プラザホテルの周辺では十代の群衆が、 金切り声をあげたり僕らの曲を歌ったりしながら待ち受けていた。 みんな踝で折り返された白い靴下を穿いて、 僕らに断りなく商品化された鬘や、 手書きの横断幕や写真やTシャツや、 僕らの気を惹くためのありとあらゆる品物を振っている。 リムジンが玄関口へじりじりと近づくあいだ、 例によって警官隊が顔を真っ赤にして群衆を押しとどめていた。 母国でもすでに見慣れた光景になりつつあったけれど、 制服とかれらの一部が乗っている馬だけは異なった。 数百人が取り押さえられるほどの事態に陥ったのも、 ぴちぴちパンツとカウボーイ帽を身につけた一〇一〇WINS局のDJが、 僕らの行く先を逐一、 実況中継したからだ。 この男は何の権限もないのに僕らに執拗につきまとい、 みんなを言いくるめて主張を押し通し、 挙げ句Gの部屋に勝手に押しかけて寝泊まりまでしたので、 Rから五番目のBなどと辛辣に皮肉られたにもかかわらず、 それすらもあたかも名誉の称号であるかのように誇らしげに宣伝に利用しやがった。 あまりの厚かましさに温厚なCでさえ閉口していた。
僕らは全員の寝室が広い部屋へ通じる、 十部屋もある豪華なスイートへ通された。 部屋の前には警備員が仁王立ち、 窓外には腐った屍骸にたかる蠅のごとく群衆がびっしり。 金切り声がひどいので窓なんか開けられない。 英国を発つときには隙を見てちょっとくらい観光できるかと期待していたけれども到底望めなかった。 僕らは軟禁された。 グラナダTVと共同制作でBEと契約した兄弟の密着取材がはじまり、 便所以外は執拗に尾けまわされる生活がはじまった。 仲間三人はサービス精神たっぷりにキャメラの前でおどけたけれど、 僕としてはCを晒し者にされては堪らないと気が気ではなかった。 テレビ出演やインタビューの依頼でひっきりなしに電話が鳴る。 ファンからの手紙やカードや贈り物が山ほど届く。 僕らが懸命に口説こうとしていたロネッツの三人やら件のとんちきDJやらが入り浸る……。 祝電を読み終えるなりGはどこのエルヴィスかなと赤い顔でのたまった。 そして咳をして喉が痛いと唸った。 かれの額にMが手を当て、 熱があるぞといった。
九日午前中のリハーサルでGは宿に残り、 イリノイから会いに来た姉に看病してもらうことになった。 NがGの代役を務めた。 そこそこ弾けるのに僕らは驚いた。 付き人ふたりとMが設置や調律のついでに僕らの楽器でこっそりザ・Bごっこを楽しんでいたことをNは白状した。 RのラディックをMが、 PのヘフナーをマルEが受け持ち、 何度か小一時間ほど演奏したという。 愛用の楽器を勝手に使われた僕ら四人はおもしろくない反面、 あの三人が素人グループを結成していたと知っておもしろくもあり、 楽器を傷つけないかぎりは今後も大目に見てやることにした。 午後には注射を射たれて朦朧とするGが加わり、 四人でまず帰国後に放送される予定の収録を済ませ、 夜には客を入れ替えて生放送に挑んだ。 五万人の応募を勝ち抜いた七二八人の熱狂する十代とテレビカメラとの前で、 僕らは熱演した。 その放送はニールセン調べでおよそ二三二四万世帯、 人数にして七三七〇万人が視聴して世界最高記録を樹立した。 その後ふらふらのGと疲れ果てたC、 翌日も早くから仕事のあるBEはそれぞれ宿に戻り、 残りの僕らは警察の護衛のもと、 とんちきDJの案内で夜の街へ繰り出した。 薄荷ラウンジで僕はしつこくロニーを口説き (移動中のイエローキャブで 「わたしのベイビーになって」 を耳元で囁くように歌っておくれよとせがんだところ、 あの声量で力いっぱい歌われ、 だってこれしかできないんですものとクスクス笑われた)、 Rは卓越したツイストという意外な特技を披露した。
二日後にはワシントンDCへ向かうのに猛吹雪でフライトが中止され、 ザ・コングレスマンなる寝台車両がペンシルバニア鉄道特急に連結された。 僕らが乗り込むときには報道陣でほぼ満員になっていた。 ユニオン駅では八インチも積もる雪のなか二千人に出迎えられた。 ラジオ局のインタビューで影響を受けた音楽家を訊かれ、 スモール・ブラインド・ジョニーとかビッグ・デフ・アーサーとかいったブルースマンを口からでまかせで捏造した (実在しないことを祈る)。 BEはMの助言を受け入れてショアハムホテルの七階をすっかり借り切った。 気の毒な一家がそのために、 停電を口実としてセントラルヒーティングや電気や水道まで停められ、 体よく追い出された。 それからワシントン球技場で三六二人の警官に護られつつ、 大半が少女からなる八〇九二人の客の前で演奏した。 絶叫のあまりの凄まじさに警官のひとりは銃弾を耳栓代わりにしたという。
その夜は英国大使館で行われた催事に参加させられた。 児童虐待防止協会の慈善パーティだっていうんで渋々ながら協力したのに、 社交界の着飾った名士たちは僕らみたいな下賎の輩はあからさまに見下していた。 宝石つけた干物みたいな連中ばかりで、 気どった態度でシャンパンを傾けながら、 僕らがだれか知りもしないのに家族のために署名をよこせとか髪の毛をよこせとかいってくるわ、 そいつらに媚びへつらうよう官僚たちに強要されるわ、 大人しく署名してやったらやったで、 まぁ字が書けるのねなんて嗤われたりして最悪だった。 しまいにはパーティに退屈した若い女 (ずっと後で聞いた話では招待客ですらなかったらしい) にRが背後から髪の毛を切られたりして、 もうたくさんだとばかりに僕はお開きを待たずにCの手を引いて、 挨拶もそこそこに大使館をおさらばした。 このときのことを帰国時にBBCの記者に訊かれたRは、 一瞬何が起きたかわからなかったと説明した。 いまみたいに質問に答えてたらあんなことに……つまりさ、 なんていえばいい? なんていえばいいんだと僕は合いの手よろしく混ぜ返した。 明日は決してわからないとRは応えた。
翌日にはリンカーンの誕生日とやらで学校が休みの子どもたちが一万人も駅に集まり、 僕らは身動きとれないリムジンを諦めてイエローキャブに飛び乗ったり、 ホテルの従業員用昇降機を使って厨房を駆け抜けたりして、 一流映画スターですら入場券を手に入れられなかったというカーネギーホールの公演に、 どうにか間に合った。 遅刻常習犯の僕らもさすがに、 六千人の観客に待ちぼうけを喰らわす度胸はなかった。 『エド・サリヴァン劇場』 の放送は三回あり、 二回目の分は最後にマイアミで収録された。 午後一時半にニューヨークを発ったナショナル・エアライン二便は午後四時に到着した。 その時刻をライバル局同士のWFUNとWQAMが公共の電波でいいふらしたんで、 七千人が空港に待ち構えていた。 僕らはMやマルEの背中に隠れるようにしてコソコソと三台のリムジンに分乗し、 前後にオートバイの警護を従えて、 手を振り歓声をあげる群衆の列に見守られ、 ドービル・ホテルまでの八マイル、 赤信号を無視してぶっ飛ばした。 カウボーイ帽のDJは猛抗議する東洋人のMを、 あたかも透明人間か、 映画の隅に映っているだけの使用人役であるかのように、 あからさまに無視してGのスイートへ堂々と侵入し、 三つの寝室のひとつを自分用と勝手に決め込んだ。 見たかいあの態度、 あれがまさしく米国だよとMは僕に苦々しげに洩らした。 数年前にアカデミー賞授与式の中継を見ていて、 あいつがいわんとしたことをようやく理解した。 ハリウッドの連中は年寄りにいろんなことを思いださせる。
短いリハーサルのあとキャピトルの重役宅のプールやマイアミ湾を周遊する豪華なボートで 『ライフ』 の撮影があった。 黒眼鏡をかけ膚を露出したCが僕は自慢だったし、 あとで写真をくれるならとの条件つきで撮らせてもやったけれど、 絶対に雑誌には載せないよう記者を脅しつけた (逆効果だった)。 招かれた家庭のパーティで僕はCをGM夫妻に引き合わせた。 GMは若い秘書と再婚したばかりだったと思う。 炙り牛肉や豆や焼いた芋や巨大な苺アイスケーキをたらふくご馳走になり、 お腹ぱんぱんでもう食べられないよと夕食を断った翌日、 二五〇〇人の前で公開予行演習。 さらにその翌日の本番では、 二六〇〇人の収容人数に対してCBSが三五〇〇枚も切符を配ったんで、 会場を締め出された群衆が有効券を握りしめて暴動寸前、 警察が介入し排除する騒ぎとなった。 そのあとも生まれてはじめてザリガニを喰ったり水上スキーに挑戦したり、 のちにモハメド・アリと名乗ることになる新人拳闘家とふざけた写真を撮ったりする先々へ、 僕はCを連れまわした。 それが何を意味するか僕はわかっていなかった。 つまり彼女は、 僕ら四人が記者や撮影者に囲まれてチヤホヤされるあいだずっと、 離れた場所にぽつねんと待機していなければならなかったのだ。 Mが気を遣って話しかけたりしていたみたいだけれど、 Cだけが宿に残る時間も多く、 そんなときはMもまた僕らに同行し、 狂人が刃物を手に突進してきやしまいか、 遠い窓に銃口があるまいかと目を光らせるのに忙しく、 Cの話し相手になる余裕はなかった。 その頃から離婚するまでCの人生は待ち時間の連続となった。 幼い息子はひとりお家でお留守番だ。 それは僕だけの罪ではなく、 僕ら四人の妻や恋人たちはやがてあたかも添え物のようにザ・Bの女と呼ばれるようになり、 楽屋や舞台袖で時間を潰しながら、 互いに愚痴をこぼし合う仲となる。
退屈を持て余したCは、 僕らが戻るまでやることのない警備員の目を盗んで、 こっそり部屋を脱出してブティックのあるロビーへ降りた。 外にたむろするファンの一部は、 建物内にも侵入して鵜の目鷹の目でうろついていたけれど、 ひとりでいるかぎり関係者と見破られることはなかった。 棚から棚へと米国の服を見て歩いていると、 肥満した中年女ふたりの会話がCの耳に入った。 模造ダイヤを散りばめた黒眼鏡をかけ、 派手な配色のバミューダパンツを穿いた厚化粧の女たちは、 良識家ぶってザ・Bをこきおろしていた。 若い子たちが騒いでるけど、 まったくどこがいいンざますかしらねェ。 ざァます、 ホントぞっとするわねッ、 あの髪ときたら! Cは笑いをこらえてその場を離れ、 部屋へ戻ろうとした。 ところが警備員が通してくれない。 ほんとにJの妻なんです! はいはい、 みんなそういうんだよね、 さぁあっちへ行った行った……。 神の前で愛を誓い合って籍を入れ、 なんら後ろめたいことなどないはずなのに、 夫の親族には祝福されず、 世間ではずっと日陰者のように扱われてきた。 ようやく堂々と妻を名乗れたかと思えば、 今度はだれにも信じてもらえず、 異国の路上へ置いてけぼりにされかけたり、 部屋から締め出されたりする。 だれもが反対する男と結婚した罰なのだろうか。 自分の存在がJという黒い渦に吸い込まれて世界から掻き消されたかに思える。 十分近くも懇願して涙が溢れそうになったとき、 背後に憤慨した声が駆け寄ってきて口々に抗議をはじめた。 このひとCよ、 英国のアクセントがわからないの? 通してあげなさいよ! ファンのひとりは財布から雑誌の切り抜きを大切そうに取り出して、 狼狽する警備員に突きつけた。
その写真では僕とCが仲睦まじく寄り添っていた。 あたかも十代の少女たちが憧れる理想の夫婦であるかのように。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)

@ezdog アメリカのあちこちで熱狂的に迎えられるBの面々……なんだけど、楽しそうというより大変そう……。「とんちきDJ」だの「宝石つけた干物みたいな連中」だのろくでもない奴らも寄ってくるし。
ほったらかしのCがかわいそうなのだけど、そんなCがBやJの添え物ではなく彼女にも生活があり夢があるひとりの人間だったことを、この物語はずっと語り続けている。
ちゃっかりラディック叩いてるMがちょっとうらやましい。Bごっこ楽しそうだな。