夜の雑記帖

連載第5回: 明けない夜に空をみにいく

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2022.
10.12Wed

明けない夜に空をみにいく

コロナ前のこと仕事に疲れた日の帰りに何の意味もなく羽田空港国際線ターミナルまで行ったことがある

空港に向かう夜のモノレールは空いていた高層マンションの窓の高そうなシフォンのカーテンからは橙色の温かな幸せそうな光が漏れ蛍光灯の白くひんやりした光に照らされて丸見えのオフィスの窓の向こうではまだ誰かが働いている自分には一生関わることのない部屋の数々が目の前を通り過ぎてゆく

高速道路と並走してトラックに追い抜かれていく高架下には川か海か分からない黒い水面がゆらいでいるのが見えたさざなみは街灯の光を汲んできらきらと闇に散らしていく

窓にもたれて流れていく夜景を見ながらぼんやりしていると鬱屈した日々の垢が後ろに過ぎていくような気持ちになった

空港に着いても飛行機に乗るわけでもないそれでもインバウンド向けのディスプレイや土産物店を眺めたりしてうろうろしているとちょっぴり旅気分を味わうような浮かれた気持ちになった

せっかく空港まで来たので飛行機を見たかった展望デッキに上がってみる青白く煌々とライティングされた夜の滑走路を次々と飛行機が降り立ち飛び立っていく行き交う赤や緑のテールライトと轟音がここちよい

展望デッキは思ったより人が多かった寄り添うカップルや搭乗前の時間潰しにきているおばさまグループや飛行機に目もくれずベンチで PC を高速タイピングするサラリーマン皆どこかしら目的地があったり一緒に過ごすひとがいたりする様子だった私だけが何のあてもなく彷徨っているようだ

そんな夜の雑沓の中に浮いたようにひとり佇むおじいさんがいたひとりでふらふらしている者には同じような人間が目に入りやすい

おじいさんはランニングシャツに短パン手には白いビニール袋を下げていた近所の人が部屋着のままコンビニに来たような出で立ちだったじっと夜空を見上げていた何を考えていたのだろう遠い昔を思い出していたのか私のように日々の憂さを溶かしていたのか内心は案外気楽だったのかもしれないけれどその背中は何となく寂しそうには見えた

巷でよく聞く言葉だけれど私は孤独に寄り添うという言葉が苦手だ人は誰しも誰にも理解されない自分だけの孤独を持つ孤独はそのひとにしか分からない崇高で美しくさえある繊細なものだそこに他人が土足でずかずか入っていって寄り添ったつもりになるなんてなんという冒涜だろうそんなおぞましいことはしたくないだけど

おじいさんは展望デッキの縁のフェンスのすぐ前で空を見上げていた私はおじいさんから両手を広げた長さほど離れた場所に並んで空を見上げてみた

しばらくそうやっておじいさんの見ている空と同じ空を見ていた

なんとなくこの時のことを忘れたくないなと思って数年経った今でも覚えているおじいさんは私の存在には気づいていなかった私が勝手に近くにいて同じ空を見ていただけだ

だけどあの日の空とおじいさんのことを私は今も忘れていないほんの束の間に誰かと同じ空を見上げた時間があったことを覚えていたいのだ明けないようにすら思える深い夜を切り裂くように飛んでいく赤いテールライトと呆けたようにじっと夜空を見上げるおじいさんとそこにただ立ち尽くすひとりぼっちの私とを

寂しかったのは孤独だったのは私でおじいさんに側にいてもらったのかもしれないなぁ


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。