宣伝のためだなと僕ら四人は察した。 かくして僕らは午前三時四〇分、 乗降階段で閃光を浴びながら日本航空のロゴがよく写るように手を振らされた。 普段ならトニーBがひと足先に飛行機を降り、 僕らとファンの双方に被害が出ないよう、 報道陣や群衆の動向、 警備の人員配置について空港側と打ち合わせする段取りになっていた。 ところがこの国でかれの出番はなかった。 警察は高圧的ながら細やかで組織だっており、 よく訓練された軍隊のように一挙手一投足を秒単位で指図してきた。 僕は日本人への認識を改めた。 あの大雑把でいい加減な怠け者は特殊な例外だったのだ。 せめてもの抵抗で僕はお気に入りの帽子を脱がず、 Pは自分の荷物は自分で持つといい張った。 ようこそ我が母国へとMが背後でいった。 Gのカウントを思わせる苦々しい声色だった。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)

@ezdog レイパーバーン懐かしい!私が繰り出したくなったくらいですが、もうBの奴らはあの頃の若造じゃないんだなぁ。そしてAがくれたSへの手紙が……泣ける……。手紙をJに渡せるくらいにはAも立ち直れたんだ。よかった……。
いよいよ来日するB!しかしMが反対するのも全くもってごもっともだなぁ。戦中から変わっていない日本人に植え付けられた意識がMの言葉でしっかり表されている。
さりげなくラフカディオ・ハーンとセツが登場したのもうまいなぁ。「ばけばけ」だ!そしてBに「耳無芳一」はぴったりすぎる。耳だけ持っていかれる恐怖を誰よりもリアルに分かるであろう。
熱帯性低気圧に着陸を阻まれてブライダルスイートにカンヅメというのは大変お気の毒だけどちょっと面白い。辞書の遊びが面白そうなのだけど、全部暗記しているMの工作員っぷりに彼の過去を思って少し切ない気持ちになる。Mの祖国での公演、波乱の予感がするなぁ。