【前回のあらすじ】
ゼミの研修旅行で一緒になった同期のカマキリちゃんは、 虫が好きすぎるあまり芋虫を素手で捕まえそのまま持ち歩きはじめた。 怯える芋虫! もっと怯える人類! 芋虫と人間、 種族を超えて共にする旅のゆくえや如何に!?
そうこうしているうちに、 とある研究施設に着いた。 確か動物の遺伝子研究をしている施設だったと思う。 私達が入っていくと早速待っていた係の人が案内しようと招き入れてくれたのだが⋯⋯セキュリティチェックを通過しようとして止められた学生が一人いた。
「すみません、 施設内でも昆虫を飼育しているので、 万が一逃げ出されて病気などを伝播させられると困るんです⋯⋯」
そう、 止められたのはカマキリちゃんと手のり芋虫くんだった。
カマキリちゃんはその状況でも芋虫を外に逃がすことを拒んだ。 「ではこちらをお使いいただけますか。 このままお持ち帰り頂いて結構ですので」
係の人がどこからかプラスチックのカップを持ってきた。 研究施設で昆虫を飼育するのに使われているポピュラーなカップだ。 高さと直径が十五センチくらい。 ボンカップという名前で本来はゼリーなど食品を入れるカップだが、 昆虫を飼う場合は上下を逆さまにして蓋を下にして使うことが多いようだ。 飛ぶ虫は上に向かって飛ぶので蓋が下のほうが逃げ出しづらいのだ。 案内の人はご丁寧に蓋の内側に濾紙も敷いてくれていた。 これに餌さえ入れればそのまま飼育できる状態だ。 さすが研究施設、 試料となる昆虫の扱い方として完璧な対応である。 カマキリちゃんもご満悦で、 芋虫を手のひらからカップに移した。 施設に入れてもらうことができ、 私達は無事見学を終えることができた。
次にバイオサイエンス系の施設に行ったのだが、 カマキリちゃんは当然のように芋虫をカップごと同行させた。 施設と施設の移動中に街路樹の葉をむしってカップに入れて⋯⋯。 どうも彼女は芋虫をそのまま飼育するつもりらしかった。 施設の案内係の人は何度も彼女と教授の顔を交互に見ていたが、 ついに何も言わなかった。
さて、 一日の予定を終え、 その日は現地のホテルに泊まることになった。 部屋は二人で一部屋。 部屋割りは決められておらず、 教授は 「男子五部屋女子二部屋ね。 みんなでうまく分かれてください。 じゃっ」
とさっさと自分の部屋に引き上げていった。 大学生なのでそれで十分なのだが、 私達女子には重大な問題があった。 誰が芋虫と一夜を共にするのか⋯⋯。
「じゃあ、 グーとパーで分かれよっか!?」
学年イチモテ子ちゃんが提案した。 やはり彼女も芋虫と同衾するのは嫌な様子だった。
「オッケー!」
「それがいいね」
何事もないように言いながら、 私と地味っこ女子はお互い目を見合わせた。 火花が散った。 嫌だ。 芋虫と一晩すごすのは嫌だ。 悪いがこれだけは譲れない。 絶対に負けられない戦いが今はじまる!
「せーのっ! グーとパーでっ! 分かれましょっ!」
みんなグー。
「もう一回っ! グーとパーでっ! 分かれましょっ!」
カマキリちゃんだけグー。
緊張が走る。
「もう一回っっ! グーと! パーでっ! 分かれましょっっっ!」
モテ子グー。 地味子グー。
私とカマキリちゃんパー。
( うわぁぁぁ! 終わったぁ! )
と思ったものの、 カマキリちゃんの手前それを口にするわけにはいかない。 モテ子と地味子は無言でハイタッチをしている。
「よ、 よろしくね⋯⋯」
私が若干ひきつった顔を隠せないままカマキリちゃんに言うとカマキリちゃんは可愛らしく小首をかしげ
「よろしくね。 ごめんね芋虫苦手なんだよね。 大丈夫だよ、 ちゃんと逃がさないように気をつけるから!」
と言ってニコニコしていた。
カマキリちゃんは部屋に入ると、 ベッドのナイトテーブルの自分寄りの側に芋虫入りカップを置いた。 ホテルのレストランで夕食を終えて部屋に帰ってからもカップを何度も手に取って芋虫を愛で、 寝る直前までナイトテーブルの上に顔を近づけて芋虫をながめていた。 私が芋虫なら生きた心地がしないだろうが、 私自身も生きた心地がしなかった。 私はとにかくその光景を視界に入れないようにして、 さっさと寝て意識を失うことにした。 大丈夫だ、 ボンカップは全国の大学や研究施設で飼育に使われているのだから、 あれに入れられていたらそう簡単には逃げ出せない。 とりあえずカップにさえ入っていれば私に近寄ってくることはない。 そう自分に言いきかせながら⋯⋯。
翌朝。
「ごめん」
隣でゴソゴソする気配で目が覚めると、 赤地にテディベア柄のパジャマのままベッドサイドに立ってオロオロしているカマキリちゃんに開口一番に謝られた。
「いなくなっちゃった⋯⋯」
まるでベタな小説のようなお約束の展開。 そして最悪の展開。 そのひとことで、 私の心臓は縮み全身の毛穴という毛穴から嫌な汗が吹き出した。
ベッドサイドに置かれていたはずのカップ本体が床に落ちている。 フタの閉め方が甘かったのだろう。 芋虫が巨大で力があったから、 ちょっとフタが甘ければ外れてしまう状態だったのだ。 芋虫にしても必死で火事場の馬鹿力のようなものを発揮したのかもしれない。
とりあえず私は全身を恐る恐る触った。 大丈夫ここにはいない。 自分のベッドの上もみてみる。 いない。 私は無事だ。 いまのところは⋯⋯。
それから十分くらい、 芋虫の大捜索が行われた。 生きた心地がしなかった。 奴はテーブルとベッドのわずかな隙間の下の床で発見された。 私が見つけた。 必死だった。 見つけたけれど触れないのでカマキリちゃんに責任を持って回収してもらった。 奴は無事生きていた。
カマキリちゃんは研修旅行終了まで芋虫を大事に連れて歩き、 最後までカップを抱えたまま嬉しそうに帰っていった。 その後芋虫くんがちゃんと蛹になれたのかは聞いていない。 聞いていないが、 あんな数奇な運命を辿った芋虫は昆虫の世界広しといえどもアイツただ一匹だけだろう。
ゼミで長く一緒に過ごしてみると、 カマキリちゃんは虫が大好きすぎる以外はとても気のいいさばさばした、 それでいて優しい子だった。 優秀なゼミ生として研究に勤しみ、 ときどき研究室で飼っている毛虫を大量に手のひらにのせてコロコロ転がして毛虫ボールをつくるなどの奇行に走り私たちに悲鳴を上げさせながらも、 しっかりした卒論を書いて卒業していった。 その後の消息は知らないけれど、 あれだけ虫が好きなひとの嗜好が変わることはなさそうだから、 今も元気にカマキリや芋虫やいろんな虫を捕まえているかな。 好きな虫を好きでいるあの情熱を、 変わらず持っていてほしい。
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