評判を耳にして興味を惹かれても、 翻訳原稿 400 字詰換算にして 4025 枚、 文庫本換算で 2769 頁、 少なくとも六分冊にはなろうかという大作を前にすれば、 いかに小説好きでも躊躇しよう。 TikTok とファスト映画とタイパの時代、 貴重な時間と労力を、 この分厚い書物に捧げてよいものか。 輝けるもの必ずしも金ならず、 読むべきか、 読まざるべきか? ⋯⋯結論からいえば、 読者を楽しませる喜劇的な仕掛けがてんこ盛りで、 奇怪な登場人物がうんざりするほど続々と登場し、 後述する理由で洞察は浅いものの活き活きと描かれ、 SF ではあってもジャンル小説感はなく、 強迫障害を強迫的な文体で執拗に描く入れ子構造、 漫画的というかモンティ・パイソン的なギャグと奇想、 枕にしたらうなされそうな分厚さの割には概ね飽きさせず、 まぁ圧倒的におもしろいし一読の価値はあるけれど、 しかし角谷美智子がどうのたまおうが、 そこまで神格化して持ち上げるまでもない気がする、 正直微妙⋯⋯というのが個人的な感想。 あぁ当時、 常温核融合なんて与太が流行っていたよなぁとの懐かしさを別にすれば、 ガジェットの古さは案外、 気にならず、 むしろパソコンとテレビが一体となったテレピュータなる代物と、 そこで再生される新メディアは動画配信サービスを連想させたし、 テレビ業界が自転車操業の果てに劣化し飽きられて凋落するさまは、 わが国の出版業界をも思わせ、 予言的にすら感じた。 問題はそこじゃない。 小賢しい若者⋯⋯というほど若くもない、 年齢の割に幼い男性作家の自己憐憫が長々と語られるだけに思える小説で、 ひと言でいって大人向きではない。 というのも人間や人生に対する洞察が浅すぎ、 構成が散漫すぎるからで、 そしてそのどちらも困ったことに意図された必然でもある。 その小賢しさを臆病と詰るか時代の残酷さと憐れむかは読者次第だ。
内面との対峙を拒否しつづけて狂うハルと、 罪と向き合い麻酔を拒否して彼岸を彷徨うゲイトリー。 あるいは動物殺しのレンツと、 脅迫者にして十代の麻薬密売人ペムリス。 前者は冒頭と結末にその破滅が、 後者は結末でともに楽園から放逐されるさまが描かれる。 この二組に見られるような、 コール&レスポンスのごとき対の配置に加えて、 作中で描かれるアル中更生会さながらに、 膨大な登場人物が入れ替わり立ち替わり、 てんで勝手に過去の経緯を語っては退場する一方、 課題と主体的に向き合って行動するさまは避けられ、 あくまで後から間接的に明かされるという、 他人事めいた (あるいは解離性障害のような) 語りの枠組があって、 欠陥はその後者の技法に由来する。 いままさに目の前で生じている事件に、 積極的に対峙する数少ない例外は、 動物殺しの小悪党が引き起こした騒動において、 そいつを守ろうとして重傷を負い、 魂の自由のために薬物を拒否するゲイトリーくらいで、 あたかも物語の規則に逆らった罰であるかのように、 この男は死の苦しみを味わうはめになる。 この語りは意図通り機能してはいるものの、 肝心の自由意志を描くには不向きで、 小説作法上、 それこそ作中で新入り女 (後述) が批判されるような自己愛的な垂れ流し、 いわゆる 「書きすぎ」 とならざるを得ず、 しかもそれが冒頭との対比や物語の循環を意図するがゆえに、 最大の山場であるアクションシーンを終え、 妻の不貞で狂ったとでもいいたげな被害者ぶった亡霊や、 アシッドアタックの被害者が経緯を語ることで最大の謎が明かされ、 あとはもうさっさと話を畳むべきまさにその段階において、 本筋とは無関係な過去の犯罪歴が唐突に語られだし、 しかもそれが長いという不釣り合いな結果となり、 いかに意図されようが必然だろうが、 段取りとしてこれは失敗といわざるを得ない。 それをやるくらいなら墓荒らしの場面を補うとか、 虫責めされたオリンが小鳥のようにさえずったその経緯が、 例によってだれかの口から間接的にほのめかされるとか、 テロ組織と諜報組織の衝突乱闘をアクションで具体的に見せるとか、 いやいやそういう小説じゃないよと窘められるのはわかっているけれど、 せめてもうちょっと何かあっただろうと思わされる。
最大の瑕疵はそれ以上に、 冒頭で述べた通り人間や人生への洞察の浅さにあり、 同じことでも男がやれば共感すべきものとして肯定され、 女がやれば蔑まれる傾向があって、 たとえばアル中更生会で、 生育環境での暴力とそれによって損なわれた人生について語られるとき、 語り手が女であれば 「甘えるな、 そのくらいだれだって経験している」 とばかり唾棄され、 男であればその同じ唾でもって舐め合わんばかりに、 思い入れたっぷりに共感されるし、 テニスの天才少年たち (少女もいるのだがサウナ行者の関心の差にも表れるように、 オールドボーイズ・クラブ的なこの小説では、 主にルッキズムの観点からしか語られない) を集めた学園 (マイケル・ジャクソンやジャニー喜多川にとっての夢の楽園) での性的虐待については、 加害者が男であればありがたい託宣を授けてくれる聖人として扱われ、 障害によってあらかじめジェンダーから解放されたマジカル・ニグロによって聖別されるその誕生シーンがことさら感動的に描かれる一方、 女であれば男たちを脅かす存在として、 身長の高さや社会的な成功や自信満々のふるまいが強調され、 さながら 『虞美人草』 の紫の女のごとく、 男たちを破滅させる自己愛的な社会病質者として糾弾される。 これはいかにも DV ストーカー作家らしい、 虫のいい被害者気どりに見えるし、 実際その側面も否定できないけれども、 一方ではこれもまた題材上の必然であると同時に、 先に述べた構成上の難点とも結びついており、 性暴力の循環 (『血と言葉』 参照) と、 それによる自己同一性の揺らぎ (ホモソーシャルな学園の生徒らにせよ、 薬物中毒の犯罪者にせよ、 家庭の揉めごとによる心的外傷から夢のエネルギーやら特殊ガラスやらの着想を得る父 JOI が、 キャメラを手にしたウォーホルさながらに撮った映画にせよ、 岩棚で作中世界を要約したり物語を展開させるべく学園に潜入したりするスパイにせよ、 母を憎むがゆえに母を思わせる歳上の、 当時の概念における 「男らしい」 女ないしそれに準ずるものを支配しようとして、 あべこべに女装スパイに籠絡される兄オリンにせよ、 同性愛的な描写やらジェンダーが曖昧な男やらが、 尽きせぬ悪ふざけのごとくこの小説では頻出する) を扱うにあたって、 悪しき男らしさが無邪気に信奉されていた時代の制約から、 向き合って見定めることをハルやオリンと同様に拒否するしかなかったのも理解できる。 たぶん避けること自体が当時の向き合い方だったのだろう、 それくらいしかやり方がなかったのだ。
たぶんこの作家は性的虐待の経験者で、 その主題に向き合うのに失敗した。 経験は憶測にすぎぬがしくじったのは一読すれば瞭然だ。 向き合えば人生を全否定するはめになる。 ジャニーズ事務所に捧げた青春のように。 だから逃げた。 ゲロを吐きながら舐め合いを肯定した。 この分厚い本は要するにつまりそういう話だ。 作家としていちばんだめなことで、 だからおれはこの作家を軽蔑すると同時に、 そうならざるを得なかった人生がわからなくもない。
GONZO の執筆と並走して、 続きが訳されるたびに読んできて、 文体に大いに影響を受け、 まるで売れなかった大失敗の出版から一年後に、 待望の柳楽訳サミズダートがついに完成し、 読み終えられたのは感慨深い。 コロナ禍がはじまって終わるまでの数年をこのふたつの小説と過ごしたことになる。 注釈もまた 『淡い焰』 ほどの主役扱いでこそないものの、 作品世界を構成する重要な要素であるからして (注釈の注釈という入れ子まで頻出する)、 並行して読むべきものではあるのだけれど、 あいにく docx を epub に変換する過程に不具合でもあったのか、 タップしても一切ポップアップせず、 したがって本編を通読してからまとめて読むこととなり、 しかしこれはこれで本筋とはいえないまでも、 学園側の小悪党が成敗される思いのほか通俗的な経緯が、 これもまたひとつの結末ですよとでもいいたげに、 わかりやすく提示されていたりして、 なくもない読み方でもあるのかな、 などと思ったりもした。 この大作をなんの報酬も出版のあてもなしに独力で翻訳する、 という偉業を成し遂げた柳楽馨先生に、 尽きせぬ敬意と感謝を捧げる。 幸福な読書体験をありがとうございました。