とにかく破壊力満点のエッセイだ。 私も人に教えてもらって読んだのだが、 読み終えると誰かれ構わず勧めたくなる。 読みやすくてとにかく面白いので、 いろいろな人に勧めまくった。 一九八五年七月に朝日文庫から刊行されたものが河出文庫で再文庫化された。 こういう面白い本がきちんと発掘されたことは素直に喜ばしい。 読書の面白さをあまり本を読んだことのない人にも知ってもらうために、 本好きとしてはこういうおすすめレパートリーを何冊か持っておきたい。
友人の文化人類学者である畑中幸子さんを訪ねて一九六八年三月にパプアニューギニアの奥地を訪れることになった作家の有吉佐和子さんの旅エッセイなのだが、 旅とひとことで言ってしまうにはあまりにも過酷すぎる行程だ。 行きはジャングルの中を三日かけて徒歩で移動するのだ。 三日! 徒歩で! こうさらっと書いてもその行程の辛さが全然伝わらない。 あの辛さと面白さはとにかく読まないと分からない。 辿り着くまでのインパクトが強すぎて、 目的地に着いてからの日々のエピソードが霞みそうなくらいだが、 着いてから帰国した後の最後の最後まできっちりみっちり過酷エピソードが詰まっている。 こんな過酷な旅に誘った友人や止めてくれなかった周囲の人々への有吉さんの怨み節は深い怨念が込もって切実で、 それでいてコミカルで面白い。
現地で生き生きと調査にあたる畑中さんの様子も凄い。 パワフルすぎて怖いくらいだ。 研究対象のシシミン族はジャングルの奥深くで移動生活する狩猟民族で、 他の部族との戦いともなれば平気で人も殺す。 当時まだ欧米社会とコンタクトを取るようになって三年位しか経っていない。 よほどの気の強さがないとそんな異文化の中ではとても渡り合っていけないのだろう。 東京ではおとなしかった畑中さんが、 ニューギニアでは研究対象のシシミン族の男たちと渡り合い、 いらだち怒り、 時には怒鳴りつける。 その豹変ぶりにたじろぐ有吉さん。 けれど有吉さんも、 インドネシア育ちだから日本にいると風邪をひくなんて書いている。 どこか日本に馴染みきらないようなふたりは、 案外似た者同士なのかもしれない。
ふたりはこんな会話をする。
「 (中略) 子供さえいなかったら、 世界中放浪してまわっているんじゃないかと思うことがあるわ。 インドネシア育ちのせいかしらね」
「私も大連育ちやから、 日本にいると息苦しくなってきて、 ああ外国へ出たいと思うのかしれん。 私らの国、 あれ、 ちょっと狭すぎるな、 そう思わへん?」
狭い日本におさまりきらない強烈な個性や強さの持ち主。 だからこそ畑中さんは、 毎日なにかにブチ切れながらも調査を続けてこられたのだろう。 「ニューギニアはええとこや」 と言い、 のびのびと研究にいそしむことができたのだろう。
シシミン族は男中心の社会で、 有吉さんが訪れた時点での畑中さんの調査では女は七、 八歳で売られ十歳位で妻とされるらしいということだった。 それだけ聞くとあまりにも痛ましいが、 酋長のフィアウの妻の出産のエピソードから察するに、 女には女の社会が形成されていたようだ。 何をするでもなく畑中さんの家に上がり込むシシミンの女たちの描写を読むと、 彼女たちも彼女たちなりにしたたかに生きていたのかもしれないと思う。
今のパプアニューギニアはどうなっているのだろう。 この本に書かれた地は、 このあとどんなふうに変わっていったのだろう。 読んだ人が必ず思うであろう疑問には、 この本は答えていない。 巻末の平松洋子さんの解説では文化人類学的な話やシシミン族のその後についてはあまり踏み込まれていない。 そこが私には少々不満だった。 いま再版するのであればその点についての解説はあったほうがよかったのではないか。 しかし、 あの時代からこれまでの時代の激動を鑑みるに、 当地の変化は巻末数ページで解説できるほど単純なものではないのだろう。 シシミン族について少し検索してみると、 畑中幸子さんの著書 『ニューギニアから石斧が消えていく日ー人類学者の回想録』 が出てくる。 その紹介文によると、 その後のニューギニアには鉱山開発の波が押し寄せたようだ。 もうシシミン族の暮らしはすっかり変わってしまっているのかもしれない。 女たちの扱いを考えればそれはいいことのようにも思えるけれども、 現代の主流にある価値観とは全く異なる彼らの価値観が失われたとすれば、 大きな力が流入することでその土地のアイデンティティが破壊されることの重みをしっかりと省みたい。
また男社会での女の生き方を考えたとき、 今の日本や世界でもシシミン族のように女が所有物として扱われる価値観はまだまだ根強く残っている。 もしかしたらフォーマットが違うだけでそういう意識や野蛮さは人類のある種のひとびとにとって共通するものなのかもしれない。 そのことを考えると気持ちが萎むようだが、 そこで改めて畑中さんの奮闘ぶりを思い出すと、 それでも女たちはずっと戦ってきたのだと知らされる。 これからもあきらめずにそういう思想に抗っていかなければならない。
有吉さんにとっては最初から最後まで災難としかいいようのない旅の話なのだが、 読者にとっては抱腹絶倒の愉快なサバイバル旅行記だ。 軽く読み流して 「あぁ楽しかった!」 で終わらせることもできる。 しかし読み方によっては文化人類学や女の生き方について深掘りもしていけるような、 懐の広い一冊だった。