夜の雑記帖

連載第34回: heavenly white noise

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2023.
04.04Tue

heavenly white noise

最近は夢をあまりみない

人間の脳は毎晩夢をいっぱいみているけれど覚えていないのだと聞いたことがあるので実はみているけれど覚えていないのかもしれないうつつの世界のことだって私はすぐに忘れてしまうのだからそりゃ夢のことなんて覚えているわけがないよなぁ私の夢はいつも色がついていて起きているときと同じように世界がみえている白黒の夢を見るひともいると子供の頃に初めて聞いたときはビックリしたその後の人生でいろいろなひとに聞いた夢の話から察するにどうやらそちらのほうが多数派らしい私が白黒の夢をみたら怖くて飛び起きてしまうかもしれないし昔のモノクロ映画みたいでカッコいいなと非現実を楽しむのかもしれない

昨日みた夢も忘れてしまうような私だけれどこれまでにみた夢のなかでひとつだけ忘れられない夢がある

いつ頃みた夢なのかを全く覚えていない子供のときではなくある程度大きくなってからのことだでも中学高校大学のどこかだったのか社会人になってからなのかはっきりしたことを覚えていない二十代までの人生のどこかでみた実家のベッドで寝ていたときなのか一人暮らしの部屋の煎餅布団の上でみたのか夜寝たときか昼寝のときかそれすらも曖昧だ

ただその夢の不思議な記憶だけがずっと脳裏に残っている

こんな夢だった

細長い明るい部屋のなかに私は立っている部屋と言うには広いルーブル美術館のサモトラケのニケがある広間のように幅も奥行きもあって天井も高い部屋の壁はすべて真っ白で長方形の部屋の私のいる側と対面になる壁はずっと遠く向こうにあるどこまでも白く広い広い空間だ室内なのに部屋の床はいちめんの草原になっていてやわらかな深青緑が遠くの壁まで広がっているゆるやかな坂が向こうまで続いている

壁に被われているから室内だと思っていたけれど部屋を満たす光は自然光のように柔らかい薄曇りの日の日差しのような強すぎず弱すぎない光この部屋のような場所には天井がないのかもしれないと私は思う

だれもいない

何の音もしない

しかしその静寂に恐ろしい感じや張りつめた感じはないどこか穏やかな静けさのなかにいる

やがて何の音もしないと思っていた私の耳は静寂だと思っていた静けさのなかに細かな何かを捉えだすちいさなさわさわとしたノイズのような音が少しずつ波のように鼓膜を揺らしはじめる

そのノイズは疲れたひとを労るような眠るひとを起こさないように囁きあう声のような誰かの気配りを感じる清かな音だった美術館や図書館よりももっと静かで優しいさざめきさわさわさわ⋯⋯囁く音がこそこそと空気をふるわせる

私はすっかり落ち着き安らぎを感じているそしてちいさな教会でステンドグラスを見上げたときのような敬うべき存在の前に立ち尽くすような気持ちでいる

ここはいったいどこなんだろう

ただただ凪いだ気持ちで広い広い部屋の向こうの白い壁とそこまでゆるやかに続く緑の草原を眺めている

頬に少し冷えた空気がふわりとあたる部屋の隅から白い霧が漂いだした白い霧は遠くの白い壁や深青緑の草原を覆うように立ちこめていく輪郭があいまいになり視界が白くぼやけていく⋯⋯

そこで目が覚めた

目が覚めてあまりにも鮮明な夢で驚いたあの白と緑の空間を包む柔らかな光静かなざわめききよらかでここちよい空気を本当にたった今まで五感で感じていたようだったただの夢のものとは思えなかった私は死後の世界を見てきたのかもしれないと思った

ほんとうに現実に起きたことのようであれから今までずっと忘れられない

もしも魂というものがあるのなら私は死んだらあそこに行くのだなぜか確信に近いような気持ちでそう思ったそしてあの夢のことを思い出すとき私は神殿で頭を垂れるような敬虔な気持ちと不思議な安らぎとを同時に覚えるのだ

あそこはいつか辿り着く場所であって生きている間は行けないのだと長いこと思っていたでもふとあの日の夢の中では行けたのだから夢の中でなら行けるかもしれないと思いついたあの場所はとても心地よかったあの場所に立つだけで全ての罪が洗い流され全ての疲れが溶けるような気がしたあそこは疲れているひとは誰でもちょっと行って休んでいい場所なのかもしれないあそこが死後にしか行けない世界だと思うよりもこれからも生きていくひとまでもいっとき迎え入れ包み込み労る場所だったと考えたほうがなんとなく記憶の中の空気にしっくりくる天国だと思うよりいつでも行けるかもしれない夢の世界にあってくれる場所だと思うほうがうれしいし安心する

夢について興味がわいてはじめての明晰夢( 松田英子 / 朝日出版社 ) という本を読んだ。 「明晰夢とは自分が夢をみているときに自分でそれが夢だと気づくことができその後の展開を自分の思い通りにできる夢のことだそうだ近年の睡眠や夢についての研究により明晰夢をみやすくなる方法も少しずつ分かってきているらしい明晰夢をみられるひとはごく僅かだという訓練してもみられるひともみられないひともいる夢は日中の記憶の整理のためにみているのでみたい夢を日中や寝る前にイメージするとみられる可能性は少し高くなるという

私は明晰夢は全然みることができないけれどいつかみることができたならあの夢の場所に行ってみたい昼間から夢のことなんてなかなか考えていられないので寝る前にあの夢の場所をゆっくり思い浮かべるのが私にはいいような気がする

あの夢のことを思い出すと安心して眠くなる白い壁と草原の中を私は一歩一歩ゆっくり歩いていくさわさわさわ⋯⋯ちいさなホワイトノイズが遠くから流れてくるさわさわさわ⋯⋯さわさわ⋯⋯閉じた瞼が少しずつ重くなる身体が布団に沈みこんでいくさわさわ⋯⋯さわ⋯⋯ここちよいノイズと白と緑の幻想に包まれながら私は今夜も眠りに落ちていく⋯⋯


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。