昔、 渋谷の代々木公園の近くで働いていたことがある。 コロナ後の今はどうか分からないが、 あそこは変な場所だった。 昼間に行くとジャンベやアコギを持ち込んで練習してる人だのダンスの振り付けに余念のないアイドルの卵だのがゴロゴロしていて、 彼らの出す大量の騒音でいつもザワザワしていた。 その合間を縫うようにジョギングする人がいたりマットを敷いて寝ている人がいたりして、 なんでもありの無法地帯だった。
私の仕事は主に遅番だったのだが、 ある時期に新人研修の補助をすることになり、 急に朝早くからの出勤になった。 朝が苦手な私はとにかく辛くて、 始めのうちは蕁麻疹が出るくらいキツかった。 慣れてきても、 とにかく眠い。 せっかく早上がりになった日でも、 帰りに遊ぶ余裕もなくすぐさま家に帰って寝てしまう。 これは時間がもったいなすぎると思っていたある時、 ふと思い出した。 代々木公園の芝生で寝ている人が結構たくさんいたことを。
私は早上がりの日は代々木公園でひと休みして、 体力を回復してから遊んで帰ることにした。 ほどよく晴れて暑くも寒くもない日は昼寝日和だ。 木陰を見つけて芝生の地面にごろりと横になってそのまま寝る。 土と芝の上に直接寝転ぶのは、 自分が遠い祖先の獣に戻ったような、 大地の一部に還るような気分で気持ちがよかった。 長時間やったらたぶん身体中がバキバキになるだろうけれど。
その日もそうやって、 芝生でゴロ寝していた。 気持ちよく眠りについて小一時間ほど経った頃だろうか。
「わぁぁ! お姉さん! 大丈夫ですか!?」 というけたたましい声で私は起こされた。
仏頂面でむくりと起き上がると、 私を覗き込んだ知らん男が心底安堵した表情で 「よかった~! 死んでるのかと思いましたよ!」 と物騒なことを言っていた。
「あっ、 びっくりさせてすみません。 昼寝してただけなんで」
「本当ですよ! なんでこんなところで寝てるんですか! びっくりするじゃないですか!」
当時の私と同年代っぽい三十代くらいの男は 「僕は最近脱サラしてベンチャー企業を起していて⋯⋯」 と聞いてもいない自己紹介をしはじめた。 小麦色の肌に白い歯で短髪の、 ラフに見えるけれど実は高そうなシャツを着たいかにもなリア充の臭いのする、 私とは全く違う世界の生き物だということがありありと分かる野郎だった。
「本当よかったですよ意識があって! どこか具合が悪いとかではないんですよね? 体調は大丈夫? あぁよかった! 心配したんですよ!」
きっと脱サラする前の勤務先はリクルート、 中目黒か五反田あたりに住んでいて車はランドクルーザー、 クレカはアメックスのシルバーってとこだろう。 勝ち組でうらやましいこって。 私は眠いので、 もう寝ていいだろうか。
「ご迷惑をおかけしました。 本当に大丈夫ですから」
「お姉さんなんでこんな地べたに直で寝てたんですか。 マットも敷かないでうつ伏せで転がっているから、 死んでるかと思って警察呼ぶところでしたよ」
いや他にも寝てる人いるじゃん。 アンタこの公園でそんな理由で毎回通報してたら警察にブラックリストに入れられるぜ。
「ほら芝生の草がつきまくってるじゃないですか。 服が汚れちゃいますよ。 ダメですよ女性がこんなところでそんなだらしなくゴロ寝したら!」
出たよ、 ちゃんとした大人の説教。 私は地べたで寝るのが好きなのである。 芝生の匂いをかぎ土に直にふれるのが好きなのだ。 あと単に敷物を持ってくるのが面倒くさいのだ。 いいじゃん背中に草ついてたって誰にも迷惑かけてないしお前に関係ないだろ。 後で自分で取るっつーの。
「お騒がせしてすみませんでした。 仕事で朝が早くて疲れていたので、 ちょっと昼寝していただけなんですよ」
「いや普通それでこんなところで寝ないでしょ。 本当に心配しましたよ。 ねぇ何か悩みとかあるんじゃないですか? 僕、 聞きますよ!」
悩みならある。 お前がリリースしてくれない。
「ちょっと話しませんか。 僕は今日は今度立ち上げる事業の Press 写真を撮りにきてて、 これからの時代はイノベーションがソリューションでなんたらかんたら」
えぇい!分かった分かった!あんたがぺらっっぺらに薄っぺらいのはよーーーく分かりました!分かったから、 もう私を寝かせてくれぇぇぇい!
「ねぇほんと、 何でも話してくださいよ。 人生って大変ですよね。 色々辛いことってあるじゃないですか。 僕でよければ聞きますから! ね、 気軽に話してみちゃってくださいよ! 人に話したらすっきりしますから!さぁほらっ! 心を開いて僕を信じてっ! ヘイ! カモーン!!!」
「だっかっらっ! 私はちょっと眠かっただけなんですーっ!!!」
その後も男は延々と話しかけてくるので、 私は 「いや本当に眠いだけなんで! ご心配いただかなくて大丈夫です! 大丈夫ったら大丈夫ったら大丈夫ったら大丈夫ったら大丈夫です!」 と何度も言って、 やっとお帰りいただいた。 そしてまた芝生に転がって寝た。
後々思い返せば分かる。 彼の言っていたことは世の中の常識と照らし合わせて至極まっとうなことなのだ。 普通の三十代女子はいくら芝生の上とはいえ地べたにチョクで寝たりしない。 彼もきっと純粋に親切で声をかけてくれていたのだろう。
だけど私には、 それではだめなのだ。 寝たい時に寝たい場所で寝たい。 何もニューヨークのスラム街の道端で寝ようってわけじゃない。 他にも昼寝している人がいる芝生の公園でごろりと転がって気持ちよくお昼寝したかっただけなのだ。
親切って難しいよね、 と考える。 どこまでがそのひとのためになって、 どこからが自分のエゴや押しつけや自己満足なのか。 例えば電車でお年寄りや身体の不自由なひとに席を譲るときに断られてモヤモヤしたなんて話。 モヤモヤする側の気持ちも、 とっさに断る側の気持ちも分かる気がする。 自分にも相手にもそれぞれの価値観や事情がある。 それをとっさに汲んで動くのは難しい。 私もどちらかといえばおせっかいな人間だから、 きっとあの日の寝かせてくれない彼のようなことをいくつもやらかしてきたことだろう。 踏み込むべきか踏み込まないべきか。 難しくて簡単に答えなんか出ない問題だけれど、 考えることを放棄せずにその時々で考え続けて判断しながら行動したり止めたりしていくしかない。
でもあの日の私は本当の本当に眠かっただけなのだ。 世の中にはいろいろな人間がいる。 まずはそれを知り認めることから全てがはじまるのだと思う。
相変わらず芝生に直で寝るような雑な生き方をしているけれど、 私は今日も元気です。