新井見枝香さんは書店員でエッセイストでストリップの踊り子だ。 どれも本気でやっていてどれも凄い。 だがそんな新井さんももちろん始めから三足もの鞋を履いていたのではないわけで、 このエッセイでは新井さんがまだストリップのお客さんだった頃から、 サプライズで舞台に登場した後に本格的に踊り子さんになっていく日々が綴られている。
私は元々ストリップに興味があって新井さんを知ったので、 エッセイストとしての新井さんの作品をきちんと読むのはこれが初めてだった。 初めて読んだ新井さんの文章は、 簡潔でざっくばらんで、 そして鋭く核心を突いてくる。 優しさも冷たさも明るさも暗さもある。 そして怖いくらい率直だ。
新井さんはストリップを見る側から書き、 踊る側から書き、 文章や踊りで表現することについて書き、 SNS での発信について書き、 ストリップ観劇の師匠を、 違う仕事に送り出してくれる書店の仲間を、 友人知人の反応を、 劇場や踊り子さんやお客さんを書く。 現実的な話も包み隠さず書く。 ストリップ業界の厳しさ。 踊り子の生活の不安定さ。 人気の有無がすぐ分かってしまう残酷さ。 踊りを鍛え上げ演目を練り上げ可愛い衣裳やメイクで着飾っても、 結局裸や股間しか見られないかもしれないこと。 けれどストリップの常連さんは 「裸の女の子」 よりも 「踊り子」 を見に来て応援しているようだということ。 誰もいない客席の怖さ。 支えてくれるお客さんの存在の大きさ。 直撃するコロナ禍。 オリンピックでの体面を保つためかのように小さな劇場に入った摘発と営業停止⋯⋯。 ストリップを取り巻く状況が厳しくなる中で、 それでも新井さんは 「ストリップをやめたくない」 と書く。 やめないでほしいと、 読んでいる読者の私も思う。 だってこの本の隅から隅まで、 新井さんのストリップ愛に溢れているのだもの。
この本の第二の主役は、 かあちゃんこと相田樹音さんだろう。 見枝香さんをストリップに導いた伝説のストリッパーそのひとの美しさ。 情の厚さ。 あふれんばかりに注いでくれる愛情。 楽しませようとするサービス精神。 怪我にも負けない強さ。 時に弱気にもなる脆さ。 なんて人間くさいのだろう。 小説のモデルにもなった伝説のストリッパーにギリシャ彫刻のような美しい完璧超人を想像していたら、 その人間味あふれる温かさに打ちのめされた。
この本を読んだ人はみんなストリップを観てみたくなるはずだ。 といっても、 やっぱり実際に行く勇気がない⋯⋯という方も多いかもしれない。 私もどちらかといえばそうだったのだが、 この本を読み終えた直後に見枝香さんの出演予定を調べたら、 ちょうど本の中にも登場するシアター U での公演の真っ最中! しかもあの樹音さんも一緒に出ているという! これは行くしかなかった! 行ってきた!
見枝香さんがお客さん時代にシアター U に通ったのが分かる気がした。 下町の無骨でゆるくて気取らない感じがラクだった。 昭和の漫画のネタではない本物の 「踊り子さんにお手を触れないでください」 のアナウンスを聞いたときはかなり感動した。
エッセイを読んでから行くと劇場の楽屋の狭さも見えずとも察せられる。 ちょうど私の見た回で照明のトラブルがあって、 楽屋裏のざわざわしている様子、 最後まで踊れなかった踊り子さんが 「くやしー!」 と明るく悔しがる声が聞こえてきてほっこりした。 ご本人はとても悔しかったと思うけどそれでも切り替えてオープンショーで踊る姿がいじらしくて可愛らしさ倍増だった。
樹音さんも見枝香さんも、 本で読んだそのまんまだった。 かあちゃんとみえかどんだった。 ポラタイムに樹音さんが見枝香さんの列に並び、 楽しそうに掛け合いをしているふたり。 ほんとうの親子じゃないけど、 だからこそある親しさがみんなを和ませる。
樹音さんのストリップは磨き上げられた技で魅せてくれる。 手を伸べられて目線が合った⋯⋯と思った瞬間、 私は一瞬にして悩殺された。 魂を抜かれた。 お客さんのおじさまたちを見つめて頷く樹音さんは、 きっと目線でおじさまひとりひとりを抱きしめているのだ。
見枝香さんの演目はエッセイに書かれている恋した記憶を消されてしまうロボットのお話かもしれないと思ったのだが、 せつないお話のはずなのに私にはせつなさ以上に愛することの喜びが伝わってきた。 見枝香さんはその演目でずっと花が咲いたような笑顔で本当に楽しそうに踊っていた。 その楽しさはもちろん作品としてそう作り込まれた楽しさなのだろうけれど本当に楽しそうで、 見ていて胸いっぱいに幸せになった。 突き抜けた明るさはひとを励ますのだと知った。
緊張でガチガチになりながら樹音さんと見枝香さんのポラ写真を撮らせて頂いた。 サインを入れて渡してもらった写真に、 樹音さんは 「これからもみえかどんをよろしくお願いします」 と書いていた。 樹音さんはやっぱりどこまでもみえかどんのかあちゃんなのだ。
見枝香さんは 「本を読んだ人に樹音さんを見てもらえてよかった」 「これからも書き続けるよ」 と書いてくれた。 書き続けてほしいし、 本屋さんでもいてほしいし、 踊り続けてほしい。 それが並大抵のことではないのは本を読んでいても察せられたけれど、 やれるところまでやってほしい。 そんな見枝香さんにしかできない仕事を、 文章を、 踊りを、 これからも魅せてほしいのだ。
初めて行ったストリップ劇場は、 愛に包まれている場所だと思った。 裸をぜんぶ観ていいよということは、 ある意味究極の愛の示し方ではないだろうか。 ここにいていいんだよ、 あなたを愛しているよ、 というオーラにまるごと包まれた。 それは作り物で紛い物なのかもしれない。 そもそも現実の世界にだってほんとうの愛なんかないかもしれない。 現実がそうなのだからストリップ劇場が与えてくれる愛なんて、 見枝香さんも書いているようにそんなものは大嘘で、 そんなことは見る側も演じる側も分かっている。 それでも劇場にいる間は、 観客は確かに愛されているのだ。 普段の暮らしでどんなにひとりぼっちでも、 劇場の踊り子さんはそんなひとりひとりの心を磨き上げた肉体美と芸の力で抱きしめてくれる。 私は女性だけれどそんなことが些細に思えるほど、 男も女も老いも若きも等しく愛で満たしてくれるのだ。
この本を読んだらぜひ、 ストリップに行ってみてほしい。 ストリップには独特の観劇ルールもあるが、 この本で予習していくとわりとすぐ馴染めるはずだ。 もちろん本来のお客さんであるご常連のおじさま達へのリスペクトは忘れてはならないしお邪魔になってはいけないけれど、 それでも劇場は私のようなおどおどした挙動不審の初心者闖入者もおおらかに受け入れてくれた。
エッセイそのままのかあちゃんとみえかどんにぜひ逢いにいってほしい。 そう、 ストリップは 「会う」 ではなくて 「逢う」 なのだ。 あなたと素敵な踊り子さんたちとの、 ひとときの逢瀬なのである。