Rが大学病院を退院した日、 宿と会場しか目にすることのなかった香港に漠然とした憧れを残して、 僕らはシドニーへ向かった。 給油のために立ち寄ったダーウィン空港では郊外の深夜二時半にもかかわらず四百人が詰めかけた。 暴風雨で冷えきったマスコット国際空港では二千人が待っていた。 手を振り返す僕らもずぶ濡れになるのを免れなかった。 パレードは牛乳運搬用の無蓋車両で行われたからだ。 アムステルダムで買った四人お揃いの外套は惨めなほど縮んだ。 きっと塹壕を思い出していたにちがいないMは、 この天候なら視界も悪いし銃弾も流されるから安心だといった。 眼に流れ込む雨を拭いながら愛想を売っていた僕とPは、 おいあれ見ろよとGに突かれて車両の背後を振り向いた。 五、 六歳の子どもを抱えた若い母親が必死に走って追いかけてきていた。 その子どもは体がぐにゃぐにゃで視線が定まらず、 雨で流れてはいたものの涎も垂れているようで、 明らかに僕がいつも残酷に嗤いものにする種類の障害を負っていた。 女はわが子を高く掲げてPに差し出した。 空港の周囲は舗装が平坦ではなかった。 雨が烈しく叩きつける不安定な車上で、 Pは跪いて両手を伸ばした。 やめとけと僕は叫ぼうとした。 落としたら殺してしまう。 Pだっていまにも転げ落ちそうだ。 でも懸命なふたりを見て何もいえなくなった。 怯えるその子をPは両腕でしっかり抱きとめ、 かわいいね、 すごくかわいいよと笑顔で叫んで女に返した。 女は抱き締めた子どもに接吻しながらPを讃えて泣いた。 その姿が遠ざかって見えなくなるまで僕は茫然と立ち尽くし、 Mに見られているのに気づいて顔を背けた。 何か穢れた存在になった気がした。
いま思えばあの女は、 わが子に奇跡を期待して楽屋前に行列をなし、 触れてくれとか接吻してくれなどと懇願する母親たちの、 最初の哀れなひとりだったように思う。 やがて僕らは聖人ぶって順番待ちをさばく冒涜にも、 救ってやれない人生の多さにも耐えかねて、 そんな要求をされるたびにか×わ! と叫んでマルEに力ずくで排除させるようになった。 この習慣は僕ら四人のあいだで残酷な流行になり、 気に入らない来客を追い返したいときの隠語になった。 うわっ政治家が握手を撮らせようと記者を引き連れてやって来たぞ、 マル、 か×わ! ……というわけだ。 迷信深い親たちに憤慨していたMはしばらく何もいわなかったけれど、 僕らの態度にも腹を立てていたようで、 あるとき僕がいつものようにか×わ! とやったら急に立ち上がり、 そうですわたしがミスターか×わです、 と力強く宣言して、 おれはか×わ、 おれはか×わと歌いながらふにゃふにゃと踊りはじめた。 僕ら四人も付き人ふたりも呆気にとられた。 なんだそりゃと僕が問うとMは真顔で、 沖縄の創作民謡の替え唄だ、 沖縄というのは日本に併合されて戦争で酷い目に遭って、 いまでは米国の支配下にある島だと説明した。 日本ではとても人気のある自己紹介だともいった。 ちなみにあいつの日本ネタを二番目の妻Yに尋ねると、 決まって何か下品な恥ずかしいことでもいわれたかのように、 そんなの知らない、 聞いたことがないと怒ったように否定されたものだ。
アンセット航空のフォッカーフレンドシップ機は貸し切りだった。 どのくらい金がかかったのかは知らない。 アデレードでもパレードをやらされた。 このときMは僕ら三人に防弾チョッキを着せるべきだとBEに強硬に主張した。 そんな暑苦しくてみっともない真似ができるかよと僕らは断った。 空港から市の中心へ向かう十マイルに二〇万人はいたと後で聞いた。 三万人が詰めかけた市民講堂で市長や評議委員に挨拶をさせられコアラのぬいぐるみを押しつけられて写真を撮られた。 くたくたになって宿に帰るや寝台へ倒れ込み、 午すぎに目醒めると表が騒がしい。 窓を開けると高級ホテルに宿泊する金のない四千人が路上にテントを張ったりシートを広げたりして野宿をしていた。 ホテルとはなんぞや、 と僕ら四人は単語の定義に思いを巡らせた。 三千人を収容するセンテニアル講堂での二晩の四公演には、 五万通を超える申込みがあったと聞く。 Mはきみらの苦労がようやくわかったとか、 軍隊より酷いなどとしきりにぼやいていた。 六月一四日にはRが復帰してMはお役御免となる。 このあたりの僕の記憶は混乱していて、 鬘と付け鼻の日本人はそれまで観客やメディアの前で何と名乗っていたのか。 Rのふりで通していたのならその後の出来事と辻褄が合わない。
病み上がりのRと付き添いのBEは、 シドニーの群衆に揉みくちゃにされ予定外の取材に応じさせられた。 Mはよく筋骨隆々たる大男を指して、 肩にちっちゃなジープを乗せている奴などと妙な喩えをしたものだけれど、 メルボルンの警部補は脳にまで筋肉が詰まっていたのか、 肩にちっちゃなRを乗せて、 行く手を阻む三千人を強行突破しようとした。 Mの冗談を借りるならすべてを解決するはずだった筋肉はうまく機能しなかった。 警部補は現地で広報を担当していた細い女性に躓いて、 観光で有名な道頓堀の看板よろしく万歳して前のめりにすっ転んだ。 腕をさしのべる群衆めがけて哀れな乗客はぽーんと投げ出された。 ダイヴとかモッシュとかクラウドサーフといったものが発明されたのは実にこのときだ。 聖人の遺骸が信者らに千々に引き裂かれるかのような、 飢えた避難民のあいだで救援物資が奪い合いになるかのような騒ぎが生じた。 味のしなくなったガムさながらに群衆から吐き出され、 辛うじて生きて南十字ホテルへ辿り着いたRは顔面蒼白だった。 ようやく口が利けるようになるとかれは何か飲み物をくれといい、 横になるために部屋へよろよろと直行して、 また寝込んじまうのではとBEに心配された。 RがしばらくMに冷淡だったのはこのとき護衛してもらえなかったせいもある。 僕らが別れて行動するとき、 あの日本人はいつだって僕かGの傍にいた。 あとのふたりは放っといても長生きしそうだからというのだ。 そのいいぐさを聞いた僕は、 おれとGは若死にするってのかよと失笑し、 いい返されるどころか黙り込まれて気分を害した。
僕らは先に着いたRに合流すべく午すぎにメルボルンへ飛んだ。 エッセンドン空港に待ち構えていたのは熱狂する五千人。 南十字ホテルを包囲すべく二万人が大通りへ押し寄せ、 負傷者が続出して空軍と海軍の部隊まで招集された。 僕らの車列はバイク一二台に護衛されて午後四時に到着した。 こりゃひでえとGが呻いた。 四百人の警官と自衛官が、 数で遥かに圧倒する群衆と揉み合っていた。 セーターを破かれたり靴をなくしたりした少女はまだしも幸運だった。 手脚や肋や鼻の骨を折ったり木から落ちたりして一五〇人が気絶し、 五〇人以上が病院へ搬送されたという。 警察車両がサイレンを鳴らして正面玄関に停車し、 暴徒の気を逸らしている隙に僕らは車庫へ入った。 騒ぎがわあっと高まった。 鉄柵がひん曲がって押し倒され、 敷地内へ暴徒がなだれ込んだのだ。 大きな爆発音に僕らは身をすくめた。 大丈夫、 ありゃ車が燃やされただけだとMがいった。 何が大丈夫なもんか、 みんな泣き叫んでるじゃねえかよと僕は思った。 間もなく代役から解放されるのでMの顔は晴れ晴れしていた。 表の阿鼻叫喚より自分の厄介ごとを気にする神経が怖ろしかった。
騒乱を鎮めるべくバルコニーへ姿を現すよう警察に要請された。 RとBEもすでに二階へ向かっているという。 Mは勝手知ったるといった風に先導した。 初めて訪れるはずの世界中のどの場所でもそんな態度で、 図面で予習していると本人は主張したけれど僕には信じられなかった (BE宅の便所に見取り図なんてあるわけない)。 Pが僕に頭を寄せて、 おいMの発音おかしくないかと耳打ちしてきた。 警官とのやりとりがオーストラリア訛りみたいに聞こえるというのだ。 Gにもそれは聞こえたようで、 ふたりは何か妙なものでも喰わされたかのような顔でMの背中を見つめていた。 Mの広東語を目の前で聞いた僕にとっちゃ、 さもありなんといったところだ。 BEを伴って現れたRと鉢合わせしたのはそのときだ。 戦火ではぐれた家族の再会があんな気分なのではあるまいか。 互いに喜びの声をあげ、 よぅよぅ元気そうじゃないか、 そっちもよくぞご無事で、 なんていって肩や背中をどやしつけ合った。 ピートBは確かに最良のドラマーだったかもしれない。 でもRは僕らの偉大なる精神であり、 四人の面子が揃ってこそザ・Bと呼べるのだ。 会社の経営で揉めてPが抜けるといいだしたとき、 代わりにKを入れることを検討しつつも実現しなかったのはそれが理由だ。 顔を紅潮させたBEを伴って僕ら四人はバルコニーに立った。 周囲の大通りを埋め尽くす群衆の歓呼は、 二〇年前のドイツの記録映画で見た光景そのものだった。 Pは愛嬌を振りまき、 Gはぎこちないつくり笑いを浮かべ、 Rも元気そうに手を振った。 感激屋のBEはまたしても涙ぐんでいる。 退屈そうに落ち着き払っているのは背後から僕らを見守るMだけだ。 僕は人差し指を上唇に当てて背筋を伸ばし、 挙手の敬礼をしてみせた。 現代なら炎上ものだけれど当時はだれも問題にしなかった。 それから僕らは再会を祝して、 朝の四時まで地元の女の子たちと乱痴気騒ぎをした。 そういうことに関心のないMが途中でいなくなったのにあとの三人は気づかぬ様子だった。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)

@ezdog 子どもを受け取るPのところからか✕わへの流れが、色々考えさせられるし、とてもいい。B達が普通の音楽好きの青年が背負える以上の遥かに重いものを背負うことになったことが、彼らのやるせなさが伝わってくる。一方でMが怒るのもよくわかる。
@ezdog メルボルンの群衆の熱狂をナチス時代のドイツに重ねるのも鮮やかな警鐘になっているなぁ。そして今回もMが大活躍なのもいい。
ツアーで世界各地で熱狂的に迎えられることを、こんなふうに深く掘り下げて、そして物語を面白くしているのがすごい。
@ezdog ホテルとは……のとこもグリコの看板のとこも笑ってしまったし、Rとの再会にもグッときた。