夜の雑記帖

連載第28回: テキ屋の世界旅行

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2023.
02.25Sat

テキ屋の世界旅行

随分前にボブ・ディランの来日公演を聴きに行ったことがある私は海外アーティストの公演などそれまで一切行ったことがなかったのだがちょうど加齢でガタがきてメンタルが若干弱っていたところで何かいつもと違うことがしたかったのだたまたまポスターを目にしてご高齢だからこの機会を逃すともう日本に来ないかも⋯⋯という不純な動機でいちばん安いチケットを取っただがこれが大正解だったそれまでボブ・ディランをちゃんと聴いたことはなかったのだがおじいちゃんディランの朗々と自由に歌う声の深みにはすっかり引き込まれてしまったこれがきっかけで公演後しばらくディランばかり聴いていたくらいだ若い頃のダミ声よりも柔らかくなったその歌声がガタがきた身体と心に染み渡った成功も挫折も味わい何度も結婚と離婚をし波乱の人生を送ってきて七十代でも歌いつづける男の声には私のようなひよっこなど秒でどっぷりと浸してしまう包容力があった

全然知らない曲ばかり⋯⋯と思いつつ聴いていたが公演後に HP でセットリストを確認したらあの風に吹かれてほか代表曲ばかりがずらずらと並んでいたディランのセルフアレンジというかおじいちゃんディランの気分で全然違う曲のように仕上がっていたらしいそんな自由なところもディランの魅力なのだろう

会場のロビーではたくさんのディラングッズが売られていた終演後すっかりディランに癒された私は記念に何か買っていこうかと眺めてみたCD はもちろん T シャツやらマグカップやらキーホルダーやらの見本が高く掲げられていただがお会計するカウンターはめちゃくちゃ混んでいたいいなと思うデザインのものは早々に売り切れていたあきらめて会場を出た

帰り道に向かう人波に混じって会場を出るいいものを聴いた高揚感と聴き終わってしまった少しのさみしさを抱えながら歩いているとちょうど会場の出口のすぐ前の道路で何かをヒラヒラさせているひとが見えた

出口を出るとそのすぐ前で欧米系の五十代くらいの太ったおじさんとおばさんが腰を屈めて何やら大きな紙を広げて持ちそれを地面から少し上の辺りに掲げて高速で表にしたり裏にしたりを繰り返しているおかしいひとなのか⋯⋯と思ったおじさんとおばさんは声を張り上げ何事か叫んでいる

Bob・Dylan Poster! reversible!

Bob・Dylan Poster! reversible!

ヒラヒラしている紙には若かりし頃の目付きの悪いディランやサングラスをかけて革ジャンのディランが白黒で印刷されている裏にも表にもディランがいる

⋯⋯そうか!彼らは非公式のグッズを販売するモグリのポスター屋なのだ!彼らの作ったポスターは裏も表も両面違う柄のリバーシブル仕様で一枚で二枚分の写真が楽しめるのだ彼らはその最大の利点をアピールするために一生懸命あんな不思議な動作をしていたのだ!

もちろんライセンス料を支払わず勝手にグッズを作って売るのがいけないことなのは私も分かるしかし私は少し懐かしかった昔は縁日の屋台なんかで非公式の芸能人グッズをわんさか見かけたものだ何よりおじさんとおばさんの身体を張ったマヌケな売り方⋯⋯真面目に怒るほうがバカみたいに思えるこのふたりはたぶん夫婦でずっとこういう商売をしてきたのだろうそのゆるさというか雑さというかそういうものが私はすっかり好きになってしまったそしてディランもこの夫婦を結構好きで彼らの商売をわざと見逃してあげているんじゃないかと妄想した

私はおじさんから五百円のポスターを一枚買ったおじさんはニコニコしながらポスターを丸めて輪ゴムで止めアリガト!とぎこちなく言って渡してくれた

私はポスターを大事に抱えて帰りの電車に乗ったあの夫婦はどこから来たのだろうおじさんもおばさんもアリガト!以外の日本語は全然できなそうだった普段は米軍基地やその周辺など英語だけで生活できる場所で暮らしているのかもしれないそれとも⋯⋯と私はまた妄想するおじさんとおばさんはボブ・ディランのツアーにくっついてディランと一緒に世界中を旅してまわっているのかもしれないディランは旅する歌手だデビューしたての若い頃も全米各地でたくさんブッキングを組まれライヴをこなし世界公演も果たしローリング・サンダー・レヴューでは行き先も途中で決めるような風来坊なやり方で音楽仲間と小規模の会場を周り今もネヴァー・エンディング・ツアーと題して世界中を旅して歌い続けているポスター売りの夫婦はそんなディランの終わらない旅にどこまでもくっついていく毎回会場の外でポスターをひらひら高速で振り回していっぱい売れるときもそうでないときもあるけどひと仕事終えたらその土地のお酒で乾杯する売れ行きによってそのお酒はモーテルの缶ビールになるかもしれないし土地の旨いレストランで名物料理を肴にいいワインを開けることになるかもしれない公演が始まるまでの昼間は観光したりしてパリ公演ならシャンゼリゼ通りを歩いてエッフェル塔や凱旋門を眺めロンドンなら二階建てバスに乗ってピカデリー・サーカスまで行ってぶらぶらお買い物ローマではトレビの泉やスペイン階段をそぞろ歩き真実の口に噛まれる真似をしてオードリー・ヘップバーンごっこに興じるきっとどの街でもおじさんとおばさんは呑気で朗らかでちょっと抜けていて愉快な珍道中を繰り広げることだろう

ディランともすっかり顔馴染みで仲良しでツアー会場で顔を合わせてはよぅ! またついてきたのかい! 景気はどうだい?」 「ボブのおかげでなんとか食えているさ!なんてお喋りしていたりして⋯⋯ディランの旅にくっついていく夫婦の姿を想像したら可笑しくなったそしてそんな世界を股にかけたテキ屋のような暮らしができたらいいなぁと思ったのだ

旅費が出るほど儲かる商売だと思えないのであの夫婦が本当にそんな暮らしをしているわけではないだろうでもディランにくっついて旅するおかしな夫婦を思い浮かべると私はちょっと楽しくなる自分もそのツアーにくっついていっている気持ちになれるのだ

ボブ・ディランは私がこれを書いている現在八十一歳で今も元気にツアーで世界中を飛びまわっているこの春にはまた日本に来るらしい私はあのとき聴いた歌声だけで充分だと思っているので今回は聴きにいかないけれどディランには末永く元気で歌い続けてほしい今は色々厳しくて以前のような商売はできないかもしれないけどあの流浪のポスター売りの夫婦にもどこかで元気にやっていてほしい


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。