夜の雑記帖

連載第24回: 虫愛で過ぎる姫君~前編~

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2023.
02.01Wed

虫愛で過ぎる姫君~前編~

文系ですか理系ですか? という質問に上手く答えられない私は数学というか算数のことを考えただけで頭痛がしてくるタイプの人間だだが大学は理系の学部を選んだ文系に進んだところで凡人の自分には将来の展望が見えなかったのと宮沢賢治の農業に取り組んだ生き方や佐々木倫子さんの漫画動物のお医者さんが好きだったからだ数学が苦手なのに入れる理系の学部なんてあるのかと疑問に思われる方は多いだろうが実はある生物学系の学部は英語と生物のみで受験できるところが結構あった私が選んだのは農学部だった

某三流私大のド田舎キャンパスのさらに片隅に追いやられている農学部になんとか潜り込んだ学生も教授たちも変なひとだらけだった学生にはやはり農家の跡継ぎという子が結構いて次に多いのが獣医学部に入りたかったけど挫折した子それ以外だととにかく自分の好きなことがはっきりしている子が多かった環境問題に関心があったり植物や特定の生き物が好きだったり

同級生ふたりが楽しそうに談笑しているのでねぇねぇ何の話?と聞いたら今ねミトコンドリアの話してたの!と言われた

実習で校内の畑の雑草を刈っていたらみんな引っこ抜いたクローバーの根を凝視しながら根粒菌! 根粒菌はどこだ!と根っ子についているはずの粒々を探しまくっていた高校の生物がお好きだった方なら辛うじて覚えておられるようなお勉強の話題で盛り上がれる奴らだった

私は今もあまり物事を深く考えないで楽しそうなほうへ走ってしまう性質なのだが大学時代もその性質を遺憾なく発揮して将来性やら自分の資質やらを一切考慮せずに昆虫の研究をするゼミを希望した虫が結構好きなのと単純に面白そうだと思ったからだそして昆虫の餌の成分分析の研究を選んで苦手な化学をがっつりやらなければならなくなって卒論に苦しむのだがそれはともかく昆虫が好きで研究したい! と集まるような連中は学科の奴らに輪をかけて変な奴らだった

ゼミが決まってすぐ研修旅行があった筑波の生物学系の研究施設をいくつか見学するといういかにも理系らしい内容だった研修旅行に来たゼミの同期のメンツはとても濃かった体育会系熱血男子スズメバチ大好き野郎冬虫夏草大好き野郎なぜここにいるのかわからない学年イチのモテ女子などなどよく言えば個性豊かわるく言えばおかしな奴らが十五人ほど集結した

なかでも特に個性の強い女の子がいたゆるいパーマのかかった茶髪でフリルのついた白ブラウスの似合う華奢でふわふわフェミニンな可愛い子だった見た目は中身はちょっと普通の社会では絶対に通用しないレベルの強力な虫好きだった

彼女には密かにカマキリちゃんという渾名がつけられていたある日そのへんにいたカマキリを捕まえてブローチの如く自分の胸にとまらせそのまま授業に出ていたからだその一件で隣の学科の学生にすらヤバいやつがいる!と認知された有名人だったが本人はまるで気にする様子もなく緑豊かというかほぼ山の中のキャンパスに毎日出現する何かしらの虫をマイペースに追いかけていた

そんなカマキリちゃんもしかしさすがに研修旅行ならおとなしくしていることだろう虫を追いかけたり捕まえたりはしないだろうと誰もが思っていただいたい研究施設の見学の合間に捕まえられる虫もいないだろうし

ところがどっこい虫というのはどこにでもいるものなのだ昆虫は世界で現在発見されているだけでも約百万種がおり地球上に存在する生物種の五割以上を占めているものすごくたくさんいる生物なのだ身体が小さく様々な環境に適応し進化し繁殖しているからなにかしらの虫がどこにでも出現しうる当然のように駅から研究施設へ歩いていく僅かな移動の間にも昆虫は現れた

わぁ~! かわいい~!

カマキリちゃんの黄色い声に我々が嫌な予感がして振り向くと彼女は道端の街路樹の葉についた十五センチはあろうかという巨大な芋虫を葉からひきはがそうとしているところだった

教授が目をキラキラさせる。 「あぁこいつはねスズメガの幼虫で食草の種類が広くて何でも食べてしまうんだよねぇこの大きさならもうすぐ蛹になるだろうけど⋯⋯

教授はここぞとばかりに詳細な解説をしてくれた皆で聞き入ってからそれじゃ行きましょう!と改めて研究施設に向かって歩き出したカマキリちゃんも歩き出した芋虫を手のひらにのせたまま⋯⋯教授は一瞬何か言いたそうな顔をしていたがすぐにスルーすることに決めたらしくスズメバチ大好き男子と楽しげに談笑しながら歩き出した

私は⋯⋯露骨にカマキリちゃんと距離を取ってしまった実は私は芋虫だけは大っ嫌いなのだ芋虫以外の大抵の虫は大丈夫で今でも勤務先に入ってきたカナブンを素手で捕まえて外に逃がしてドン引きされる私だがそんな私にも人並みに苦手な虫はいる芋虫毛虫蛆虫だけはどうしてもダメなのだゴキブリよりも無理だなぜか分からないが昔からダメだ遠い先祖で触って毒に当たって死んだひとがいるのではないかと思うくらい遺伝子レベルで無理だえっ芋虫を触ったくらいで死なないって? そこまで毒性の強い芋虫はいないって? そりゃ理屈はそうかもしれませんが! 私の気持ちとしては触ったら死ぬくらい無理なのだ!

カマキリちゃんは手のひらのスズメガ幼虫をなでなでしながら歩いている奴らはしっぽのあたりにツノのような突起があるそれがめちゃくちゃ怖い先程の教授の解説のおかげであれはただの飾りで毒はないと理解していても怖い色はどす黒い褐色をしているめちゃくちゃ気持ち悪い理屈では人体に害はないと分かっていても生理的に無理だというかあの見た目で毒がないなんて嘘ではないだろうかまだ誰も発見していないだけで本当はあるんじゃないのか誰かちゃんと研究してくれ私は嫌だが学年イチのモテ女子が可愛い顔でその忌々しい毒虫を覗きこみこの色は擬態の効果もあるのかななんて話しているやめろおまえたちに常識はないのか大学生女子が公道でそんなでっかいツノつき暗黒芋虫を持ち歩くなんて危険物取扱法違反に該当するのではないか

ごめん私は芋虫苦手で⋯⋯

私も⋯⋯

私ともうひとりいた地味っこ女子がどん引きしているとカマキリちゃんは

えぇ~なんで!? こんなに可愛いのにぃと言いながら手のひらの芋虫をこちらに差し出してきた

「「ぎゃあああああ!」」

私たち芋虫キライ連合が悲鳴をあげるとカマキリちゃんはごめんごめんでも大丈夫だよ! 私ちゃんと捕まえてるから! それにこの子おとなしいし!

と言ってまた芋虫をなでなでした芋虫は怯えたように固まっていた


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。
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