通勤の最寄り駅は、 安アパートと安居酒屋が立ち並び、 駅前の広場に大量のおじいちゃんが意味もなく屯し酔っ払いが寝こける怪しい街だ。 再開発が進んでいるけれど、 いかなる巨大資本もこの怪しさを払拭することはできないだろう。 駅前の道は吐瀉物と鳩の糞だらけ。 壁や電柱は落書きと売れないバンドの作ったオリジナルステッカーで埋め尽くされている。
承認欲求の塊のような凝りに凝ったデザインで埋め尽くされた壁に、 今どき珍しいテプラが貼られているのに気づいたのは数年前のことだった。 ちょっと前に新進クリエイターがやっていた大量のテプラを貼りまくるオシャレスタイルではなく、 一ヶ所に一本ずつ。 そこにはこう書いてある。 「戦争と家父長制を憎む」
たぶんこれを貼って回っているひとは、 いわゆる普通のひとではないだろう。 私だって戦争も家父長制も嫌いだけれど、 自分の思いをわざわざテプラに刻んであちこちの壁に一本一本貼っていくだなんて、 そんな怪しく面倒くさいことをする気にはなれない。
けれどこの街には、 その行為を咎める者などいない。 いぶかしむ者もいない。
なにしろ駅前には路上ライブする若者がダース単位で出没し、 広場の噴水では水浴びする奴まで目撃されるような街なのだ。 今さら誰がどんな奇行に走ろうが誰も気にしない。 夜中に駅前の壁にテプラを貼り回るくらいのことは、 誰もなんとも思わない。
そしてそんなふうに言葉をテプラに刻んで貼りまわらなければならない切実な気持ちを、 この街の住人達は分かっているような気がする。 きっと少なくない数の住人が、 戦争も家父長制も憎んでいる。 うまく説明できないが、 なんとなくそういう街なのだ。 自由な街だからと言っていいかもしれない。
壁に貼り重ねられたどんな洗練されたデザインのステッカーよりも、 私はこのテプラを好ましく頼もしく思う。 ときどき電柱のテプラがまだあるのを確認して、 よしよしと思いながら出勤する。 なくなっているときもあるけれど、 いつの間にかまた貼られている。
私は家父長制とは無縁の家庭に育ったけれど、 世間に出ればいまだにそれに抗わないといけない現実があることも感じている。 歴史については浅学ながら、 戦争の時代の物言えぬ空気は学校の授業や読んできた本のなかから伺い知ることはできた。 そこから感じた自分の感覚から 「戦争」 と 「家父長制」 を憎むことはなんだか分かるような気がするのだ。
私の祖父母の世代は戦争を経験している。 まだ私達の世代はぎりぎり、 戦争というものが遠い昔の何かではなく自分に続く直近の過去にあったものだと感じている。
父方の祖父も、 戦争で従軍していた。 祖父は朗らかでおしゃべりな働き者だった。 丁稚奉公して縫製の技術を身に付け仕立て屋として独立したが、 時代の流れで店を畳み、 全く違う業種に転職せざるをえなかった苦労人だ。 店を閉めた後も工業用のミシンは生涯ずっと手放さなかった。 田舎から上京してきたのに 「江戸っ子」 を自称していた。 それくらいは可愛いものだなという盛り方をする憎めないひとだった。
そんな祖父は戦争では南方の島のジャングルに行かされていたのだが、 いわゆる世間で語り継がれるような戦争の悲惨な話は全然しなかった。 私が唯一覚えているのは 「ダチョウを捕まえて食った。 肉がとても固かったが食べる物がなかったので旨かった」 という話だけだ。 子供には聞かせたくなかったのかもしれないが、 とにかくこの祖父からは悲しい話など全く出てこなかった。
妹は学校の授業で 「祖父母に戦争体験について聞く」 という課題を出されて、 私よりも詳しく時間をかけて祖父に戦争の話を聞いたことがあったそうだ。 祖父が語った戦争の話はやはり一般的な戦争の話とは違っていたらしい。
「おじいちゃんは要領がいいから、 戦争でもうまいこと逃げちゃった」 と祖父は語ったという。
突撃の命令が出ても突撃しなかったらしい。 全然あさっての方向に向かっていったそうだ。 普通なら激怒されそうなものだが、 上官は 「しょうがないな」 と苦笑していたという。 どうもひとりだけそういうお調子者として許されていたようだ。
たぶんその上官は比較的温厚なひとだったのだろうが、 それにしてもそんなことがあるものだろうか。 祖父はたまたま運が良く仲間に恵まれたのだろう。
「真面目に戦おうとしたひとはみんな死んじゃった」 と祖父はぽつりと言ったという。 祖父の息子や孫である私達家族は、 そんな亡くなられた方々の犠牲の上に、 今を生きている。 そう考えると複雑な気持ちになる。
だが、 祖父はあの時代だから生き残れたのではないか。 祖父のような個性を現代の組織が許すとは思えない。 今は個人の自由があり個性豊かであるように見えるが、 実は社会に決められた規格からはみ出た人間には居場所のない時代になっている。 例えばスマホが使えなかったり、 セルフレジが操作できなかったり、 そういう規格から外れたひとの居心地がどんどん悪くなっていく。 一方で機械に頼ることに慣れた人々は機械に甘やかされ自分の頭や身体を使って何かをするということが少なくなっていく。 見たくないものは反射的にミュートし、 機械がみせてくれる見たいものや大企業から押しつけられる分かりやすいものしか見ないことを当たり前のように受け入れ、 自分で資料に当たったり異なる意見を聞いたりということをしない。 こういう人間を訓練し操作することは容易いだろう。 いつかニュースで見たハイテク兵器の映像では、 液晶画面を見ながら無人兵器を操作する兵士が、 ゲームでもするかのように空爆をしていた。 人を殺している意識を薄めさせ、 疑うことや葛藤することを忘れさせる。 現代のシステマティックな戦争では、 個人は徹底的に歯車として個性を取り上げられ使い捨てにされていく。 愚かな野望や民族意識に染まった権力者や、 消費される膨大な兵器によって利益を得る武器商人たちのために、 互いに殺し合うマシンと化していく。 そこにお調子者の生き残る隙間はない。 祖父のような人間は炎上するか無視されるかして淘汰されるに違いない。
普通の日常をささやかに暮らすひとびとの誰が、 戦争など望むだろう。 それぞれの中にそれぞれの民族意識はあったとしても、 大量の人間を殺戮してそれを為し遂げようとする人間は、 正常ではない。 だが、 そんな普通の人々が戦争に容赦なく巻き込まれていく。 戦いに直接加担していない国の人間も、 兵器の輸出や加害国の輸出品の購入という気づきにくい形で戦争に加担させられていく。 そしてそうさせようとする権力者達は、 直接戦争をしていない国の人間にささやく。 「見ると悲しくなる他国の悲惨な現状など直視しなくていい。 語りだすと議論になる政治のことなど話さなくていい。 何も考えず楽しい日々を楽しいことだけして過ごせばいい。 馬鹿は馬鹿らしく愚かしく暮らし、 国のやることに意見などするな。」 と。
戦場で傷つく罪もない子ども達の映像がニュースで流れる。 そこに浴びせられる 「テロリストが悪いのだから仕方ない」 というネットの声。 他所の国の揉め事に関わりたくないという黙殺、 冷笑。 彼らの言い訳は、 力の強い者を止めるのは大変だから踏みにじられる者を見捨てたほうが楽だという本音を隠し自分を正当化する都合のいい言葉だとしか私には思えない。 いかにも現代らしい短絡的でお手軽な思考。 そうやって少なくない人々が大きな力の一部に組み込まれ、 加害者になっていく。
戦争の理由には科学的根拠は一切ない。 生物学的にはヒトという生き物はすべて学名ホモ・サピエンスという同じ種であり、 アフリカを起源とする。 人種や民族という概念は生物学的には何の根拠もない。 科学によってそれが明らかにされているのに、 人々は因習にすがる。 人類の短い歴史の中で生じてしまったいさかいがあること、 その根が深いことは致し方ない。 しかしそんなことは、 人類のみができる 「話し合い」 「外交努力」 という方法で平和的に解決していくべきだ。 解決しなくても、 最低限お互い殺し合わずに済むための線引きを探ることはできるはずだ。 科学も法も進歩したはずのこの世界で、 そんなシンプルで地道な解決策がなかなかうまくいかない。 歴史の中での私怨を解決し分かり合おうと何度も何度も忍耐強く繰り返される試みが、 何度でもあっけなく覆えされ続ける。 政治的な要因や個々の民族意識にも原因があるだろうが、 何より戦争がなくなると困る人間達が富や権力を持っていることも大きな要因のひとつだろう。
平和を求める取り組みが暴力によって何度でも駄目にされる世界。 「戦争をやめろ!」 と声を上げるひとのまっとうな訴えがむしろ踏みにじられるような社会。 だが、 それでも黙りたくない。 そして黙らないでいることで少しずつ変わっていくこともある。
駅前のテプラは、 他のステッカーはそのままなのにテプラだけ何度も剥がされたり、 他のステッカーを重ねて貼られたりして消えたこともある。 けれどその度に何度でも貼り直された。 いつしか剥がされることはなくなり、 いつ見てもそこにあるようになった。
平和が世界のどこにでもいつもあるようになるまで、 少しずつでも自分にできるやり方で声を上げ続けていきたい。 何度でも、 何度でも。 諦めずに続けていかなければ、 きっと戦争は何度でも起きてしまうから。 何もしないでいたら、 自由や平和というものは、 簡単に失われてしまうものだから。