最近は銭湯や健康ランドがブームらしい。 私のよく行く何軒かの施設も賑わっているが、 私は子どもの頃から近所の銭湯に行っていた昭和生まれの人間なので、 ニワカの女子と一緒にされるのは若干抵抗がある。 職場の長年サウナに通う女子とサウナの話で盛り上がった時に彼女も同じことを言っていたのだが、 奴はサウナで友達づれでキャッキャしているニワカ女子と一緒になるとサウナストーンにばんばん水をかけまくって大量の蒸気で室内を熱々にしてギブアップさせるそうだ。 分かりやすすぎるイビりかたで笑ってしまった。 私もちょっとそんなベテランサウナーのしごきを受けてみたい。 何分耐えられるかな。
銭湯は子どもの頃から好きだけれど、 健康ランドに行くようになったのはもっと大人になってからだ。 立ち仕事で足腰に溜まった疲れがなかなか取れなくなってきて、 とにかく広い湯船で温かいお湯に長時間浸からなきゃ! という切実な思いが定期的にむくむくと湧いてくるようになった。 普段の日常の中でちょっと行くには銭湯が便利で楽しいけれど、 たまには健康ランドで半日くらいかけてしっかり入りたいときがある。 あちこち行くようになると浸かるお湯の種類もなんとなく違うような気がしてきて、 やはり 「井戸水を加温している」 とか 「温泉を使っている」 という施設が特にいいような気がしてきた。 効く温泉の効果というのは凄くて、 しこたま浸かって出て脱衣場で着替えていたら明らかに入る前よりも腰がしゃんとして姿勢が良くなったのがはっきり分かったことがある。 温泉は気持ちがいいだけでなく実際に効果があるのだ。
郊外にちょっといい健康ランドを見つけて、 年に一度くらい行くようになった。 入館料は千円しないくらいで時間制限がない。 自噴天然温泉かけ流しの湯船がある。 硫黄やナトリウムがたっぷり入っていそうな真っ黒なお湯。 温度が違う湯船がいくつもあるのだが、 いちばん熱い湯船は源泉から沸いた温泉をそのまま入れているそうで、 だいたい 46 度前後くらい。 かなり熱いが慣れると短時間なら入っていられるようになる。 熱くて痛いくらいなのだが、 これがクセになるのだ。
今日はしっかり入るぞ! と決めて行ったときには何時間も入っている。 熱い湯と普通の湯と水風呂を行き来したり、 半身浴や寝湯やぬるめの湯に長く浸かってぼんやりしたりする。 ぼんやりしながら周りのお客さん達を見ていると、 がっつり入る気で来ている本気のひととレジャー感覚で来ているひととの違いがはっきり分かって面白い。
観光のついでかなにかで友達同士で来ているような若い女性たちは、 全然ピンときていない感じで一通り湯船に浸ってさっさと上がっていく。 あちらも周りの様子を見ていて、 私や他のおばさんたちが長々浸かっている様子に、 ( あのひとたちいつまで入ってんのかなあ ) という顔をして先に出ていく。
( そうだろうねぇ⋯⋯あなたたちくらいの年頃ならねぇ⋯⋯ ) 私は出ていく彼女たちの背中を見送りながら思う。 ( まだこういうのに頼らなくても元気だろうさ。 それは自然なことだし、 いいことだよ。 でもさ、 こういうのがあるってことは、 覚えておいてよ。 いつかしんどくなったときには来られるように )
親に連れられて来ているらしい小学生くらいの女の子が、 気持ちよさそうにずっとお湯から出てこない。 お母さんらしきひとに 「まだ? そろそろ上がらない?」 と言われて元気に 「まだー!」 と答えている。 彼女はいいサウナーになりそうだ。 なんとも頼もしい。
好きなものは手放さないでね。 ちゃんともっておいで。
今はよくわからなくても、 覚えておいてね。
いつかそれがあなたを助けるかもしれないから。
思い返せば何度、 お風呂に助けられただろう。
単純に寒くて手足が凍るように冷えたときにも、 心に余裕がないときや疲れたときにも、 温かい湯船に身体を沈めてほっとひと息つくと、 自分がすこしやわらぐような気持ちになった。
職場のサウナ女子は、 健康ランドに行くときはひとりで行って自分のペースでサウナに入ったり出たりすると言っていた。 そういうものだから、 友達とは一緒に行かないのだと。 私は誘うような友達もいないので必然的にひとりで行くことになるのだが、 私もやはり自分のペースで入りたい。 熱い温泉もサウナも冷たい水風呂も、 自分の身体に意識を傾けながら 「まだ入る? そろそろ出る?」 と自問自答している。 そういう入り方をするときは、 やっぱりひとりのほうがいい。
普段の日常生活の中では、 なかなか自分の身体について細かく意識はしていない。 もちろん寒いとかお腹が空いたとか感じはするけれど、 全身のすみずみにまで意識を向けてしっかり自分の身体と向き合っている感覚はない。
自分の身体というものも不思議なもので、 確かに自分のものではあるのだけれど自分で全てをコントロールできるわけではなくて、 気をつけていても体調は崩すし疲れも溜まる。 自分では元気で気合いでどうにかなるつもりでいても、 徹夜でもすれば眠くもなるし、 油っこいものを食べれば胃ももたれるし腹もこわす。 身体からの欲求や信号に振り回されながら、 それに従ったり宥めたりして自分の意思を通している。 やはりこの身体は肉体の寿命がある間だけ借りている乗り物なのだろう。 魂というものがあるのか私にはわからないけれど、 少なくとも自分の意識と肉体は全くイコールではなくて、 肉体には限度があることを感じるし、 肉体のコンディションに気持ちが引きずられていると感じることもある。 たまには身体を労らないと、 なんて思いながら湯に浸かる。 熱くしたり冷やしたりして程よい感じになって、 露天に置かれた休憩用の椅子に座って外気浴して心地よくなっていると、 身体がほぐれると気持ちもほぐれていくのがわかる。
周りをぼんやりと見渡すと、 自分と同じようにひとりで湯に浸かったり、 椅子に座っているひとがいる。 みんな勝手にそれぞれの入り方で、 それぞれの身体を労っている。 それぞれの人生が束の間に集まり、 同じ場所で憩いの時間を過ごしている。 それでいて互いに関わることなくまたそれぞれの人生に戻っていく。
自分が誰でもなくなって、 背景にとけていくような感覚がある。 みんな裸になって湯船で温まって出たら同じ館内着を着て素足でぺたぺた歩いて、 完全に背景に溶け込むような感覚。 だれも自分を気にしていないしだれのことも気にならない。 自分が抱える何かすらも、 いっとき自分のものではなくなる。 健康ランドの効能には、 あの解放感みたいなものもあるのかもしれない。 私はたぶん、 だれでもないだれかになりに行くのだ。 ほかほかに温まることはたぶん、 自分の輪郭もすこし曖昧にしてくれるのだ。
健康ランドに行くようになってから、 温度の変化に敏感になった。 だから最近は、 流しでお湯で手を洗っているだけでも、 あぁ温かいなぁ有難いなぁとしみじみしてしまう。 この季節はすぐに冷えてしまう手指が熱めのお湯でつつまれ、 ぬくもりを取り戻していく。 それだけでもお湯に浸るあの感覚を思い出す。 普段の生活でフィジカルなことを実感することはあまりないけれど、 こういうときは 「あぁ私の身体は生きてるんだなぁ⋯⋯」 なんて思ったりする。