いつも使っている通勤路に、 鬼灯が生えている場所がある。
昔からある食品卸会社の古いコンクリート造りの社屋の隅に、 それは生えている。 植えてあるのではない。 路肩のコンクリートの細い隙間を突き破って勝手に生えてきている。 冬になると姿を消し、 春が訪れるとまた芽吹く。 白い小さな花をつけ、 実を結び、 秋には朱に色づく。
建物の持ち主は絶対に存在に気づいているはずだ。 その上で放置している。 放置しているというか、 手もかけないが抜きもせず、 そのまま生やして見守っているというところか。 だから冬になり葉が落ちると、 いつの間にか姿を消している。 明らかに枯れるのを見届けてから刈り取っているのだ。
鬼灯は毎年毎年律儀に生えてくる。 いつしか私はその姿を見るのを楽しみにするようになった。 きっとそれは建物の主も同じなのだろう。 そしてもしかしたら、 この街に住む別の誰かにも、 私のように鬼灯を楽しみにしているひとがいるのかもしれない。 もしかしたらそういうひとは、 何人かいるのかもしれない。
コンクリートから生えた鬼灯を見て、 抜いてしまおうと思う人がいても不思議ではないはずだ。 けれど、 鬼灯はいつもそこにある。 鬼灯を見つけた人達はみんな、 鬼灯を残すことを選んでいる。 会ったこともないその人達に、 私は不思議な連帯感を感じる。
そう、 私達は鬼灯を守る共犯者なのだ。
季節がめぐり今年も色づいた。 街の片隅に朱く灯る、 私達の鬼灯の実。