最近は夢をあまりみない。
人間の脳は毎晩夢をいっぱいみているけれど覚えていないのだと聞いたことがあるので、 実はみているけれど覚えていないのかもしれない。 うつつの世界のことだって私はすぐに忘れてしまうのだから、 そりゃ夢のことなんて覚えているわけがないよなぁ。 私の夢はいつも色がついていて、 起きているときと同じように世界がみえている。 白黒の夢を見るひともいると子供の頃に初めて聞いたときはビックリした。 その後の人生でいろいろなひとに聞いた夢の話から察するに、 どうやらそちらのほうが多数派らしい。 私が白黒の夢をみたら、 怖くて飛び起きてしまうかもしれないし、 昔のモノクロ映画みたいでカッコいいなと非現実を楽しむのかもしれない。
昨日みた夢も忘れてしまうような私だけれど、 これまでにみた夢のなかでひとつだけ、 忘れられない夢がある。
いつ頃みた夢なのかを全く覚えていない。 子供のときではなく、 ある程度大きくなってからのことだ。 でも、 中学高校大学のどこかだったのか、 社会人になってからなのか、 はっきりしたことを覚えていない。 二十代までの人生のどこかでみた。 実家のベッドで寝ていたときなのか、 一人暮らしの部屋の煎餅布団の上でみたのか、 夜寝たときか昼寝のときか、 それすらも曖昧だ。
ただ、 その夢の不思議な記憶だけが、 ずっと脳裏に残っている。
こんな夢だった。
細長い明るい部屋のなかに私は立っている。 部屋と言うには広い。 ルーブル美術館のサモトラケのニケがある広間のように、 幅も奥行きもあって天井も高い。 部屋の壁はすべて真っ白で、 長方形の部屋の私のいる側と対面になる壁はずっと遠く向こうにある。 どこまでも白く広い広い空間だ。 室内なのに部屋の床はいちめんの草原になっていて、 やわらかな深青緑が遠くの壁まで広がっている。 ゆるやかな坂が向こうまで続いている。
壁に被われているから室内だと思っていたけれど、 部屋を満たす光は自然光のように柔らかい。 薄曇りの日の日差しのような、 強すぎず弱すぎない光。 この部屋のような場所には天井がないのかもしれないと私は思う。
だれもいない。
何の音もしない。
しかしその静寂に恐ろしい感じや張りつめた感じはない。 どこか穏やかな静けさのなかにいる。
やがて何の音もしないと思っていた私の耳は、 静寂だと思っていた静けさのなかに細かな何かを捉えだす。 ちいさなさわさわとしたノイズのような音が少しずつ波のように鼓膜を揺らしはじめる。
そのノイズは疲れたひとを労るような、 眠るひとを起こさないように囁きあう声のような、 誰かの気配りを感じる清かな音だった。 美術館や図書館よりももっと静かで優しいさざめき。 さわさわさわ⋯⋯囁く音がこそこそと空気をふるわせる。
私はすっかり落ち着き、 安らぎを感じている。 そして、 ちいさな教会でステンドグラスを見上げたときのような、 敬うべき存在の前に立ち尽くすような気持ちでいる。
ここはいったいどこなんだろう。
ただただ凪いだ気持ちで、 広い広い部屋の向こうの白い壁と、 そこまでゆるやかに続く緑の草原を眺めている。
頬に少し冷えた空気がふわりとあたる。 部屋の隅から、 白い霧が漂いだした。 白い霧は遠くの白い壁や深青緑の草原を覆うように立ちこめていく。 輪郭があいまいになり視界が白くぼやけていく⋯⋯。
そこで目が覚めた。
目が覚めて、 あまりにも鮮明な夢で驚いた。 あの白と緑の空間を包む柔らかな光、 静かなざわめき、 きよらかでここちよい空気を、 本当にたった今まで五感で感じていたようだった。 ただの夢のものとは思えなかった。 私は死後の世界を見てきたのかもしれないと思った。
ほんとうに現実に起きたことのようで、 あれから今までずっと忘れられない。
もしも魂というものがあるのなら、 私は死んだらあそこに行くのだ。 なぜか確信に近いような気持ちでそう思った。 そしてあの夢のことを思い出すとき、 私は神殿で頭を垂れるような敬虔な気持ちと、 不思議な安らぎとを同時に覚えるのだ。
あそこはいつか辿り着く場所であって、 生きている間は行けないのだと、 長いこと思っていた。 でもふと、 あの日の夢の中では行けたのだから、 夢の中でなら行けるかもしれないと思いついた。 あの場所はとても心地よかった。 あの場所に立つだけで全ての罪が洗い流され、 全ての疲れが溶けるような気がした。 あそこは疲れているひとは誰でもちょっと行って休んでいい場所なのかもしれない。 あそこが死後にしか行けない世界だと思うよりも、 これからも生きていくひとまでもいっとき迎え入れ包み込み労る場所だったと考えたほうが、 なんとなく記憶の中の空気にしっくりくる。 天国だと思うより、 いつでも行けるかもしれない夢の世界にあってくれる場所だと思うほうがうれしいし安心する。
夢について興味がわいて 『はじめての明晰夢』 ( 松田英子 / 朝日出版社 ) という本を読んだ。 「明晰夢」 とは自分が夢をみているときに自分でそれが夢だと気づくことができ、 その後の展開を自分の思い通りにできる夢のことだそうだ。 近年の睡眠や夢についての研究により、 明晰夢をみやすくなる方法も少しずつ分かってきているらしい。 明晰夢をみられるひとはごく僅かだという。 訓練しても、 みられるひともみられないひともいる。 夢は日中の記憶の整理のためにみているので、 みたい夢を日中や寝る前にイメージすると、 みられる可能性は少し高くなるという。
私は明晰夢は全然みることができないけれど、 いつかみることができたなら、 あの夢の場所に行ってみたい。 昼間から夢のことなんてなかなか考えていられないので、 寝る前にあの夢の場所をゆっくり思い浮かべるのが私にはいいような気がする。
あの夢のことを思い出すと、 安心して眠くなる。 白い壁と草原の中を、 私は一歩一歩、 ゆっくり歩いていく。 さわさわさわ⋯⋯ちいさなホワイトノイズが遠くから流れてくる。 さわさわさわ⋯⋯さわさわ⋯⋯。 閉じた瞼が少しずつ重くなる。 身体が布団に沈みこんでいく。 さわさわ⋯⋯さわ⋯⋯。 ここちよいノイズと白と緑の幻想に包まれながら、 私は今夜も眠りに落ちていく⋯⋯。