実のところ件のネクタイは黒地に赤い馬の洒落た柄だった。リヴァティ百貨店で手に入れたちょっといい品だったとかで、GMが気に入っているらしいのは初対面の僕らにも察せられた。だからこそGは弄りのネタにしたのだ。親しくもない相手に土足で踏み込むリヴァプール仕込みの冗談はここロンドンでは冒険で、現にGMはムッとして調整室に気まずい空気が流れた。僕とPはやべえしくじったと蒼ざめた。永遠にも思われる一瞬ののち、反応を期待して得意げに眉を蠢かすGにGMが思わず噴きだし、技師たちも釣られて笑った。いける、と僕ら三人は確信し互いに目配せした。ピートBだけは何が起きているか理解しなかった。わかったところでかれにできることはなかったろう。そこからの十五分間、僕らは全力で機関銃のように冗談をまくしたてつづけた。調整室は大爆笑の渦となった。リヴァプール人の本気を舐めちゃいけない。EMIの連中はみんな腹を抱え膝をばしばし叩き、涙を流して呼吸困難に陥った。盛り上がる調整室でピートBだけが蚊帳の外、隅でむっつり不機嫌そうに黙り込んでいた。この時点のザ・Bは音楽的には、とりわけ録音技術にはまったく未熟だったと認めざるを得ない。けれどもひとを笑顔にすることにかけてはだれにも負けなかった。控えめにいって僕ら三人はEMIの連中を魅了した。GMは田舎の坊やたちの冗談を気に入り、僕らのほうでも都会の正しい教師に巡り会ったと直感した。
三日後の六月九日に「洞窟」で行われた凱旋公演は盛大に盛り上がった。楽屋に遊びに来たMにはロックの日だねおめでとう、と祝われたが意味がわからなかった。翌々日にはマンチェスターのプレイハウス劇場で「飛び出せ十代」なるBBCの収録があった。三曲のうち最初に演った「理由を訊いて」がはじめて電波に乗った僕らの自作曲ということになる。BEが貸し切りバスで連れてきたファンクラブ会員と、抽選で招かれた残り五分の四の前で、僕らは交互にヴォーカルとコーラスを務めた。温かい歓声に包まれた。僕ら三人は控えめにいって最高だった。だれもがそれを認めていた。問題は残るひとりだ。さぼりがちなそいつの代役をRに務めてもらうたびに僕らの気持ちは固まった。もし仮にBEが違法な人間に生まれついておらず、まったく合法な僕の恋愛結婚すら隠し通そうとするほど過剰にスキャンダルを畏れていなかったとしても、やはりおなじ決断を下していたろう。その決断を実行に移す勇気があったかは、また別の話だけれど。
とりわけGなんかは免許を取ってはじめての納車の日に、行きはRのゾディアックで売主のもとまで連れて行ってもらい、帰りは念願の青いアングリア一〇五Eデラックスでもって、かれとアクション映画さながらの競争を楽しんで(牧歌的な時代だから無事だったものの、現代なら炎上ものだ——SNSも車も)意気投合、かれの人柄にすっかり惚れ込んでしまい、僕とPにドラマーのすげ替えをしきりに説くようになった。Rはチューニングがいつもびしっと決まっていて、難しい技を少ない手数でさらっとこなす、曲によって叩き方を変えて劇的な表現をするし、何より僕らを邪魔せず最大限に活かすように叩いてくれる……云々。ちょっとは反論してくれるかとPを窺うと、弟分のいうことを素直に認めたくはないものの同感であるのは顔に出ていた。タムへの行き方がいいよなと自分が口走るのを僕は聞いた。すると待ちかねたとばかりPもひげのドラマーを言葉を尽くして絶賛する。いよいよ逃れようがなくなった。ピートBの名誉のために断っておくと、KVなんかはあいつのドラムがきらいじゃなかったようだし、あれだけ拙いSについてGは何もいわなかったので(単に僕に気兼ねしただけかもしれないけれど)、こればかりは腕というより相性というしかない。NAの評価は親友同士だから当てにならないし、Mに至ってはピートBのことを最初から正式メンバーが見つかるまでの助っ人くらいに思っていた節がある……まぁ合ってるんだけど。たまにピートBがヴォーカルをとるときMはやんやの喝采を送っていて、けっして仲が悪いようにも見えなかったのに、そういう意味ではあいつも僕に負けず薄情で残酷なところがあった。ついでにいえば仲がいいのか悪いのか、という点ではMとPの関係もよくわからない。普段は犬猿の仲のように見えるのに、偶然おなじ日に生まれたというので、この年はふたりで飲みに行って互いに祝い合ったりもしていたようだ。かと思えば翌日、Pが差し入れの誕生日ケーキを見せびらかしていたら、Mがそのクリームを見たことのない素早い動作で指ですくって舐めたので、あの狭い楽屋でつかみ合いの喧嘩に発展したりした。
創設者の残った片割れであり、ポップのトップがどうとかいうご託で仲間をここまで率いてきた張本人として、僕には引導を渡す責任があった。夏のあいだ悶々と考えつづけた。人前では如才なく立ちまわり、キュートな笑顔で対立を解消するPも、内輪では身勝手さを隠さなかったし、ザ・Bの末期には臆さず自己主張するようになるGだってこの頃はまだ、意見はあるけどあんたの決断に従うよといった態度だった。ふたりは冗談が僕らを救ったあの晩のことを幾度となく蒸し返した。演奏ばかりか会話でさえ調子を合わせられない若干一名のおかげで、ザ・Bの命運は危機に晒されたのだ。学生時代のお遊びでは、わざわざ話をつけなくてもやる気のない奴はすぐに辞めた。SのときはPが辞めさせたがっていて、僕が踏ん切りをつけられずにいるうちに向こうから辞めてくれた(そして死んだ)。ピートBにやる気は感じられないまでも辞める気もないようで、放置すれば解決する問題でもなさそうだった。モナBへの義理は売れっ子となり全国デビューすら目前にしたいまとなっては無意味だし、その店だって出産と育児でつづけられなくなり閉店した。何よりドラマーの親でありながら僕らのローディに手を出すなんて、そのために未成年の僕らに近づいたのかと疑いたくなる。仲間にそんな真似をされていながらいい顔をしてみせる義理などなかった。もとよりMに指摘されるまでもなく、ピートBは出稼ぎに当たって急遽雇った繋ぎにすぎず、そしていまずっと探していた正式なドラマーが見つかったわけだ。PとGの不満は限界に近づき、僕自身の天秤もどちらに傾いているか明白だった。かといってあの猛烈な母親とその長男に恨まれたくなかったし、渦中の当事者NAのことがそれ以上に気がかりだった。あいつはピートBの親友なのだ。自分の身に起きたことをどう思っていたのだろう。だれもその話題に触れられなかった。僕ら三人はかれを喪いたくなかった。大切なローディを喪わずにあの親子だけを切り棄てる難題を、僕はPとGから迫られていた。
前にも書いたように僕とPの婚約者はこの頃、隣同士の部屋で暮らしていた。灰かぶり姫さながらに伯母にこき使われるのに辟易したCは、ついにメンディップスを飛び出して親戚の家へ転がり込んだ。その家は教育実習先の中学校まで二度もバスを乗り換えねばならなかったので、彼女は「リヴァプール新報」紙の不動産斡旋ページをくまなく探し、どうにか家賃を払えそうな部屋を見つけた。家賃は週二ポンド一〇シリング、単管式電気ストーブと一口コンロ、寝台と古びた椅子一脚、虫の喰った絨毯を備えた汚い一室だ。予約制の共同浴室はメーター箱に一シリングを入れて運に恵まれれば、くるぶしの高さまで熱い湯が溜まる。若い女が親元を離れてひとり暮らしをするなんて当時は不道徳だと思われていた。彼女の場合は親のほうが子のもとを離れて海外へ行っちまったんで仕方なかったものの、心細さは変わらず、茶色と緑の汚い内装の部屋で鬱々と暮らしていたが、隣の部屋をゴミ屋敷にしていた窃視症の老女がいなくなったので(心優しいCは引っ越したと考えたようだけれど、僕は孤独死したと思っている)、これ幸いとばかりPの婚約者をそこへ招き、ふたりで数日かけて掃除したり内装を明るい色に塗り替えたりして(僕と一緒にモナBの店の内装を手伝った経験がここで活きたわけだ)、ハンブルクにいる僕らの帰りを待ちながら、買い物に出かけたり料理をしたりして共同生活を送ることになった。帰国した僕らはもちろん婚約者たちの部屋に入り浸った。好きなときにいつでもふらっと訪れて四人で愉快に過ごした。
離婚を後悔したことは一度もないし、ほかのだれも経験したことのない冒険の数々をYと手をつないでくぐり抜けて、ともに皺くちゃの老人となり、車椅子の彼女と無言で見つめ合う幸運を噛み締めてもいる。しかしそれはそれとして、あの頃のような若く無垢な時間を永遠に生きられたらよかったのに……と思うことも正直ある。CとAKがぺちゃくちゃお喋りする傍らでSと砂の城を築いた思い出なんかもそうだ。Mに懐かしむべき過去がなかったことを思えば、記憶でしか過去へ遡れない僕らはむしろ僥倖といえる。あの時代において最大の敵は家主の中年女だった。当時の僕らはわかっていなかったけれど、あの女が事前通告なしにたびたびメーター箱の小銭回収や家賃の徴収に現れたのは、きっとそれを口実として店子の様子を見に来ていたのだ。当時の英国の下宿規約「品行方正な住居」に違反しないためだろうけれど、それだけではなく若い同性を案じてくれた面もあったのではないか。そしてその懸念は見事的中することになる。汗だくで愛し合っていると階段を上がってくる足音が聞こえた。Cはシーツにくるまって隣室へ逃げ込み、僕は毛布や服や外套を手当たり次第にひっつかんで、寝台に山をこさえてその下に潜り込んだ。家主が小銭を回収して出て行くまで永遠とも思える時間がかかり、危うく窒息するところだった。脱ぎ散らしたウェスタンブーツに気づかれなかったのは奇跡でしかない。
Cとは毎日がそんな笑い話ばかりだった。新発売の即席日焼け薬をワクワクしながら試したらふたりとも全身黄色のまだら模様になってしまった、なんてこともあった。世間では僕が彼女の優しさにつけ込んだにすぎないことにされているし、Yとの恋に夢中になって彼女と長男を棄てて出て行ったときには、僕自身そんな風にマスコミに喋ったこともある。でもあの頃の僕らのことは僕らにしかわからない。Cには僕の尊大で向こう見ずな自信が必要だったし、伯母にやることなすこと頭ごなしに否定されてばかりだった僕には、無償の愛で受け入れてくれるCが必要だった。いまの後知恵で典型的なDVだとか共依存だとかいわれても、物事にはさまざまな側面があるとしかいいようがない。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1) 公開終了
- Born on a Different Cloud(2) 公開終了
- Born on a Different Cloud(3) 公開終了
- Get Off Of My Cloud(1) 公開終了
- Get Off Of My Cloud(2) 公開終了
- Get Off Of My Cloud(3) 公開終了
- Obscured By Clouds(1) 公開終了
- Obscured By Clouds(2) 公開終了
- Obscured By Clouds(3) 公開終了
- Cloudburst(1) 公開終了
- Cloudburst(2) 公開終了
- Cloudburst(3) 公開終了
- Over the Rainbow(1) 公開終了
- Over the Rainbow(2) 公開終了
- Over the Rainbow(3) 公開終了
- Devil’s Haircut(1) 公開終了
- Devil’s Haircut(2) 公開終了
- Devil’s Haircut(3) 公開終了
- Peppermint Twist(1) 公開終了
- Peppermint Twist(2) 公開終了
- Peppermint Twist(3) 公開終了
- Peppermint Twist(4) 公開終了
- Baby’s in Black(1) 公開終了
- Baby’s in Black(2) 公開終了
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
@ezdog バンドのピンチが去って、しかしついに難しい問題をなんとかしなければならなくなる。難しい立場のJの悩ましさがよくわかる。そんな日々の傍ら、若き日のCとJがまぶしい。その時は確かに恋愛の真っ最中で、それはやっぱり振り返っても大事な時間だということ、誰にでもきっとあると思う。
@ezdog あとPとMの関係も面白い!ケンカのとことか、想像するとニヤニヤしてしまう!