夜の雑記帖

連載第16回: 寝かせてくれない彼

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2022.
12.22Thu

寝かせてくれない彼

渋谷の代々木公園の近くで働いていたことがあるコロナ後の今はどうか分からないがあそこは変な場所だった昼間に行くとジャンベやアコギを持ち込んで練習してる人だのダンスの振り付けに余念のないアイドルの卵だのがゴロゴロしていて彼らの出す大量の騒音でいつもザワザワしていたその合間を縫うようにジョギングする人がいたりマットを敷いて寝ている人がいたりしてなんでもありの無法地帯だった

私の仕事は主に遅番だったのだがある時期に新人研修の補助をすることになり急に朝早くからの出勤になった朝が苦手な私はとにかく辛くて始めのうちは蕁麻疹が出るくらいキツかった慣れてきてもとにかく眠いせっかく早上がりになった日でも帰りに遊ぶ余裕もなくすぐさま家に帰って寝てしまうこれは時間がもったいなすぎると思っていたある時ふと思い出した代々木公園の芝生で寝ている人が結構たくさんいたことを

私は早上がりの日は代々木公園でひと休みして体力を回復してから遊んで帰ることにしたほどよく晴れて暑くも寒くもない日は昼寝日和だ木陰を見つけて芝生の地面にごろりと横になってそのまま寝る土と芝の上に直接寝転ぶのは自分が遠い祖先の獣に戻ったような大地の一部に還るような気分で気持ちがよかった長時間やったらたぶん身体中がバキバキになるだろうけれど

その日もそうやって芝生でゴロ寝していた気持ちよく眠りについて小一時間ほど経った頃だろうか

わぁぁ! お姉さん! 大丈夫ですか!?というけたたましい声で私は起こされた

仏頂面でむくりと起き上がると私を覗き込んだ知らん男が心底安堵した表情でよかった~! 死んでるのかと思いましたよ!と物騒なことを言っていた

あっびっくりさせてすみません昼寝してただけなんで

本当ですよ! なんでこんなところで寝てるんですか! びっくりするじゃないですか!

当時の私と同年代っぽい三十代くらいの男は僕は最近脱サラしてベンチャー企業を起していて⋯⋯と聞いてもいない自己紹介をしはじめた小麦色の肌に白い歯で短髪のラフに見えるけれど実は高そうなシャツを着たいかにもなリア充の臭いのする私とは全く違う世界の生き物だということがありありと分かる野郎だった

本当よかったですよ意識があって! どこか具合が悪いとかではないんですよね? 体調は大丈夫? あぁよかった! 心配したんですよ!

きっと脱サラする前の勤務先はリクルート中目黒か五反田あたりに住んでいて車はランドクルーザークレカはアメックスのシルバーってとこだろう勝ち組でうらやましいこって私は眠いのでもう寝ていいだろうか

ご迷惑をおかけしました本当に大丈夫ですから

お姉さんなんでこんな地べたに直で寝てたんですかマットも敷かないでうつ伏せで転がっているから死んでるかと思って警察呼ぶところでしたよ

いや他にも寝てる人いるじゃんアンタこの公園でそんな理由で毎回通報してたら警察にブラックリストに入れられるぜ

ほら芝生の草がつきまくってるじゃないですか服が汚れちゃいますよダメですよ女性がこんなところでそんなだらしなくゴロ寝したら!

出たよちゃんとした大人の説教私は地べたで寝るのが好きなのである芝生の匂いをかぎ土に直にふれるのが好きなのだあと単に敷物を持ってくるのが面倒くさいのだいいじゃん背中に草ついてたって誰にも迷惑かけてないしお前に関係ないだろ後で自分で取るっつーの

お騒がせしてすみませんでした仕事で朝が早くて疲れていたのでちょっと昼寝していただけなんですよ

いや普通それでこんなところで寝ないでしょ本当に心配しましたよねぇ何か悩みとかあるんじゃないですか? 僕聞きますよ!

悩みならあるお前がリリースしてくれない

ちょっと話しませんか僕は今日は今度立ち上げる事業の Press 写真を撮りにきててこれからの時代はイノベーションがソリューションでなんたらかんたら

えぇい!分かった分かった!あんたがぺらっっぺらに薄っぺらいのはよーーーく分かりました!分かったからもう私を寝かせてくれぇぇぇい!

ねぇほんと何でも話してくださいよ人生って大変ですよね色々辛いことってあるじゃないですか僕でよければ聞きますから! ね気軽に話してみちゃってくださいよ! 人に話したらすっきりしますから!さぁほらっ! 心を開いて僕を信じてっ! ヘイ! カモーン!!!

だっかっらっ! 私はちょっと眠かっただけなんですーっ!!!

その後も男は延々と話しかけてくるので私はいや本当に眠いだけなんで! ご心配いただかなくて大丈夫です! 大丈夫ったら大丈夫ったら大丈夫ったら大丈夫ったら大丈夫です!と何度も言ってやっとお帰りいただいたそしてまた芝生に転がって寝た

後々思い返せば分かる彼の言っていたことは世の中の常識と照らし合わせて至極まっとうなことなのだ普通の三十代女子はいくら芝生の上とはいえ地べたにチョクで寝たりしない彼もきっと純粋に親切で声をかけてくれていたのだろう

だけど私にはそれではだめなのだ寝たい時に寝たい場所で寝たい何もニューヨークのスラム街の道端で寝ようってわけじゃない他にも昼寝している人がいる芝生の公園でごろりと転がって気持ちよくお昼寝したかっただけなのだ

親切って難しいよねと考えるどこまでがそのひとのためになってどこからが自分のエゴや押しつけや自己満足なのか例えば電車でお年寄りや身体の不自由なひとに席を譲るときに断られてモヤモヤしたなんて話モヤモヤする側の気持ちもとっさに断る側の気持ちも分かる気がする自分にも相手にもそれぞれの価値観や事情があるそれをとっさに汲んで動くのは難しい私もどちらかといえばおせっかいな人間だからきっとあの日の寝かせてくれない彼のようなことをいくつもやらかしてきたことだろう踏み込むべきか踏み込まないべきか難しくて簡単に答えなんか出ない問題だけれど考えることを放棄せずにその時々で考え続けて判断しながら行動したり止めたりしていくしかない

でもあの日の私は本当の本当に眠かっただけなのだ世の中にはいろいろな人間がいるまずはそれを知り認めることから全てがはじまるのだと思う

相変わらず芝生に直で寝るような雑な生き方をしているけれど私は今日も元気です


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。