最初に宣言させてほしい。 私は文庫本の巻末の解説は読まない派だ。 本来なら私ごときの駄文なぞここに書くべきではない。 『血と言葉』 のラストシーン、 とてもよかったでしょう? 読者の皆さんはこんなページは即座に閉じて、 余韻に浸りにドライブに行って風に吹かれたり、 喫煙者ならピースの一本も吸ってしばらくぼーっとするべきた。 どこを切ってもカッコいいカッコよ金太郎飴のような完成された小説に、 私のようなちんちくりんの解説はいらん。 こんな駄文を読む暇があったらラストシーンを百回読み返せばいい。 だが著者が載せるというので仕方がない。 書きますので、 ラストシーンの余韻にしっかりと浸ってからお読みください。
『血と言葉』 の大きなテーマは “恋” と “書くということ” だろう。 登場人物達がそれぞれの恋と凰馬の書いた作品に心奪われ翻弄されていく。
この作品で魅力的なのは何といっても海堂ちありだ。 冒頭、 執拗に描かれるちありの気持ち悪さ、 教師を本で殴って襲う強烈さに多くの読者は眉をしかめただろう。 その不快感はちありの視点で凰馬を見た時に一変する。 それは好きになっちゃうよな⋯⋯と納得し、 常軌を逸したちありの行動が全部可愛らしく見えてくるのだ。 歪んだ執着がピュアな純愛へと一変する瞬間。 醜さと美しさは表裏一体であることを杜氏の筆は鮮やかに示してみせる。
ちありを見つめる幼なじみの将大の存在も切ない。 変わっていくちありに戸惑いつつも気持ちをとめられない。 “恋愛は、 人間は、 なんて愚かで惨めなんだろう” という彼の内心の独白は人類にとって不変の苦悩だが、 それをあのタイミングで吐くのが絶妙だ。 人の愚かさ、 浅はかさが露呈してぐちゃぐちゃになったようなシーンの衝撃。 だけどきっと誰にでも多かれ少なかれ経験があるはずの痛み。 目を背けたいようでいて、 だけどどうしようもなくその感情が分かってしまう。
私は女性なので、 ちありの気持ちも新垣の気持ちも絵梨子の気持ちも愚かな女子生徒の気持ちも分かる (千里の気持ちは分からないが彼女は禍々しいヒールなので理解の枠など越えてぶっとんでいるのがいい)。 本作では女性が過度に美化されることなく生き生きと動いている。 私は以前ベストセラーになった 『神様のカルテ』 を読んだ際、 ヒロインがあまりにも男性が想定する理想の嫁としてできすぎていて激しい違和感を覚えたのだが、 杜氏の作品に登場する女性にはそういう感じがない。 逆に、 何故男性作家が女性のこんなところまで見透かしているのか⋯⋯と感じる点は多々あって、 しかしそういう女の暗い部分が暴かれていくのは痛快でもある。
これだけ人間を書けるのだから杜氏は純文学のほうにいってもよかったのではないかと私は密かに思っているのだが、 この物語の凄いところはこれだけ人間の姿を赤裸々に描きながら、 ストーリーがエンタメとしてきっちり面白いところだ。 謎の銃乱射事件。 失踪したちありの母。 SNS でのΩの拡散とそれを嗅ぎ付けた編集者。 得体の知れない無数のざわめきが少しずつ登場人物達を包囲していき、 やがて訪れるクライマックスへと雪崩れ込む。 最後のアクションシーンは胸がすくような杜氏の真骨頂というべき疾走感と躍動感にあふれ、 怒涛のカタルシスへと昇華されていく。
そんな中にさりげなくある “これがおれをつくったんだ” という凰馬の言葉が胸に刺さる。 杜氏の言葉には、 何度も何度も地獄を見てそれでも生きることを選んできた人にしか書けない強い言葉があって、 その言葉を前にすると私はただただ圧倒される。 その言葉が凰馬に命を吹き込み、 飄々としているようで芯が強く優しい魅力あふれる人物として生かしているのだ。
凰馬はちありの作家としての師でもあった。 ふたりの別れのシーン、 “何度もそんな経験をする。 それが糧になる。 書くんだ” という言葉は、 書くという行為をやめられない全ての人に刺さるだろう。 残されたちありが凰馬の香を追いながら書き続けるのは、 むしろ彼女にとっては幸せな結末かもしれない。
最後に去っていく人物が誰かは、 明確には語られない。 読者はああきっと彼なのだな⋯⋯と仄かに察する。 その距離感がちょうどいい。 昨今の商業作品は親切すぎるくらいにはっきり書きすぎる反面、 余韻というものが失われていることも多いと思う。 杜作品は読者を信頼して委ね、 想像の余地を残している。
語りすぎないというところは杜作品の魅力のひとつであろう。 そんな杜氏の作品解説において私は少々語りすぎたようだ。 無粋ないちファンはそろそろ退場するとして、 ここまでお付き合いくださった貴方は、 あのシーンやこのシーンが脳裏に蘇ってもう一度読みたくなったのではないだろうか。 私は読みたい! ここに書ききれなかったが凰馬と青山夫妻の友情もいいし、 凰馬と刑事達の軽妙なやりとりも楽しい。 凰馬と祖父のエピソードも素晴らしいのだ。 じゃっ私はもう失礼して、 再読の旅に出かけま~す!