CLOUD 9

連載第44回: Anywhere I Lay My Head(2)

アバター画像杜 昌彦, 2025年8月13日
Fediverse Reactions

Rが大学病院を退院した日宿と会場しか目にすることのなかった香港に漠然とした憧れを残して僕らはシドニーへ向かった給油のために立ち寄ったダーウィン空港では郊外の深夜二時半にもかかわらず四百人が詰めかけた暴風雨で冷えきったマスコット国際空港では二千人が待っていた手を振り返す僕らもずぶ濡れになるのを免れなかったパレードは牛乳運搬用の無蓋車両で行われたからだアムステルダムで買った四人お揃いの外套は惨めなほど縮んだきっと塹壕を思い出していたにちがいないMはこの天候なら視界も悪いし銃弾も流されるから安心だといった眼に流れ込む雨を拭いながら愛想を売っていた僕とPはおいあれ見ろよとGにつつかれて車両の背後を振り向いた六歳の子どもを抱えた若い母親が必死に走って追いかけてきていたその子どもは体がぐにゃぐにゃで視線が定まらず雨で流れてはいたものの涎も垂れているようで明らかに僕がいつも残酷に嗤いものにする種類の障害を負っていた女はわが子を高く掲げてPに差し出した空港の周囲は舗装が平坦ではなかった雨が烈しく叩きつける不安定な車上でPは跪いて両手を伸ばしたやめとけと僕は叫ぼうとした落としたら殺してしまうPだっていまにも転げ落ちそうだでも懸命なふたりを見て何もいえなくなった怯えるその子をPは両腕でしっかり抱きとめかわいいねすごくかわいいよと笑顔で叫んで女に返した女は抱き締めた子どもに接吻しながらPを讃えて泣いたその姿が遠ざかって見えなくなるまで僕は茫然と立ち尽くしMに見られているのに気づいて顔を背けた何か穢れた存在になった気がした
 いま思えばあの女はわが子に奇跡を期待して楽屋前に行列をなし触れてくれとか接吻してくれなどと懇願する母親たちの最初の哀れなひとりだったように思うやがて僕らは聖人ぶって順番待ちをさばく冒涜にも救ってやれない人生の多さにも耐えかねてそんな要求をされるたびに×! と叫んでマルEに力ずくで排除させるようになったこの習慣は僕ら四人のあいだで残酷な流行になり気に入らない来客を追い返したいときの隠語になったうわっ政治家が握手を撮らせようと記者を引き連れてやって来たぞマル×! ……というわけだ迷信深い親たちに憤慨していたMはしばらく何もいわなかったけれど僕らの態度にも腹を立てていたようであるとき僕がいつものように×! とやったら急に立ち上がりそうですわたしがミスター×ですと力強く宣言しておれは×おれは×と歌いながらふにゃふにゃと踊りはじめた僕ら四人も付き人ふたりも呆気にとられたなんだそりゃと僕が問うとMは真顔で沖縄の創作民謡の替え唄だ沖縄というのは日本に併合されて戦争で酷い目に遭っていまでは米国の支配下にある島だと説明した日本ではとても人気のある自己紹介だともいったちなみにあいつの日本ネタを二番目の妻Yに尋ねると決まって何か下品な恥ずかしいことでもいわれたかのようにそんなの知らない聞いたことがないと怒ったように否定されたものだ
 アンセット航空のフォッカーフレンドシップ機は貸し切りだったどのくらい金がかかったのかは知らないアデレードでもパレードをやらされたこのときMは僕ら三人に防弾チョッキを着せるべきだとBEに強硬に主張したそんな暑苦しくてみっともない真似ができるかよと僕らは断った空港から市の中心へ向かう十マイルに二〇万人はいたと後で聞いた三万人が詰めかけた市民講堂で市長や評議委員に挨拶をさせられコアラのぬいぐるみを押しつけられて写真を撮られたくたくたになって宿に帰るや寝台へ倒れ込み午すぎに目醒めると表が騒がしい窓を開けると高級ホテルに宿泊する金のない四千人が路上にテントを張ったりシートを広げたりして野宿をしていたホテルとはなんぞやと僕ら四人は単語の定義に思いを巡らせた三千人を収容するセンテニアル講堂での二晩の四公演には五万通を超える申込みがあったと聞くMはきみらの苦労がようやくわかったとか軍隊より酷いなどとしきりにぼやいていた六月一四日にはRが復帰してMはお役御免となるこのあたりの僕の記憶は混乱していて鬘と付け鼻の日本人はそれまで観客やメディアの前で何と名乗っていたのかRのふりで通していたのならその後の出来事と辻褄が合わない
 病み上がりのRと付き添いのBEはシドニーの群衆に揉みくちゃにされ予定外の取材に応じさせられたMはよく筋骨隆々たる大男を指して肩にちっちゃなジープを乗せている奴などと妙な喩えをしたものだけれどメルボルンの警部補は脳にまで筋肉が詰まっていたのか肩にちっちゃなRを乗せて行く手を阻む三千人を強行突破しようとしたMの冗談を借りるならすべてを解決するはずだった筋肉はうまく機能しなかった警部補は現地で広報を担当していた細い女性に躓いて観光で有名な道頓堀の看板よろしく万歳して前のめりにすっ転んだ腕をさしのべる群衆めがけて哀れな乗客はぽーんと投げ出されたダイヴとかモッシュとかクラウドサーフといったものが発明されたのは実にこのときだ聖人の遺骸が信者らに千々に引き裂かれるかのような飢えた避難民のあいだで救援物資が奪い合いになるかのような騒ぎが生じた味のしなくなったガムさながらに群衆から吐き出され辛うじて生きて南十字ホテルへ辿り着いたRは顔面蒼白だったようやく口が利けるようになるとかれは何か飲み物をくれといい横になるために部屋へよろよろと直行してまた寝込んじまうのではとBEに心配されたRがしばらくMに冷淡だったのはこのとき護衛してもらえなかったせいもある僕らが別れて行動するときあの日本人はいつだって僕かGの傍にいたあとのふたりは放っといても長生きしそうだからというのだそのいいぐさを聞いた僕はおれとGは若死にするってのかよと失笑しいい返されるどころか黙り込まれて気分を害した
 僕らは先に着いたRに合流すべく午すぎにメルボルンへ飛んだエッセンドン空港に待ち構えていたのは熱狂する五千人南十字ホテルを包囲すべく二万人が大通りへ押し寄せ負傷者が続出して空軍と海軍の部隊まで招集された僕らの車列はバイク一二台に護衛されて午後四時に到着したこりゃひでえとGが呻いた四百人の警官と自衛官が数で遥かに圧倒する群衆と揉み合っていたセーターを破かれたり靴をなくしたりした少女はまだしも幸運だった手脚やあばらや鼻の骨を折ったり木から落ちたりして一五〇人が気絶し五〇人以上が病院へ搬送されたという警察車両がサイレンを鳴らして正面玄関に停車し暴徒の気を逸らしている隙に僕らは車庫へ入った騒ぎがわあっと高まった鉄柵がひん曲がって押し倒され敷地内へ暴徒がなだれ込んだのだ大きな爆発音に僕らは身をすくめた大丈夫ありゃ車が燃やされただけだとMがいった何が大丈夫なもんかみんな泣き叫んでるじゃねえかよと僕は思った間もなく代役から解放されるのでMの顔は晴れ晴れしていた表の阿鼻叫喚より自分の厄介ごとを気にする神経が怖ろしかった
 騒乱を鎮めるべくバルコニーへ姿を現すよう警察に要請されたRとBEもすでに二階へ向かっているというMは勝手知ったるといった風に先導した初めて訪れるはずの世界中のどの場所でもそんな態度で図面で予習していると本人は主張したけれど僕には信じられなかったBE宅の便所に見取り図なんてあるわけない)。 Pが僕に頭を寄せておいMの発音おかしくないかと耳打ちしてきた警官とのやりとりがオーストラリア訛りみたいに聞こえるというのだGにもそれは聞こえたようでふたりは何か妙なものでも喰わされたかのような顔でMの背中を見つめていたMの広東語を目の前で聞いた僕にとっちゃさもありなんといったところだBEを伴って現れたRと鉢合わせしたのはそのときだ戦火ではぐれた家族の再会があんな気分なのではあるまいか互いに喜びの声をあげよぅよぅ元気そうじゃないかそっちもよくぞご無事でなんていって肩や背中をどやしつけ合ったピートBは確かに最良ベストのドラマーだったかもしれないでもRは僕らの偉大なる精神であり四人の面子が揃ってこそザ・Bと呼べるのだ会社の経営で揉めてPが抜けるといいだしたとき代わりにKを入れることを検討しつつも実現しなかったのはそれが理由だ顔を紅潮させたBEを伴って僕ら四人はバルコニーに立った周囲の大通りを埋め尽くす群衆の歓呼は二〇年前のドイツの記録映画で見た光景そのものだったPは愛嬌を振りまきGはぎこちないつくり笑いを浮かべRも元気そうに手を振った感激屋のBEはまたしても涙ぐんでいる退屈そうに落ち着き払っているのは背後から僕らを見守るMだけだ僕は人差し指を上唇に当てて背筋を伸ばし挙手の敬礼をしてみせた現代なら炎上ものだけれど当時はだれも問題にしなかったそれから僕らは再会を祝して朝の四時まで地元の女の子たちと乱痴気騒ぎをしたそういうことに関心のないMが途中でいなくなったのにあとの三人は気づかぬ様子だった


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告

“Anywhere I Lay My Head(2)” への3件のフィードバック

  1. ::: より:

    @ezdog 子どもを受け取るPのところからか✕わへの流れが、色々考えさせられるし、とてもいい。B達が普通の音楽好きの青年が背負える以上の遥かに重いものを背負うことになったことが、彼らのやるせなさが伝わってくる。一方でMが怒るのもよくわかる。

  2. ::: より:

    @ezdog メルボルンの群衆の熱狂をナチス時代のドイツに重ねるのも鮮やかな警鐘になっているなぁ。そして今回もMが大活躍なのもいい。

    ツアーで世界各地で熱狂的に迎えられることを、こんなふうに深く掘り下げて、そして物語を面白くしているのがすごい。

  3. ::: より:

    @ezdog ホテルとは……のとこもグリコの看板のとこも笑ってしまったし、Rとの再会にもグッときた。