夜の雑記帖

連載第37回: お調子者の戦争

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2023.
12.25Mon

お調子者の戦争

通勤の最寄り駅は安アパートと安居酒屋が立ち並び駅前の広場に大量のおじいちゃんが意味もなく屯し酔っ払いが寝こける怪しい街だ再開発が進んでいるけれどいかなる巨大資本もこの怪しさを払拭することはできないだろう駅前の道は吐瀉物と鳩の糞だらけ壁や電柱は落書きと売れないバンドの作ったオリジナルステッカーで埋め尽くされている

承認欲求の塊のような凝りに凝ったデザインで埋め尽くされた壁に今どき珍しいテプラが貼られているのに気づいたのは数年前のことだったちょっと前に新進クリエイターがやっていた大量のテプラを貼りまくるオシャレスタイルではなく一ヶ所に一本ずつそこにはこう書いてある。 「戦争と家父長制を憎む

たぶんこれを貼って回っているひとはいわゆる普通のひとではないだろう私だって戦争も家父長制も嫌いだけれど自分の思いをわざわざテプラに刻んであちこちの壁に一本一本貼っていくだなんてそんな怪しく面倒くさいことをする気にはなれない

けれどこの街にはその行為を咎める者などいないいぶかしむ者もいない

なにしろ駅前には路上ライブする若者がダース単位で出没し広場の噴水では水浴びする奴まで目撃されるような街なのだ今さら誰がどんな奇行に走ろうが誰も気にしない夜中に駅前の壁にテプラを貼り回るくらいのことは誰もなんとも思わない

そしてそんなふうに言葉をテプラに刻んで貼りまわらなければならない切実な気持ちをこの街の住人達は分かっているような気がするきっと少なくない数の住人が戦争も家父長制も憎んでいるうまく説明できないがなんとなくそういう街なのだ自由な街だからと言っていいかもしれない

壁に貼り重ねられたどんな洗練されたデザインのステッカーよりも私はこのテプラを好ましく頼もしく思うときどき電柱のテプラがまだあるのを確認してよしよしと思いながら出勤するなくなっているときもあるけれどいつの間にかまた貼られている

私は家父長制とは無縁の家庭に育ったけれど世間に出ればいまだにそれに抗わないといけない現実があることも感じている歴史については浅学ながら戦争の時代の物言えぬ空気は学校の授業や読んできた本のなかから伺い知ることはできたそこから感じた自分の感覚から戦争家父長制を憎むことはなんだか分かるような気がするのだ

私の祖父母の世代は戦争を経験しているまだ私達の世代はぎりぎり戦争というものが遠い昔の何かではなく自分に続く直近の過去にあったものだと感じている

父方の祖父も戦争で従軍していた祖父は朗らかでおしゃべりな働き者だった丁稚奉公して縫製の技術を身に付け仕立て屋として独立したが時代の流れで店を畳み全く違う業種に転職せざるをえなかった苦労人だ店を閉めた後も工業用のミシンは生涯ずっと手放さなかった田舎から上京してきたのに江戸っ子を自称していたそれくらいは可愛いものだなという盛り方をする憎めないひとだった

そんな祖父は戦争では南方の島のジャングルに行かされていたのだがいわゆる世間で語り継がれるような戦争の悲惨な話は全然しなかった私が唯一覚えているのはダチョウを捕まえて食った肉がとても固かったが食べる物がなかったので旨かったという話だけだ子供には聞かせたくなかったのかもしれないがとにかくこの祖父からは悲しい話など全く出てこなかった

妹は学校の授業で祖父母に戦争体験について聞くという課題を出されて私よりも詳しく時間をかけて祖父に戦争の話を聞いたことがあったそうだ祖父が語った戦争の話はやはり一般的な戦争の話とは違っていたらしい

おじいちゃんは要領がいいから戦争でもうまいこと逃げちゃったと祖父は語ったという

突撃の命令が出ても突撃しなかったらしい全然あさっての方向に向かっていったそうだ普通なら激怒されそうなものだが上官はしょうがないなと苦笑していたというどうもひとりだけそういうお調子者として許されていたようだ

たぶんその上官は比較的温厚なひとだったのだろうがそれにしてもそんなことがあるものだろうか祖父はたまたま運が良く仲間に恵まれたのだろう

真面目に戦おうとしたひとはみんな死んじゃったと祖父はぽつりと言ったという祖父の息子や孫である私達家族はそんな亡くなられた方々の犠牲の上に今を生きているそう考えると複雑な気持ちになる

だが祖父はあの時代だから生き残れたのではないか祖父のような個性を現代の組織が許すとは思えない今は個人の自由があり個性豊かであるように見えるが実は社会に決められた規格からはみ出た人間には居場所のない時代になっている例えばスマホが使えなかったりセルフレジが操作できなかったりそういう規格から外れたひとの居心地がどんどん悪くなっていく一方で機械に頼ることに慣れた人々は機械に甘やかされ自分の頭や身体を使って何かをするということが少なくなっていく見たくないものは反射的にミュートし機械がみせてくれる見たいものや大企業から押しつけられる分かりやすいものしか見ないことを当たり前のように受け入れ自分で資料に当たったり異なる意見を聞いたりということをしないこういう人間を訓練し操作することは容易いだろういつかニュースで見たハイテク兵器の映像では液晶画面を見ながら無人兵器を操作する兵士がゲームでもするかのように空爆をしていた人を殺している意識を薄めさせ疑うことや葛藤することを忘れさせる現代のシステマティックな戦争では個人は徹底的に歯車として個性を取り上げられ使い捨てにされていく愚かな野望や民族意識に染まった権力者や消費される膨大な兵器によって利益を得る武器商人たちのために互いに殺し合うマシンと化していくそこにお調子者の生き残る隙間はない祖父のような人間は炎上するか無視されるかして淘汰されるに違いない

普通の日常をささやかに暮らすひとびとの誰が戦争など望むだろうそれぞれの中にそれぞれの民族意識はあったとしても大量の人間を殺戮してそれを為し遂げようとする人間は正常ではないだがそんな普通の人々が戦争に容赦なく巻き込まれていく戦いに直接加担していない国の人間も兵器の輸出や加害国の輸出品の購入という気づきにくい形で戦争に加担させられていくそしてそうさせようとする権力者達は直接戦争をしていない国の人間にささやく。 「見ると悲しくなる他国の悲惨な現状など直視しなくていい語りだすと議論になる政治のことなど話さなくていい何も考えず楽しい日々を楽しいことだけして過ごせばいい馬鹿は馬鹿らしく愚かしく暮らし国のやることに意見などするな。」

戦場で傷つく罪もない子ども達の映像がニュースで流れるそこに浴びせられるテロリストが悪いのだから仕方ないというネットの声他所の国の揉め事に関わりたくないという黙殺冷笑彼らの言い訳は力の強い者を止めるのは大変だから踏みにじられる者を見捨てたほうが楽だという本音を隠し自分を正当化する都合のいい言葉だとしか私には思えないいかにも現代らしい短絡的でお手軽な思考そうやって少なくない人々が大きな力の一部に組み込まれ加害者になっていく

戦争の理由には科学的根拠は一切ない生物学的にはヒトという生き物はすべて学名ホモ・サピエンスという同じ種でありアフリカを起源とする人種や民族という概念は生物学的には何の根拠もない科学によってそれが明らかにされているのに人々は因習にすがる人類の短い歴史の中で生じてしまったいさかいがあることその根が深いことは致し方ないしかしそんなことは人類のみができる話し合い」 「外交努力という方法で平和的に解決していくべきだ解決しなくても最低限お互い殺し合わずに済むための線引きを探ることはできるはずだ科学も法も進歩したはずのこの世界でそんなシンプルで地道な解決策がなかなかうまくいかない歴史の中での私怨を解決し分かり合おうと何度も何度も忍耐強く繰り返される試みが何度でもあっけなく覆えされ続ける政治的な要因や個々の民族意識にも原因があるだろうが何より戦争がなくなると困る人間達が富や権力を持っていることも大きな要因のひとつだろう

平和を求める取り組みが暴力によって何度でも駄目にされる世界。 「戦争をやめろ!と声を上げるひとのまっとうな訴えがむしろ踏みにじられるような社会だがそれでも黙りたくないそして黙らないでいることで少しずつ変わっていくこともある

駅前のテプラは他のステッカーはそのままなのにテプラだけ何度も剥がされたり他のステッカーを重ねて貼られたりして消えたこともあるけれどその度に何度でも貼り直されたいつしか剥がされることはなくなりいつ見てもそこにあるようになった

平和が世界のどこにでもいつもあるようになるまで少しずつでも自分にできるやり方で声を上げ続けていきたい何度でも何度でも諦めずに続けていかなければきっと戦争は何度でも起きてしまうから何もしないでいたら自由や平和というものは簡単に失われてしまうものだから


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。