シカゴの二公演では最後の曲を 「のっぽのサリー」 に替えたほかは以前の演目を使いまわした。 『回転式拳銃』 からは一曲も演らなかった。 楽器編成の都合や当時の機材では再現できなかったせいもあるけれど、 いまだって僕らの公演で客がいちばん盛り上がるのは 「ツイスト&シャウト」 なんだからしょうがない (頼むから老人に喉を酷使させないでくれよ)。 前座はBEが命名し僕が綴りを考案したザ・サークルと、 のちにガレージロックの文脈で再評価されるザ・リメインズ、 「サニー」 で一発当たったボビー・ヘブ、 そしてロネッツだ。 例の偏執狂は僕に寝取られるのを畏れてロニーを自宅に監禁し、 いとこのエレインを代役によこした。 リメインズはサークル以外の二組の伴奏も務めた。 昼夜どちらの回も一万二〇〇〇人前後が集まったものの切符は売れ残った。 「J思った通りのことをいって」 「これまでより愛してる」 といった横断幕を僕らは見た。 Gのプラグが抜けて音が出なくなり、 マルEが原因を探るあいだ、 東京で買ったオレンジ色レンズの眼鏡をかけた僕はRの伴奏で軽快なシャッフルを踊ってみせた。 客には大受けだったものの、 楽屋に戻ってあれは陰謀だ、 厭がらせだと主張してもBEやトニーBには相手にしてもらえなかった。
テキサスのKLUE局が子どもたちを集めてお焚き上げをした翌一三日の金曜日、 デトロイトでも切符は完売せず、 「英国人ども家に帰れ」 なるプラカードを掲げた男がひとりいた。 翌日のクリーブランドではPがまだ四曲目だというのにうっかり最後の曲と紹介し、 ザ・Bが去ると思い込んだ観客が防護柵を打ち倒して舞台前の芝生へ雪崩れ込んだ。 僕らは楽屋にしたトレーラーハウスへ避難し、 警備員と増援を呼んだ警察が秩序を取り戻すまで、 半時間も公演を中断せねばならなかった。 宿でテレビをつけるとKLUEが落雷に遭い、 電気系統が破壊されて放送不能になった話題をやっていた。 意識不明者一名と聞いて僕ら三人は思わずMを見た。 なんでもおれのせいと思わないでくれ、 神のご意思ってやつだろとあいつは笑った。 あんたの笑顔は信用ならないんだよと僕は思った。 三万二〇〇〇人の前で演ったワシントンDCでは、 会場からやけに離れたところで白装束のKKK五人が抗議運動するのを目撃した。 公演地で発言を求められるたびに謝罪する行脚のおかげで放送禁止措置は解かれ、 発端となったWAQYの催事も中止となって、 局の地下室は処理に困る僕らの関連商品が溢れかえったと聞く。 バスで移動したフィラデルフィアでは公演のあいだじゅう雷鳴が鳴り止まず、 終演と同時にとうとう烈しく降りだした。
メンフィス公演はさすがに緊張した。 宿泊せずにシンシナティへ飛ぶ予定になっていたものの八六人の警官と二〇人の民間警備員が僕らについた。 現地の興行主はミッドサウス競技場に高さ七フィートの舞台前に五フィートの障壁を建てた。 危ぶまれた切符の売れ行きは辛うじて持ちなおし、 二万六〇〇〇席のうち二万二〇〇〇以上の観客が二度の公演を訪れた。 朝早くに殺害予告が届き、 僕はそれを冗談にしようとした。 同僚三人と付き人コンビは必要以上に大受けしてくれた。 午後になるとKKK団員六人が白装束で会場外を練り歩き、 支持者の群を煽り立てて、 僕らを運ぶウェルズ・ファーゴの現金輸送車に罵声を浴びせるよう促していた。 市内のエリス・オーディトリアムでは信仰復興論者による八〇〇〇人規模の集会が予定されていた。 楽屋で出番を待ちながらGは先に出ろよ、 連中のお目当てはあんただからなと僕をからかい、 Pは胸に標的をつけろよと囃し立てた。 僕は拳を振り上げて本気で怒ったふりをした。 ほかのどの都市ともおなじように観客は熱狂し絶叫していた。 三曲目、 Gの 「恋をするなら」 で最終連にさしかかったときだ。 ぱん、 と大きな破裂音がして気づくと僕はMに押し倒されていた。 あいつが袖から飛び出してきたのもわからなかった。
絶叫と演奏が中断されて会場は静まりかえった。 怖かったのは自分が死ぬことよりもMの眼の奥に見たものだった。 あいつは手際よく僕の全身を調べ、 どこも撃たれていないのを確認すると、 甲高い共振音が消えぬうちに高い舞台を飛び降り、 役立たずの警官どもを押しのけて障壁の向こうの群衆へ紛れた。 前に似たようなことがあったときはMの取り越し苦労をみんなで笑い、 あいつも照れ臭そうに苦笑したものだけれど、 今度は僕はただ舞台に取り残されだれも笑わなかった。 いま思えばジェームス・ブラウンのケープアクトを盗む一世一代の機会を逃しちまった。 僕はのろのろと立ち上がり、 硝煙を嗅いで、 Rのラディックの前にサクランボ型の爆竹の燃えかすを見た。 この年に児童保護法で禁じられることになるその玩具を投げた若者は、 警官たちに取り押さえられて脇の出口に連行された。 Mはそいつの背後にいた黒服の男を追ったように見えた。 何事もなかったかのように僕らが演奏を再開すると絶叫もわっと戻ってきた。 Mはしばらく戻らなかった。 大股に弾いて歌いながら僕は自分が幽霊になったような気がしていた。 あのときMは僕がもう助からないものとほぼ確信していた——そしてそれが僕らの活動に自分が介入したせいだと信じているのが、 長いつきあいの僕にはわかった。 まるで本来の歴史はこうじゃなかったかのようにあいつは思い込んでいたのだ。
シンシナティは豪雨だった。 三万五〇〇〇人が詰めかけた野外会場に天幕が用意されておらず、 濡れたアンプにプラグを挿そうとしたマルEが三フィートほど吹っ飛ばされた。 おかげで開演直前に翌日への延期が決まり、 正午の終演後に三五〇マイルも移動して夜の公演に間に合わせる強行軍となった。 これが済めば家族の待つ家へ帰れる、 最後の公演旅行だと腹に決めていたので僕もGもRも不平はいわなかった。 ただひとり舞台に未練があったPもセントルイスの暴風雨で考えを変えた。 Mが日本のいいまわしで 「石橋を叩いて渡らない」 と評した慎重派のあいつは雨よけの天幕の下、 ずぶ濡れの二万三〇〇〇人を前にして絶叫と雷鳴を聞き、 照明と稲光を浴びながら、 あの頑丈な大男とおなじ目に遭ったら繊細なこのおれはひとたまりもないぞと考え、 さすがにもうつづけられないと認める気になった。 ニューヨーク六番街五四丁目の宿で行われた記者会見では、 もはや大会場を満員にできなくなったことを指摘されたものの、 失言騒動についてはさして追求されなかった。 音楽性の変化はディランの逆張りかと問われたPは、 向こうと僕らは両側からおなじことを目指してると答え、 別のインタビューでは僕らは二年前の初訪米時より大人になったと説明した。 確かにシェア競技場での公演に前年のような昂奮や感動はなかった。 五万五六〇〇人収容の会場に一万一〇〇〇もの空席が出た。 上空から会場を埋め尽くす星空のような閃光を見下ろし、 眩い照明に向かって駆けだしたあの輝きは永遠に喪われたのだ。
九年前に駝鳥男の故郷から移転してきた球団の本拠地では、 四万四〇〇〇人に対して障壁の強度も警官の数も圧倒的に足りなかった。 よい夜を、 と挨拶すると終演を気取られるので禁句にしていたのに、 公演も終盤のこの時期には 「のっぽのサリー」 が最後の曲だと知れ渡っていて、 わずか一〇二人の隊列をぎりぎりまで広げたUS警備社は、 暴徒が雪崩れ込むのを喰い止められなかった。 MとマルEが奮闘したものの、 僕らは揉みくちゃにされて引っ掻かれ髪をむしられた。 舞台裏に停めた装甲車に命からがら乗り込めた頃には、 暴徒は七〇〇〇人に膨れ上がっていた。 しっかり掴まれと運転手が叫んで乱暴にギアを入れ、 頸が折れそうな勢いでフィールドを後進した。 暴徒は轢かれまいと慌てて散った。 それでも完全には追い払えず、 装甲車は今度は選手控え席めがけて爆走し地下道へ突っ込んだ。 ようやく増援された警官隊が暴徒を追い払うまで、 僕らは汗と黴の臭いが染みついたロッカー室に二時間も閉じ込められた。 銃弾にも耐える装甲車は本当に走れるか危ぶまれるほど破壊され、 数十人が負傷し二五人が逮捕された。 記念にイグニションキーをちょろまかして逃げた少女ふたり組もいた。 囮のリムジンを使った脱出は二度も失敗し、 三度目は救急車で壊れた柵の山に突っ込んだものの先へ進めなかった。 保安官の指示でさらなる増援が呼ばれ、 ようやく装甲車で脱出できた。 まるで空爆下の防空壕にいるかのような心境で、 ここで夜明かしになると観念して全員が押し黙ったとき、 Rが呟いたひと言が忘れられない。 お家に帰りたいよ母ちゃん、 とあいつは呟いたのだ。 「英国人ども家に帰れ」 のプラカードを僕は思い出した。 それこそまさに僕らの求めていることだった。
キャンドルスティック公園は風が冷たく、 秋の気配が漂いはじめていた。 LAから飛行機でサンフランシスコ入りして宿泊もせずに飛行機で発つ、 いわば日帰り仕事だった。 つらい公演旅行もこれで最後。 僕らは学期末の子どものような浮ついた心地だった。 空港から会場へ向かう貸切バスに僕らと前座のサークル、 ロネッツ、 それに随行記者が詰め込まれた。 こんなおんぼろバスに僕らが乗っているとはよもや気づかれまい。 ところが地元KYAラジオが進行状況を仔細に実況していたらしく、 大勢の出迎えをやり過ごさねばならなくなった。 お喋りに興じる数人の少女の注意を惹くことなく、 ガラ空きの広大な駐車場を横切るまでは巧くいった。 ところが門を解錠する係員がいない。 少女たちが群がりはじめ、 ついにPが発見されいつもの絶叫が沸き起こった。 やむを得ず砂鉄を泳ぐ磁石のように彼女らを引き連れて、 駐車場を無意味に周回させられるはめになった。 コンバーチブルで追ってくる子もいて、 この追いかけっこはのちに視聴率が散々だったP発案のテレビ映画で再現されることになる。
僕らの歴史でもとりわけ平凡で特徴のない演奏だった。 求められた仕事を義務的にこなして終わった。 冷酷無情に後ろを振り返らないつもりでいた僕らも、 ハンブルクの便所裏から六年間ずっと走りつづけてきた公演暮らしもこれで最後となれば、 なんだかんだ感傷的になっていた。 PはトニーBに持ち運び式テープレコーダで録音させ、 僕は写真機を舞台へ持ち込んで曲の合間に仲間を撮りまくった。 腕を伸ばして自分も撮った。 一九六六年にそんなことをやる奴がほかにいなかったのは強調しておきたい。 そしてもうひとつ強調しておく。 Jおじさんの望むものをすべて持っている禿げ頭の唄は、 まさに一九五七年七月六日、 ウールトンの教会バザーで初めて出逢ったときにPが僕の前で歌ってみせた曲なのだ。 すべてがはじまったこの曲で締めくくるとの思い入れから、 歌い出す前にPは、 よい夜をとうっかり口を滑らせそうになった。 最後の和音が消えると僕は、 Pがいいかけて呑み込んだ挨拶を観客に告げ、 また来年会おうと付け加えた。 「洞窟」 での最後の夜と同様に、 そんな日が来ないことは僕ら全員がわかっていた。
帰りのチャーター機でトニーBの隣席に身を沈めたGは、 これでおれはもうBじゃないと満足げに宣言した。 写真を貼りつけた厚紙を舞台に立たせて屁の録音を流したって数万人から絶叫を浴びるような、 カワユイ坊やたちじゃなくなったという意味だ。 MとBEはどこ行ったんだよと僕は通路越しに叫んだ。 あとで合流するとだけトニーBは答えた。 用事があるといってLAに残ったふたりは、 最後の舞台くらい見届けてくれるものと思ったのに丸一日姿を現さなかった。 元愛人に脅迫されたBEのためにMが穢れ仕事を務めていたとは、 あいつの葬儀で再会したトニーBに聞かされるまで僕は知らなかった。 BEはニューヨークの共同経営者とベヴァリヒルズの宿で夕食の予約をしていて、 不在の隙にそれぞれの部屋から書類鞄が盗まれた。 鞄の中身についてBEは、 現金二万ドルと契約書などの機密書類、 それにバルビツールの錠剤だとトニーBに打ち明け、 処方箋のない薬が警察に知れたり、 機密書類が記者の手に渡ったりしたら厄介だと訴えた。 猥褻な手紙やポラロイド写真については黙っていた。 BEがそれ以上に知られるのを畏れたのは実際に夕食をともにした相手だった。 オハイオ出身のその役者志望者は、 一九六四年の全米公演中に知り合ってからBEに執拗につきまとい、 関係を公表すると脅して暴力をふるっては大金を巻き上げていた。 手紙も写真もその男のものだった。 すでに述べたように英国で同性愛はまだ違法だった。 僕の失言なんかなくともザ・Bの名声はマネージャの後ろ暗い素行のために薄氷の上に立っていたのだ。
BEはきっと僕らの知らないところで 「坊やたち」 を護るために汚い悪事にも数知れず手を染めてきたことだろう。 でもMに命じて商売の妨げになる人間をこの世から排除させたのはあとにも先にもこの一度きりだったはずだ。 競技場で牛をなぶり殺す見世物を好んだかれも人間の命を奪う重みには堪えきれなかった。 身代わりとはいえ一度は愛した相手ならなおさらだ。 しかもその殺人はかれが本当に望んだ男の手でなされた。 ザ・Bのマネージャに就任したその日からBEは、 その気があるかのようなMの思わせぶりな態度にずっと振りまわされ、 ときに寂しさを別の男で埋める必要があった。 僕らが最後の公演を終えたその日、 かれの恋愛もまた惨めな終わりを遂げたのだ。
連載目次
- Born on a Different Cloud(1)
- Born on a Different Cloud(2)
- Born on a Different Cloud(3)
- Get Off Of My Cloud(1)
- Get Off Of My Cloud(2)
- Get Off Of My Cloud(3)
- Obscured By Clouds(1)
- Obscured By Clouds(2)
- Obscured By Clouds(3)
- Cloudburst(1)
- Cloudburst(2)
- Cloudburst(3)
- Over the Rainbow(1)
- Over the Rainbow(2)
- Over the Rainbow(3)
- Devil’s Haircut(1)
- Devil’s Haircut(2)
- Devil’s Haircut(3)
- Peppermint Twist(1)
- Peppermint Twist(2)
- Peppermint Twist(3)
- Peppermint Twist(4)
- Baby’s in Black(1)
- Baby’s in Black(2)
- Baby’s in Black(3)
- Baby’s in Black(4)
- Hello, Goodbye(1)
- Hello, Goodbye(2)
- Hello, Goodbye(3)
- Hello, Goodbye(4)
- Hellhound on My Trail(1)
- Hellhound on My Trail(2)
- Hellhound on My Trail(3)
- Hellhound on My Trail(4)
- Nobody Told Me(1)
- Nobody Told Me(2)
- Nobody Told Me(3)
- Nobody Told Me(4)
- Paperback Writer(1)
- Paperback Writer(2)
- Paperback Writer(3)
- Paperback Writer(4)
- Anywhere I Lay My Head(1)
- Anywhere I Lay My Head(2)
- Anywhere I Lay My Head(3)
- Anywhere I Lay My Head(4)
- Anywhere I Lay My Head(5)
- Crippled Inside(1)
- Crippled Inside(2)
- Crippled Inside(3)
- Crippled Inside(4)
- Crippled Inside(5)
- Mother’s Little Helper(1)
- Mother’s Little Helper(2)
- Mother’s Little Helper(3)
- Mother’s Little Helper(4)
- Mother’s Little Helper(5)
- Flying(1)
- Flying(2)
- Flying(3)
- Flying(4)
- Flying(5)
- Setting Sun(1)
- Setting Sun(2)
- Setting Sun(3)
- Setting Sun(4)
- Setting Sun(5)
- Isn’t It A Pity(1)
- Isn’t It A Pity(2)
- Isn’t It A Pity(3)
- Isn’t It A Pity(4)
- Isn’t It A Pity(5)

@ezdog KKK団に抗議されたり暴徒化したファンに襲われたり、B達の公演は最後まで大騒動だったんだな……。そりゃお家に帰りたくもなるわ。それでも最後の公演はなんとも感慨深い。B達の音楽的な進化や大人としての成長も、これまで六年間やってきた思い出も、胸に迫る。
それにしても自撮りを最初にやったのもJだろうというのがなんともすごい。そして面白い。新しい発想で生きていた人なんだよな。
そしてBEの恋の終わり。切ないな……。Mに穢れ仕事をさせたBEの気持ちを考えると哀しい。そんなことさせたくなかっただろうに、Bの奴らを守るためだったんだよな。Bを守るために他にもたくさんそういう仕事をしてきたであろうMのことも哀しい。