ずっと胸に刻まれている呪縛のような言葉がある。
まだ大学生くらいの頃だ。 家族でフリーマーケットに出るのにハマッていた時期があった。 母と妹と私で不要になった服やバッグや細かい生活雑貨などを 100 円 200 円の安値で売りさばいていた。 実家の建て替え前の持ち物の整理のためでもあったし、 安さもあってか色々な物がポンポン売れるのが面白かった。
ある日のフリマで、 ちょっと説明が必要な品物を出した。 宮崎アニメの 『千と千尋の神隠し』 の DVD 特典でついてきた “ハクの握ったおにぎり” のフィギュアだ。 なんと宮崎監督自ら握ったおにぎりを型どりして制作したというシロモノである。 ある意味すごいレアアイテムだと思うが、 説明がなければただの白むすびのフィギュアだ。 私は分かりやすいようにメモ紙に手書きポップを書いて、 おにぎりに貼りつけた。 “ハクの握ったおにぎり” という説明と共に、 漫画チックなふざけたハクのイラストを描き添えた。
それを見た妹は、 眉をひそめて言った。
「やめてよ、 なんか恥ずかしい⋯⋯」
そのたったひとことが、 たぶん発した本人は忘れているような一言が、 私の長年の呪縛になった。
その言葉で私は思い知らされてしまったのだ。 自分がいかにダサい人間であるかを。
ハクのイラスト、 面白いと思ったのに⋯⋯そうか、 私のセンスは恥ずかしいのか。 妹が思わず止めたくなるくらい、 そんなに恥ずかしいのか。 ダサいのか、 みっともないのか。
ああ、 私の感性は表に出しちゃいけないくらい、 恥ずかしいものだったんだ⋯⋯。
薄々気づいてはいたのだ。 自分のいけてなさには。 思えば中学生の頃は、 皆が可愛く丈詰めをしているのに私だけ校則通りのやたら長いスカートを履いて、 通学カバンにはアニメキャラのピンバッヂを付けて、 夜中に試験勉強をしながらジョージ・ウィンストンの 『オータム』 と東儀秀樹の 『越天楽今様』 とエンヤのベスト盤ばかり聴いているようなダサさだった。 これが私のダサさマックス時代だが、 人生のセンスの基礎を作る思春期がこの有り様では、 その後の成長も推して知るべしだ⋯⋯。
今思えば妹の発言の意図も分かるのだ。 商品に付けるポップは、 お客様に伝わるものでなければいけない。 自分のセンスで描きたいものを描いては伝わらないことがある。 伝える目的ではなく、 ただの自己満足になってしまうのだ。 妹は不肖の姉と違い昔からしっかりしていて気配り上手だ。 ポップの本質を感覚的に分かった上での 「恥ずかしい」 だったのだろう。
それでもポップを付けて並べた “ハクのおにぎり” は、 何故だか全然 『千と千尋の神隠し』 を知らない人が 「なんだか面白そうだから」 と買っていった。
だけど、 そのときの妹の言葉をきっかけに、 私は自分のセンスを表に出すことが怖くなった。
例えば最近でも、 イベント用に手書きで ZINE を作ったり、 マスキングテープをカードに貼って栞を作ったりしていたら、 やっぱり呪縛の言葉が自分の中から聞こえてきた。 「こんなのダサいかもしれない」 「笑われるかもしれない」 「字も汚いし絵も下手だ」 「マスキングテープの貼り方も変」 「こんなのもらっても、 かえって迷惑かな」 「ぜんぜんいい気がしない」 「かわいくない⋯⋯かわいいって何だっけ。 どういうことだっけ」 呪縛の言葉は沸きだすと止まらない。 最初の一歩を踏み出すときは、 いつも怖い。
だけど今の私には、 その言葉に打ち勝てる思い出がある。 「怖さ」 に勝つ力は、 ある日突然、 意外なきっかけで手に入った。
二十代の頃に鎌倉に遊びにいったとき。 今でも好きだけれどあの頃は特にあの街が大好きで、 お金と時間のある休日に何度も訪れていた。 小町通りを抜けて鶴岡八幡宮まで歩くのが定番で、 その日もそのつもりで通りを歩いていた。
今は許可が下りないだろうけれど、 当時はそのあたりにアクセサリーなどちょっとした小物の露店を出して商売している人が時々いて、 その日もそんな露店らしきものを見つけた。 手作り小物のようなものが並んでいるのが見えたので、 興味を持って近寄ってみた。
ドラム缶を縦にしたような筒状の台の上に、 大量のポチ袋のような小袋が並んでいて、 その傍らにおじいさんが立っていた。 何だろうと近寄ってみると 「こんにちは」 と声をかけられた。
おじいさんはツイードのような厚手の生地でできた茶系のチェックのカジュアルなスーツを着ていた。 長めの白髪に髭に丸眼鏡。 サンタさんが私服で街に出てきたような出で立ちで、 にっこり微笑んでいた。
「これはねぇ、 ボクの作ったお守りなの」
おじいさんがお守りと言ったものは、 名刺大の和紙の台紙に紙粘土らしき白い素材で平らに作ったモチーフが付けられたものだった。 お地蔵さんや猫や兎や色々な動物の形の様々なモチーフには、 タイトルのようなものが筆文字で描かれている。 「ゆきじぞう」 「うみのさち」 「つきうさぎ」 などなど、 分かるような分からないような言葉が並んでいる⋯⋯。
おじいさんはゆっくり丁寧に、 ひとつひとつのお守りについて説明していった。
「この雪の絵のついたお地蔵さんは、 “雪” と “行き” をかけていて、 旅の安全のお守りなの。 特に北国への旅行にね。 こっちのシャチは “海の幸” ならぬ “海のシャチ” って洒落ね。 幸せのお守り。 サーファーのひとにいいかなって。 この月とウサギのは、 ウサギといえば月に住んでいるからっていうのと、 ラッキーのほうの “ツキ” にもかけているの。 ツキが巡ってきますようにって」
細かいことは忘れてしまったけれどこんな感じで、 お守りのひとつひとつにはおじいさんの駄洒落や気遣いのセンスが炸裂しているのだった。
そのセンスはなんとなく 「相田みつを」 っぽいテイストの昭和のベタなお土産物という感じだった。 素朴な和風。 正直に感じたまま言えば、 野暮ったくて垢抜けない。
だけど、 おじいさんの説明の世界がなんだか可愛らしくて、 そしてお守りを楽しく作っているのが、 このお守りの世界を共有するひとを楽しませようとしているのが伝わってきた。
おじいさんと出会えたことを忘れたくなくて、 今日の日の記念に欲しくなって、 私は 「ツキうさぎ」 を買うことにした。 おじいさんは 「ありがとう! ツキまくるといいね!」 と言って、 「じゃ、 500 円ね。 お金はここに」 と、 商品の並んだ台に付けられた木のヘラのようなものを指した。 私がそこに 500 円玉を置くと、 ヘラが沈んだ拍子に台に隠れていた蓋があいてピンポン玉が飛び出し、 台の側面についたチューブをコロコロ転がっていって、 足元に取り付けられたお菓子の空き箱を工作したような装置を通過した。 画用紙に割り箸を貼りつけたような札がピンポン玉に当たって起き上がる。 そこには赤いクレヨンで大きく 「当たり」 と描かれていた。
「大当たり~! おめでとう! 早速ツキが巡ってきたかな。 大当たりの景品はこれ!」
おじいさんはポストカードのようなものを差し出した。 猫の顔をしたお地蔵様が二体、 双子のように並んだ絵が点描で描かれている。 目を閉じて眠っているような祈っているような表情だった。
「ボクが描いた新聞ね。 秘密の方法で読めるよ。 ヒントは洗面所!」
ちいさな鏡文字でちょっとした挨拶文とおじいさんの住所らしきものが描かれていた。 その猫の絵はお守りよりもずっとセンスがよかった。 思いがけない演出とプレゼントにびっくりして楽しかった。 そして、 この装置は 「当たり」 しか出ないように作ってあるんだろうなと思った。
最後におじいさんは悪戯を白状する子どものように声を潜めて、 ボクね、 腫瘍があるの、 と言ってニコッとした。 あまりにも何でもないように言うので、 そうなんですかと軽く答えた。 さりげない口調だったので、 流してしまった。
あれからまた何度も鎌倉に行ったけれど、 二度とおじいさんには会えなかった。
あの最後の何気ない言葉が聞き違いや記憶違いであったらいいなと思う。 でもとにかく、 おじいさんに会えたのはあれっきりだった。 もしかしたらどこかでお元気にしているかもしれないけれど、 もしそうだとしてもあのちいさな露店はもう開かれないのだろう。 そうでないなら尚更、 もう永久に。
「ツキうさぎ」 のお守りは今でもどこかにしまってあるけれど、 雑多な日常の道具に埋もれてすぐには出てきそうにない。
あれから、 自分が何かを自分のやり方でやってみたいと思ったとき、 いつもおじいさんのことを思い出す。 お客の私をめいいっぱい楽しませようとしてくれた、 あの滑稽なほどに優しいサービス精神のことを。 そして、 野暮ったくてもダサくても、 やりたいことがあったら、 やってみていいんだな、 と思う。
おじいさんのことを思い出すたび、 あの私服のサンタさんのような佇まいと、 丸眼鏡の奥のまなざしを思い出す。 思い出すたび、 おじいさんは私の心の中で静かに私に語る。
“やりたいことがあるなら、 おやり。 それが誰かを楽しませるかもしれないなら、 なおさら”
“いいかい、 やりたいことは、 やりたいようにとことんやるんだよ。 ためらわずに今すぐやるんだよ。 今という時は、 今しかないんだよ”